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第一章 姿なき百の髑髏は、異界の歌姫に魂の悲歌を託す

骨肉の争いに疲れた女皇帝は純白の屍衣を身に纏う(1)暴風雨の翌日

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 巫術師サラ・ブラックネルブは、前日の疲労の残る身体に鞭打つかのように早起きをして、作業場の修繕をしていた。

 昨日、野原に立ったサラが、濡れそぼつ古代皇帝の歌を熱唱した途端、晴れていた空に暗雲が押し寄せ、サラを狙い撃ちするかのように、怒涛の雨を降り注いだ。

 それはもはや降水などではなく、殺人的な水圧を込めた放水だった。

 戦闘用の魔術の心得のあるヒギンズが、防水のバリアを厚く張って、歌い続けるサラを水の噴射から守ろうとすると、今度は巨大な竜巻が立ち現れて、サラとヒギンズを執拗に追い回した。

 ひたすらサラを守って奔走していたヒギンズは、皇帝の魂への罵詈雑言を吐きたくなるのを、必死で堪えていた。

(おのれ皇帝! 服の袖が濡れたからといって、この大放水はやりすぎではないか! 恨みつらみを抱えて非業の死を遂げたのは同情に値するが、サラにそれをぶつけてどうするのだ! 生きている間に多少なりとも自己努力で解消すればよかったものを!)

 サラを守ろうとするあまり、人格が熱血化したヒギンズにも、歌の中の「皇帝」の想念に深く共鳴するサラにも、分かっていないことがある。

 和歌の底で眠る魂は、作者の生前の記憶をそのまま想念として抱えているわけではない。

 和歌は、作者本人の思いだけでなく、歌い継いだ後世の人々の思いをも吸い取って醸成することで、内部の歌力を増幅していく。

 したがって、歌力の根源である魂は、言わば、その和歌に関わった全ての人々の集合自我であり、作者本人とは似て非なる想念や記憶を保持するようになっている。

 サラが口寄せの術で感応し、精霊が具現化するのは、その集合自我の想念なので、ヒギンズが皇帝本人の生き様を罵倒するのはお門違いなのだが、誰にも聞こえていないので、特に問題はない。

