記憶の先で笑うのは

いーおぢむ

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The recalled memory

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リールの屋敷から出て少し歩いていると、魔獣姿のモーントが追いかけてきた。
連れ戻す気なのかと、トヴァを守るように前へ立つカエルムとナナに、モーントは首を横に振る。

どうやら、彼は道案内をする為に来てくれたらしいが、私がシイオに行こうとしているのを伝えると、魔人になって適当に木の枝を拾い、地面に何やら絵を描き始めた。

完成したのは他の場所へ転移する為の魔法陣で、陣の中へ入るよう促され、警戒してなかなか陣に足を踏み入れないカエルムとナナの手を取り、三人で中へと入る。



「そういえば、なんでタンクトップなの?」


「待って。どうでもよくない?」



別れの挨拶でもするのかと思っていたトヴァの言葉が的外れ過ぎて、ナナはつい突っ込んでしまった。



「ああ。裏庭で畑仕事でもしようかと思っていたら、急に頼まれたもので」



リールがトヴァ達の帰りを心配し、追わせてくれたようだ。
トヴァは、タンクトップ姿のモーントの左肩にあるタトゥーのような字に目が留まった。小さくてよく読めないが、何となく気になったそれに視線を注いでいると、モーントは、「ただのタトゥーですよ」と微笑む。



「そうなんだ。かっこいいね」


「そうですか?ありがとうございます」


「ねえ、待って。割と本気でどうでもよくない?」



ナナの突っ込みを華麗にスルーし、三人の入っている魔法陣に力を注ぎ込むかのようにモーントが手を前へ翳すと、陣が輝き出した。



「それではトヴァ様、また学園で」



より一層強くなった輝きが三人を包み込み、その輝きが収まる頃には、もう陣内に三人の姿はなく、



「産まれた時からあるので、本当はタトゥーではないですが...。まぁ、こんなはっきり字と分かるような痣なんて、気持ち悪いでしょうからね」



そう呟いた、モーントの声が届く事はなかった。







気付けば、自分達は人気の無い路地裏におり、路地から出て、道行く人の一人に尋ねれば、此処が目的地であるシイオだと判明。

とてもラッキーだと喜ぶトヴァとは対照的に、カエルムとナナの周囲への警戒が強い。

…いや、もともと周囲へ対する警戒心は強かったのだが、それが倍に跳ね上がったものだから、人が道を通る際にトヴァ一行を怯えるようにして避ける。

隣を歩くカエルムと、トヴァの後ろを歩くナナ。そんな二人に、トヴァはどうしたものかと困り顔で言った。



「… …ねえ、過保護過ぎない?」


「ああ?攫われた奴が何言ってんだ!」


「そうだけど…、流石にこれは。ほら、周りの人達も怖がってるし」


「そんなのどうだっていいよ。また同じことになるよりマシでしょ?次またトヴァが攫われでもしたら、俺、トヴァがなんて言ってもそいつ殺しちゃうよ。トヴァはそれ、嫌でしょ?」



眉間に皺を寄せるカエルムと、微笑んではいるが何処か黒さを感じさせるセプテムに、あまり顔には出さないもののトヴァはどうしたものかと悩む。



「まあ俺はともかく、カエルムはトヴァを守る為にもう少し魔法を使い熟せるようになった方がいいんじゃない?」


「うっせぇ、そんなの俺だって分かってる!つうかそういうお前はどうなんだよ!」


「魔力のコントロールは大得意だよ。だって俺は二人だし、セプテムは魔獣だからね」


「うぜー!!卑怯だぞ!」



二人が軽く言い合うのを聞き、苦笑いしながら本日の宿泊先を探すべく、目の前の橋を渡ろうとしていた時だった。



「おいお前!それを渡せッ!」


「そうだ!渡せば痛い目に遭わずに俺らに連れて行かれるだけで済むぞ!」



橋の上で、何やら揉め事が起こっている。



「それって渡したって意味ないじゃないですか!それにコレは渡せませんっ!御師匠様から預かった大切な物なんですから!お渡ししなければならない方がいるのです!」


「しょうがねえ!じゃあちょっと痛い目に遭ってもらうしかねえなぁ」


「きゃっ!」



可愛らしいボブショートヘアーの少女が見るからに怪しそうで悪そうな二人組の男に絡まれている。

トヴァが助けに入る為、歩みを進めようとしたのを止めたのはカエルムだった。



「多分あいつ、大丈夫だと思うぜ」


「うん。あの娘、結構強いよ」


「だから嫌って... ...、
言ってるでしょーーーッッ!!」



 二人の言ったことは正しかったらしく、彼女は両手に炎を灯すと、それらを放ち、男達の身体を炎の渦の中へ閉じ込めた。

「熱い!熱い!」と喚き立てる彼らが煤だらけになって気絶すると、少女フンっと鼻で満足げに笑った。



「甘。殺しちゃえばいいのに」



ナナが呆れたと言わんばかりの視線を少女へと投げ、静かに呟く。



「...見ていたのに助けてくれなかったんですね。そこの御方以外は。

... ... ッ!?」



キッと此方を睨み付ける少女がトヴァをその瞳に映した瞬間固まった。固まった彼女とは対照的にサラサラと揺れる朱色の髪は、陽の光を受けてキラキラと輝き、まるで夕陽のよう。



「俺らの助けなんか必要なかっただろ」


「例えそうだとしても、可憐な乙女が困っていたら助けるのが普通じゃない!?...って、もうそんな事どうでもいいのよ!それよりっ!」


「は?何処にその "可憐な乙女" がいるわけー?...あ、隣にいたんだった。トヴァ~」


「おいトヴァに引っつくな「やっぱり!やっぱりトヴァ様!!」



名前を聞くや否や、カエルムの言葉を遮り、物凄い早さでトヴァの足下までやってきた少女。そのまま土下座する彼女に全員ぽかんとしていると、今度はいきなり バッと顔を上げた。
その瞳はキラキラと輝いていて、無意識なのか尻尾を出し、パタパタと横に振って何故か嬉しそうにしている。...いや、興奮している。



