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巡り合う定め
10:調べ物
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たまにこれは夢だと分かる夢を見ることはないだろうか。
ふんわりと真綿に包まれたような意識の中で、彼女は床に広がる無数の銀糸を見て、これは夢だと、頭の片隅で思った。
彼女の周りには本であふれていた。無造作に開いて床へ置かれた本を見れば、きっと侍女達が金切り声を上げて怒ることは分かっているものの、整理する気にはならない。重い意識の中では首を回して周囲を確認することすら億劫であるが、そうせずともそこがレストロレイアの城にある書庫であることを思い出した。
『ディア! カルディア! 我が妹よ!! そろそろ出てこないと死んでしまうっ』
『近寄らないでくれるぅ? 邪魔よ』
あと公式には妹ではないと言い捨てて、カルディアは結界の外で喚く男を一瞥する。
その男はカルディアと同じく銀の髪色で、確かにカルディアと顔立ちも似ていた。2人とも母親に似たからなのだが。それでも、調べ物の邪魔をする男が鬱陶しくて数日前に結界を張ったっきり籠っていたのだ。
『ディア』
そこへ、男が抜けられなかった結界をするりと抜けて、重く響く低音の呼び声を合図に、太い腕の中に囲われる。そこは酷く安心できた。耳をすませば相手の鼓動が聞こえる距離で、安心して相手に身を委ねる。
『こんなところで寝ていたら、風邪をひく』
『だってぇ……調べなくちゃ』
言葉を紡ぐ彼女は、とても眠たそうな声を上げる。語尾はいつも以上に伸びているし、途中途中に欠伸が挟まっていた。
『王も王子も心配していらっしゃるぞ』
『あらぁ。貴方は心配してくれないのかしらぁ』
一瞬でぱちりと目を覚まして、彼女は意地悪く笑いかける。
相手は困ったように眉を寄せながら、苦笑した。言葉にせずとも、彼もそう思っていることは明白である。
『そんな顔、他ではしちゃだめよぉ?』
自分がそうさせたのにも関わらず、彼女はくすくすと笑いながら、彼の頰に手を滑らせた。
それは、優しい、優しい記憶という夢。
『貴方がこの世界にいれば、それでいい』
*****
結論から言えば、カルディアの知る世界の平行世界である、という確率はかなり低くなった。
歴史も、王族の系譜も、ほぼカルディアの知るとおり。カルディアの前世の流れもそのとおりであり、真実がどうであれ、そうなった事柄も合っていた。今のところ平行世界という確証はない。
ただし、実際に前世と繋がる人物と出会って、カルディアの前世を知らない場合や認識の齟齬があった場合は、この世界は平行世界であることが確定する。悠久の時を生きる竜やエルフのような種族がいる世界だ。600年ほどならば、人は無理でも他種族の知り合いはいるだろう。会って確かめることは恐らく出来る。
しかし、元々はこの世界でカルディアが思うままに生きれるのか、ということを調べていたはずだ。調べた限りでは、思うままに生きても良いーーむしろ、前世よりも生きやすい世の中になっているようにも感じた。それは、前世の肩書きがないことも要因の1つではあるが。
魔力循環を行いながら調べ物を夢中でしていれば、時間感覚も狂い、今がいつなのか忘れてしまった。宿主が片手間でも食べれるものを部屋まで用意してくれるおかげで、空腹とは無縁だったが。
ふと、気を失っていたことに気付き、部屋へ近づいてきた宿主がノックの音と共に来客を告げる。気付けばアグノスと約束した昼前になっていた。
床にだらりと四肢を投げ出して、来客を告げる宿主に返答しようとするものの、それさえも億劫に感じるほど、体は怠く感じていた。
今世では今までこんなことはなかったが、前世ではよくあった。調べ物を始めると寝ずに調べ終わるまで止まらない悪い癖。気絶も寝不足も危険だと分かってはいるもののこちらの世界に戻ってしまうとどうしても同じ感覚でしてしまう。怒ってくれる侍女は居ないのだからとやりたい放題してしまった。今日は冒険者ギルドに行く予定なので起きなければ。
「カルディア」
持ち上げるのも億劫な瞼を開けると、ふわりと力強い腕に囲われる。ふわふわとした意識の中で、夢の中かと錯覚してしまいそうになるほど、今朝の夢に似た感覚。
「宿主が心配してる。もういいだろう」
