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1巻
1-2
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「マイラ、寝てるみたいですね。エリンさん、診てもらっていいですか?」
「あっ、はい……」
神妙な顔つきのクロエさんに言われ、わたしはおずおずとベッドのそばに腰を下ろした。
マイラさんの頬は赤く染まっており、呼吸も荒い。静かに首元に触れてみると、脈が速く、明らかな熱を感じた。
「この症状は、やはり熱冷ましの薬が必要、ですね……」
診断を下し、頭の中で必要な薬材を整理していく。
解熱鎮痛剤として一番効果があるのはゴールデンリーフだけど、これは日の当たる森や草原に自生する植物。
今から採りに行く余裕はないし、薬材を取り扱うお店は城下町でも限られている。この時間だと、もうお店を閉めている頃かもしれない。
次点でパープルアイ。こちらはごく一般的な花だから、花屋に行けばあると思う。
さらにスイートリーフも必要だ。これも野菜として売っているし、八百屋ならどこでも買えるはずだ。
街の中で手に入る薬材では、簡易的な薬しか作れない。
ただ、何もしないよりはマシだろう。
「そういえばこのお店、地下に倉庫があるんですよ。前の人が残していったのか、カラカラに乾いた木の根っことか謎の瓶詰めが並んでいて、不気味な場所なんですが」
「……そこ、案内してください!」
クロエさんの言葉に、思っていたより大きな声で返してしまった。わたしは反射的に自分の口を押さえる。
そこはおそらく、このお店の薬材倉庫だ。
もしかしたら、使える薬材が残っているかもしれない。
「いいですよ! こっちです!」
クロエさんはマイラさんの部屋を出て、どたどたと階段を下りていく。
彼女についていくと、カウンター奥にある調合室らしき部屋に通された。
階段下のデッドスペースを利用した調合室には窓がなく、日光がまったく入らない。
「こっちです。一度だけ中を見てみたんですが、気味が悪くてすぐに閉めてしまいました」
クロエさんは近くのランプに火を灯すと床の扉を開ける。
渡されたランプを手に、わたしは中を覗き込んだ。
扉を開けてすぐのところに木製のはしごがあり、その先に人一人がやっと立てそうな広さの床が見える。
周囲は、無数の棚や木箱で埋め尽くされていた。
わたしは慎重にそこへ下りて、あたりを見渡す。
目線より少し高いところに、乾燥させた木の根が何本も吊るされていた。
近くの棚には瓶詰めの木の実がところ狭しと並んでいる。
「おお……あれはジャールの根。こっちにはグリーンオリーブが……!」
数年間は放置されたと思しき場所だけど、予想以上に薬材が残っているようだ。
想像以上の収穫に、わたしは興奮してしまった。
「やっぱり、薬師さんにはわかるんですねー……この緑色の実、お薬の材料なんですか?」
「ひぃっ」
近くにあったグリーンオリーブの瓶詰めを手に取っていると、すぐ隣で声がした。
そちらを見ればクロエさんがはしごに腰かけ、興味深そうな視線を向けている。
「そ、そうです。高い木の上にできる実で、採取が大変で……」
わたしは視線を泳がせながら説明し、そっと距離を取ろうとした。
けれど地下倉庫が狭いせいで、それは叶わなかった。
……ち、近い。それにクロエさん、なんかいい匂いがする。
「じゃあ、ここにある材料だけでお薬が作れちゃったりします?」
動揺するわたしに気づくことなく、クロエさんは胸の前で両手を合わせ、期待に満ちた目でこちらを見つめてきた。
「そ、それは無理です。足りない材料があるので、お店で買ってこないと」
「じゃあ、行ってきますよ! 何が必要ですか?」
クロエさんはキラキラの笑顔を見せ、メモ用紙を取り出した。
「えっと……、まず、花屋さんでパープルアイを買ってきてください。その、できれば植木鉢に植えられたものがいいです。それと、八百屋さんでスイートリーフもお願いします」
「スイートリーフって、料理に使う甘い葉っぱですよね?」
「は、はい。そっちは根っこがついたものをお願いします」
「根っこつきでいいんですか? 新鮮さをアピールするために根っこをつけたまま売っていることもありますが、料理だと捨てちゃう部分ですよ?」
「や、薬材にはその根っこを使うので。よろしくお願いします」
「わっかりました! それじゃ、ちゃちゃっと行ってきますね!」
わたしが説明し終わると、クロエさんはメモをポケットにしまい、地下倉庫を飛び出していった。
……本当に元気な人だ。
倉庫から出たわたしはクロエさんの帰りを待ちながら、お店の道具を借りて調合準備を進めることにした。
「ようやく一人になれたし、今のうち、今のうち……」
