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第三章
第四十六話 彼の代わりに彼を討つ
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■ □ ■
「考えられる一番良いケースは、人の形を保ったままのヨシュアが大人しく昏倒している場合です。近づいて、毒を投与するだけで終わりますからね」
「……別れの言葉は、諦めた方がいいですか」
「そのつもりでいた方が賢明だろうな。だが、ヨシュアに文句の一つくらい言っても罰は当たんねぇと思うよ。俺様は言いてぇもん。例えばさぁ、」
たん、と小気味よい音が聞こえた。ステラの手刀がレダの頭に落とされた音であった。とリリエリが認識できたのは、レダが自分の後頭部を抱えてテーブルに突っ伏す姿を見てからであったが。
「あまり脇道に逸れると、いつまで経っても計画が立てられませんよ」
既に所有している毒物を投与することでヨシュアを殺す。この方針が決まった後も三人の話し合いは続いた。具体的な実行方法を決めなければならなかった。
シジエノに残されたヨシュアが現在どのような状況に置かれているのかを、リリエリたちは知ることができない。一度シジエノに転移したならば、次に転移結晶が使えるようになるにはまた数日を要するため、容易に帰還することもできない。
どんな事態になっていようとも、狼狽えずに行動ができるように。リリエリたちは様々な状況を想定しておく必要があった。
「最もあり得そうなケースとしては、……邪龍化が進んで私たちに襲い掛かってくる、とかでしょうか」
「ぼーっと佇んでたりするかもよ、アイツ寝起き悪いから。まぁいずれにせよ、腐敗の霧が辺りに巻き散らされてんのは確実だろうなぁ」
「それは、どう対処しましょうか」
ヨシュアが邪龍へと変貌を始める際、周囲には黒い霧が形成される。この霧は触れたものを腐敗させる力を有しており、生身の身体で触れるのは非常に危険だ。
今までであれば、黒い霧の影響範囲はヨシュアの周辺に留まっていた。だが今回においては、腐敗の霧はより広範囲まで影響していると考えるべきだろう。
私たちはそもそもヨシュアに近づくことすらできないのではないか?
リリエリはそんな懸念を抱いたが、目の前の二人は慌てる素振り一つ見せなかった。それどころか、ステラは極軽い調子で大丈夫ですよと笑って見せた。
「邪龍の霧への対処は、既に攻略しています」
「本当ですか!」
もちろん、とステラは頷いた。なんと頼りになる笑顔だろうか。
「霧の中にいる間、絶えず回復魔法をかけ続ければいいんですよ」
「……それは、その、」
「腐った端から超高速で再生させるんだよ。そうしたら実質的にノーダメージだから、危険な霧の中でも行動できるって寸法だ」
強硬策すぎる。
ステラの態度に安心感を覚えていたこともあり、その落差の分だけ強い不安がリリエリの胸中に広がった。
そんな方法で本当に大丈夫なのか? 口にこそ出さなかったが、リリエリの率直な本音は無加工のまま表情に出てしまっていたらしい。ぱっとレダと目があって、彼はうんうんと同情するように頷いた。俺もヤバい案だとは思ってるよ、とでも言いたげな仕草であった。
「ご安心ください、リリエリ様。安全はばっちり保障されています。既に一度試していますからね」
「前にヒュドラを倒した時に使った方法なんだよ、コレ。ステラがずっと回復し続けて、俺が後方から魔法で支援。とんでもない方法かもしれないけど、一応これでなんとかなっから」
でも一つ問題があるんだ、とレダは続けた。気怠そうに椅子の背もたれに大きく預けていた背中を起こした彼の目には、隠し切れない真剣さが滲んでいた。
「これやってる間、ステラはほとんど動けない。んで、俺も跳ねまわって魔法を使いまくるなんて曲芸はできないわけだ。邪龍に……ヨシュアに近づいて何か行動を起こすには、俺たちの他にもう一人、協力者が必要だ」
「以前邪龍を沈めた際は、これはヨシュアの役割でした。……リリエリ様、今回は貴方にお願いしたいのです」
