輪の魔術師~僕の転生した異世界では、人間は伝説の魔術師になれるそうです~

海老石泥布

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異世界"イルト"~青の領域~

65.遺体の検証

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◇◇
 クウとフェナ、そしてマルトシャール伯爵は、伯爵の部下であるノームの男の先導に従い、フィエラルの街中にある迷路のような路地を小走りで駆け抜けていた。

「御覧下さい、伯爵。──あそこです」

 そう言ってノームの男が指差す先に、騒がしい人集ひとだかりができていた。

「──お、おい。見ろよ、"マルトシャール伯爵"様だ」

「伯爵様? 伯爵様が直々じきじきにおいでになるなんて……」

 集まっていた者達が、伯爵の姿に気付いてそれぞれの発言をする。

諸君しょくん、道を開けて頂けるかな?」

「は、はい……伯爵様。ただちに」

 密集していた者達が左右に寄る。伯爵はその中央を堂々と進み、クウとフェナがその後に続いた。

「何と……これは、ひどいな」

 伯爵の眼前がんぜんに、顔の崩れたマーフォークの者らしき遺体が姿を現す。顔は全く個人の識別ができないほどにつぶされており、一見すると性別の有無うむすら分からなかった。

「──聞かせてくれ。この遺体はどういう状態だった?」

 伯爵達を案内したノームの男に、伯爵が聞く。

「遺体は、木箱にくくり付けられた状態で、水路に浮いていました。まるで、見つけてくれとでも言わんばかりに。──一応、水路から引き揚げてから、周囲の者には触れないよう言っておきましたが」

「つまり、遺体はまだほぼ手付かずという訳か。──いい判断だったな」

 部下をねぎらってから、伯爵は遺体に顔を近づけてその様子を見る。

 クウは口に手を当てて一歩後退する。隣のフェナは無表情で、伯爵同様、死体の様子を落ち着いた様子で観察していた。

「──恐らく、戦棍メイスのような武器で、何度も執拗しつように殴られたのだろうな。だが、顔以外は損壊そんかいいちじるしく少ない……。まるで、こいつの正体を特定させないようにすることが狙いであるかのようだ」

「──両手首に縄の痕跡こんせきが残ってる。直前まで縛られてたわね。遺体の血色けっしょくはかなり良いから、死んでからまだ時間はっていないはず。このマーフォーク特有の青白い肌でも、それぐらいは断言できるわね」

 伯爵とフェナが、遺体を見てそれぞれ思ったことを口にする。

「胸元に複数の火傷やけど。熱したごてか何かをおしつけられたな。典型的な拷問ごうもんの跡だ。それに──首にも縄の跡があるぞ? こいつは拷問を受け、最終的には首を絞められて殺された……絞殺こうさつか?」

「そうかも知れないわ、"伯爵"。──顔をなぐつぶした後で首を絞める理由があるというなら、話は別なのだけれど」

「いや、それは無いだろう。そんな行動は無意味だ」

「私も同意見よ」

 フェナはそう言って、死体からマルトシャールに視線を移す。

「ねえ、伯爵。このマーフォークは、本当に"もやのトールコン"本人なのかしら?」

「背格好や体形は、奴そのものだ。服装も最後に会った時と同じものだと記憶しているが……顔がこの有様ありさまではな。──むっ?」

 伯爵は何かに気付いたようで、死体の胸元の部分をごそごそと探る。

ふところに、これがひもくくり付けられていたぞ」

 それはつつに入れられた書簡しょかんだった。伯爵は筒の上部を外し、中から──筒状に丸められた羊皮紙ヴェラムを取り出す。

「これは、こいつの元々の持ち物ではないな。──何か、文章がつづられている」

「文章? ──どんな内容なのかしら?」

「内容を読み上げるぞ。──『"霧の四貴人"へ宣言する。中立都市フィエラルの支配権は、間もなく"黒の騎士団"の手に渡るだろう。残りのお三方も無事では済まさぬ。覚悟しておかれるが良い』……と書かれているな」