調合室に備えつけられた水道設備が生きていたので、まずは桶に水を溜める。
続いて薬を煎じるための土瓶にも水を入れて、火にかけた。
お湯が沸くのを待つ間、倉庫から持ってきたジャールの根とグリーンオリーブを、自前の薬研で粉にしていく。
……誰にも邪魔されない、調合の時間が一番好きだ。
グレガノさんに理不尽に怒られても、エルトナの失敗の尻拭いをさせられても、ステラさんに無視されても……
薬を作り始めれば、周囲の声なんて聞こえない。
嫌なことを全部忘れて、自分だけの世界に入ることができる。調合作業、最高。
薬材たちよ、わたしが数年ぶりに命を吹き込んであげましょう――
「……うん? クロエ、帰っていたのか?」
「ひょえっ!?」
作業に没頭しかけたタイミングで背後から声がかかり、わたしは悲鳴を上げた。
「い、いいいえ! その、クロエさんはですね……!」
「……うん? 誰だ、お前は」
うろたえながら振り返ると、鋭い目つきの女性が立っていた。見た目は二十代前半といったところだ。
着古したチュニックとズボンを身につけていて、一見すると男性のようだ。
腰ほどまである金髪が、ところどころ跳ねている。
お店の入口が開いた気配はしなかった。この人はどこから現れたのだろう?
「うちの工房に無断で入り込むとは……、怪しいヤツめ」
そんなことを考えていた矢先、女性はわたしを睨みつけ、腰の剣を抜き放った。
まるで鏡のように磨き抜かれた剣身に、わたしの姿が映っている。
三つ編みにしている深緑色の髪は手入れが行き届かず、あちこちがほどけかけだ。
青色の瞳の下にはクマができていて、顔色も悪い。身につけている割烹着もボロボロだった。
これは、不審者だと思われても仕方がない。
……もはや、現時点で取れる行動は一つだけだ。
わたしはその場に膝をつき、全力で土下座した。
そして、できるだけ大きな声で叫んだ。
「ど、どうか、命だけは! 命だけはお助けください。これには深い事情がありまして……!」
『ハーランド工房』では土下座させられることなんて日常茶飯事だったし、これくらい慣れている。
「……頭を下げなくていい。言っておくが、ここには盗るようなものはないぞ?」
どうやら、わたしは泥棒と勘違いされているらしい。
「え? あの、わたしは泥棒ではなくてですね」
「違うのか? それならば、何をしにやってきた?」
「えっと、そのですね。あの……」
必死に声を出そうとするも、頭の中をいろいろな単語が駆け巡るだけで、うまく言葉を紡げない。
ど、どうしよう。このままだと業を煮やされて、あの剣でバッサリと……
「ただいま戻りましたー! エリンさん、頼まれた材料、買ってきましたよー!」
最悪な考えが頭をよぎった時、底抜けに明るい声がした。
調合室の外から、クロエさんがひょこっと顔を出した。
「えーっと、これはどういう状況です……?」
部屋の中に広がる光景を見て、クロエさんは固まっている。
剣を抜いた女性と、その前で土下座し、冷や汗を流すわたし。
彼女が混乱するのも無理はない。
「……クロエ、それはこっちの台詞だ。こいつはお前の知り合いなのか? 説明してくれ」
女性がため息をついて剣を鞘に納める。それを確認して、わたしもおずおずと上体を起こした。
「こちらの方は、私がお連れしたんですよ、ミラベルさん。エリンさん、このたびはうちのオーナーが大変失礼をいたしました」
クロエさんはそう言いながら、手を取って立ち上がらせてくれた。
「失礼も何も……私に話を通していないクロエにも非があると思うが」
「私も気が動転してたんですよー。それにミラベルさん、寝てたでしょう。あ、エリンさん、こちらはミラベルさん。この建物のオーナーです」
「は、はぁ、オーナーさん……えっと、エリン・ハーランドと申します」
紹介されたオーナーさんと視線を合わせられないまま、わたしは自己紹介をした。
「ミラベル・ラステルクだ。この店のオーナーで、見てのとおり剣士をしている。驚かせて悪かったな」
ミラベルさんが握手を求めてくる。その手は握り返せたものの、やはり目は合わせられない。
「……声が小さいのはいいとして、せめて握手をする相手の目は見ろ」
「す、すみません。わたし、人見知りなもので……目を合わせるのが、苦手で」
「人見知り……?」
正直に答えると、ミラベルさんは呟くように言って首をかしげた。
「まぁ、いいだろう。それでクロエ、こいつはどうしてここにいる?」
「ふっふっふー。それがですねぇ。実はこのエリンさん、凄腕の薬師さんなんですよ! 粉薬を舐めただけで成分を言い当てちゃったんです!」
ミラベルさんが問うと、クロエさんは嬉しそうにわたしを見た。
「ほう。つまり、我が工房の新しい薬師候補として連れてきたわけか」
「そうです! 今は、マイラのために熱冷ましの薬を作ってくれてるんですよ!」
……はい?