ステラは自身の胸元に手を当てた。丁度タリスマンがかかっていた位置を探すような動作であった。
リリエリが否と言えば、彼らは文句一つ言わず引き下がってくれるのだろう。彼らが他人の意思を尊重する人間であることを、リリエリはとっくに理解している。
怖くないと言うと嘘になる。自分にヨシュアの立ち位置が務まるだなんて、リリエリには到底思えない。作戦の成否の全てを担うこの大役が恐ろしい。
それでも、やりたいと思った。自分に望まれている役割があるということが、リリエリの背中を支えている。覚悟はとうにできている。
□ ■ □
剥き出しの皮膚を撫でる熱のような感覚に、リリエリは彼らとのやり取りの一部を思い出していた。
風が吹くたび、黒い霧がリリエリの身体を腐らせようと纏わりつく。痛みはなかった。代わりのように感じる熱さがなければ、この霧の危険性を誤認してしまいそうなほどだった。
「不都合はないですか、リリエリ様」
「はい、全く」
ヨシュアの姿が見えた時点で、リリエリは地面に降り立った。まだ幾分か距離があったが、ここから先は自分の足で行く道だ。
運ぶもののなくなったステラは、開いた両の手を胸の前で硬く握りしめた。彼女の魔法は目に見えるものではない。しかし確かに彼女の力が、リリエリたちを守っている。
その横には変貌したヨシュアをじっと見据えたレダが立つ。油断なく構えられた杖の先端には一切のぶれもない。彼の魔法の強さと精度を、リリエリは微塵も疑わない。
机上の上で感じた不安は、霞のように消えていた。
リリエリは腰元に下げた愛用のナイフに手を置いた。ミスルミン製の刃の先にはありったけの毒が塗りつけられている。ヨシュアを殺すための毒だ。この刃を彼に差し込むことが出来れば、全てを終わらせることができる、はずだ。
普段のリリエリであれば、身の丈をはみ出すくらいに大きいバックパックの中に様々な物を詰めている。でも今日だけは違う。杖の代わりに持ち込んだヨシュアの剣。ヨシュアを殺すためのナイフ。それから予備の毒が入った小さなポーチだけ。
たった一つの目的を成すために、リリエリはこの場所に立っている。
「待っていてください、ヨシュアさん。今だけは、私が貴方の代わりになります」
「考えられる一番良いケースは、人の形を保ったままのヨシュアが大人しく昏倒している場合です。近づいて、毒を投与するだけで終わりますからね」
「……別れの言葉は、諦めた方がいいですか」
「そのつもりでいた方が賢明だろうな。だが、ヨシュアに文句の一つくらい言っても罰は当たんねぇと思うよ。俺様は言いてぇもん。例えばさぁ、」
たん、と小気味よい音が聞こえた。ステラの手刀がレダの頭に落とされた音であった。とリリエリが認識できたのは、レダが自分の後頭部を抱えてテーブルに突っ伏す姿を見てからであったが。
「あまり脇道に逸れると、いつまで経っても計画が立てられませんよ」
既に所有している毒物を投与することでヨシュアを殺す。この方針が決まった後も三人の話し合いは続いた。具体的な実行方法を決めなければならなかった。
シジエノに残されたヨシュアが現在どのような状況に置かれているのかを、リリエリたちは知ることができない。一度シジエノに転移したならば、次に転移結晶が使えるようになるにはまた数日を要するため、容易に帰還することもできない。
どんな事態になっていようとも、狼狽えずに行動ができるように。リリエリたちは様々な状況を想定しておく必要があった。
「最もあり得そうなケースとしては、……邪龍化が進んで私たちに襲い掛かってくる、とかでしょうか」
「ぼーっと佇んでたりするかもよ、アイツ寝起き悪いから。まぁいずれにせよ、腐敗の霧が辺りに巻き散らされてんのは確実だろうなぁ」
「それは、どう対処しましょうか」
ヨシュアが邪龍へと変貌を始める際、周囲には黒い霧が形成される。この霧は触れたものを腐敗させる力を有しており、生身の身体で触れるのは非常に危険だ。
今までであれば、黒い霧の影響範囲はヨシュアの周辺に留まっていた。だが今回においては、腐敗の霧はより広範囲まで影響していると考えるべきだろう。
私たちはそもそもヨシュアに近づくことすらできないのではないか?