心音が聞こえるほど近い距離で、アグノスの頰に手を伸ばす。夢の時よりも重だるい身体はゆっくりとしか動かない。夢の時のように意識がそれ以上はっきりとすることはなく、ふにゃりとした笑みを浮かべた。
「貴方、はぁ……?」
紡ごうとした言葉は半分も口にすることは出来ない。けれど、正確に読み取ったアグノスは、夢の中の彼と同じように、眉を寄せて苦笑する。
「少し、眠れ。夕方には起こしてやるから」
寝台に連れていかれて、瞼に手を当てられる。その温もりは、確実にカルディアの張り詰めた緊張感の糸を解してしまったのだった。
次に目が覚めたのは、夕日が差し込んだ時刻。
頰が撫ぜられる感触で意識は浮上する。敵ではない。絶対的な味方だと本能が呼びかける手に、頰を擦寄らせた。
「カルディア。夕食を持ってきた」
自身を呼び起こす声に、昼前よりもすんなりと瞼を開く。
寝台に腰掛けていたアグノスは、カルディアが目覚めたと共に頰から手を引いた。
アグノスの手を借りて起き上がり、夕食が用意されたテーブルへ手を引かれる。足の踏み場もなかった室内は、整理されており、普通に生活できるであろうスペースが整えられていた。
「片付けてくれたのね。ありがとう」
宿主が片付けたとは思わなかった。
流石に宿主ならば、現在のように資料を種類ごとに分けて整理するなんて真似まではしないだろうからである。ある程度内容を把握していないと、資料のタイトルだけで整理するという行為は難しい。
足の踏み場も無いほどに多い資料を、この男は少なくとも理解している。もしくは整理できる程度に内容を把握していることは分かった。
「夜になっちゃったわねぇ。ギルドに行くのも明日かしら」
窓の外を見ると、差し込んでいた夕日は落ちかけている。夕方と夜の境目。街は街灯がつき、部屋からの灯りが目立ってくる。この部屋の明かりは既に付けられている為、この景色の一部としてなんら不足はない。
「行こうと思えば行ける。ギルドは夜間もやってるからな」
「いいえ、やめておくわぁ。この状態ではまだ不安だもの」
首を振ってカルディアは答えた。
夜は怖い。それは街中であったとしても。異世界のような一日中街が起きている状態はまずない。黄昏時を過ぎれば、開店している店など酒場くらいだ。今ではギルドもそれに混じっているようだが。
安全を取るのは当然のことであった。この世界と異世界の安全の水準が明らかに違うことを、カルディアは知っている。とはいえ、カルディアの比較している基準は600年前のこの国だから、また違ってくるのかもしれない。
安全が確立されない中での行動は慎重すぎるくらいがいい。ここ数日ずっと体内の魔力循環を怠らなかった為、予定よりも魔力の馴染みが早い。しかし、もう1、2日は猶予が欲しい。
そうすれば、自分の中の魔力を支障がない程度には掌握出来る。カルディアはそう確信していた。
「と、言うことで明日でいいかしら。今日はちゃんと休むから」
「分かった」
帰るついでに夕食を下げてくれるというアグノスは意外にまめな部分がある。それは掃除の面からしてもわかることだ。
「……満足したか?」
夕食に手をつけていると、彼はそっと問いかけてきた。
調べ物は終わったかどうかよりも、カルディアが納得出来たかを確認してくるあたり、カルディアのことをよく分かっている。たった1日と少し程度しか会ってもいない相手の考えまで掌握しているなどと、普通はあり得ない。
けれどそれは、カルディア限定で、彼がそう思うことに畏怖は感じない。前世ではそれが当たり前であった。
「そうね。一通りは。調べる限り不安な事はない」
「平行世界であるなら、知り合いに会う前に知りたい、か」
「……知ってる世界が実は違う世界だという可能性があるだけでこんなにも足元が揺らぐものなのねぇ」
知っている人間が自分を知らない。それは、自身の存在を否定されることにも繋がる。この世界で、カルディアの前世という存在が過去にいないとすれば、その記憶を持つカルディアはこの世界にとって危険異分子に分類されてしまう。
それは、ただの異世界の迷い子よりも危険な存在である。その可能性がぐっと低まっただけでも、幸運と呼ぶべき現状だ。
「でも、変わらないものもある」
スゥッと目を細めて、彼女は微笑んだ。
平行世界であろうと、どこであろうと。本来記憶を取り戻してすぐに探し求める存在が、変わらずすぐにカルディアを見つけてくれたのは幸運な事だった。
だから、カルディアは取り乱すことなく、不安要素の洗い出しを行うことができた。
