PEACE KEEPER

狐目ねつき

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Unstoppable melancholy

38話 それは悪魔のような

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 無惨にも崩れ落ちる価値観。
 否応もなく、決断は迫られる。
 幕開けの意図は、すぐそこに――。


◇◆◇◆


 広場の中央にて、泣き崩れてしまった少女。
 行き交う人々の中に心配の声を掛ける者はいない。


「おや? あの子は……」

 荒屋あばらやが並ぶ、広場に面した道を歩く男。
 見覚えのある赤髪の少女の姿を目撃し、足を止める。

「……急用ができた。少しの間失礼するよ」

 両隣を歩く真っ黒なフードを深々と被った男達へ彼はそう伝えると、少女の元へと歩み寄る。


「こんな所で何をしているのかな?」

 面を伏せ、屈み込みながら静かに泣いていたピリムが、突然話し掛けられた事に驚く。

「…………!」

 顔を上げた先に立っていたのは、ディープグリーンの髪に柔和な笑顔を携えた少年のような顔立ちの男。
 親衛士団所属、第14団士――ワインロック・フォーバイトだった。


◇◆◇◆


 ――ゼレスティア王宮、作戦室。

 誰の声もなく、ただひたすら万年筆が走る音と判を押す音だけが聴こえてくるのみ。

「……ふう、少し休憩するか」

 副団長、バズムント・ネスロイドが小さく息をつく。
 疲労の蓄積によって凝り固まった肩をトントンと叩くと、書類の山が積み重なったデスクから席を外す。
 そのままドカッと彼がソファーに腰を下ろしたところで、作戦室の扉が開いた。

「こんばんは、バズムント」

「ん? おお、エルミか」

 開いた扉の先に立っていた人物を視認したバズムントが、座ったままその名を呼んだ。
 扉を閉めたエルミは、ボトムスの裾をだらしなく引き摺りながら室内へと足を踏み入れる。
 そしてバズムントの隣に座ると、率直に用件を伝える。

「早速ですが少しお尋ねしたいことがあります。ワインロックは今どこに出払っているんです?」

「ワインロック? 確かアイツは今有休消化中で、後二日は休みな筈だぞ。自宅に直接出向いてみたらどうだ?」

 低反発素材のソファーに、巨躯を大きく横に広げて座るバズムントが提案で返した。

「有休中でしたか……なるほど」

 エルミはやや表情を曇らせている。
 不審に思ったバズムントが『どうした?』と訊く。

「バズムント、情報を洗う仕事を生業としてる私がこんなことを言うのは、些か恥ずかしく抵抗があるのですが……」

 眼鏡のブリッジを中指でクイッと上げ、エルミは続ける。


「――私、彼の住所だけ唯一知らないんですよ」


◇◆◇◆


 至るところに埃が浮いている、薄汚れた店内のカフェ。
 形容するなら、良く言えば"レトロ"、悪く言えば"古臭い"といった内装。
 だがその内装も経年による劣化が著しく、どこかカビのような匂いすら漂ってくる。
 席数も多くなく、唯一の店員である壮年の女性の身なりはお世辞にも良いとは言えない。
 初めてこの店を訪れた人物にとって、与えられる第一印象は率直に言って“悪い”が大半を占めるのだろう。


「飲みなよ。こんな店だが、コーヒーは美味しいんだ」

 差し出すようにそう言うと、ワインロックはカップを口につけ、コーヒーを啜る。
 彼は、往来の真ん中で泣いていたピリムに声を掛けた後『落ち着いて話せる場所に移ろう』と提案し、広場からそう遠くないこの行き着けのカフェを選んだのであった。

「…………」

 目を赤く腫らしたピリム。
 目の前に置かれたカップの中の温かいコーヒー。
 ドロドロに濁った液体の表面に映った自身の姿と睨めっこでもしているかのように、少女はじっと一点だけを見据えている。

「浮かない顔をしているね。今日はどんな任務だったんだい?」

「ゲート周りの……巡回任務です」

 力ない声で、少女は答えた。

「へえ。そういえばさっきフェリィとすれ違ったよ。どうやらキミ達の担当だったみたいだね。そしてその様子だと、彼女にこっぴどく叱られでもしたのかい? ……あぁ、ありがとう」

 再び問いかけたワインロック。
 話の途中で、店員がケーキの乗った皿を無言で愛想悪く置いていったが、彼は気にするでもなく礼を言う。

「ここのスフレは絶品なんだ。僕のを半分あげるから食べてみるといい」

 そう言うとワインロックは、銀製のフォークのみで器用にケーキを二等分に切り分け、先に半分を一口で食べてみせた。

「うん、おいしい」

 満足気な笑みで喜ぶと、残った半分のケーキと皿をピリムの前にスッと差し出す。

「フェリィさんには……確かに怒られましたけど。それが理由で泣いていたわけではありません」

 やや遅れての返答。そして少女はフォークを持ち、コーヒーの隣に置かれたケーキへ。
 実のところピリムは、今朝から何も食べていなかった。気分的に何も喉を通る気がしなかったのだ。
 しかし今は泣き明かしたことによって多少なりとも精神状態が快方に向かっていたため、差し出されたケーキに思わず空腹感を刺激されてしまう。