リリエリはそんな懸念を抱いたが、目の前の二人は慌てる素振り一つ見せなかった。それどころか、ステラは極軽い調子で大丈夫ですよと笑って見せた。
「邪龍の霧への対処は、既に攻略しています」
「本当ですか!」
もちろん、とステラは頷いた。なんと頼りになる笑顔だろうか。
「霧の中にいる間、絶えず回復魔法をかけ続ければいいんですよ」
「……それは、その、」
「腐った端から超高速で再生させるんだよ。そうしたら実質的にノーダメージだから、危険な霧の中でも行動できるって寸法だ」
強硬策すぎる。
ステラの態度に安心感を覚えていたこともあり、その落差の分だけ強い不安がリリエリの胸中に広がった。
そんな方法で本当に大丈夫なのか? 口にこそ出さなかったが、リリエリの率直な本音は無加工のまま表情に出てしまっていたらしい。ぱっとレダと目があって、彼はうんうんと同情するように頷いた。俺もヤバい案だとは思ってるよ、とでも言いたげな仕草であった。
「ご安心ください、リリエリ様。安全はばっちり保障されています。既に一度試していますからね」
「前にヒュドラを倒した時に使った方法なんだよ、コレ。ステラがずっと回復し続けて、俺が後方から魔法で支援。とんでもない方法かもしれないけど、一応これでなんとかなっから」
でも一つ問題があるんだ、とレダは続けた。気怠そうに椅子の背もたれに大きく預けていた背中を起こした彼の目には、隠し切れない真剣さが滲んでいた。
「これやってる間、ステラはほとんど動けない。んで、俺も跳ねまわって魔法を使いまくるなんて曲芸はできないわけだ。邪龍に……ヨシュアに近づいて何か行動を起こすには、俺たちの他にもう一人、協力者が必要だ」
「以前邪龍を沈めた際は、これはヨシュアの役割でした。……リリエリ様、今回は貴方にお願いしたいのです」
ステラは自身の胸元に手を当てた。丁度タリスマンがかかっていた位置を探すような動作であった。
リリエリが否と言えば、彼らは文句一つ言わず引き下がってくれるのだろう。彼らが他人の意思を尊重する人間であることを、リリエリはとっくに理解している。
怖くないと言うと嘘になる。自分にヨシュアの立ち位置が務まるだなんて、リリエリには到底思えない。作戦の成否の全てを担うこの大役が恐ろしい。
それでも、やりたいと思った。自分に望まれている役割があるということが、リリエリの背中を支えている。覚悟はとうにできている。
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剥き出しの皮膚を撫でる熱のような感覚に、リリエリは彼らとのやり取りの一部を思い出していた。
風が吹くたび、黒い霧がリリエリの身体を腐らせようと纏わりつく。痛みはなかった。代わりのように感じる熱さがなければ、この霧の危険性を誤認してしまいそうなほどだった。
「不都合はないですか、リリエリ様」
「はい、全く」
ヨシュアの姿が見えた時点で、リリエリは地面に降り立った。まだ幾分か距離があったが、ここから先は自分の足で行く道だ。
運ぶもののなくなったステラは、開いた両の手を胸の前で硬く握りしめた。彼女の魔法は目に見えるものではない。しかし確かに彼女の力が、リリエリたちを守っている。
その横には変貌したヨシュアをじっと見据えたレダが立つ。油断なく構えられた杖の先端には一切のぶれもない。彼の魔法の強さと精度を、リリエリは微塵も疑わない。
机上の上で感じた不安は、霞のように消えていた。
リリエリは腰元に下げた愛用のナイフに手を置いた。ミスルミン製の刃の先にはありったけの毒が塗りつけられている。ヨシュアを殺すための毒だ。この刃を彼に差し込むことが出来れば、全てを終わらせることができる、はずだ。
普段のリリエリであれば、身の丈をはみ出すくらいに大きいバックパックの中に様々な物を詰めている。でも今日だけは違う。杖の代わりに持ち込んだヨシュアの剣。ヨシュアを殺すためのナイフ。それから予備の毒が入った小さなポーチだけ。
たった一つの目的を成すために、リリエリはこの場所に立っている。
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