 もっとも、ヒギンズが罵詈雑言をうっかり口に出していたなら、竜巻のサイズが一回り大きくなっていたかもしれないが。

 なにはともあれ、歌に宿る魂が目覚め、歌力が蘇るまで、サラは歌い続けなくてはならない。

 歌が途切れれば、魂が悪霊化して、理性なく暴れ回る災厄となる可能性があるからだ。

 幸いなことに、昨日の和歌の魂は、悪霊にはならなかったけれども、引き起こされた騒動は十分に暴力的だった。

 それはサラが巫術で召喚した精霊の悪ノリによるところが大きい。

 歌の魂の想念を具現化するには、精霊の働きが必要不可欠となる。

 創世にも深く関わっていたとされる精霊たちにとって、想念に形を与える技は、彼らの最も得意とするところであり、存在意義そのものでもある。

 とはいうものの、呼びだされたからといって、無償で働いてくれる精霊はいない。  

 サラはいつも特別報酬を上乗せするのを条件に、馴染みの精霊たちを召喚している。

 特別報酬といっても、精霊たちには物欲などなく、主に精神的な充足を求めてくるだけなので、召喚するのに予算が足りなくなる、ということはない。

 彼らは楽しいことが大好きで、楽しみを見つけることにも長けている。

 仕事を手伝ってくれる代わりに、召喚された場所で好きなだけ遊んでいいというのが、サラが精霊に約束する特別報酬だった。

 それ以外の報酬でも、精霊たちは手伝ってくれるけれども、本気の度合いがだいぶ下がる。

 彼らは、サラによって目覚めた古い魂の想念に触れながら、一緒になって遊ぶのを、何よりも喜ぶのだ。

 問題は、彼らにとっての楽しい遊びが、人間にとって、特にサラにとって、大いに金のかかる結果を引き起こす場合が多いということだった。

 昨日召喚した精霊は、皇帝の魂の想念から引き出された豪雨と竜巻にすっかり興奮してしまったらしく、それらを心ゆくまで増幅して遊び回り、はしゃいでいた。

 精霊と全力で遊んだことで、皇帝の魂は苦しみから解き放たれて充足し、いまでは和歌の中で安らぎながら、往年の歌力を蘇らせつつあった。

「壁板がだいぶ逝ったが、屋根は奇跡的に残ってくれたよ」

 壁の穴に白木の板を当てて釘を打っているサラの横では、淡々とした表情のレックス・ヒギンズ教授が、物質創生の魔術で板と釘を作り出している。

「私のバリアでは屋根がもちそうになかったから、重力の魔術で押さえていた」
「そうだったのか。感謝するよ、ヒギンズ教授」

 サラへの見舞いを兼ねて、次の和歌という爆弾を運んできたヒギンズは、成り行きで壁板の補強を手伝っていた。

「しかし、ここまで壊れると、もはや建て直したほうが早いのではないか?」

「金がない。時間もない」

「別の建物を借りるというのは?」

「当てもない。ここだって、方々探してようやく見つけたのだ」

「であるなら、考え方を変えてみてはどうか。今後も歌の蘇生作業を野っ原でやるなら、作業場はいらんだろう」

 サラは釘を打つ手を止めて、苦笑いを浮かべながら、首をゆるく横に振った。

「そういうわけにはいかないんだ。たとえ、あばら屋のごとき作業場と兼用でも、神殿(仮)は必要なんだ。精霊たちの別荘みたいなものだからね。神殿でゆっくりくつろぎ、疲れを癒すのも、彼らの楽しみであり、喜びなのだという。それが無くなってしまえば、安心して召喚に応じてくれなくなるかもしれない」

「その別荘を、毎度自分たちでぶち壊すのだから、始末に負えん」

「はしゃぎだすと、周りが見えなくなるのだ。彼らも毎度、反省はしているんだよ」

「だといいがな」

 まだ乾き切っていない作業場の床には、白黒まだらの大きな猫が、しょんぼり顔で座っていた。

 ヒギンズが目をやると、猫は気まずそうに視線を逸らした。

 昨日、水と一緒に竜巻に取り込まれて溺れかけていた猫を、ほとんど命がけで救出したのは、ヒギンズだった。

「どうか責めないでやってほしい。こう見えて、ミーノタウロスは小心者なんだ。先週の神殿の件でも、数日食欲をなくしていた」

 ミーノタウロスは、サラと契約している上位精霊だ。サラによく懐いているのだけど、召喚されるたびに、サラの資産を大いに減らす張本人(精霊)でもある。

「彼は、経験から学びを得るということはないのか」

「まあ、猫だからな。気まぐれで、理不尽で、だがそこが可愛らしいのが、猫というものだ」

「猫にしては、いささか大きすぎると思うがね」

「猫だとも。ミーノは純然たる猫型精霊だ」

「まあ、形だけ見ればそうだが…」

 話が聞こえているからか、猫型精霊のミーノタウロスは、身の置き所がないと言いたげに体を縮めているのだけれど、元が人間の大人よりも大きいので、存在感は少しも減らない。

 サラが巨大猫の精霊につけた「ミーノタウロス」という名前を聞くたびに、ヒギンズは、なぜか「二足歩行する牛の怪物」を連想してしまうのだが、猫愛の強いサラにそれを告げる気はなかった。

「区切りのいいところで、昼食にしよう」

 サラは作業台に深皿を二つ並べると、傾きかけた壁の棚から鍋を下ろし、中の料理を取り分けた。

「隣人が、暴風雨のお見舞いだと言って、今朝、差し入れてくれたんだ」

「雨と竜巻を消してくれた少女か。騒動のあと、すぐに姿が見えなくなったが、彼女の住まいは無事だったのか?」

「私も気になって聞いてみたんだが、普段は屋敷丸ごと異空間に置いているとかで、全く無事だそうだ」

「それはまた…凄まじい技量だな」

 ヒギンズ教授は、昨日の段階で、サラの隣人が普通ではないと気づいていた。

(錬金釜で高濃度の魔力を含有する食料を作り出し、災害レベルの気象現象を一瞬で消去する。一体何者だ? サラの害になるような人物ではなさそうだが)

「彼女に何かお礼をしたいのだが、思いつかないうちに、こうしてまた世話になってしまったよ」

「礼ならば、私もだな。あとで一緒に何か考えるとしよう」

「…そうしてくれると、助かるよ」

 一緒に、とヒギンズに言われて、サラはまたしても、ふわふわもやもやする謎の感覚に囚われかけたが、シチューと一緒に飲み込んで、なかったことにした。

「ところで、この料理は何だろうか」

「謎肉シチューだそうだ。錬金釜ではなく、手作りで、じっくり煮込んだとのことだった」

「また、謎肉か……見た目はともかく、なかなか美味いな。何かこう、クセになる味というか」

「だろう? 既に私は謎肉ガムの熱烈なファンになったよ。商品化されるなら、一年分は備蓄したいところだ」

「野戦食として売り出したら、各国の軍が買い占めに走りそうだな」

 壁穴の向こうに広がる野原を眺めながら、サラはふと思った。

(今の仕事が一段落して、時間の余裕が出来たら、私も料理を学んでみよう)

 サラの向かいで謎肉シチューを口に運んでいたヒギンズは、持ち前の魔術的勘によって、何かのフラグが立つ音を確かに聞きとったが、それが何であるのかを探り当てることは出来なかった。



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