 伯爵は、羊皮紙ヴェラムの入れられていたつつを見ている。

「この筒は──"黒の領域"から持ち込まれたものに違いない。高い地位を持つ者に向けて書簡しょかんを送る際、使われるものだ。俺もかつて名実めいじつ共に"伯爵"であった頃、これと同じものを使っていたから良く分かるぞ」

「──伯爵。その羊皮紙ヴェラム、私にちょっと貸して頂けないかしら」

「うん? ──まあ、いいだろう」

 伯爵がフェナに羊皮紙を手渡す。フェナはそれを──鼻を近づけてくんくんと臭いをいだ。

「……気になるわね。このにおいは何かしら? 何処かで、いだ覚えがあるのだけれど」

「匂いだと? ──ふむ、興味深いな」

「あの……伯爵。僕も一ついいですか?」

 そのひかえめな声に反応し、伯爵とフェナが同時にクウを見た。

「その遺体の手を調べてもらえませんか? 僕には、何かを握り込まれているように見えるんです」

「何……?」

 伯爵がクウの言葉に従い、遺体の手の指を無理に開く。クウの言う通り、中に何かがあるようだ。

「これは──千切ちぎれた革ベルトの一部だな。ふむ、こいつは皮鎧かわよろいを固定する際などに使われるもののようだが……」

「皮鎧? ──それを着てる誰かさんを、一人思い出しましたよ」

「ああ、きっと俺も同じ奴を思い描いている。──ソウのことだろう?」

 クウが、首を縦に振った。

「何かが引っかかるな……。この違和感の原因は何だ……? こいつがトールコンの成れの果てだと言うなら、どうして顔を判別はんべつできないようにしたんだ?」

「"黒の騎士団"の残虐性ざんぎゃくせいを見せつけるため、かしら?」

「いや、フェナ嬢。それならば、今度は首の縄の跡が分からなくなるぞ。"黒の騎士団"の性質を考えれば、生きたまま顔をつぶしてもおかしくない。生きたまま撲殺されるよりは、絞殺の方がよほど人道的だ。──この殺し方は、奴らにしては優しすぎる」

「このマーフォークは、"黒の騎士団"の手に掛かったのではないと言うの?」

「俺はそう考えている。──詳しくは明かせんが、"十三魔将"や"黒の騎士団"は、フィエラルの中には入れないはずだからな」

「そうだったの? でも、この羊皮紙ヴェラムには、はっきりと"黒の騎士団"と書かれているわよ」

「確かにな。──全くもって、訳が分からん」

 伯爵はお手上げとばかりに、首を左右に振る。

「とりあえず、一通りの検証けんしょうは済んだ。遺体を部下に片付けさせるぞ。このまま街中に放置していていいモノではないからな。──お二人さん、異論はあるか?」

 クウとフェナは、同時に首を横に振った。

「俺は今か、ニニエラとソウに会いに行く。その羊皮紙の内容を伝えるためにな」

「それが良いわね。──お返しするわ」

 フェナが羊皮紙をマルトシャールに返却する。

「クウ君、君はどうするんだ?」

「仕事に取り掛かるつもりです。──伯爵、また後でお会いしましょう」

「分かった。──幸運を祈る」

クウは伯爵に一礼し、フェナを連れてその場を後にした。



伯爵の元を離れ、人通りの少ない通りに出た二人は、無言のままそれぞれ何か考え事をしているらしい顔で歩き続けていた。

「──ねえ、クウ」

「えっ、何?」

 フェナが、急にクウを呼んだ。

「私、さっき羊皮紙の匂いをいだのを見ていたでしょう? ずっと気になっていたのだけれど──やっと分かったわ」

「本当に? ──教えてくれないかな。僕も気になるよ」

「──ニニエラさんよ」

「えっ?」

 戸惑うクウに、フェナがもう一度、言葉を変えて言い直した。

「あの羊皮紙ヴェラムに染みついていたのは、"藍蜘蛛あいぐもニニエラ"さんの香りなの。おそらくは香水のたぐいだとは思うのだけれど、種類までは分からないわ。──でも、間違いないと思う」
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