「ああトヴァ様!やっとお逢いする事が出来ました!良かったぁ、本当に良かったです!御師匠様から言われて、ずっと此処でトヴァ様がいらっしゃるのを待っていたんです!すみません、私のような下の者が口をきいております事、どうかお許し下さい。本当は御師匠様が直々にお逢いしたいと仰っていたのですが、最近体調が芳しくなく...。代わりに私がトヴァ様をお待ちしていたといった次第なのです!」



事細かに分かりやすく、悪く言えば聞いてもいないのにベラベラと喋るこの少女に、ナナは眉間の皺を濃くしている。



「...えっと、」


「ああ!すみません!申し遅れましたっ、私は【アカネ】と申します」


「そう。あの...、アカネ?」


「はい!何でも仰って下さいっ」


「何故、私の名前を知っているの?」


「それは、御師匠様から教えて頂いたからです!その御美しい御顔も、御髪も!全て存じておりました!ですので間違えるはずがございません!」



腰に手を当て、えっへんと得意げに話すアカネがとても愛らしく、トヴァがつい、クスリと笑ってしまえば、何とも嬉しそうな顔をした彼女の尻尾の揺れが激しさを増す。



「あ!そうでした!トヴァ様!これを御師匠様からトヴァ様にお渡しするように頼まれていたのです」



アカネから手渡されたのは水色に透き通った小さな丸いドロップ。
トヴァが首を傾げると、アカネは説明を始めた。



「それは無味ですが、飲み込むと暫くの間、水の中での生活が出来るようになるんです!御師匠様が魔法でお作りになったんです!御師匠様は天才なのです!」


「...で、何でソレをこいつに渡すんだ」


「実は、この橋の下の川の深くに、海底洞窟があります。そこに住んでおられる御師匠様に会って頂きたいのです!」


「御師匠様?」


「はい、お手数をお掛けしてしまう事になり大変申し訳ないのですが...」



さっきまで元気だった尻尾が急に、シュンと垂れてしまう。



「御師匠様は途方もなく長い時を生きておられるので、先程も申し上げましたが、もうあまり体調が...。
それに、御師匠様はずっとトヴァ様にお会いしたかったらしく、いつ会えるのかを知る為に予知能力を酷使しておられましたので、それも原因で...。元々、御師匠様の予知能力はけして強くはないし、予知能力を使う事自体、寿命を減らしてしまうのに...」



その言葉に、トヴァは思いきりアカネの肩を掴んだ。アカネは目を丸くして驚いている。



「ねぇ、もしかしてあなたの師匠は、仙人って呼ばれている!?」


「...え?あ、はい。魔獣の間ではよくそう噂されているのを耳にしますね」



質問の意図が分からず、アカネは首を傾げているが、トヴァ達にとってはゴールからやってきてくれた状況なのだ。運が良い事この上ない。

それに、会いたいと願っていた人物も、自分に会いたがっていたという事実に、運命すら感じる。

ただ、アカネの言う通りだとするなら、自分の命をかけてまで、私に会いたいと思ってくれていた事になるけれど、それはただ事じゃない。

———絶対に、何かある。



トヴァが行きたいと口にすれば、自分達も行くから同じドロップをくれと催促するカエルムとナナ。



「えっと、数が足りな...。あ、ちょっと御師匠様に頼んで来ますね!少々お待ち下さい!」



そう言って自分の分であろうトヴァに手渡したのと同じドロップを口の中へ放り込むと、それを飲み込んだと同時に、アカネは橋から川へ飛び込んだ。



「とっても可愛い子だね、アカネって」



トヴァが二人にそう言うと、ナナが直ぐに口を開く。



「そう?俺はトヴァの方が何億倍も素敵だと思うな。声だってあの女より可愛いし、顔だって綺麗だよ。トヴァは元々色白で雪みたいだし、細いし」



ペラペラとトヴァ外見の良さについて語り出すナナに、頭が追いつかず固まっているトヴァと、小っ恥ずかしいことを真顔で平然と口にするナナに対し、言葉にはしないが「ありえねえ...」と引くカエルム。



「それにトヴァの方が胸大きくなる見込みあるしね、どう見ても。カエルムだってそう思うでしょ?」


「!?おおお俺に振るんじゃねぇ!!」


「何で顔赤くしてんの?興奮してるの変態?俺は、冷静に分析してるだけだけど?」


「してねぇよ!お前ちょっと黙れ!!」


「あはは!おかしい」


「「!?」」



カエルムとナナの口喧嘩が始まるが、その時のトヴァの様子が今回はいつもと違った為、二人は驚き、バッと同時に勢い良くトヴァを見た。



「…トヴァが…、あんなに笑ってる…?」


「ああ…。初めて見た…」



とても珍しく大きな声で笑うトヴァに、二人は驚きつつも、とても嬉しくなった。

そうして暫く他愛のない会話をしていると、戻ってきたアカネが何故か申し訳なさそうな顔をしている。

どうしたのかと聞けば、あのドロップを作るにはそれなりの時間がかかる為、今すぐに人数分用意する事は不可能だと師匠に言われた所為だった。



「いつできるの?」


「明日の昼くらいには完成させると仰っておりました...」


「分かった。じゃあ明日の昼頃、またここに来るよ。だからそんな顔しないで」



トヴァがアカネの頭を撫でれば、「トヴァ様!!」と潤んだ瞳で思い切り抱きついてきた。

「また明日!」と、再び川へ飛び込んだアカネに手を振るトヴァの後ろ姿を眺めながら、ナナが口を開いた。



「トヴァは本当に優しいよね、カエルムが惚れちゃうのも分かるよ」


「...は?」


「え、自覚無いの?」



ナナの問いに、反応したカエルムの頭上にははてなマークが飛びまくっている。



「まぁいいけど。とりあえず守らなきゃね、トヴァのこと」


「そうだな。危なっかしいしな」


「カエ、ナナ、私達も戻ろう」


「今行くから」



先にトヴァの元へ駆け寄り、幸せそうな顔で話すナナ。微笑んでいるトヴァを見て、もやっとした居心地の悪い気分になったが、それは本当に一瞬だった。








***



「お久しゅうございます、姫様」



翌日、アカネに案内され、海底洞窟の奥へと辿り着けば、青い花のような絵が描かれている石でできたステージっぽい物の上へ立っていた人物が頭を下げた。

それは白髪の美しい長髪を髪下で一つに結った男性で、声音は低いがとても優しい。

頭にあるそのフワフワな狐耳からして彼は魔人なのだろう。仙人と呼ばれる程の長い時を生きているとは思えない程の外見の若々しさ。
彼は不思議な雰囲気を纏っており、妙な緊張感がトヴァ達を包んでいるが、三人はまるで動じていない為、どこか神々しい彼は、その切れ長の美しい目を興味深げに細めた。