 ごくりと生唾を飲み干し、ピリムはフォークで刺したケーキを口にする。

「…………!」

 程よい口どけ。とろけるような甘さ。口いっぱいに広がる優しい風味。

「……おいしい」

「あはは。お気に召してくれたようで何よりだよ」

 頬杖をつき、喜びつつも彼は少女をじっと見詰める。
 それはまるで、吟味でもしているかのように――。


◇◆◇◆


「住んでいる場所を知らない、だと……? お前さんがか?」

 エルミからの相談に、耳を疑ったバズムント。
 すると彼はソファーから文字通りの重い腰を上げ、仕事場であるデスクの方へと再び向かう。

「兵士の個人情報リストを探ってもムダですよ。私も勝手に拝借し調べましたが、彼のページには何も書かれていません。住所や家族構成はおろか、年齢すらも」

 ソファーに足を組んで座るエルミが、バズムントの行動を先見し忠告を与える。

「…………っ」

 バズムントの足が一瞬止まったが、"そんなバカな"とでも言わんばかりにデスクへ向かい、引き出しを開く。
 中から取り出したのは、分厚いファイル。
 中に何百枚と挟んである書類には、一千人を優に超すゼレスティア兵の個人情報パーソナルデータが事細かに記載されていたのだ。


「……そもそもお前さん、あいつに一体何の用があったんだ?」

 ファイルの中のリストをペラペラと捲りながら、バズムントが尋ねる。

「守秘事項ですので、貴方と言えどお答えすることは出来ませんね」

 副団長相手にしれっと言い退けるエルミ。

「……相変わらずだな。まあいい。ワインロックワインロック……あった!」

 何百枚とあるリストの中からようやくと、お望みのページをバズムントは見つけ出す。

「…………っ!」

「ほら、ムダだと言ったでしょう?」

 名前以外何も記載されてないリストを目に通し、言葉に詰まるバズムント。エルミがその彼の反応だけで察した。

「一体どういうことだ……? このファイルは俺が管理してる上に、年に一回は全員のリストを俺自らチェックしているんだぞ?」

 自身の仕事に対し絶対の自信と誇りを持つバズムントが有り得ない、と言った様子で口走る。

「でしたらここ一年の内に彼本人、もしくは彼にくみする誰かが改竄かいざんでもしたのでしょう」

「なぜそんなことをする必要があるんだ? 前々から謎に包まれた奴だとは思っていたが……」

 疑問の言葉を口にするバズムントだが、唐突にハッと気付く。
 その彼の仕草を見ていたエルミも『しまった』と言わんばかりに口元を抑える。

「エルミ、お前さん……今なんて? ワインロックに"与する"誰か……だと? まるであいつが軍ではないどこかにでも所属しているような口振りじゃないか……」

 バズムントからの問いに、どうやら言い逃れは出来なさそうだ、と言った風にエルミが小さく息を吐く。

「……私もヤキが回りましたかね。うっかりと口を滑らせてしまいました……まあ良いでしょう。バズムント、貴方には全てをお伝えします」

 エルミはソファーに預けていた背中をゆっくりと起こすと、バズムントの方へ向く。



「本題から入らせてもらいます。ワインロック・フォーバイト、彼が恐らく魔神族と繋がっている内通者です――」



◇◆◇◆


「――なるほどね。確かに最近のアウルくんは目を見張る程の成長ぶりだ」

「はい。それでアタシ、逆に心配になっちゃって……」

 コーヒーのおかわりを頼み、親身に相談を聞くワインロック。
 一方でケーキを完食し、ある程度気持ちが落ち着いたところで改めて悩みを打ち明けたピリム。
 二人がカフェに訪れてから、既に数十分は経過をしていた。

 ピリムはワインロックに対し特に不信感も抱かず、自身の心に重くのしかかる感情をありのまま曝け出していた。
 彼との関係は、プライベートでの接触は無かったが学士時代に武術授業で三年もの間、世話になった間柄だ。
 信頼に足る、と少女の脳内で無意識に悟っていたのだろう。
 素の心を反映させた言葉が次々と、その小さい口から発せられていく。

 そして、ピリムがひとしきり悩みを伝え終えた辺りで、ふと彼は切り出した――。



「……キミ、アウルくんのこと好きかい?」

「えっ……? あっ、な、何でですか……?」

 核心を衝いた問いに、少女が取り乱す。
 昨日のハーティス食堂でライカに問われた際と同様の反応だ。

「質問の内容にだけ答えてくれ。好きかい?」

「…………」

 押し気味の彼の口調に対し、たじろぐピリム。
 しかしここまで相談をしておいて嘘を言うのも、と気が引けてしまい――。

「……はい、好き……です」

 やや狼狽えながらではあるが、ワインロックの赤い双眸にピタリと視線を合わせ、少女は正直に答えた。

「アウルくんに少しでも近付きたいと、思うかい?」

 "近付きたい"というのは。
 少年との関係なのか。
 それとも強さなのか。
 彼の質問の真意が少女の脳裏を錯綜するが――。


「……はい」

 どちらでも答えは一緒、とピリムは瞬時に判断した。
 迷いなく肯定の意を示す。


 男は笑う、いや嗤う。
 少年のような、悪魔のような。
 あどけなさと、邪悪さ。
 表裏一体のそれぞれが紙一重で同居したような笑み。
 そして――。


「キミ、魔神になってみないかい?」
 
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