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昨日となんら変わっていない旦那様を前に、私は固まった。
やっぱり私、旦那様に何かしたのね…。
「奥様…?」
リリーに呼ばれて現実に引き戻される。
「あ、ごめんなさい。リリー」
「わたくしめに謝罪など、もったいないお言葉ですわ奥様。ところで、昨日から顔色が優れませんが今日はお部屋で安静になさいますか?」
リリーが心配そうにこちらをうかがう。
「いいえ、大丈夫よ」
「しかし…」
「本当に、大丈夫だから」
そう言って、逃げるように席に着く。
すると、今日はアンが朝食を運んできてくれた。
「奥様、今日は滋養に良いものを作っていただきました」
「そう、ありがとう」
アンが運んできたのは、お粥だった。
実家で熱を出したときはいつもお母さんがお粥を作ってくれていたから、懐かしい。
スプーンを手に取り、お粥を救って口に運ぶ。
シンプルではあるけれど、塩味がお粥の美味しさを引き出している。
「美味しい…」
「それはよかったですわ」
アンがにっこりと微笑む。
ん?なんだろう、この感じ…。
視線に気づいてあたりを見回すと、なぜか優しいメイドさん方がこちらに生暖かい目を向けている。
なぜに?
途端に居心地が悪くなって、頑張ってお粥を平らげると、足早に自分の部屋に戻った。
「お、お待ちください!奥様~!!」
後ろからリリーが追ってくる。
お願い、どうか今だけは一人にして…。
うまくリリーを撒くと、誰も来ない庭に忍び足で行こう
そう、行こうとしたのだ。
しかし、その前に見つかってしまった。
今私の目の前にいるのは、旦那様ただ一人。

旦那様は私を見ていた。
やはり、なにも話そうとはしない。
きっと、食後の運動をしていたのよ。そうよ、きっとそうに違いないわ。
そのまま何もおっしゃらない旦那様を自己解釈して、私はその場を離れようとした。

「待て、フローレ!」
びっくりして私は後ろを振り返った。
「な、なんでしょう?」
はじめてだった。
はじめて旦那様に名前(愛称)を呼ばれた。
それがなぜか嬉しくて、もっと名前を呼んで欲しくなって、でもそれは傲慢だと思って、耐えるように唇を引き結ぶ。

「今夜、一緒に夕食を食べないか?」
「え…」
言われた言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「俺と食を共にするのは嫌か?」
旦那様の声が落ち込んでいるような気がした。
珍しく感情的な旦那様を慰めようと、返事をする。
「いいえ、ぜひご一緒させてください」
「よかった」
旦那様は安堵したようで、さっきより幾分顔の表情が柔らかくなった。

しかし、私はとあることを思い出した。
「あの、旦那様?」
思い切って聞いてみた。
「なんだ?」
「今日は、お仕事お休みなのですか?」
「いや、今日は午後からなんだ」
「そうですか」
「「………………」」
話が終わり、沈黙が訪れる。

「旦那様」
すると、グッドタイミングで優しい執事のルイスがやって来た。
「なんだ、ルイス」
一瞬で表情が堅くなる。
「夫婦水いらずのところ申し訳ありません。ただいま旦那様の仕事場から電話がありまして、今夜王城で晩餐会がとり行われるようです」
ルイスの言葉に私は頬をヒクつかせた。
「そうか…」
旦那様は残念そうな顔をしていた。
「フローレ」
旦那様が私の名前を呼ぶ。
「はい」
「すまないが、今日は一人で夕食を食べてくれ」
「わかりました」
「本当にすまない」
「いいえ、お仕事なんですもの仕方がありませんわ」
顔に作り笑いを浮かべる。
その様子がとても不細工だったからなのか、旦那様は顔を曇らせた。

「では旦那様、晩餐会のご準備を致しますのでこちらへ」
「ああ」
旦那様はルイスに付いて歩き出した。

「いってらっしゃいませ、旦那様」

言いたくて言い出せなかった言葉が出た頃には、旦那様からは遠く離れていた。
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