「は?姫様?何言ってんだ、こいつ」


「こんなジメジメした所に一人でいる奴だよ?頭どうかしてんじゃないの?」


「カエ、ナナ」


「何だよ事実だろ」


「ハーイ、ごめんねトヴァ」



トヴァはジロリと不満気にカエルムとナナを見やった後、二人の代わりに謝ると、彼は扇子で口元を隠して軽く笑った。



「姫様の御側近達はいつもお元気でいらっしゃる。懐かしいことです...」



こちらを見つめる彼の瞳に、僅かな哀愁が漂った気がした。



「予知能力が使えるとの事ですが、私が何故ここへ伺ったのかも、ご存知なのでしょうか?」


「存じません。私はただ、姫様との約束を果たす為に、今日この日まで生きてきたに過ぎませんから」


「約束...?」


「ええ。遠い昔に、姫様と交わした約束で御座います」


「...先程から、姫、姫、と仰いますが、私は姫ではありません」


「"今は" そうですね。でもそう仰るなら、今は "トヴァ様" とお呼び致しましょう」



彼の言う事は、大半理解不能だ。話の通じる相手なのだろうか。
それに、彼の口ぶりだと、私は彼と面識があるようだが、そんな記憶はない。
誰か似ている人と、間違えているんじゃ?

カエルムとナナも、「さっきから何言ってんだこいつ」的な目で彼を見つめているが、何も言わずに黙ってくれている。

とりあえず、せっかくやっと会えたからには、あの事について聞かなくては。



「実は、貴方を探してここまできたのは、とある事ついてお伺いしたかったからです」


「ほう」


「私は、この世界から "白怒の日" をなくしたいんです。その方法について、何か知っていたら教えて下さい」


「... ... "白怒の日をなくしたい" ですか。
...相変わらず予想の斜め上をいく突拍子のない事を言い出します。トヴァ様は本当に変わらないですね」



驚きからか少しばかり目を見開いたが、それは一瞬で、彼は徐に返答する。



「...建国神話はご存知でしょうが、それを信じている者は少ないです。トヴァ様はどちらで?」


「半分信じていて、半分は作り話と思っています」


「あれはね、真実なんですよ」


「... ...え?なら本当に、白怒の日は、怨雪は、兄竜の怨念の所為なの?」


「ええ、そうです」



まさか、本当に怨念の所為だとは...。



「なら、その怨念を浄化できれば、白怒の日はなくなるという事ですよね?」


「そうなりますかね。ただ、これ程永きにわたる怨念を浄化するのは不可能に近いです。それこそ命を引き換えにするくらいの覚悟は必要だと思いますよ」



命を引き換えに、怨念を浄化する...か。

何だ、そんなのものか———



「拍子抜けしました」


「...は?」



そう言って笑ったトヴァに、黙って一連の会話の流れを聞いていたカエルムとナナが反応した。

命と引き換えに白怒の日が消せるんでしょ?私なんかの命を引き換えに消せるっていうならこんな簡単なことはない!

目の前がキラキラと輝き出したように感じる。浄化には光の魔法を多大に使用するのだろうし、まだすぐすぐにとはいかないが、確か前に読んだ魔術書の中に、命と引き換えに既存の魔力を増大させ、パワーアップさせる魔法があったはず。

トヴァの瞳は嬉々としていて、何やら考え込んでいる。そんなトヴァに、彼が「トヴァ様は死を恐れていないんですね」と口にすれば、トヴァは首を傾げた。



「死を恐れる?どうし「トヴァ」



カエルムがトヴァの言葉を遮った為、振り返る。そこには眉を寄せ、酷く傷付いたような顔をしているカエルムが。



「どうしたの?カエ?どこか痛い?具合でも悪くなった?」



そんなカエルムが心配になり、彼に近寄ろうとしたのだが、仙人と呼ばれる彼が再び話し始めた事でトヴァはその歩を止めた。



「...貴女様は...、本当に...本当に変わりませんね。私は、それが大変嬉しくもあり、悲しくもあります。実は私は、トヴァ様からある大切な物をお預かりしております。"あの頃" からずっと今日この日、トヴァ様にもう一度お会いするまで、預かっていて欲しいと頼まれた物です」



記憶を紡ぐように語る彼は、やはりどこか悲しげで、本当に懐かしいものを見るかのように、トヴァを見つめている。



「それは...何なの?」


「トヴァ様がお忘れになっている "記憶" ですよ」


「...え... ...?」


「トヴァ様、御自分の前世の記憶を...、そうですね。例えば夢などで御覧になった事はありませんか?でもそれは断片的な物で、"全てのピースが揃わない" そんな感覚ではないですか?」



確かに彼の言う通りだった。それが自分の前世であるのかはさて置き、己の記憶であると何となく分かるのに、まるで全てを掴み切れないといった様なもどかしい感覚。



「...トヴァ様は御自分の記憶を、お預けになったのです。あの頃のトヴァ様は、不思議な予知能力のようなモノを少しばかり持っておられました。但し、その能力は己の意思と関係ないだけでなく、予知は決まってトヴァ様自身についてのモノだけであったと記憶しております」


「予知能力...?」


「はい。...そして、結論から言いますと、トヴァ様は...暗殺されてしまいます」


「...それを、私自身が予知していたって事?」


「はい、その通りでございます。御自身の死を避けられないものだと確信していたトヴァ様は、次にこの世に生を受ける時、完全に全ての記憶を受け継ぐ事が出来るように、半分、私にお預けになりました。その方が確実なのです。稀に前世の記憶全てを持った者や、自力で全て思い出す者もおりますが、本当に稀なのです。大抵の者は皆、前世に見た景色と似た景色を見て懐かしいと感じたり、何故か今の名とは違う別の名を己の名前として記憶していたり、その程度なのですが、それもかなり稀な事例。全ての記憶を有したままの生まれ変わりは、肉体的にも精神的にも非常に負荷のかかるものだからなのです」