「明日から、またよろしくねぇ?」
ーー貴方がこの世界にいれば、それでいい。
ふんわりと真綿に包まれたような意識の中で、彼女は床に広がる無数の銀糸を見て、これは夢だと、頭の片隅で思った。
彼女の周りには本であふれていた。無造作に開いて床へ置かれた本を見れば、きっと侍女達が金切り声を上げて怒ることは分かっているものの、整理する気にはならない。重い意識の中では首を回して周囲を確認することすら億劫であるが、そうせずともそこがレストロレイアの城にある書庫であることを思い出した。
『ディア! カルディア! 我が妹よ!! そろそろ出てこないと死んでしまうっ』
『近寄らないでくれるぅ? 邪魔よ』
あと公式には妹ではないと言い捨てて、カルディアは結界の外で喚く男を一瞥する。
その男はカルディアと同じく銀の髪色で、確かにカルディアと顔立ちも似ていた。2人とも母親に似たからなのだが。それでも、調べ物の邪魔をする男が鬱陶しくて数日前に結界を張ったっきり籠っていたのだ。
『ディア』
そこへ、男が抜けられなかった結界をするりと抜けて、重く響く低音の呼び声を合図に、太い腕の中に囲われる。そこは酷く安心できた。耳をすませば相手の鼓動が聞こえる距離で、安心して相手に身を委ねる。
『こんなところで寝ていたら、風邪をひく』
『だってぇ……調べなくちゃ』
言葉を紡ぐ彼女は、とても眠たそうな声を上げる。語尾はいつも以上に伸びているし、途中途中に欠伸が挟まっていた。
『王も王子も心配していらっしゃるぞ』
『あらぁ。貴方は心配してくれないのかしらぁ』
一瞬でぱちりと目を覚まして、彼女は意地悪く笑いかける。
相手は困ったように眉を寄せながら、苦笑した。言葉にせずとも、彼もそう思っていることは明白である。
『そんな顔、他ではしちゃだめよぉ?』
自分がそうさせたのにも関わらず、彼女はくすくすと笑いながら、彼の頰に手を滑らせた。
それは、優しい、優しい記憶という夢。
『貴方がこの世界にいれば、それでいい』
*****
結論から言えば、カルディアの知る世界の平行世界である、という確率はかなり低くなった。
歴史も、王族の系譜も、ほぼカルディアの知るとおり。カルディアの前世の流れもそのとおりであり、真実がどうであれ、そうなった事柄も合っていた。今のところ平行世界という確証はない。
ただし、実際に前世と繋がる人物と出会って、カルディアの前世を知らない場合や認識の齟齬があった場合は、この世界は平行世界であることが確定する。悠久の時を生きる竜やエルフのような種族がいる世界だ。600年ほどならば、人は無理でも他種族の知り合いはいるだろう。会って確かめることは恐らく出来る。
しかし、元々はこの世界でカルディアが思うままに生きれるのか、ということを調べていたはずだ。調べた限りでは、思うままに生きても良いーーむしろ、前世よりも生きやすい世の中になっているようにも感じた。それは、前世の肩書きがないことも要因の1つではあるが。
魔力循環を行いながら調べ物を夢中でしていれば、時間感覚も狂い、今がいつなのか忘れてしまった。宿主が片手間でも食べれるものを部屋まで用意してくれるおかげで、空腹とは無縁だったが。
ふと、気を失っていたことに気付き、部屋へ近づいてきた宿主がノックの音と共に来客を告げる。気付けばアグノスと約束した昼前になっていた。
床にだらりと四肢を投げ出して、来客を告げる宿主に返答しようとするものの、それさえも億劫に感じるほど、体は怠く感じていた。
今世では今までこんなことはなかったが、前世ではよくあった。調べ物を始めると寝ずに調べ終わるまで止まらない悪い癖。気絶も寝不足も危険だと分かってはいるもののこちらの世界に戻ってしまうとどうしても同じ感覚でしてしまう。怒ってくれる侍女は居ないのだからとやりたい放題してしまった。今日は冒険者ギルドに行く予定なので起きなければ。
「カルディア」
持ち上げるのも億劫な瞼を開けると、ふわりと力強い腕に囲われる。ふわふわとした意識の中で、夢の中かと錯覚してしまいそうになるほど、今朝の夢に似た感覚。
「宿主が心配してる。もういいだろう」
心音が聞こえるほど近い距離で、アグノスの頰に手を伸ばす。夢の時よりも重だるい身体はゆっくりとしか動かない。夢の時のように意識がそれ以上はっきりとすることはなく、ふにゃりとした笑みを浮かべた。
「貴方、はぁ……?」