薬は作ってるけど、新しい薬師候補とはなんですか? 初耳なんですけど。
「なるほどな……では、お手並み拝見といこう」
「はい! エリンさん、頼まれていたパープルアイと、スイートリーフです!」
理解が追いつかないでいるうちに、クロエさんが右手に持っていた袋をわたしの胸に押しつけてきた。
「あ、ありがとうございます……えっと、それでは調合作業に入ります……」
いろいろと思うところはあった。けれど、わたしはその場の空気に流されるがまま、薬研へ向き直る。
できることなら一人で作業したいけど……それは無理そうだ。
クロエさんたちには部屋を出ていく気配がなく、背中に視線をひしひしと感じる。自分の手が震えているのがわかった。
わたしは覚悟を決めると、薬研に残っていたジャールの根とグリーンオリーブを手早く粉にし、それを別の薬皿に移した。
それから植木鉢のパープルアイを袋から取り出す。
このパープルアイ、まるで大きな瞳に見える紫色の花を咲かせることが名前の由来で、野生のものは木に巻きついて成長していく。添え木をすればくるくると可愛らしく蔓を伸ばすので、鑑賞用の花として人気が高い。
でも、薬材に使うのは根っこの部分。花も茎もいらないので、すべてちぎってしまう。
「ああ……綺麗な花だったのに」
……クロエさん、それは言わないで。わたしだって罪悪感がないわけじゃないから。
背後から届く声を聞き流して、あらかじめ溜めておいた水を使って根っこを丁寧に洗い、水気を拭き取ってから薬研にかける。
本来ならきちんと乾燥させるべきだけど、緊急時だから致し方ない。
「これがお薬になるんですか? なんだか甘い匂いがしますけど」
「ひえっ」
粉砕作業をしていると、クロエさんがすぐ横にやってきた。興味津々に覗き込んでくる。
「こ、これは甘いのが特徴なんです。後味は少し苦いですが、他の薬材に比べて飲みやすいので、重宝されています」
緊張しながらそう伝えると、クロエさんはうんうんと頷いた。
一方のミラベルさんは腕組みをしたまま、背後からじっとわたしを見ている。
……視線が痛い。すごく怖い。
そんな視線から逃げるように、わたしはスイートリーフに手を伸ばした。こっちも使うのは根っこの部分なので、茎や葉はさっさと取ってしまう。
「……エリン、その薬研はどうしたんだ?」
「はいっ!?」
ミラベルさんに突然話しかけられ、妙な声が出た。
「こ、これは父の形見、です」
「お父上も薬師だったか。どこかの工房に勤めていたのか?」
「あの、『ハーランド工房』……です。わたし、創業者の娘で。今は追い出されましたが」
「ああ……そういえば家名が同じだったな。追い出されたとは、それはまたどうして」
「えっと、その、実はですね――」
調合作業を続けながら、わたしはたどたどしくも身の上話をする。
ミラベルさんは何を言うでもなく、静かに話を聞いていた。
「――というわけで、わたしは工房を追い出されてしまったんです」
「なるほどな。お前、なかなかに壮絶な人生を歩んでいるな」
「そ、それは、なんとなく自覚しています。あ、熱冷ましの薬、できました」
身の上話をしている間も手は勝手に動き、気がついたら薬の調合が終わっていた。
「見せてくれ」
ミラベルさんが薬研の底に溜まった粉薬をわずかに手に取る。
「ふむ。粉も均一で見事なものだ。あの短時間でこれほどの薬を作るとは、クロエの言っていたことに偽りはないようだな」
「あっ、ありがとうございます……」
つい頭を下げた。褒められたのなんて、いつ以来だろう。
「しかし、これだけの腕前を持つ薬師を追い出すなんて、『ハーランド工房』の連中はアホなのか?」
……わたしに言われましても。たぶん、アホだとは思いますが。
「お薬もできましたし、マイラ、叩き起こしてきますね!」
クロエさんは言うが早いか、階段を駆け上っていった。
いやいや、叩き起こすって比喩だよね? 病人に対してそんな乱暴な……!