「じゃあ、...貴方が私を知っているのは...」


「長々とお話ししてしまい、申し訳ありません。今からお預かりしておりました記憶をお返し致しますので、後は御自分で思い出して下さい」



深々と頭を下げた彼に、トヴァには一つの疑問がうまれた。



「...貴方は...、貴方は私に記憶を返した後、どうするの?ううん、"どうなるの?" の方が正しい?」


「トヴァ様...、いえ、姫様。大変恐れ入りますが、私はもう疲れました。漸く役目を終え、陛下の元へと帰れます。」


「まっ、待って!陛下って...」


「姫様を深く深く愛しておられた御方です。そんな陛下に...、陛下が一番お辛い時に、私達は何もしてさしあげることが出来なかった。陛下の気持ちを理解してさしあげることが出来なかったのです。申し訳ありません。

... ...それでは記憶をお返ししましょう。ああ、それと御二方、陛下に記憶をお返しする際に出現する魔方陣の中には、入らないようにして下さいね」


「待っ...!」



彼が胸の前で手を叩くと銀色に光り輝く魔法陣のようなものが二つ、彼とトヴァを囲う。
心配して伸ばされた手と「トヴァ!」と呼ぶ大声は、カエルムかナナのものだろう。早速言いつけを破ったどちらかには後で注意が必要かもしれない。
光は輝きを増し、正面にいる彼以外の周囲が全く見えなくなった頃、頭に "目を御閉じ下さい" という彼の声が響き、それに従った。



"...ああ——
プレーナ様、ルクス様、何も出来なかった我々をどうか...っ、そして願わくば今世では..."



涙ぐんだあの声は、仙人の彼のものだったのだろうか。



遠のく意識の中で、そう思った———... ...












——————...



海の中に深く沈んでいくような感覚の中、怒涛の川のように流れゆく沢山のシーンを見た。前世で関わった者たちとの全ての記憶、何が起こったのか。
流れゆく様々な光景を私はただ、見ているだけなのに、それらはどんどんと私の中へと入ってきて、欠けていた自分が満たされていく感覚だ。

その中でもトヴァが特に気になった記憶のカケラがあったのだ。黒髪の長髪で下の方で髪を一房にした男と、自分は何やら言い合いをしているようだった。
服装から見るに、彼は騎士か何かなのだろう。



「ふふ、きっと貴方は相手が誰であろうとそうやって毛を逆立てるわね」


「当然です。私は幼い頃から姫様側近の騎士になりたいが為だけに、学問においても剣術においても精進して参りました」


「ええ知ってるわ、貴方は昔から私が大好きだものね」


「何を笑っているんですか姫様」


「ごめんなさい、貴方が可愛くてつい」


「!?怒りますよ!」


「もう怒ってるじゃない。でも貴方は勿論、ついて来てくれるんでしょう?」


「...当然です」


「ありがとう、


































"モーント" ――― 」



そして、今迄背中しか見えなかった彼がこちらを振り返った瞬間、トヴァは目を見開いた。





... ... ...え?
どういうこと、なの?

この人って、モーントって...
リールと一緒にいた魔人に―――...





そう、あまりにも酷似していたのだ。しかも名前まで同じとは。

――ああ、きっと彼も生まれ変わったのだろう。記憶こそないものの、彼にもう一度今世で出会えていたのだ。

そしてトヴァは徐々に思い出していく。トヴァにとって、いかにモーントが大切な存在であったのかを。












***



今日も剣を振っているわ。毎日毎日、ただひたすらに。私と剣の稽古をする事もあるけれど、彼は私よりずっと弱いのよね...。それが悔しくてあんなに一生懸命なのだろうけど、...体、壊さないといいわ。



「ねえ、モーント」


「...っ!はい、何でしょう姫様」



トヴァに呼ばれるなり、剣を置いて一目散に駆け付け、膝をつく。



「...何よ、堅苦しいのは嫌いだって知ってるでしょ。貴方の前だけくらい、普通でいたいのだけど」


「じゃあ御言葉に甘えまして。...何しに来たんですか...」


「あはははっ!やっぱりこの間の剣の稽古をまだ根に持っているのね?執念深過ぎるわ!」


「ちょっ!姫様!大きな声で笑い過ぎです!また注意されますよ、はしたないって」


「ごめんなさい、面白くって!」


「まったく...」


「でも無理はしないで。でも頑張ってちょうだい」


「どっちですか...」


「だって私、モーント以外が私の側近の騎士になるなんて嫌なんだもの」


「...え、」


「でもモーントが頑張り過ぎて体を壊してしまうのはもっと嫌!...それにね、私こう見えて貴方が大好きなのよ?」


「え、は?...え!!?」


「あはは!」


「...また揶揄いましたね、姫様!」


「あら、揶揄ってなんかいないわ。私がこんな立場じゃなければ、モーントのお嫁さんに立候補したいくらいには大好きよ」


「... …姫様...俺は、」


「ふふっ、なに大真面目に捉えてるのよ!それくらい貴方は私にとって大事ってこと」


「殿下ー!何処におられるのですかー!殿下ー!」


「...あーぁ、また勉強抜け出してきたのがバレちゃったのね」


「抜け出して...って、それに "また" って姫様!?」


「追いかけっこの始まりよ!付き合いなさい、モーント!」


「ちょっと、姫様!」



ああ、懐かしい。...本当に懐かしい光景ね。
そう言えば、よく彼を巻き込んでいたわ。

毎日、本当に毎日、己の剣の腕を鍛えていた彼はついにその努力が実り、国王である私の父上にも認められるまでになった。モーントは、国には欠かせない人物になったの。

...だから、私が隣国へ行く際、モーントは一緒に来られそうもなかった。先の戦に彼の腕が必要だったから。でも当時、彼は父上に歯向かってまで私と共に行こうとしてくれて―――





