あぶはちとらず

井氷鹿

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第5章 Grasp all , Lose all.3 1995年 亘編 夏2

間が近くて契りが薄い1 So Close, Yet So Far

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「こちら、お誕生日のサービスで塩漬け豚肩ロースとレンズ豆の煮込みプティ・サレ、良かったら召し上がってください」 
 そう言ってシェフが本日の主役、崇直の皿にひとすくいを盛り付ける。
 途端、なんとも言えないうまそうな匂いがテーブルに広がった。
 一気にみんなの顔に笑顔が広がる。匂いとともに料理への期待感が膨らむんだよな。
 しかも、この店はその期待を裏切らない。
 隣の田中の皿にも盛り付け、今度は僕と紅緒の間にワゴンを移動させて来た。

「はい、どうぞ」
 先に田中が取り分けてくれたラム肉の隣に、シェフがよそってくれた。
 フレッシュハーブはドライほど匂いがキツクないから、他の料理を邪魔しないんだよね。
「こちらの豚肉ポークは、千葉県産です」
 そう言ってシェフが崇直にウインクする。
 ああ、この前の豚肉料理、崇直が気に入ってたの覚えてくれてたんだこの人。
「やったな崇直。ニュージーランド産に千葉県産だってさ」
 良かったな崇直、と僕も崇直にウインクしたら、ナゼか睨まれた。
「おっと。崇直じゃなかった。すまん……」 
 んおっ。すねを思いっきり蹴られたよ。くそ、痛ぇなぁもう。

「いい香り。シェフの料理ってどの料理とも香りがケンカしないんですね。逆に食欲が増しちゃう」
 紅緒がフォークで崩した豚の煮込みを美味しそうに一口で頬張った。
 上手かったのか、目を見開いて何度もうなずく。
 フォークを置いて、シェフと僕に向かって最高と言わんばかりに両手の親指をグッと突き上げる。
「お口に合って良かったです」
 
 そう言うシェフに、紅緒は何度もうなずき必死で咀嚼してる。
 つられて僕も一口。
 うわぁ、豚の塩加減が最高。甘味すら感じるよ、ナニコレ。その旨味を全部吸って膨らんだレンズ豆がこれまたほくほくでたまらんわ。
 正面を見たら、 崇直も口に入れ一噛みして僕の方を見て頷いた。もちろん目は満足げに笑ってる。
 紅緒に向かって同じように頷き同意すると、そこに田中も加わり全員が黙したまま、でも楽し気に食べ続ける。
 食器に当たるカトラリーの音、息遣い。
 やっぱり美味いものは人を黙らせるなぁ。
 
 グラスに注がれたモスカートワインで、口を湿らせる。
 上手いんだけど、また酔って寝るわけにはいかないしね。
 ほぼ同じタイミングで、満足げなため息が聞こえてきた。
 と紅緒を窺ったら、ワイングラスはすっかり空だ。
 の手を取って頬にあててる。

 少し酔ったのかな。目の隅で紅緒の上気した頬を捉えながら田中に話しかけた。
「なぁ田中、ここのワインって誰が決めてるんだい」
「ああ、シェフとスタッフで決めてるよ。ソムリエが居ないらしいんだ」
 へー、ソムリエ無しで回してるんだ。それはそれで凄いなぁ。
 選んだワインも好みに合ってるし。
 グラスを持って、香りを嗅ぐ。

「……グラスで三杯程度だよ」
 と紅緒の声。
「三杯? そんなに飲んでたっけ」
「だって、これせっかくシェフが用意してくれたモスカートワインだもん。微発泡でめちゃ美味しいじゃん」
 うん、それは言えてる。飲み過ぎないように我慢してるんだよって、ああ。
「口当たり良いから飲みやすいでしょ」
 とボトルを向けてきたよ。
 しゃあないな、覚悟を決めてグラスを空ける。
「よしよし。お祝いだからね、楽しく飲まないと」
 へいへい。
 注がれたワインの気泡がグラスの底から立ち上がる。
 口に運ぶと、芳醇な香りが鼻から抜けて、何杯でも行けそうな気分になる。
 危ない危ない。

「べーちゃん、俺も」
 と言う田中は、まだまだイケそうな顔つきだな。
 お酒強いのかな。
「直ちゃん、最後の一番濃いところをどーぞ」
 紅緒がの空けたグラスに、ボトルを逆さに立てて最後の一滴まで注ぎきる。 
「カンパイだ」
 田中の音頭で、それぞれが崇直のグラスに自分のそれを軽く当てていく。
 飲み終わったところで、田中が立ち上がった。
「デザートを頼んでくるよ」
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