そう考えた直後、ミラベルさんと二人きりになっていることに気づいた。緊張感が増す。
「量が少ない気もするが、これで一回ぶんなのか?」
「い、いえ。三回ぶんです。この薬は粉のままだと飲みにくいので、湯薬にします。とろみがあって、体も温まるので」
わたしはそう説明しながら、いい塩梅に沸騰した土瓶のお湯に調合した薬を投入した。
「このまま煮出して、お湯が半分になったら煎じあがりです。スイートリーフのおかげで甘みも出るので、飲みやすいんですよ」
「そこまで水気を減らしてしまっていいのか? 味が濃くなりそうだが」
「むしろ、十分に加熱することが重要なんです。生煮えだと副作用が強く出てしまって。スイートリーフだと、手足のしびれや筋肉痛です」
「……お前、薬の話になると饒舌になるな」
「へっ? いや、そんなことは……」
苦笑しながら言われ、わたしは言葉に詰まった。
沈黙が訪れて、グツグツとお湯の沸く音だけが調合室に響く。
……ち、沈黙がつらい。ここは何か話さなければ。
「あの、ミラベルさんも、薬師……なんですか?」
「うん?」
わたしはしばし考えて、遠慮がちに尋ねてみた。
「あっ、違ったらすみません。薬について、知っているようでしたので」
「ああ……昔、少しかじったことがある程度だ。だが薬師免許も持っていないし、大したことはできない」
すると、そんな言葉が返ってきた。
なんだか言いにくそうにしているし、あまり触れられたくない話題なのかもしれない。
長年グレガノさんたちの顔色を窺って生きてきたわたしは、この手の微妙な表情の変化を敏感に読み取ってしまう。
相手が言いたくないと察した以上、もう聞くことはできない。
……結局、その後は会話が途切れてしまった。
わたしはなんとも言えない緊張感の中、無言で土瓶をかき混ぜ続けたのだった。
やがて起きてきたマイラさんが調合室にやってきた。お薬を飲んでもらう。
「……甘いって聞いていたのに、ぜんぜん甘くない。うぇぇ」
「りょ、良薬は口に苦しと言いますし、頑張って飲んでください……!」
「でもなんか、効きそうな気がする。薬師さん、ありがとね」
マイラさんは赤い顔でわたしにお礼を言うと、ふらつきながら部屋へ戻っていった。
急いで作った薬だけど、きちんと飲んで一晩寝れば、熱は下がってくるはずだ。
「そ、それでは、わたしはこれで……」
マイラさんを見送ったあと、わたしは急いで道具を片付けた。
お役御免だろうし、これ以上居座っても迷惑がかかる。早急にお暇しよう。
調合室を出ると、クロエさんとミラベルさんもついてきた。
「ちょっと待て」
店の外へ向かう扉に手をかけた時、ミラベルさんに呼び止められた。
わたしはおっかなびっくり振り返る。
「薬師エリン、お前の腕前を見込んで頼みがある」
「な、なんでしょう……? わたしの腕前なんて、その辺にいるスライムと同じくらいで……」
「よくわからないたとえで自分を卑下するな。私たちはお前の腕を高く買っている。うちの専属薬師にならないか?」
「……はい?」
思いもよらない提案に、わたしは耳を疑った。
「実は、近いうちにここで薬師工房を開こうと思っていてな。雇用予定の薬師に逃げられて途方に暮れていたんだ。エリンが入ってくれるのなら、こちらとしても助かる」
ミラベルさんは腰に手を当てて、店内を見渡す。わたしは反論を試みた。
「で、でも、新しい工房を開くと、『ハーランド工房』に目をつけられて潰されてしまいます。潰された工房、たくさん知っているので」
「あいつら、潰しに来るのか? はっはっは。上等じゃないか。なぁ、クロエ」
「そうですねー。あんなぼったくり工房、逆に私たちで潰しちゃいましょうよ」
答えたクロエさんは笑顔だけど、声が笑っていない。
法外な値段で薬を買わされたうえに、あんな接客をされたら頭に来るのもわかるけど……真っ向勝負を挑むつもりなのかな。
「なぁに、心配するな。エリンの調合技術があれば、誰が相手でも負けはしないさ」