「陛下の仰ることは大変良く理解しております。ですが、私は殿下の側近となる為だけに精進して参りました!ですから殿下のお傍にいることができなければ意味がないのです!!」


「...駄々をこねるでない」


「しかし陛下っ!私は!」


「分かっておる、分かっておるよ。お前が我が娘の為にどれだけ努力しておったか。しかし、今この国にはお前が必要なのだよ、モーント。力を貸してはくれまいか」


「私なら大丈夫よ、モーント!」


「大丈夫ではないでしょう...。仮にそうだとしても、私が殿下の事が気掛かりで気掛かりで生活に支障が出てしまいます」


「そこまで!?」


「ルクスもこう言っている事だ。考え直してはくれぬか、モーントよ」


「陛下...。それでも、それでもやはり私は殿下のお傍にいて、殿下の為に尽くしたいのです。私が陛下にこのような勿体ない御言葉を戴けた事、私自身がこうして此処に在れる事、きっかけは全て殿下なのです。ですので殿下側近の騎士として殿下について行く事、どうかお許し下さい」



全く食い下がる事をしないモーントをじっと見つめる王と、己の意思を何としても突き通そうとするモーントの間の暫しの静寂。

そんな二人を見てあわあわする私。

しかし沈黙を破ったのは王の方だった。



「... ...そうだな、今迄のようにお前がついていた方がルクスは安全か...。モーントよ、お前のその強い忠誠心を信じよう。我が娘を頼んだぞ」


「...っ!はい!命に代えましても!」



王の間を後にした後、父上に願いを聞いてもらえてどこかご機嫌な月と、いつものように三階通路奥の窓枠の縁に座って話した。モーントはいつも何を言っても座らないけれど。
ここはあまり人が来ないうえに、この窓から見る景色が最高なので、私とモーントの密かなお気に入りの場所。今は月明かりが窓から差し込む時間帯だ。



「あんなに私の事想ってくれてたなんて思わなかったわ!ふふ、でも大袈裟ね、モーントってば。もし一緒に行けなかったとしたって、きっとまたすぐ会えるのに」


「...姫様は寂しくないんですか」


「え...?」


「俺は…、寂しいですよ。姫様と離れるなんて、今迄考えたこともなかったですし、いつまで会えないかも分からないのに、俺は嫌です」


「モーント... ...」


「それに彼方で何か酷い目にあうかもしれない。彼方には姫様と同じ年頃の王子がいると聞きました。何でも、自国と王族の血に大変誇りを持っている御方だとも。そんな他国の王子、いえ例え王子でなくとも姫様は嫌でしょう?」


「うっ...、確かに。それは非常に面倒臭そうね...」


「絶対姫様の苦手どころか大嫌いなタイプです。そんな王子と長期間生活なさるとして、俺がいないのにどうやって暇潰すつもりですか姫様!」


「で、でも、もしかしたら仲良くなれ「絶対に無理です」


「即答!?」


「当然です」


「ど、努力するわ...」


「まぁ、私がいるので王子の好き勝手にはさせませんよ」


「戦の間、私、預かって頂く立場なのよ?だからもし、もしもよ?彼が私に何か言ってもなるべく無視して頂戴ね」


「善処致しますが、全ては王子の出方次第です」


「モーントってば...。それにしても勝てる戦って仰っていたのに、どうして "念の為" があるのかしら」


「陛下はそれだけ姫様を大切にされていらっしゃるってことですよ」








***



出発当日は、父上も母上も私を見送る為に態々外まで足を運んで下さった。その事への御礼と、暫しの別れの挨拶をした後、私は馬車へと乗り込む。
母上は涙ぐんでいて、少しもらい泣きしてしまいそうになったけれど、父上が頭を撫でて下さったから辛うじて涙は溢れなかった。

私が乗る馬車が見えなくなるまで、父上と母上は手を振って送り出して下さった。

城が見えなくなり暫くして、路面上走れない道を移動中、私は馬車の窓から顔を出し、馬車の直ぐ横を馬に乗って歩くモーントと会話をしていた。



「馬車じゃなくてモーントみたく馬に乗りたかったわ。乗馬の方が速いじゃない」


「...どこの国に自ら馬にまたがってご移動される王族がいるのですか。
姫様が文武両道の名将なのは承知ですが、これからはできるだけ "姫らしく" 振舞って頂かないと」


「名将って何よ...。それにいつもちゃんと "姫" だったでしょう!」


「ええ、周りの者は皆、"とても勇ましく凛々しい殿下" だと褒めていらっしゃいましたよ」


「... ... 笑顔が黒いわね。モーントってどんどん意地悪になってる気がするわ」


「どなたかの所為で苦労が絶えないので捻じ曲がってしまったのかもしれないですね」


「目が真っ直ぐ私を見ているわ!」



道の状況によっては、そんな他愛無い会話を繰り返していた仲の良い二人。ずっと笑いっぱなしだったルクスの顔も、目指していた王城に着くや否や、スッと無表情になった。



「よく来たな、姫よ!」


「はい、お久しぶりです!わざわざ、お出迎えをありがとうございます」


「我が親友の娘が遠方から遥々やって来たのだ、当然だよ。おや、隣にいるのが姫の騎士かな?」


「はい、モーントと申します。暫くの間、お世話になります」


「君の事はあいつからよく聞いているよ。努力家という事、後は姫への絶対的忠誠心もな」


「そうなんです。モーントは私の事が大好きなんですよ、困っちゃいます」


「ちょっ、姫様!」


「ハッハ!話に聞いていた通りお前達は本当に仲が良いのだね。しかし姫よ、よければ我が息子にも構ってやってくれないか。あやつはどうにも頭が固くてな。...いやまぁ若い頃の私に似たのだろうが... ...。

友という存在は人格を形成する上でも何にとっても、とても重要だ。姫に強く当たるかもしれないが、どうか仲良くしてやってくれ」


「は、はい!もちろ「そんな必要はない」



その場にいる皆が、声が飛んできた方へ視線を向ける。そこにいたのは今まさに話題に上がっていた、このルーナドラッヘ王国の王子 "プレーナ" 様で、王は王子の言葉とその態度に溜息を吐く。
一方、モーントは物凄く不機嫌なオーラを出している。



「プレーナ様お久しぶりです、社交界以来ですね」


「どうでもいい事など、一々覚えていない。それより父上、余計なお気遣いは無用です」


「お前と言う奴は...」


「プレーナ様、暫くの間お世話になります。どうぞ宜しくお願い致します」



そう言ってルクスが握手を求め、プレーナへ手を差し出した。だがその手はパシンッという乾いた音と共に、プレーナの手によって弾かれる。
そして次に言い放ったプレーナの言葉に...



