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氷星凪

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第一章

第2話:抹消

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 黒板にぶつかる、チョークの音。教室の中を余すことなく埋める、三十人のライクアの体が吸音材となり、それはすぐに消えていく。席に座った状態で糸に吊られるように背筋を伸ばして授業を聞いている彼ら。先生が一言喋れば、必死にノートへ手を滑らせ、わざとらしいような相槌をぶんぶんと行う。見ているだけで鬱陶しい光景を横目にしつつ、Nは頬杖をついたまま指先でペンを回す。人差し指から中指、次は薬指に。一回転、二回転、三回転……。最後列の端に位置するこの席からの景色は常に見るに耐えないものだった。個性の無い画一的な動きを、試作品のテスト運用みたいに何度も繰り返すその姿。唯一個人で差異が出るとしたら、それは先生が話したことへの反応の速度。だが、そんなもの競争して何になる。Nはあくびを出しながら、椅子へと更にもたれかかった。コン。木製の椅子の背もたれが、後ろに置いてあるライクア一人がそのまま入ったガラス製のポッドの表面に当たる。ふと、振り返り、中にいるライクアと目が合う。もう何色かも分からず、光など一切宿っていない双眸。気をつけをした状態で停止しているそのライクアのうなじにはポッド内の黒いプラグが挿さっており、そこから伸びるコードは天井のパイプを通って、最終的には天井の中心にある蛍光灯へと繋がる。窓なんて無い教室では、この蛍光灯が視界を担保するための唯一の手段だった。Nは上がってくるため息を直前で飲み込む。この照明用のライクアは、半学期経つと変わるのだ。ライクアの体内にある電気エネルギー、通称プルは無限の代物じゃない。ライクアは全身にプルが溢れた状態で生産されるが、それは消費していくばかりで後から補給することは基本的には不可能になる。つまり、消費を繰り返し、体内の中のプルがゼロになってしまうと、ライクアは死を迎えてしまうのだ。いかにも電池らしい、悪辣な待遇。以前の照明用のライクアはとっくに、スクラップ場で塵となっているだろう。それが許せない。使ってはプルが無くなればすぐに捨て、また新しいライクアを導入し、使い切れば捨て……。学年毎に八クラスもあるこの学校の中で、一体今までに何体のライクアが処分されたのだろうか。
「卒業まであと十日、というわけでだな。お前らを外に出ても恥ずかしくないよう、今一度この国の常識段階の知識について復習しよう」
 先生の言葉が、Nの意識の隙間を縫うように入ってくる。卒業まで、あと十日。十日経ったら、何が起きてもひとまずこの教室に来ることは無くなるだろう。外の世界。それは、忌々しき人間が何食わぬ顔で跋扈する悪夢のような場所……のはず。放り出されるぐらいなら、死んだ方がマシだと思える。だが、そんな愚かな運命を背負うのは生活用ライクアコースを選んだ者だけだ。視線の先に見える、あの優等生気取りのように。
「この俺達のいる国、フィアウス。その国土の中心にある王城が国王の住むリオネブルク城だ。その城内には、全国民の生活の基盤となる電気を支える国家電力供給カプセル型装置、ビッグコアがある。このビッグコアの中に入ることを許されるのは、選ばれしたった一人の継承者だけ。一人で国中の電気全てを支えるんだ。ここまではみんな分かってるな?」
 文字で埋められた黒板を背景に、先生が一人一人の目を見て訴えるように話す。まるで揃えたかのように同時に頷くクラスメイト達。
「じゃあ問題だ。ビッグコアの中に入ったライクアは何年間かけてその仕事を全うするんだ? 分かる者」
 教室の所々からすぐさま手が挙がる。その中でも一際早く手を上げていた教室の中心に座る彼を先生は指名して。
「一番早かった、P-9182番」
「はい、五十年です」
 立ち上がった彼は、澄んだ声で答える。思考時間など一切無く、まるで挨拶でもするかのように反射的に漏れた、というような雰囲気だった。
