上 下
40 / 55
第二章 名もなき古話の神々は、漂泊の歌姫に祝福を与ふ

尾の長すぎる怪鳥は、眠れぬ恋を啄み呪う(22)ヒギンズとミチザネ

しおりを挟む
 見つかってしまったのなら仕方がないと、ヒギンズは覚悟を決めて、神殿の中へ入った。

「皇帝陛下に、ご挨拶を」

──こちらの世で、堅苦しい挨拶は不要じゃ。教授よ、名をれ。

「レックス・ヒギンズです」

──ヒギンズか。我のことは、さららと呼ぶがよい。汝に伝えねばならぬことがあって、あちらの世から飛んで来たのだ。まずは、そこに座れ。

「では、遠慮なく」

 ヒギンズは、粥を食う男に倣って、安座の形で床に座った。

──その男は、サラを救う手立てを借りるために、我が召し出した、スガワラのミチザネという者じゃ。いずれ、サラとも縁を結ぶことになるであろうから、見知りおけ。

 ミチザネが軽く頭を下げたので、ヒギンズも目礼を返した。

「サラとの縁とは、歌によるものですか」

──そうじゃ。此度こたびの騒動が起きる前に、汝らが見出した歌集の中に、このミチザネの詠んだ歌もあるようでな。

「なるほど」

 これまでに『百人一首』内の二つの和歌が、サラによって蘇生されているが、どちらの歌も、驚異的な歌力を秘めていた。

 天より智を授かり皇帝と言われた者の歌は、凶悪な竜巻を引き起こし、サラの神殿(仮)をボロボロにした。

 その娘であるという女皇帝の歌は、無限に歌力を生み出す可能性があることを、ヒギンズが確認している。

 ミチザネと呼ばれる男の歌も、目の前の女皇帝の歌に匹敵するほどの歌力を持っているのだとすれば、空を埋め尽くすほどの稲妻を放つことなど造作もなかろうと、ヒギンズは思った。

──ヒギンズよ、汝はこの里にサラを探しに来たのであろう?

「ええ。残念ながら、ここにはいないようですがね」

──うむ。汝らの城から攫われて、一度はここに来たが、すぐに別の地に送られた。

「では、サラはいまどこに?」

──案ずるな。既に助けに向かった者どももおる。汝の従者のセバスティアヌスも、サラと共におるぞ。

「セバスティアヌスは、研究所…城から離れられないはずですが」

──あやつは城ごとサラのもとへ飛んだぞ。

「城ごと飛んだ…?」

 話の途方もなさに、さすがのヒギンズも呆然とした。

(今日という日は、あり得ないことばかりが身の回りに起きている…)

──まあ詳しい話は、事が済んだらサラに聞くがよい。いまは、この場を片付けねばならぬ。

 ヒギンズたちのいる「さららの動く宮!」の下方では、里の巫術師たちが総出で消火活動を始めたらしく、喧騒ととも に、術式で水を発射する音が幾つも聞こえてきた。

 それを妨害しようとしているのか、ミーノタウロスの「みぎゃああああ」という咆哮と、容赦なく引っ掻かれたらしい者たちの悲鳴も、絶え間なく響いてくる。

──この里の愚か者どもを放置すれば、彼奴らはサラを害するのをやめぬであろう。ならばどうすべきか。ヒギンズよ、汝は既に決めておるであろう?

「この下にある臨殿とやらを破壊して、サラに仇なす者たちの動きを封じるつもりですよ」

──ほう。皆殺しとは言わぬのだな。

「我々の国では、一応、私刑は禁止されておりますのでね。私が手を下したことも秘匿します」

──なるほど。

 女皇帝は、にやりと笑った。

──ならば、この我の仮宮から、思う存分あれらを攻撃するがよい。この宮と汝を結びつけることのできる者など、下にはおらぬだろうからな。

 すると、志斐のお婆婆の給仕で粥を食べていたミチザネが、腕を床に置いて、言った。

──私も、加勢いたしましょう。

──ミチザネよ、身体の不調はないか?