「本来ならここは他国の姫がいていい場所じゃない。その汚い手を俺の前に出すな」



我慢できなくなったモーントが剣に手を掛けるのと、王が怒鳴るのは同時だった。



「いい加減にせんか!!」



陛下の怒声にプレーナはビクッと固まる。



「言っていたそばから我が愚息が申し訳なかったね。道中疲れただろう、すぐに部屋へ案内させよう。...プレーナ、お前は暫く謹慎だ。部屋から出るな、そして自分の発言をよく考えろ」


「...はい、父上」



このように、始まりは最悪だった。
けれどもルクスは諦めず、何度も何度もコミュニケーションをとろうとプレーナへ話し掛けた。しかし、そんなルクスの努力も彼の無視によって悉く消え去る。彼女への彼の態度が気に食わないというモーントが、剣へ手を掛けるのを何度とめただろう。
勉強をする時間、剣の稽古をする時間、食事の時間など、二人が関わる機会は多いにも関わらず、二カ月経ってもその距離は縮まらなかった。

そんなある日、本当に普通に生活している中に、思いもしなかった報せが飛び込んでくる。なんと、ルクスの国が敵国との戦争で劣勢だというものだった。
そしてそれから何日も経たぬうちに、モーントへ指令が届く。国へ帰還し、参戦して欲しいとの指令。それからというものモーントの機嫌は最悪、常に眉を寄せ、難しい顔をしていた。そんな彼の頬を両手で優しく包み込んで、視線を合わせる。



「モーント、大丈夫?」


「姫様...」


「貴方が、自分がいなくなった後の私のことを心配してくれる気持ちはとても嬉しいわ。でも、私は大丈夫よ?確かにモーントが側にいないのは凄く寂しいわ、毎日一緒にいたんだもの当然よ。けれど貴方が父上の国のことを大切に思ってくれている事も知っているわ。だから「俺は...!」



言葉を遮ったモーントは、己の頬を包み込んでいるルクスの両手を覆うようにして自分の手を被せる。



「俺が、共にいたいだけなんだ...。ずっと、子供の頃からずっと、慕っているから」



至極苦しそうに呟いたモーントのその言葉に、ルクスは目を見開く。まさか、まさかモーントが自分に対して恋慕を抱いているなど、想像した事もなかったから。



「身分が違い過ぎる、今でこそ騎士として姫様の傍にいさせて頂いてるが、元々家格さえもない、姫様に拾われた俺が...、叶わないなんて百も承知だった。
それでもっ、側近としてならずっと側にいられると思った。だから騎士になった...、それだけなんだ」


「...ねえ、聞いて」



ルクスがモーントの前髪を軽く掻き上げるようにして撫でると、切なげに揺らぐ赤い瞳と目が合った。



「モーントは強くなった、私より。父上に力を貸して欲しいと頼まれるくらいに、強くなった。私はね、貴方の努力をずっと傍で見てきたから、それが凄く誇らしかったの。まるで自分が褒められているみたいに、貴方が認められていくのが本当に嬉しかったわ。だから今回の事だって寂しさはあるけど嬉しいのは、そういうこと」


「...姫様」


「それにその言い方、こう言いたいんじゃないの?
"姫様の側にいたいが為に側近の騎士になった、だから姫様が一番大切だけど、国は見捨てられない"」


「...やっぱり、姫様には敵いませんね。そうです。不本意ですが、"姫様だけを護る騎士" にはなれそうもないんです。俺を傍に置きたいという姫様の言葉を聞いてくださった陛下にも、恩があるので」


「馬鹿ね!"私だけを護る騎士"なんて、私、必要とした事なんてないわ。モーントはモーントのしたいようにしていいの!確かに最初はそうだったのかもしれないけれど、貴方が私に縛られる必要なんて全くないんだから!」



言って、無邪気に笑うルクスに愛しさが込み上げてきて、モーントは彼女を掻き抱く。ルクスは目を丸くした後、微笑み、落ち着かせるようにモーントの背中を撫でた。



「そんな姫様だからお慕いしておりました。本当に、ありがとうございます」


「御礼なんていいから、ちゃっちゃと倒して、早く戻って来なさい!」


「必ず、またお側に」














――そう、約束をした。


だから戻らなければいけないのに、脚が、体が動かない。言う事をきかない。

血を流し過ぎた所為だろう。

... ...俺が死んだら、あの強がりな姫様は一人で泣くのだろうか。

たった一人で、あの城で過ごすのだろうか。



「...っ、姫様、俺は...まだ...」



死なない。死ぬわけにはいかない。
姫様を一人残して逝くわけにはいかない。

姫様とは勿論のこと、陛下にも誓ったのだ。姫様のお側でお守りしていくと。

なのに...!



「何故、動かない...っ、」



"お慕いしておりました" なんて過去形、嘘ばっかりだ。

今でも狂おしいほど愛してるなんて——



「約束、守れなくて...、ごめん...」



けれど、いつか必ず―――
























「...!」


「殿下?どうかなさいましたか?」


「あ、なんかモーントの声が聞こえたような気がして...」


「殿下の騎士様ですね。早くお戻りになられるといいですね」


「ええ!あのね、モーントはとっても強いのよ!きっともうすぐ帰ってくるわ、そう約束したもの」





―――ねえ、モーント?