「そう、正解だ。じゃあ少し難しくするぞ。継承者として選ばれたライクアはビッグコア内にあるプラグをこのうなじのコンセントに刺して国に電力を供給するのだが、五十年という任期を全うするまでに放電される電気の量は何プルだ? 分かる者」
 全くのちんぷんかんぷんだ。どこまでが問題で何を聞かれているのかすら分からない。勉強に命を賭けているはずのクラスメイトも苦戦しているようで、みな青色の双眸を血走らせ、必死にノートに計算式を書き殴る。我先に回答を導き出そうと躍起になっている中、先生の発言から十秒も経っていない時だった。一人のライクアがまっすぐと、天に突きつけるように手を挙げる。
「P-9182番」
「はい。年によって少しのブレが生じることを考慮しつつも、おおよその数値だと約一二五八億六千七百三十万プルだと思います」
 教室に一瞬、沈黙が生まれる。全員が固唾を飲み、まさに時が止まったような瞬間。
「……正解だ。みんな、拍手」
 酷く音の揃った喝采が、またNの耳に当てつけのように何度もぶつかった。Nは貧乏ゆすりの速度を無意識に速くしていく。苛立ち。眉を顰め、強張らせた体の力がつま先にまで行き渡り、床と足がぶつかる度に微量の放電が床を跳ねる。Pの横顔が見えている。それだけで、とっくに収まったはずの期末試験で味わった屈辱がまた徐々に湧き上がってきた。
 Nは、軍用ライクアコース希望だった。外の世界の日常生活を支えるライクアを目指す生活ライクアコースとは異なり、主に国所有の軍用機や船舶を動かす電池として配属されながら、戦争に実際に参加する戦闘員としても動員させられるという異質なコース。常に死と隣り合わせの現場にとって、使い捨てに出来る戦力は重宝されるのだろう。結局人間に良いように使われるのには変わりない。それでもNがそのコースを選んだのには一つの理由があった。心置きなく人間をぶっ殺せる、ただそれだけの理由が。
 椅子に座るってじっとするなんて、退屈以外の何者でもない。ずっと、Nはそうだった。期ごとの実務試験で対戦相手を圧倒することだけを楽しみに日常を過ごす毎日。自分の速度についてこられる者などほとんどおらず、気づいたら戦闘力の成績だけが優等生になっていた。全ては人間を潰して、ライクアを救うための力。自分にはこれしかない、そう思ったのに。Pは、まるでそれが幻想だと嘲笑うように蹴散らした。その冷ややかで、余裕ぶった目。世の中を掌握したような、その態度。Nは彼の存在そのものが、ずっと鼻について仕方ないのだ。
「それでは、最後の質問だ。現在、この国にビッグコアが導入されてから百年が経った。そのようにビッグコアが必要とされる要因の一つは、もちろん国民の基本的な生活を支えるためである。だが、もう一つ。この国にビッグコアが必要とされる、重要な理由があったはずだ。それは、一体何だ?」
 即座に手が挙がる。余裕な顔をして、天井に垂直に手を挙げるPの後ろ姿。だが、先生が呼んだのは彼の名前ではなかった。
「珍しいな。それじゃあ、一番早かったN-3015番」
 椅子から久しぶりに立ち上がって、腰を一旦ぐっと伸ばす。こちらを振り向くPのその顔を見下ろしたまま、両手を机につける。体を前のめりにして。
「重要な理由? 簡単だよ。人間がライクアを従属させているということを知らしめす、大きな象徴だからだろ」
「何だと?」
 先生、遅れてクラスメイトの視線が一挙にNに集まる。
「あんな豚箱みたいなところに閉じ込められて、五十年ほっとかれて、終わったら新しいライクアに変える? そんなの正気の沙汰じゃねぇぜ。俺達ライクアは国中の生活を支えてるんじゃない、人間の奴らに良いように利用されてるだけなんだよ! その象徴こそが、ビッグコアだ! あんなもんが必要な理由なんて、人間にしかねぇんだよ!」
「……また、それか」
 目尻を落とし、憐れみのような表情を先生は向けていた。他のクラスメイトはただ無機質にNを見つめている。Nは机を叩くと、彼らに訴えかけるように。
「お前らも……このままじゃいつか捨てられるんだぞ!? 俺達はそんなに物みたいに扱われて良い存在じゃない! ライクアはもっと自由に生きていいんだ、誰にも制限されなくていいんだよ!」
「おい、N-3015!」
 先生が言葉を続けようとしたそのタイミングに被さるように、Pが大きな音を立てて椅子から立ち上がった。先生とアイコンタクトを取ると彼は体をこちらに向け、稲妻混じりの視線を浴びせてくる。
