男心と冬の空

せーら

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安らぎを求めて

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「へぇー、じゃあ彼氏と別れたばっかなんだ?」
「医者の女は無理って言われてぇ。」
「どこ住み?」
「地元どこぉ?」
「飲み物いるひとぉー。」
「………。」

 アルコールと煙草、肉の焼ける匂い、ザワザワと騒がしい声、時折聞こえる下品な笑い声。それらの全てが洋介を不快にさせる。楽しくはなかった。隅の席でぬるくなったビールを飲みながら、早くこの時間が終わることを待っている。
 10人よりは居る面子のなか、ひたすら沈黙を保つのは洋介だけだった。すでにグループは出来上がっている。洋介とよく授業を受ける仲間達もそれぞれ女子と話すのに夢中で、洋介には全く注意を払っていない。

(来なきゃよかった…。)

 なんならこのまま先に帰っても気付かれないのではないだろうか。会費だけ置いて、そっと席を立ってしまいたい。憂鬱だ。楽しくもない飲み会にこれ以上付き合いたくない。未果の事を忘れるどころか、尚更未果と話したくなってしまう。この場に未果がいたら、どれほど楽しいだろう。

「高木くん?」

 隣から声をかけられて、そちらを見る。すると斎藤がトングを片手にこちらを覗き込んでいた。

「サラダ、食べない?もうあと少しだから、下げて貰っちゃおうと思って…。」
「…うん。じゃあ、貰おうかな。」
「ごめんね、残り物押し付けるみたいになって。」

 取り皿を渡すと、斎藤は申し訳なさそうに笑って大皿からサラダを取り分ける。半分は洋介の皿に、残りは自分の皿に。

「飲み物頼まなくて平気?」

 斎藤はメニューを差し出しながら微笑む。洋介は首を軽く横に振った。

「いい、まだあるし。」
「でも混んでるし、来るの遅くなるかもだから…頼んでおいた方がいいかも。」
「…じゃあビール。」
「ん、分かった。」

 斎藤は通りがかりの店員を呼び止め、空になったサラダの大皿を渡してオーダーを済ませる。そして洋介に向き直る。

「高木くん、あのさ…もしかして、あんまり楽しくない?」
「…ちょっとね。」

 正直に返せば、斎藤は少し顔を曇らせた。

「だ、だよね。さっきから静かだし…。あんまりこういう所は得意じゃないのかな、って。」
「まぁね。大人数でワイワイやるのは苦手だけど。」

 答えながらサラダを口にすると、斎藤はそっかぁ、と返して自分の烏龍茶を口にした。

「私も、実はあんまり得意じゃないかも。」
「…あんまりそうは見えないけど。だったらなんで誘ったの、俺のこと。」
「高木くんと話してみたかったから。」

 サラリと答えて斎藤は洋介をじっと見つめる。

「なんか高木くんって一人で平気、というか…ちょっと一匹狼みたいな雰囲気あったから…休み時間とかにあんまり話しかけるのも無理かなぁって…。」
「…俺なんかと話しても何もならないよ。」

 なんとなく、斎藤の言葉の意味を理解しつつそう返すと斎藤は首を横に振る。

「ううん、そんなことない。ずっと話してみたかったんだよ、私。高木くんカッコいいし。」
「……。」

(面倒だ。どうして女は皆こうなんだ。)

 斎藤は洋介の内心など知らず、更に続ける。それはそれは楽しそうに。

「一人で平気な時ってあるよね、分かるよ。私もたまに、ゆっことかマイとかと一緒に居たくないことあるもん。だから、高木くんの孤高な感じ羨ましいし。」

(分かったような事を言うんだ。)

「だから、その…お願いみたいになるんだけど…ゆっこ達と一緒に居たくないなぁってなったら、今度高木くんの所に行ってもいいかなぁ…?」

 斎藤の手が伸びてきて、洋介の服の袖を掴む。甘えるようなその口調が洋介の神経を逆撫でする。

「なんならこのあと、二人で飲み直しに」
「ごめん。」

 掴まれた手を振りほどく。財布を取り出して、多目の会費を斎藤の前のテーブルに置いた。

「ちょっと飲みすぎたから、俺帰るね。」
「え。」
「明日も大学あるし。じゃ。」

 早口でそう告げて荷物を持ち席を立った。後ろは振り返らず、そのまま店を出る。店内の喧騒が遠のいた。春の夜はまだ少し肌寒い。冷たい空気が洋介の頬を撫でて、少しだけ洋介を落ち着かせてくれた。