──魂に沁みる粥をいただきましたので、もはや不調などありませぬよ。それよりも、この宮より下方から、どうにも下衆な想念が飛んでくるのが気になりましてな。

──どのような想念ぞ。申せ。

──人として持つべき礼節を著しく欠き、努力を惜しみ、自らを凌ぐ才を持つものを嫉み、奸計で他人の物を奪うことに躊躇のない者どもが抱くような、浅ましく見苦しき想念ですよ。

──汝を陥れた者どもと、似たようなやからということか。ならば、ヒギンズと共に、存分にやるが良い。




+-+-+-+-+-+-+-+-

従弟

「おやあ、兄さんたちじゃないですか」

従兄2

「ん、おまえ、アリマじゃん」

従弟

「こんな夜中に何やってんすか」

従兄2

「あー、父上がな、いきなり鹿食いたいとか言うもんだから、兄上が狩りに行くって言い出してなあ」

従兄1

「なっ、狩りはお前が言い出したのではないか!」

従兄2

「あの場の兄上の本心を代弁してあげたんですよ。俺って、空気の読める弟だからさあ」

従兄1

「勝手なことばかり言いおって。お前はいつだって上手く立ち回って、いいとこ取りする奴だったよ…」

従兄2

「いいんですー、それが弟の特権なんですー」

従弟

「あはは、兄さんたちは昔と変わらないなあ」

従兄2

「そういうお前は、何してたのよ」

従弟

「ああ、これから内輪の宴がありましてね、そこへ行くところだったんですよ」

従兄2

「お、酒宴か? いいね。俺らも混ぜてよ」

従弟

「混ぜてもいいですけど、参加条件がちょっとあるんですよね」

従兄2

「なんだ? 酒代なら出すぞ」

従弟

「いえ、酒ではなくて料理をね、それぞれ持ち寄る決まりなんですよ」

従兄2

「ほう。なら一度宮に戻って、何か作らせるか。兄上、いいよな」

従兄1

「いや、我は…」

従弟

「あ、料理は必ず椎の葉に持ってきてくださいね」

従兄2

「なんで椎の葉? 普通に皿でいいじゃん」

従弟

「そこはうちの会の規則ですんで、お付き合い願いますよ」

従兄2

「まあいいけど。その会って、どんな集まりなのよ」

従弟

「『ハメられちゃった皇子の会』っていうんですけどね」

従兄1

「……」

従兄2

「……会員は?」

従弟

「ええと、まず山背さんでしょ、それから古人兄さん、大友くん、大津くん、で、僕。あ、長屋王くんも入会希望って言ってたな」

従兄1

「くっ……大海人よ、我は帰る……アリマたちの会には、お前の名でこれを寄付しておいてくれ」

従兄2

「重っ…大金じゃん。おい、兄上……いっちゃったよ」

従弟

「ナカノ兄さんも、昔のことなんか気にしなくてもいいのになあ」

従兄2

「兄上はいろいろ拗らせてるから、気持ちの整理が難しいんだよ」

従弟

「そんなもんですかねえ。大海人おおあま兄さんは来ますよね」

従兄2

「おう。椎の葉っぱに、鵺鳥の串焼きを山盛りにしていってやるぜ」

従弟

「待ってますよ」

+-+-+-+-+-+-+-+-

*女皇帝……持統天皇。

*ミチザネ……菅原道真。生前、多くの人間に妬まれていたことが、太宰府への左遷繋がったらしい。


〈あの世の会話〉

*従弟……有間皇子。父親の孝徳天皇が、中大兄皇子にシカトされて亡くなったあと、中大兄皇子の罠に引っかかって謀反を起こしかけたため、処刑された。

*従兄1……天智天皇。中大兄皇子。有間皇子の従兄にあたる。

*従兄2……天武天皇。大海人皇子。天智天皇の弟。有間皇子の従兄。


*山背さん……山背大兄王。聖徳太子の息子。皇極天皇(天智と天武の母親)の意向で、蘇我入鹿に攻められ、自害する。

*古人さん……古人大兄皇子。天智と天武の異母兄。謀反を起こしたという理由で中大兄皇子(天智)に殺された。

*大友くん……大友皇子。天智天皇の息子。壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に負け、自害したらしい。

*大津くん……大津皇子。天武天皇の息子。父の死後、謀反の罪で捕らえられ、自害したらしい。

*椎の葉っぱ……有間皇子の辞世の歌にちなむ。


家にあればに盛るいいを草まくら旅にしあれば椎の葉に盛る

(万葉集 巻第一 142)

【良い子のための意訳】

ご飯ってさ、普通、食器(笥)に盛るよね。

護送中の罪人だからって、なにも椎の葉っぱに盛らなくてもいいと思わない? 

最期の食事くらい、ちゃんとした食器で食べさせてよ。

それとも、お供えみたいな感じかな。生前供養的な。

別に祀ってもらわなくても、祟ったりしないんだけどなあ。




しおりを挟む

処理中です...