朱炎の姫君と王弟殿下

暁月りあ

文字の大きさ
1 / 17
第1章

死を望むもの

しおりを挟む
 彼女は走っていた。
 暗い森の中、獣の息遣いが背後から迫ってきている状況では、立ち止まることは許されない。例え彼女の体力がなくとも、擦り傷が痛んでも。
 普段部屋から出ない彼女に、体力などない。それでも獣が襲う気配が無いのは、狩を楽しんでいるからだ。

「あっ……!」

 ズシャッと擦りむいた音がした。土から出ていた木の根に足を引っ掛けたのだろう。けれど、なにに躓いたのか気にする余裕などなかった。
 走り出さないと死ぬ。そうは分かっていても、膝が笑って動くことは叶わない。
 もう遊びは終わりかという少しの落胆と、肉にありつけるという喜びを含んだ赤い目が、彼女を取り囲んだ。
 服はぼろぼろで、傷1つ無かった体には木の枝や躓いた時の擦り傷や切り傷が無数に存在した。それでも、彼女は、はっと息を吐いて笑う。

「惨めね」

 自虐を含んだ嘲りは、彼女に死を受け入れさせる。ここで生き残ったとしても、どう生きて行くのか。それを考えると、ここで惨めでも死んでおけば楽なのかもしれない。
 死を覚悟した彼女に、獣たちは飛びかかる。痛みを想像して体を縮こまらせた彼女は、しかし、一瞬の衝撃音が響いたあと、いつまで経っても、やってきて当たり前の衝撃も痛みもないことを訝しむ。
 キャインキャインと、甲高い獣の鳴き声と、足音が去る音。
 真上から感じる威圧感に、彼女は顔を上げる。

「あ……」

 喉から出た音は言葉にならなかった。
 そこにいたのは巨大な体躯に月の光を浴びて輝く銀の毛並み。額から天を衝くように真っ直ぐ伸びた角。
 本の中で読んだことがある。朱炎と並ぶ幻の獣。人の言葉を交わすことができ、唯一の主人を見つけて彷徨う獣。

「ルーン、ウルフ……」
「よくやった」

 彼女の言葉と重なったのは、若い男の声だった。
 彼女は気配すらもなかったその男の存在と、現れた男の色彩に二度、驚く。
 その男は魔力濃度が高い証の【黒】髪に、限りなく黒に近いーーもしかすると月明かりでそう見えるだけかもしれないがーー藍色の瞳をしていた。
 男は彼女を見下ろすと、徐に抱き上げる。急な行動であった為に反応出来なかった彼女は、言葉にならない声を上げた。

「黙っていろ」

 しかし、そんな彼女の声も、男の言葉で噤むしかなかったのだが。

「帰るぞ」

 男はルーンウルフに声をかけて、歩き出す。
 この時、死ぬ運命だった彼女は、確かに生き延びたのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

転生した女性騎士は隣国の王太子に愛される!?

恋愛
仕事帰りの夜道で交通事故で死亡。転生先で家族に愛されながらも武術を極めながら育って行った。ある日突然の出会いから隣国の王太子に見染められ、溺愛されることに……

断罪された私ですが、気づけば辺境の村で「パン屋の奥さん」扱いされていて、旦那様(公爵)が店番してます

さら
恋愛
王都の社交界で冤罪を着せられ、断罪とともに婚約破棄・追放を言い渡された元公爵令嬢リディア。行き場を失い、辺境の村で倒れた彼女を救ったのは、素性を隠してパン屋を営む寡黙な男・カイだった。 パン作りを手伝ううちに、村人たちは自然とリディアを「パン屋の奥さん」と呼び始める。戸惑いながらも、村人の笑顔や子どもたちの無邪気な声に触れ、リディアの心は少しずつほどけていく。だが、かつての知り合いが王都から現れ、彼女を嘲ることで再び過去の影が迫る。 そのときカイは、ためらうことなく「彼女は俺の妻だ」と庇い立てる。さらに村を襲う盗賊を二人で退けたことで、リディアは初めて「ここにいる意味」を実感する。断罪された悪女ではなく、パンを焼き、笑顔を届ける“私”として。 そして、カイの真実の想いが告げられる。辺境を守り続けた公爵である彼が選んだのは、過去を失った令嬢ではなく、今を生きるリディアその人。村人に祝福され、二人は本当の「パン屋の夫婦」となり、温かな香りに包まれた新しい日々を歩み始めるのだった。

異世界の花嫁?お断りします。

momo6
恋愛
三十路を過ぎたOL 椿(つばき)は帰宅後、地震に見舞われる。気付いたら異世界にいた。 そこで出逢った王子に求婚を申し込まれましたけど、 知らない人と結婚なんてお断りです。 貞操の危機を感じ、逃げ出した先に居たのは妖精王ですって? 甘ったるい愛を囁いてもダメです。 異世界に来たなら、この世界を楽しむのが先です!! 恋愛よりも衣食住。これが大事です! お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑) ・・・えっ?全部ある? 働かなくてもいい? ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です! ***** 目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃) 未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。

あの、初夜の延期はできますか?

木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」 私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。 結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。 けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。 「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」  なぜこの人私に求婚したのだろう。  困惑と悲しみを隠し尋ねる。  婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。  関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。 ボツネタ供養の短編です。 十話程度で終わります。

【完結】微笑みを絶やさない王太子殿下の意外な心の声

miniko
恋愛
王太子の婚約者であるアンジェリクは、ある日、彼の乳兄弟から怪しげな魔道具のペンダントを渡される。 若干の疑念を持ちつつも「婚約者との絆が深まる道具だ」と言われて興味が湧いてしまう。 それを持ったまま夜会に出席すると、いつも穏やかに微笑む王太子の意外な心の声が、頭の中に直接聞こえてきて・・・。 ※本作は『氷の仮面を付けた婚約者と王太子の話』の続編となります。 本作のみでもお楽しみ頂ける仕様となっておりますが、どちらも短いお話ですので、本編の方もお読み頂けると嬉しいです。 ※4話でサクッと完結します。

公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる

夏菜しの
恋愛
 十七歳の時、生涯初めての恋をした。  燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。  しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。  あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。  気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。  コンコン。  今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。  さてと、どうしようかしら? ※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

処理中です...