反応に困っていると、ミラベルさんはまるでわたしの心を読んだかのように言った。
「寝ているマイラは事後承諾でいいだろ。あいつにとって、エリンは薬を作ってくれた恩人なわけだし、感謝こそすれ、拒むことはないはずだ」
「そうですね!」
「そ、そうですかね……?」
ニコニコ笑顔のクロエさんに思わずツッコむも、彼女の耳には届かなかったらしい。
ミラベルさんがさらに言う。
「工房を追い出されたなら、今晩の宿も困っているんじゃないか? ここなら部屋が余っているぞ?」
「え、それはまぁ……困ってはいますけど」
わたしの返事を聞いて、クロエさんが両手を合わせた。
「なら決まりですね! 掃除も終わってますし、すぐに使えますよ!」
「ああ。今日から入居して構わない。うちの薬師として働いてくれるのなら、家賃も不要だ」
「え、えっと。そのー、あのー」
なんだかトントン拍子に話が進んでいく。わたしは意を決して手を挙げた。
「あ、あの! お気持ちはすごくありがたいんですが、一つだけ教えてください」
「いいだろう。なんでも聞いてくれ」
「どうして、行きずりのわたしを雇ってまで、この街で薬師工房を開きたいんですか。その……潰されるかもしれないのに」
「そうだな……この街の現状が我慢ならなかった、というのが理由かな」
わたしの問いかけに、ミラベルさんは淀みなく答えてくれた。
「薬というものは、みんなに平等に与えられるべきものだろう? 一部の人間が独占してはいけないと思ったのさ」
予想外にまっすぐな答えが返ってきて、わたしは目を見開いた。
多少は薬の知識があると聞いていたけど、ミラベルさんは剣士のはずだ。
それなのに、この人は『ハーランド工房』が支配する街の現状を変えようとしている。
「……さぁて、私の崇高な目的を知ったからには、是が非でも協力してもらうぞ」
ミラベルさんはニヤリと笑う。その笑顔に気圧されてしまい、わたしは頷くことしかできなかった。
「よしよし。これからよろしく頼むぞ、薬師エリン」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたしまする……」
深々と頭を下げたら、緊張で変な口調になってしまった。
話が急すぎて頭の整理が追いつかない。
とりあえず住む場所には困らなくて済みそうで、わたしは安堵したのだった。
「あっ、はい……」
神妙な顔つきのクロエさんに言われ、わたしはおずおずとベッドのそばに腰を下ろした。
マイラさんの頬は赤く染まっており、呼吸も荒い。静かに首元に触れてみると、脈が速く、明らかな熱を感じた。
「この症状は、やはり熱冷ましの薬が必要、ですね……」
診断を下し、頭の中で必要な薬材を整理していく。
解熱鎮痛剤として一番効果があるのはゴールデンリーフだけど、これは日の当たる森や草原に自生する植物。
今から採りに行く余裕はないし、薬材を取り扱うお店は城下町でも限られている。この時間だと、もうお店を閉めている頃かもしれない。
次点でパープルアイ。こちらはごく一般的な花だから、花屋に行けばあると思う。
さらにスイートリーフも必要だ。これも野菜として売っているし、八百屋ならどこでも買えるはずだ。
街の中で手に入る薬材では、簡易的な薬しか作れない。
ただ、何もしないよりはマシだろう。
「そういえばこのお店、地下に倉庫があるんですよ。前の人が残していったのか、カラカラに乾いた木の根っことか謎の瓶詰めが並んでいて、不気味な場所なんですが」
「……そこ、案内してください!」
クロエさんの言葉に、思っていたより大きな声で返してしまった。わたしは反射的に自分の口を押さえる。
そこはおそらく、このお店の薬材倉庫だ。
もしかしたら、使える薬材が残っているかもしれない。
「いいですよ! こっちです!」
クロエさんはマイラさんの部屋を出て、どたどたと階段を下りていく。
彼女についていくと、カウンター奥にある調合室らしき部屋に通された。
階段下のデッドスペースを利用した調合室には窓がなく、日光がまったく入らない。