「……帰ろ。」

 繁華街をそのまま駅の方へ歩く。あちらこちらの店から楽しそうな声が聞こえてくる。洋介にとっては楽しくなかった飲み会。それぞれ楽しめるのは羨ましい限りだ。

(みーちゃん。)

 未果と飲んだら、楽しいだろうか。きっと楽しいんだろう。未果だったら、あんな風に分かったような事は言わない。黙って聞いてくれるはずだ。そして慰めてくれる。洋介が求めるやり方で。未果に会いたい。未果だったら。未果なら。

「っ!」

 十字路を曲がろうとした洋介の足が止まった。目の前の通りを、未果が横切ったからだった。その足は急いでいて、洋介に全く気づいていなかった。先日、再会を果たした時と全く同じ格好だった。ただその胸に一眼レフはない。

「みー、ちゃ…!」

 声をかけようとしたが、その姿が人混みに隠れてしまう。洋介は慌ててその後を追いかけて走り出した。平均的な女性の身長より未果はいくらか高く見える。だが、繁華街の人混みでは黒一色の服装の未果はすぐに紛れてしまう。必死で洋介は未果を追いかけるが、未果は器用に人混みを避けていく。徐々に二人の距離が離れていき、もう見失うと思ったその時。未果が細い路地に入った。

「っは…はぁ…!」

 運動不足のせいですっかり息があがった洋介は、大分遅れてからその路地に入った。未果は数メートル離れたビルに入っていった。そのビルの目の前に駆け寄る。看板はいくつかかけられていたが、灯りがついているのは2階の一ヶ所だけだった。

『cafe&bar  blue moon』

「バー…?」

 てっきりどこかの普通の飲み屋に入ると思っていた洋介は戸惑った。ビルを見上げると窓からオレンジ色の光が漏れている。喧騒は特に聞こえない。少しだけ迷ってから、洋介はビルに入った。蛍光灯が照らすエントランスの奥にエレベーターが見える。乗り込んで2階へあがる。エレベーターから降りるとすぐ目の前に木製の扉があった。営業中の札を確認してから意を決して扉を開ける。

 チリンチリンと軽やかなベルの音と共に、落ち着いたジャズの音色が聴こえてきた。

「いらっしゃいませ。」

 男の声に顔をあげる。カウンターの向こうにシャツを着た30代半ばに見える男が立っていた。にこやかな笑顔は人当たりが良さそうで、顎に生えた髭がより大人に見える。

「おや、初めましてのお客様ですね。どうぞ、お好きな席へ。」

 店内には他に客の姿はない。未果はここに来たわけではなさそうだ。他の階の店だったのかもしれない。すぐ出ていくのはあまりに不自然だろうか。仕方ない、一杯だけ飲んですぐに出よう。そう決意してから、洋介は店員の彼の近くのカウンターに座った。

「何飲みます?」
「あの…じゃあ、ビールで…。」
「かしこまりました。」

 高そうだ。一杯の他にチャージ代も取られそうだ。洋介は後悔しつつ軽く項垂れた。ここじゃないなら、未果はどこに行ったのだろう。他の階の店に居るとしたら、どこに?そもそもこのビルに入ったように見えたのが間違いだったのかもしれない。洋介がうじうじと考え込んでいると、店の奥のカーテンが開いた。

「店長、お待たせー。じゃあ交代しま…あれぇ…?」

 声に顔をあげた。そちらを見れば、探し人の姿があった。白いワイシャツに黒いベストを着て、腰にギャルソンを巻いている。困惑しきった表情で、未果が洋介を見つめていた。

「なんでこんな所に居るの…。」

 嫌そうな口振りで言われてしまったが、洋介は未果の姿が見えた瞬間、安心しきってほんの少しだけ、泣きそうになってしまった。
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