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春
価値の違い
しおりを挟む「スズの友達なんて初めてじゃん。ていうか友達居たんだ?」
「それどーいう意味ですか、店長。なんか腹立つ。」
「そのまんまの意味だってば。あー、よかった、ぼっち貫いてる訳じゃなさそうで。」
未果と店長の会話を聞きつつ、洋介は気まずさを感じていた。未果が終始不機嫌なせいだ。ビールとミックスナッツをつまみながら、落ち着かない気持ちをなんとか誤魔化す。
「で、お客さん、お名前は?」
「え、あ…高木です。高木洋介。」
「ヨースケ君ね。それで?スズとはどんな関係?」
店長が楽しそうに洋介に訊ねる。未果は相変わらず不機嫌な顔のまま洋介の代わりに答えた。
「幼なじみです。幼稚園からの。ついこの前超久しぶりに再会した。それだけ。」
「あらやだ幼なじみ!?なにその関係!素敵じゃなぁい!」
豹変した店長の様子に、洋介はぎょっとしてしまった。突然の裏声と女口調に少し引いてしまう。
「店長、店長。素が出てます、引いてるから、落ち着いて。」
未果が呆れたように店長の肩をポンポンと叩く。すると店長はハッとしてコホンと軽く咳払いをした。
「っと、ごめんごめん。なんだか甘酸っぱい展開の予感につい。」
「いえ、別に。あたしは慣れてるんでいいですけど。てか、ほら!休憩!」
未果が店長の手首を掴んでカーテンの方へずんずんと歩く。
「え、やーん!もうちょっとスズとヨースケ君のお話聞きたぁい!甘酸っぱいお話聞きたぁい!」
「そんな甘えてもダメです!あたし臨時で来てるだけなんですから、さっさと行く!」
再び豹変した店長の喚きをピシャリと遮ってカーテンの向こうへ店長を押しやった。
「んもう、スズったら照れてるの?そんなにアタシってお邪魔虫?」
「店長?」
「冗談よ、怒んないで?それじゃ…ヨースケ君、ごゆっくりどうぞ。」
「あ、は…はぁ…。」
言葉の途中から男に戻った店長が手を振ってカーテンの向こうに消えた。未果は疲れたようにため息を吐き出し、洋介の前に戻ってくる。
「…ごめん、驚いたでしょ。店長、あぁいう人だから。」
「…いや…俺こそ、その…ごめん。急に来たりして…。」
もごもごと洋介が謝ると、未果は口を閉ざした。静かなジャズが店内に響く。未果はグラスを洗い始め、洋介とは目を合わせなかった。洋介は居心地の悪さから視線を背け、店内を改めて観察する。
落ち着いた店だ。むき出しの木材を、アンティーク調の電灯が柔らかなオレンジ色の光で照らす。カウンターの向こうには、様々な種類の酒瓶。窓際には観葉植物が置かれ、そして壁には…たくさんの空の写真。青空と夜空。共通点はいずれにも月が写っている。
その写真を眺めていて、洋介はふと気になった。
「…ね、みーちゃん。もしかして、あの写真…みーちゃんが撮ったの?」
再会したあの日。未果の首にさげられていた一眼レフ。そして『木の上の変人』の噂。それらが繋がった気がしたのだ。未果はグラスを拭く手を止めて、答える。
「…うん。店長に見せたら飾りたいって言われて。何枚かあげたら、どんどんせがませれて。全部店長のお気に入りのやつ。」
まだ声は不機嫌そうだが、それでも答えてくれた。洋介はホッとしつつ、それらの写真を見つめる。
「…すげー…こんな写真、みーちゃんが撮れるなんて…驚いたよ。みーちゃんが写真っての、なんか似合うね。」
「…そりゃどーも。」
未果はぶっきらぼうに言い放ち、グラスを棚にしまい始めた。洋介は未果の方へ向き直り、その背中を見つめる。
「…あの、さ…みーちゃん?」
「それ。」
「え。」
未果がグラスをしまう手を止めて、肩越しに振り返った。猫のような細い切れ長の目で洋介を見つめる。
「その呼び方、やめて。もう、みーちゃんってキャラじゃないから、あたし。」
「…じゃ、じゃあ、えと…何て呼んだらいい?」
「みーちゃん以外なら好きにすれば。」
洋介から視線を外し、グラスをしまい始める未果。洋介は迷った。洋介にとって、みーちゃん以外にしっくり来る呼び方が思い付かなかった。