「お言葉だが、君の理論は根本から間違っている。そもそもライクアの使命は、他者への寄与を優先して、命を以て創造主である人間様への奉仕の限りを尽くすことだ。指示無く自分勝手に動くことなど愚か以外の何者でもない」
「だ、か、ら! それが人間に教え込まれた間違った知識なんだよ! この学校の教育プログラムに人間が関わってない訳がないだろ!?」
「それらは全て問題ではない。創造主である人間に従属することは、我々ライクアのあるべき姿だ! 故に君の解答を訂正しよう。ビッグコアが必要な理由はただ一つ、それは国中の人間様の生活を豊かに出来るという点に尽きるのだ。たった一人のライクアが国中の人間様の生活を支えられるということは、それはライクアにとっての最大の奉仕活動を意味する。捨てられる、なんて浅薄な表現ではない。自分の身を人間様に捧げるんだ、そしてそれがライクアとしての最大の喜びなんだ!」
 その瞬間、部屋から拍手が湧き上がる。クラスメイトの全ての視線はいつの間にかPに移っていて、彼を祝福するようにその音は場を支配し続けた。先生も音の一端を担っており、手を動かしながら高らかに声を上げる。
「正解だ。流石学年一の成績優秀者だ!」
 Nは青く染まった瞳孔を開き、体を更に前に乗り出す。
「おい! お前らこんなやつの言うこと鵜呑みにするな! このままじゃ人間の思うツボだぞ!? その目の前にいる先生も、」
「N-3015! 座れ」
「はぁ? 俺はまだ、」
「もう回答時間は終わった。授業を再開する、だからさっさと座れ!」
 声だけで、薙ぎ払われそうな気迫。Nは先生の目を睨みながらも、彼の周囲に漂う雰囲気に押し潰されるように椅子へと腰をつける。遅れて座ったPが口角の端をほんの少し上げたのを見て、Nは固くなった拳を一発机にぶつけると、両腕を組み、足を組み、無いはずの窓を通して外を眺めるように教室という空間から目線を外した。

 無駄に横に広い寮の廊下を歩く。今日の授業も全て終わり、本格的に卒業が近づいているのを感じる。視界の両脇を埋める白い滑らかな壁には、それぞれの個人部屋の扉が続いており、N自身も自分の部屋に向かっている最中だった。前から誰か歩いてくる。それは、何の因果か、P-9182だった。顔を上げ、ただまっすぐと前を向きながら歩みを続ける姿。Nはすれ違う瞬間、その牙城を崩してやりたい半分、むしゃくしゃした気持ち半分で彼に声をかける。
「随分と余裕そうだな。もう、最低でも王城暮らしが決まってるからか?」
 お互いが一度通り過ぎ、止まる。一度の沈黙の後、Pは振り返って。
「ああ。人間様が国を動かすその中心で奉仕出来るっていうのは、身に余る光栄だからな」
「どうせいつかは捨てられるのにな」
 Nは振り返り、彼と目を合わせる。ほんの少し笑い、重々しい口調で虚を突くように。Pはその言葉を聞いてから、顎に手を乗せてしばし動きを止めた。そして、天を見上げてからこちらに一歩近づく。
「……この前からしばらく考えて、やっと君の本心がなんとなく読めた。君、本当は心から人間様を嫌っていないんだろ?」
「はぁ? 何言ってんだ、俺はな!」
「それに、もう一つ。君は僕に嫉妬している、違うかな?」
 Nは彼の鼻が当たるほどの近さにまで、足を進める。
「デタラメを言うのもいい加減にしろ。誰がお前なんかに嫉妬するか」
「強がらなくていい。君は、自分が劣等生だということに引け目を感じているんだ。だから事あるごとにこの優等生の象徴であるような僕に突っかかってきたり、本来畏敬の対象である人間を嫌ってみたりする。つまり、からくりはこうだ。もうどれだけ努力をしても高等級の配属先に選ばれることはない、だから人間様のことをあらゆる面で批判し、この八方塞がりな自分の立場を正当化しようとしているんだ。他者へ奉仕するライクアらしい姿をねじ曲げ、勝手なイメージを自分の中で作り上げてね」
「……違う! 俺は、そんなんじゃ……」
「ライクアしかいないこの学校で、会ったことすらないのに雄弁に人間様への不満をつらつらと並べられるのはもはや才能とまで言えるだろう。だが、少し現実を見てみたらどうだ? 第一、もうそれをして何かが変わるような時期ではないが」
 言葉を吐き捨て、彼はゆっくりと振り返り静かに離れていく。Nは自分の膝を叩いた後、その忌々しい背中に思い切り声をぶつける。