***



あいつが、全く笑わなくなった。
いや、笑わなくなっただけではない。あれだけ毎日のように俺に話し掛けてきていたのが、ぱたりと止まった。

割と毎日笑っていたように思う。その隣にはいつも、あのどこか気に食わない騎士がいて。
俺が何度無視しても、懲りずに話し掛けてくる鬱陶しい姫、その忠犬 (こいつはいつも俺に敵意しか向けてこなかったけどな)。
正直どちらも大嫌いで、居候同然の人間と口など一生きくものかと思っていた。

あいつがこうなった原因は、勿論一つしかない。

...奴が、あいつの騎士が戦で死んだという報せを聞いてからだ。それからあいつはこの状態。

何を考えているか分からない、特に理解したいという訳でもないが、あいつは騎士の死の報せを聞いても涙一つ流さなかったから、「案外冷たい奴なんだな」なんて乏してやったのに、その瞳が怒りに染まるどころか、俺を見ることすらなかった。





「おい、あんた、相手しろ」


「... ...私...?」


「俺は今誰の前にいる、この状況であんた以外の誰に話し掛けているというんだ。...早く準備しろ」



とある日、初めて自分から剣の稽古に誘った。
いや、誘ったというより、叩きのめす為に"稽古"と称したにすぎない。恥ずかしながら、今までこいつに勝てた試しがなかった。俺だって決して弱いわけじゃないはずなのに、一本も取った事がない。それがムカついていたのは勿論、騎士が死んだ事を一年程経った今もズルズルと引き摺っている事が明白なあいつに、苛ついていたのもあった。

お互いに稽古用の服に着替えた後、いつも剣の稽古をしている場所へと向かう。

稽古用の間へ着くと、いつも通り、自分達の立ち位置で足を止め、お互いに剣を構えて向き合った。



「...あんたさ、見てて苛々すんだよ」


「... ...え?」


「あんたの忠犬が死んでもう一年経った。いつまで引き摺りゃ気が済むわけ?」


「... ... ...さい、」


「...は?」


「うるさい!!」


「!!?」



言葉を言い終えるか終えないかの間際、凄まじい速さで距離を詰め、剣を振り下ろしてきたのを間一髪防いだ自分を褒めたい。
その打撃は通常より重く感じられ、腕がピリピリと痺れ、まるで軋むようにも感じられた。



「貴方は何も知らないくせに!いっつも人を見下して馬鹿にして、そんな王子になんか将来、誰もついていかない!!大切な人どころか、傍にいてくれる人さえいない貴方なんかに、理解できるわけないのよっ!」



攻撃を受けながら、カッと怒りのボルテージが上がっていく。しかし、今まで自分に笑顔しか見せなかった彼女が、怒りを露わにし、物凄い形相で自分を睨んでいるこの状況、そして何より―――



「...泣いて、るのか?」



彼女の瞳から溢れて、次々と零れ落ちる涙。
俺に対して本当の感情を剥き出しにしているのも、泣いているのも、初めて見たのだ。
そして何故か、本当に何故か、それを嬉しく感じてしまっている自分に「気持ち悪い」と心の中で突っ込んだ。

――けれど、俺は気付く。
きっと俺は、俺に向けられる全ての笑顔に嫌悪感を抱いていた。心の底からではない、謀略と策略に塗れた私利私欲の為の作られた表情。
物心ついた頃から、そんな者たちばかり見てきた所為だろうか。初めはそんな奴ら全員に笑顔で返していた俺も、成長と共に人を選び、接し方も変えるようになっていった。

だからきっと、そんな俺とは真逆の彼女が気に食わなかったのだ。

彼女と初めて会った日、正確には見かけた日。その日は社交界で、俺と同い年くらいの子供がいるなって認識で遠くから眺めていた。ああいう場で、同い年くらいの子供なんて初めて見たから、もしかして俺と"同じ"なのではないか、と少し期待したのを覚えている。

けれど、彼女は自分とは違うのだと確信する次の光景を目にした瞬間、自分の中で何かが一気に冷めていくのを感じた。

無表情で、一人で突っ立っていた彼女の元へ、同い年くらいの少年が手にグラスを持って歩み寄っていったからだ。それだけならまだ何とも思わなかっただろう。
だが、どうやらその少年と少女は知り合いだったらしく、親しげに会話を始めたのだ。その笑顔を見た瞬間、浮かんだ言葉―――

"ああ、くだらない"

やはり自分を理解できるのは自分だけなのだと、僅かでも期待した自身を貶した。
そして今思えば、あの時彼女に話し掛け、楽しげに談笑していた相手の少年は、俺の嫌いなこいつの騎士だった。



攻撃が止んでも、こいつの目は未だに真っ直ぐ俺を睨んでいて、その双眼は潤んでいた。



「...貴方にとっては嘸かし良い気分でしょう?大嫌いな私が死にそうなくらい苦しんでいるだけじゃなくて、漸く静かになって。

... ...放っておいて」



本当はこんな事するつもりじゃなかった。

けれど剣を床に放り、背を向けて去っていく彼女の後ろ姿を、何故かそのまま行かせる事が出来ずに、俺は彼女の手を掴んだ。



「... ...何?」



俺が自らこいつに触れる事にも、「待て」とでも言うかのように、こうして手を掴んでいる事にも、彼女はとても驚いているようで、色素の薄いキャラメル色の睫毛に縁取られた金色の瞳を大きく見開く。



「...放して」


「... ...」


「放してよ!私だって、貴方なんか大嫌いなんだから!!」



"大嫌い"

彼女の叫んだその言葉を聞いた瞬間、そう言われて当然のはずの俺は、ズキリと、酷くはっきりとした痛みを感じた。



「もう何も感じられないの...!花を見ても、心から美しいと思えないっ、魔獣達を見ても愛しいと思えなくなって...っ!全部っ、全部!モーントと見てきた風景さえも!!」


「おいっ」


「モーントがいないなら全て何の意味もないわ...!モーントがいなくなってしまったら私は...!」


「...っ!しっかりしろ!」



泣き叫ぶ焦点の合わないルクスを落ち着かせようと、プレーナは咄嗟にルクスを引き寄せ、抱き締めていた。



「戦死なんて何も珍しい事じゃな「そんな事分かってるわ!!でも受け入れられないの!貴方みたいな人には一生理解出来ないわ!」


「落ち着け!最後まで聞け!」


「うるさいっ!放してよ!!」



聞く耳を持たず、プレーナの腕から逃れようともがくルクス。プレーナは彼女を抱く力を強めると、口を開いた。



「... ...俺には兄がいた。兄も...戦死している」



言うつもりなんて、これっぽっちも無かった。
いつだって俺の味方でいてくれて、文武両道で、俺の自慢の兄上。剣術の稽古だって、なんだって全部面倒見てくれた。もしかしたら、父上より父上らしい事を沢山して頂いたかもしれない。