「…じゃあ、未果、でいい?」
「どうぞ?」
グラスをしまい終えた未果は、別のグラスを取り出してそれを磨き始めた。洋介と会話をあまりしたくないようだった。それでも、洋介はなんとか会話をしたかった。聞きたいことがあったからだ。だが、それを訊ねるのは少し勇気が必要だった。
「あの…俺、みーちゃ…じゃなくて、未果から連絡来るの、待ってたんだけど、さ…その…。」
歯切れが悪くなってしまう。どうして連絡をくれなかったのか、と聞きたい。でもその答えが洋介を嫌いだから、というのであれば聞きたくなかった。
「あぁ…連絡先の紙、なくしちゃってね。」
「え…そ、そうだったの?」
「うん。他にもいろいろ忙しかったし。」
「そ…そっか…よかった…。俺、てっきり嫌われてんのかと思って…。」
予想とは違う答えに、洋介の気持ちが明るく晴れ上がった。安堵しつつヘラリと笑ってみせると、未果は顔をあげて、表情が読めない顔をした。だがそれは一瞬で、すぐにニコリと笑う。
「嫌ってはいないよ。まぁ、連絡する気はなかったけどね。」
晴れ上がった気持ちが一気に凍った。笑顔で言われたからか、余計にズンッとその言葉が突き刺さった。
「え…え?…な、なんで…?」
未果はそんな事言わない…はずだ。理由がなければ、そんな冷たい事は絶対に言わない。洋介が狼狽えながら訊ねると、未果は相変わらず笑顔のまま続ける。
「だって今更話すこともないし…懐かしいなぁ、くらいの気分で終わりじゃん?」
「…で、でも…俺はみーちゃ…未果と話したいことがいっぱいあって…。」
「あたしはない。」
ピシャリと言われてしまい、洋介は息を飲んだ。違う。未果はそんな事を言わない。未果は優しいから。洋介を拒絶したりしない。
「そういや、こーちゃん…今村光も医学部居るらしいじゃん。昔話したいならそっちとしてよ。あたし、あんまり覚えてないし。」
「…覚えてない…?」
洋介の背中を冷たい汗がつぅっと滑った。洋介にとって、あの頃の思い出は宝物だった。きっと未果も同じだと思っていた。いや、思い込んでいた。
「うん、あんまり覚えてない。何があったとか、3人で何して遊んだかとか。中学より前の記憶が曖昧でさ。歳のせいかねぇ、なんて。」
未果の表情は変わらない。だからこそ、余計に洋介は息苦しかった。
「だから、連絡する気なかった。悪いね。よーちゃん。」
13年。あの頃から13年過ぎた。だから、仕方ないのかもしれない。大人になれば子供の頃の記憶なんてあっという間になくなる。きっとそれが普通なんだろう。嫌われてはいなかった。ただ、未果にとって洋介との思い出は宝物ではなかった。
『鈴橋に夢見過ぎ。』
光の言葉が頭によぎった。全くもってその通りだ。夢を見すぎていた。これが現実だ。未果は未果の時間を生きている。過去に拘っているのは、洋介だけ。
くらり、と目眩がした。頭を軽く押さえてから、努めて明るく笑う。
「…そっ、かぁ…それじゃ…仕方ない、か…。」
諦めなければならないんだろう。本当ならば。それでも、洋介はまだ確かめたいことがあった。
「…覚えてないって…全部?」
「…んー、ほとんど、かな。」
全部ではない。確かに全部覚えてないならば、洋介自身のことも、光のことも分からないはずだ。ならば、未果の中に残っているかもしれないあの頃の事。どうかこれだけは、覚えていて欲しい。そう願って訊ねる。
「…転校する最後の日…みーちゃんが、俺に好きって告白してくれたことは?」
「………。」
未果の笑顔が初めて崩れた。無表情になって洋介を見つめる。洋介は泣きそうになりながら、続けた。
「俺も、みーちゃんが好きだって言ったことも…覚えてない?」
どうか、覚えていて欲しかった。それだけでもよかった。あの日の洋介と未果の会話だけでも。だが未果は、
「……そんなこと、あったっけ?」
無表情のまま、そう告げた。
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