龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第三章

第四十五話 顕現せし厄災

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 薄暗い部屋であった。
 開け放しの窓から入る光が、床や壁に所狭しと敷き詰められた幾何学模様を照らしている。家具の一切を運び出された部屋の中は索漠として静謐だ。この場に生命体がいることに、違和感を覚えるほどに。

 つい先日にも訪れたはずの場所が、リリエリの目にはどこか懐かしい光景に見えた。
 目の前には場違いなほどにきっちりと閉ざされた、塗装の剥げた木製のドアがある。剣で己の身を支えながら、リリエリはドアへ向かって一歩踏み出した。歩く度にごとりと重い音がした。
 一瞬の躊躇いの後、ドアノブに小さな手がかかる。ドアは拍子抜けするほど簡単に開いた。

 リリエリの記憶が確かならば、この先には廊下があった。今はない。
 崩れた石壁、融けた床板、夥しい血溜まり。元よりうら寂しい褪せた世界であった。今ではその光景の全てが見る影もなく崩れ、腐り、溶け落ちている。

 目に映る景色の中、人の作ったものはすっかり均されていて、周囲を見通すのは容易であった。
 ただ、ヨシュアの姿だけがどこにも見つからないのだ。

「転移結晶が無事で良かったな」

 背中に声がかけられた。目の前の惨状から一人の人間を探し出すことを優先し、リリエリは振り返らないことを選んだ。
 リリエリは開け放たれたドアの先を塞ぐような位置に立っていたが、その先の光景を隠せるほどの背丈はない。変わり果てたシジエノの様子は、すぐにレダにも伝わったようだった。

「酷い景色だ。元の形を残しているのは、この部屋だけなんじゃないか」
「魔物避けのおかげ、……だけでは説明がつきませんね」

 続くステラの声に、リリエリはようやく後方を見た。
 相変わらず派手なローブを纏っているレダに、白銀のガントレットを右手に着けたステラ。どこに行くにしても十分な準備が必要なリリエリと比べて、彼らはとても軽装に見えた。長く戦い続ける用意はしていない。必ずここで終わらせるという決意を、ありありと感じとることができた。

「全員無事に到着できてなによりです。差し迫った危険も無さそうですね」
「静かすぎて気色悪いくらいだ。ヨシュアがその辺に倒れていてくれりゃあ、話は早いんだがな」
「一見した限りでは、ヨシュアさんの姿は見えませんでした。魔物も近くにはいないようです」
「ろくに動き回れるとは思えないが、急ぐに越したことはないな。ひとまず手分けして探そうか」
「では、私とレダが外を。リリエリ様は一度この建物の中を確認してくださいますか?  気になることがなければ、合流して共に外を探索しましょう」

 ステラの提案を拒否する者はいなかった。崩れ滅びたシジエノに踏み出す二人の背中を見送ったリリエリは、改めて今いる部屋の中を見渡した。

 この建物はそんなに広いわけではない。せいぜい反対側に寝室へと繋がるドアがあるくらいで、わざわざ確認するような場所ではないと思うが――と考えた辺りで、リリエリはステラの魂胆に気がついた。
 彼女はきっと、リリエリが崩壊したシジエノに立ち入るタイミングを少しでも遅らせたかったのだ。なにか危険なことがあれば、先にレダと二人で対処できるように。

 やっぱり過保護な人だなとリリエリは少し笑った。こんな状況でも笑えるのは、絶望に全てを投げ出してしまわずにいられるのは、彼女たちの存在が強い支えになっているに他ならない。
 だが、頼り切りではいられない。今回の作戦の要はリリエリだ。自分一人で、成し遂げなければいけないことがある。

 そのためにはまず、任せられた仕事をしなくては。リリエリはお守りのように握りしめたアダマンチアを支えに、奥の部屋へと足を進めた。例えこの確認作業がステラの方便だったとしても、なおざりにするつもりはさらさらなかった。