プレーナの言葉に、ルクスがピクリと反応し、動かなくなる。



「...あの頃の俺にとって、兄上は俺の全てだった。剣術や体術だけじゃない、学問においてだって、とにかく全てにおいて完璧で俺の憧れだった」


「... ...」


「兄上は俺によく仰ってくれた。"お前が笑うと、俺も嬉しくなる" と。

...あいつもそうなんじゃないのか」


「...っ!」



その時、トヴァの頭の中で、眉を八の字にして困った様に微笑むモーントが浮かんだ。



...そうなの?私がこんなだから、今、モーントは辛いの?



「あんな見事な忠犬が、今のあんたを見てどう思ってるかなんてのは、あんたが一番分かるはずだ」


「ぅ...っ、うぁぁあああ!!」



プレーナの服を握り、号泣するルクスの頭を撫でてやる。
相当我慢していたのだろう。一頻り泣き、しゃくりあげていたのも収まると、ルクスはスッとプレーナから離れた。



「...御免なさい。醜態を晒した挙句、服に皺を作ってしまったわ... ...」


「ついでに涙と鼻水もな」


「...っ、悪かったと思ってるわ!ちゃんと洗って返すわよ」


「あんたが洗う必要はないだろ、洗濯係なんてその辺にうようよいる」


「う、うるさいわね!私が汚してしまったのだから、私が洗うわよ!」


「今ここで脱げって?変態だな」


「そんな事一言も言ってないわ!」



プイッと、ルクスはそのまま場を後にしようとする。すると今度は「おい」と、呼び止められた。



「...今度は何よ... ...」


「... ... ....かった」


「何?聞こえないわ、もっとはっきり...「悪かった」



突然の謝罪に、またもやルクスは信じられない物でも見たかの様に大きく目を見開く。
そして、二人の間に暫くの沈黙が続いた後、ルクスは悪戯っ子の様な顔をして言った。



「...確かに、今まですーっごく傷付いたわ!」


「... ...」


「何回話し掛けても無視されるし、悪口言われるし」


「...」


「私の唯一の味方のモーントはもう...戻ってきてはくれないようだし」



ルクスの言葉に言い返す事など出来る筈もなく、ほぼ初めてと言っても過言ではないであろう罪悪感を感じながら、気まずそうなプレーナ。

しかし、そんな彼を見て、彼女は―――







 
「でも仕方がないから、許してあげるわ」







――――笑ったんだ。



その、初めて俺自身に向けられた眩し過ぎるくらいの笑顔。「花が咲いたように」なんて言葉、一体何処のどんな浮かれた馬鹿が考えた表現なんだろうと思っていたが、それが今、たった今、理解できたんだ。



「... ...悪かったよ」


「だから許すって言ってるじゃない」


「...けど、それじゃフェアじゃないだろ」


「フェア?仲直りにフェアとかアンフェアなんてあるのかしら」


「今回はな。...何か一つ望みでも言えよ。俺が叶えられる範囲のな」


「...へ?の、望み?突然言われても直ぐには... ...」



そう言って、ルクスは小さく考える仕草をした後、また口を開いた。



「...じゃあ、」


「何だよ」


「ずっとじゃなくて構いませんわ、私がここにお世話になっている間だけで構わないから、仲良くして欲しいの」


「...!

   ...な、んだよ。その願い」


「駄目...かしら...?」



もっと、何か高価な物を買って欲しいと強請られるかと思っていた。ドレスや宝石、女の望みなんて所詮、そんなものだろうと思っていたから。
大金を使うからこそ、フェアになると考えていたのに... ...



「...それ、全然釣り合わないだろ」


「あら?そんな事ないわよ!だって今まで私に意地悪をしてきたのだから、これからその逆をするだけじゃない、十分フェアな望みだわ!」





―――そう言って楽しそうに笑った彼女に、俺は次第に惹かれていって、

ルクスの笑う顔がもっと見たくなって

悲しそうにしていると、俺が痛くなって

彼女が一人で景色を見ていると、何処かに行ってしまいそうで不安で堪らなくなって

俺以外の奴と楽しそうに話していると苛々して

傍にいないと安心出来なくなって―――




















―――なぁ、ルクス。





次の瞬間、プレーナとルクスの楽しい日々が業火に焼かれ、今まで第三者として自分やモーント、プレーナの本当の想いや、実際にあった記憶見ていたトヴァは、突然の熱風を腕で遮ぎるようにして次の光景を見た瞬間... ...




















「... ...あぁ、そうだわっ、御免なさい...!御免なさいプレーナ!」



...涙を流しながら、謝った。

その光景は、何故今迄忘れる事が出来ていたのだろうと泣き叫びたくなる光景で。

矢によって背後から心臓を貫かれ、うつ伏せに倒れる自分を中心として、血の海が作られていく。

プレーナが叫んでいる。怒鳴っている。


















―――俺は、決めた。

世界の平和を、皆の幸福を本気で祈り、絶対に叶うと信じ、命を賭して戦ってきた結果がこんなものなら...








そしてまたもや光景が変わる。
燃え盛る城内、きっとここはプレーナとルクスの部屋だ。
窓の外から愛しい息子がプレーナを呼ぶ声が聞こえる。

「父上、父上」と。















――あぁ、今回は失敗してしまった。

だが次こそは、次こそは復讐を成し遂げてみせよう。俺を... ...に託... ...。

きっと、俺のような... ...な存在より... ...だろうから。





所々よく聞こえない彼の心の声。

ドクドクと血が溢れ出し、じわりじわりと紅が広がり、燃え盛る炎の中で、仰向けに倒れている男からは、徐々に瞳の輝きが失われていく。





だが、その最期の彼の言葉は―――
















「愛してるよ、ルクス。

永遠にキミを―――」



ひどく鮮明に、トヴァの鼓膜を切なく揺らした。


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