「こっちです。一度だけ中を見てみたんですが、気味が悪くてすぐに閉めてしまいました」
クロエさんは近くのランプに火を灯すと床の扉を開ける。
渡されたランプを手に、わたしは中を覗き込んだ。
扉を開けてすぐのところに木製のはしごがあり、その先に人一人がやっと立てそうな広さの床が見える。
周囲は、無数の棚や木箱で埋め尽くされていた。
わたしは慎重にそこへ下りて、あたりを見渡す。
目線より少し高いところに、乾燥させた木の根が何本も吊るされていた。
近くの棚には瓶詰めの木の実がところ狭しと並んでいる。
「おお……あれはジャールの根。こっちにはグリーンオリーブが……!」
数年間は放置されたと思しき場所だけど、予想以上に薬材が残っているようだ。
想像以上の収穫に、わたしは興奮してしまった。
「やっぱり、薬師さんにはわかるんですねー……この緑色の実、お薬の材料なんですか?」
「ひぃっ」
近くにあったグリーンオリーブの瓶詰めを手に取っていると、すぐ隣で声がした。
そちらを見ればクロエさんがはしごに腰かけ、興味深そうな視線を向けている。
「そ、そうです。高い木の上にできる実で、採取が大変で……」
わたしは視線を泳がせながら説明し、そっと距離を取ろうとした。
けれど地下倉庫が狭いせいで、それは叶わなかった。
……ち、近い。それにクロエさん、なんかいい匂いがする。
「じゃあ、ここにある材料だけでお薬が作れちゃったりします?」
動揺するわたしに気づくことなく、クロエさんは胸の前で両手を合わせ、期待に満ちた目でこちらを見つめてきた。
「そ、それは無理です。足りない材料があるので、お店で買ってこないと」
「じゃあ、行ってきますよ! 何が必要ですか?」
クロエさんはキラキラの笑顔を見せ、メモ用紙を取り出した。
「えっと……、まず、花屋さんでパープルアイを買ってきてください。その、できれば植木鉢に植えられたものがいいです。それと、八百屋さんでスイートリーフもお願いします」
「スイートリーフって、料理に使う甘い葉っぱですよね?」
「は、はい。そっちは根っこがついたものをお願いします」
「根っこつきでいいんですか? 新鮮さをアピールするために根っこをつけたまま売っていることもありますが、料理だと捨てちゃう部分ですよ?」
「や、薬材にはその根っこを使うので。よろしくお願いします」
「わっかりました! それじゃ、ちゃちゃっと行ってきますね!」
わたしが説明し終わると、クロエさんはメモをポケットにしまい、地下倉庫を飛び出していった。
……本当に元気な人だ。
倉庫から出たわたしはクロエさんの帰りを待ちながら、お店の道具を借りて調合準備を進めることにした。
「ようやく一人になれたし、今のうち、今のうち……」
調合室に備えつけられた水道設備が生きていたので、まずは桶に水を溜める。
続いて薬を煎じるための土瓶にも水を入れて、火にかけた。
お湯が沸くのを待つ間、倉庫から持ってきたジャールの根とグリーンオリーブを、自前の薬研で粉にしていく。
……誰にも邪魔されない、調合の時間が一番好きだ。
グレガノさんに理不尽に怒られても、エルトナの失敗の尻拭いをさせられても、ステラさんに無視されても……
薬を作り始めれば、周囲の声なんて聞こえない。
嫌なことを全部忘れて、自分だけの世界に入ることができる。調合作業、最高。
薬材たちよ、わたしが数年ぶりに命を吹き込んであげましょう――
「……うん? クロエ、帰っていたのか?」
「ひょえっ!?」
作業に没頭しかけたタイミングで背後から声がかかり、わたしは悲鳴を上げた。
「い、いいいえ! その、クロエさんはですね……!」
「……うん? 誰だ、お前は」
うろたえながら振り返ると、鋭い目つきの女性が立っていた。見た目は二十代前半といったところだ。
着古したチュニックとズボンを身につけていて、一見すると男性のようだ。
腰ほどまである金髪が、ところどころ跳ねている。
お店の入口が開いた気配はしなかった。この人はどこから現れたのだろう?