「俺は……! いや、ライクアは……人間と同じように自由に過ごすべきなんだ! お前だっておかしいと思わないのか!? ずっと人間とかいう訳の分からないやつの命令を聞く強制された一生を選ばされることを!」
「……。ああ、それが使命でしかないからな」
 Pが振り返る。
「君は非常に中途半端な存在だ。ライクアの使命を果たすことも無ければ、人間様への悪態をつくだけで何も行動をしない。規則を破る中、きちんと学校が提示した卒業へのレールに乗っている。だから、自分の特技を活かせる軍用ライクアコースを選んだんだろ? そうやって! 本来のライクアとして生きる道を残しているんじゃないのか?」
 声が響く。ゆえに沈黙が二人の間に流れた。Nは必死に言い返そうとした。でも、Pの言っていることが頭の中に響いてやまない。中途半端。自分が? そんなはずない。そんなはず……ない、心の底からそう言い切りたいのに。
「じゃあな」
 Nが何も喋らないことを悟ると、今度はもう何も残さずにPは去っていった。一人、だだっ広い廊下に取り残されたN。彼は自分の両手に目をやり、迸る青い閃光をじっと見つめることしか出来なかった。


 大仰な卒業の式が終わり、その直後。Nは離れの視聴覚室に呼び出された。自分以外のクラスメイトはもう配属先を伝えられたらしく、既に校舎の外へ出たらしい。正真正銘、Nが最後だった。扉を開ける。部屋の中心に、机と向かい合う椅子が二つ。その一方に先生が座っていて、彼が手を差し出したのを確認し、Nはそこへ座る。
「分かっているとは思うが、今からお前の配属先を発表する。形式番号、N-3015番」
「ああ」
 両腕両足を組みながらでの、ぶっきらぼうな返事。重々しく装うとする先生の身振りがなんだか茶番に見えて仕方ない。手に持ったバインダーのページを捲り、ある所で止まると、先生は再び目を合わせてくる。
「……お前の配属先は。フィアウス国外周地区レイルベル、その南東部に位置する、小規模の酒場『Rubber Daom』だ」
 言われて、一度情報が全身を通る。だがその違和感にはすぐに気づいた。腕組みを思わず解き、体を前のめりにして聞き返す。
「ちょっと待て。フィアウスの外周地区? それって生活用での配属だろ? 俺のコースは軍用のはずだ」
 先生はバインダーを閉じる。
「ああ、そうだ。だが、軍用ライクアとしての導入するには君の成績では不十分だった」
「……は、はぁ!? 何でだよ! 戦闘を模したあの実務試験、俺一年から負けたことないんだぞ!?」
「この前の負けが、最初だったな。P-9182番との戦い。あれが、お前の成績に大きく影響を与えた。君の普段の授業態度や筆記試験が点をつけられるようなものではないことは確かだ。そのため、評価出来るのはその高い戦闘力のみ。だが、その戦闘力さえも傷がついてしまった。これでは良質な軍事用ライクアとして外の世界に提供することは出来ないと我々は判断し、生活用ライクアとして最下層の地域へ配属することを決定したのだ」
「そ……そんなのありかよ! 嫌だ。お、俺は絶対そんなの認めない。生活用ライクアとしてただ人間にこき使われるなんて絶対に嫌だ!」
 Nは必死に彼へと言葉を投げかける。そんな中両肘をつき、組んだ手で顔を支える先生は俯きがちに呟く。
「一つ……どうしても嫌だというのなら、選択肢が無いわけでもない。お前が忌避する人間様と会うことなく一生を終えられる方法が」
「本当か!? ならそっちの方が良い! 人間に従属させることを避けれるなら、俺は死んでもそうする! なぁ、その選択肢って何なんだ!」
 聞くと、先生は静かに立ち上がる。その長身の体躯に一瞬見下ろされる形になり。
「口で言うより、実際に行って見てもらった方が分かりやすいだろう。そう遠くないんだ、ついて来い」

 今までに通ったことのないような校舎の裏口を通り、壁に囲まれた擬似的な外に出た。相変わらず、見える景色の最終到達点はたった一色で開放感なんて微塵も無い。他の第四、第五学校の校舎の横を通り過ぎて行くようにしながら、見えてきたのは更に無機質な灰色の壁で構成された箱のような建物。手を伸ばせば、先生が上部を触れてしまうほどの高さのその外壁には鉄製の扉が付いており、それを開けると、地下へと続く階段が目に入った。二人でそれを降りていく。そう長くもない階段を降りるとまた目の前に扉が出現。扉の横のセンサーに先生が顔認証をさせる中、耳を澄まさずとも聞こえてくる物音に意識を奪われる。扉を隔てた部屋の奥だ。なんだか騒がしい機械の駆動音のような。彼が扉を開けた時、その音は急激に大きく聞こえた。遅れて入ったNは、その目の前に広がる光景に思わず息を呑む。