紡ごうとした言葉は半分も口にすることは出来ない。けれど、正確に読み取ったアグノスは、夢の中の彼と同じように、眉を寄せて苦笑する。
「少し、眠れ。夕方には起こしてやるから」
寝台に連れていかれて、瞼に手を当てられる。その温もりは、確実にカルディアの張り詰めた緊張感の糸を解してしまったのだった。
次に目が覚めたのは、夕日が差し込んだ時刻。
頰が撫ぜられる感触で意識は浮上する。敵ではない。絶対的な味方だと本能が呼びかける手に、頰を擦寄らせた。
「カルディア。夕食を持ってきた」
自身を呼び起こす声に、昼前よりもすんなりと瞼を開く。
寝台に腰掛けていたアグノスは、カルディアが目覚めたと共に頰から手を引いた。
アグノスの手を借りて起き上がり、夕食が用意されたテーブルへ手を引かれる。足の踏み場もなかった室内は、整理されており、普通に生活できるであろうスペースが整えられていた。
「片付けてくれたのね。ありがとう」
宿主が片付けたとは思わなかった。
流石に宿主ならば、現在のように資料を種類ごとに分けて整理するなんて真似まではしないだろうからである。ある程度内容を把握していないと、資料のタイトルだけで整理するという行為は難しい。
足の踏み場も無いほどに多い資料を、この男は少なくとも理解している。もしくは整理できる程度に内容を把握していることは分かった。
「夜になっちゃったわねぇ。ギルドに行くのも明日かしら」
窓の外を見ると、差し込んでいた夕日は落ちかけている。夕方と夜の境目。街は街灯がつき、部屋からの灯りが目立ってくる。この部屋の明かりは既に付けられている為、この景色の一部としてなんら不足はない。
「行こうと思えば行ける。ギルドは夜間もやってるからな」
「いいえ、やめておくわぁ。この状態ではまだ不安だもの」
首を振ってカルディアは答えた。
夜は怖い。それは街中であったとしても。異世界のような一日中街が起きている状態はまずない。黄昏時を過ぎれば、開店している店など酒場くらいだ。今ではギルドもそれに混じっているようだが。
安全を取るのは当然のことであった。この世界と異世界の安全の水準が明らかに違うことを、カルディアは知っている。とはいえ、カルディアの比較している基準は600年前のこの国だから、また違ってくるのかもしれない。
安全が確立されない中での行動は慎重すぎるくらいがいい。ここ数日ずっと体内の魔力循環を怠らなかった為、予定よりも魔力の馴染みが早い。しかし、もう1、2日は猶予が欲しい。
そうすれば、自分の中の魔力を支障がない程度には掌握出来る。カルディアはそう確信していた。
「と、言うことで明日でいいかしら。今日はちゃんと休むから」
「分かった」
帰るついでに夕食を下げてくれるというアグノスは意外にまめな部分がある。それは掃除の面からしてもわかることだ。
「……満足したか?」
夕食に手をつけていると、彼はそっと問いかけてきた。
調べ物は終わったかどうかよりも、カルディアが納得出来たかを確認してくるあたり、カルディアのことをよく分かっている。たった1日と少し程度しか会ってもいない相手の考えまで掌握しているなどと、普通はあり得ない。
けれどそれは、カルディア限定で、彼がそう思うことに畏怖は感じない。前世ではそれが当たり前であった。
「そうね。一通りは。調べる限り不安な事はない」
「平行世界であるなら、知り合いに会う前に知りたい、か」
「……知ってる世界が実は違う世界だという可能性があるだけでこんなにも足元が揺らぐものなのねぇ」
知っている人間が自分を知らない。それは、自身の存在を否定されることにも繋がる。この世界で、カルディアの前世という存在が過去にいないとすれば、その記憶を持つカルディアはこの世界にとって危険異分子に分類されてしまう。
それは、ただの異世界の迷い子よりも危険な存在である。その可能性がぐっと低まっただけでも、幸運と呼ぶべき現状だ。
「でも、変わらないものもある」
スゥッと目を細めて、彼女は微笑んだ。
平行世界であろうと、どこであろうと。本来記憶を取り戻してすぐに探し求める存在が、変わらずすぐにカルディアを見つけてくれたのは幸運な事だった。
だから、カルディアは取り乱すことなく、不安要素の洗い出しを行うことができた。
「明日から、またよろしくねぇ?」
ーー貴方がこの世界にいれば、それでいい。
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