 ドアの向こうは、以前この場所を訪れた時のままに見えた。布の剥ぎ取られたベッドに、蝶番の壊れたワードローブ。それから、壁一面に描かれた女神テレジアの宗教画。この部屋は魔物除けの範囲外だが、戦闘による被害は受けていないようだ。

 ……この建物が無事に残っていたのは、ヨシュアの尽力によるもの、ということなのだろう。最後に見た彼の背中が、ふと思い起こされた。あのドアよりもこちら側へは踏み入らせまいとした結果が、この穏やかな部屋なのだ。

 先ほどの部屋よりもさらに狭いここを確認するのに、時間はいらなかった。当然異常は見当たらない。この建物の中に、現在のヨシュアの行方と紐づく物はないだろう。
 急いで二人に合流しようとリリエリは勢いよく扉を開け放った。その時、背後でかさりと乾いた音がした。他愛もないその音に足を止めたのは単なる気まぐれだ。

 振り向いた先には女神テレジアの絵画。その足元に、ひっそりと一枚の紙が落ちている。
 拾い上げると指先に炭がついた。裏面に何か描いてあるようだ。上下も不明なら色もついていないため、何が描かれているのかはわからなかった。

 なんだろうかと紙を回転させたその時、外からリリエリの名を呼ぶレダの声が聞こえた。なんとなく咎められた気分になったリリエリは、咄嗟にその紙をポケットにねじ込んで慌てて部屋を飛び出した。
 去り際、絵画の中の女神テレジアと目が合った。その穏やかな祈りの表情に、リリエリは一つの救いを見た。


■ □ ■


「ここからずっと先の方まで、植物という植物が枯れてる。ヨシュアはあっちに向かってるみたいだ」

 ところどころグズグズになった地面に苦戦しながらレダの元に向かうと、そこには既にステラも揃っていた。
 きらきらと陽光を返す派手な杖が指し示す先は確かに無毛の大地だ。他の部分にはまだ辛うじて植物が残っているというのに、この一方だけは不自然なまでに植生がない。腐食の力を持つヨシュアがこの道を進んだからだという考えは妥当に思えた。

 三人は可能な限りの速さで腐敗した道を追った。機動力のないリリエリは、ステラの背の上から進む先を見ていた。
 居住区から離れたこの辺りでも戦闘があったのか、豊かだった自然は今や見る影もなくなっている。しかしリリエリはこの道の行きつく先を予想することができた。この先は墓場だ。シジエノでの最後の日、あの蠢く翼竜と戦ったあの場所に自分たちは向かっている。

 警戒し辺りを見続けるリリエリの頬に、不意に痛みが走った。吹き付ける強い風の中に焼けた鉄が交ざっていたような、そんな痛みであった。
 もちろんそんなものはない。その代わり、前方に極薄く黒い靄がかかっていることに、リリエリは気がついた。

「霧です、黒い霧が見えました! この先にヨシュアさんがいるはずです!」
「突っ込むぞ。ステラ、頼んだ」
「ええ。任せてください」

 黒い霧はその根源に近づくたびに濃度を増していく。この先のヨシュアの存在を、リリエリは確信していた。だがその上で、リリエリは彼をすぐには見つけることができなかった。
 人間を探していたためだ。恐らくは地面に倒れ伏しているだろう、成人男性の影を。

 そのため揺らぐ霧の中のそれを見たとき、それがなんであるかを理解することができなかった。だってそれときたら、二階建ての建物ほどに大きくて、リリエリが三人集まって腕を広げても足りないほどの横幅があったのだ。

 光をも腐らせたかのような黒い鱗に覆われた双頭の龍。その三つ目の首が生えるべき位置には、半ば吸収されつつあるような形でぐったりと項垂れる瘦躯の男性の姿があった。

 あるいは。または。および。人と邪龍との間を繋ぐ言葉がどれなのか、リリエリはすぐには判断できない。それでもリリエリは、この存在の呼び方を迷わなかった。

「……ヨシュアさん」

 半人半龍とも言うべき存在が、緩やかに朽ちていく大地の中心に顕現していた。
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