「ここは、廃棄場と呼ばれる。お前に残されたもう一つの選択肢は、つまり、今スクラップになるということだ」
 目下に広がるのは、簡素な入り口からは想像出来ないほどの大規模な地下室。第一から第八まである養成学校の敷地の地下を全て抜いているような、それほどの広大な土地に、元々ライクアだったであろう白い金属片や基板の数々が纏めてプレスされ、箱状になっているものがずらっと並んでいた。そして、その間を縫うように何台も置かれているのは、ベルトコンベアが連結してあるスクラップ機。それらが今も運ばれてきた鉄屑や金属をあっという間に分解し、間髪入れずにプレスをしていた。轟音が、どこまでも続くこの敷地にこだまする中。
「正直、お前も育ててきた生徒の一人だ。どんな悪態をつこうともな。だから、なるべく外の世界に旅立たせてやりたいと俺は思ってる。だが、最後に選ぶのはお前自身だ。ここで答えを聞こう、お前はどちらの選択肢を選ぶ?」
 目線の先。今も一瞬にして鉄屑が引き裂かれ、早くも塵となった。近くには明らかにスクラップされたであろうライクアを思い起こさせる、白い破片と青い破片がプレスされた箱が積み上がっている。Nの手が無意識に震え出していた。ガリガリガリ、という悲痛な叫びが絶え間なく聞こえてきて、段々と恐怖心が煽られてくる。だが、必死にそれをもう一方の手で止める。外の世界に出て、人間に従属し続けるなんて。そんなの、破片になってないだけでずっと死んでいるようなものじゃないか。だったら。足まで震え出す最中、Nは先生を見上げ、答える。
「俺は、スクラップを選ぶ」
「……本当にいいのか?」
「……ああ」
 答えてからも、先生はすぐには動こうとはしなかった。幾らかの沈黙を過ぎた後。歩き出し、Nをまだ動いていないコンベアの前に誘導する。倉庫から取り出してきたマットレスほどの大きさの薄い鉄の板をコンベアの端に置き、そこに寝るように先生は言った。一度唾を飲み込んでから、恐る恐るそこに仰向けに寝る。ひやりと冷たい感覚、金属同士が擦れる甲高い音。追加で持ってきた道具箱を開け、彼ははんだごてを手に取った。プラグを自分のうなじに挿す。道具箱から取り出した金属製の半円の取っ手のようなものを片手に収め、電源のついたはんだごてでそれを一つ一つ、Nの手首と足首近くの鉄に溶接していく。煙と焦げの臭いが顔の横を通り過ぎる中、Nには自分の心臓の鼓動がありありと感じられた。作業が終わると、もういくらNが動かそうがそれは外れず、完全に四肢は固定された。コンベアの隣にある半身ほどの大きなレバーの近くに先生が移動する。その間も、けたたましいような金属音が辺りから響いていて、自分の未来を嫌というほど想像させてきて。
 最低限の動きで、顔を横へと向ける。レバーに手をかけている先生と目が合い、その後は視線だけで会話をした。心臓の鼓動が段々と大きくなり、まるで全身が裂けそうな感覚に襲われる。息切れ、そして全身が強張り始めた。
「それじゃあ、動かすぞ」
 ────ガチャン。
 重々しい音が響いたと同時に、自分の体が動いていくのを感じる。天井のライトが視界の中で上に流れていく。駆動音。それが明らかに近づいてきている。Nは全身の震えが抑えられない。本能か、もう覚悟を決めたはずの四肢が無意識にここから抜け出そうと取っ手に力を加え始める。だが、そんなのは意味を為さない。無様に足掻く姿が、俯瞰で想像出来てしまう。それでもやめられないのだ。
「あぁ……! あぁ……!」
 思っているよりも長い。耐えられない。駆動音がもう足元を掠めているとさえ思えた。Nは目を一度瞑る。暗闇、まるで休息と思えるそれ。意識を委ねて、頭を回す。突然深く落ち着いたように、全ての光景が蘇ってくる。そして、その思考が落ち着いた時、もうNは覚悟を決めた。
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