「うちの工房に無断で入り込むとは……、怪しいヤツめ」
そんなことを考えていた矢先、女性はわたしを睨みつけ、腰の剣を抜き放った。
まるで鏡のように磨き抜かれた剣身に、わたしの姿が映っている。
三つ編みにしている深緑色の髪は手入れが行き届かず、あちこちがほどけかけだ。
青色の瞳の下にはクマができていて、顔色も悪い。身につけている割烹着もボロボロだった。
これは、不審者だと思われても仕方がない。
……もはや、現時点で取れる行動は一つだけだ。
わたしはその場に膝をつき、全力で土下座した。
そして、できるだけ大きな声で叫んだ。
「ど、どうか、命だけは! 命だけはお助けください。これには深い事情がありまして……!」
『ハーランド工房』では土下座させられることなんて日常茶飯事だったし、これくらい慣れている。
「……頭を下げなくていい。言っておくが、ここには盗るようなものはないぞ?」
どうやら、わたしは泥棒と勘違いされているらしい。
「え? あの、わたしは泥棒ではなくてですね」
「違うのか? それならば、何をしにやってきた?」
「えっと、そのですね。あの……」
必死に声を出そうとするも、頭の中をいろいろな単語が駆け巡るだけで、うまく言葉を紡げない。
ど、どうしよう。このままだと業を煮やされて、あの剣でバッサリと……
「ただいま戻りましたー! エリンさん、頼まれた材料、買ってきましたよー!」
最悪な考えが頭をよぎった時、底抜けに明るい声がした。
調合室の外から、クロエさんがひょこっと顔を出した。
「えーっと、これはどういう状況です……?」
部屋の中に広がる光景を見て、クロエさんは固まっている。
剣を抜いた女性と、その前で土下座し、冷や汗を流すわたし。
彼女が混乱するのも無理はない。
「……クロエ、それはこっちの台詞だ。こいつはお前の知り合いなのか? 説明してくれ」
女性がため息をついて剣を鞘に納める。それを確認して、わたしもおずおずと上体を起こした。
「こちらの方は、私がお連れしたんですよ、ミラベルさん。エリンさん、このたびはうちのオーナーが大変失礼をいたしました」
クロエさんはそう言いながら、手を取って立ち上がらせてくれた。
「失礼も何も……私に話を通していないクロエにも非があると思うが」
「私も気が動転してたんですよー。それにミラベルさん、寝てたでしょう。あ、エリンさん、こちらはミラベルさん。この建物のオーナーです」
「は、はぁ、オーナーさん……えっと、エリン・ハーランドと申します」
紹介されたオーナーさんと視線を合わせられないまま、わたしは自己紹介をした。
「ミラベル・ラステルクだ。この店のオーナーで、見てのとおり剣士をしている。驚かせて悪かったな」
ミラベルさんが握手を求めてくる。その手は握り返せたものの、やはり目は合わせられない。
「……声が小さいのはいいとして、せめて握手をする相手の目は見ろ」
「す、すみません。わたし、人見知りなもので……目を合わせるのが、苦手で」
「人見知り……?」
正直に答えると、ミラベルさんは呟くように言って首をかしげた。
「まぁ、いいだろう。それでクロエ、こいつはどうしてここにいる?」
「ふっふっふー。それがですねぇ。実はこのエリンさん、凄腕の薬師さんなんですよ! 粉薬を舐めただけで成分を言い当てちゃったんです!」
ミラベルさんが問うと、クロエさんは嬉しそうにわたしを見た。
「ほう。つまり、我が工房の新しい薬師候補として連れてきたわけか」
「そうです! 今は、マイラのために熱冷ましの薬を作ってくれてるんですよ!」
……はい?
薬は作ってるけど、新しい薬師候補とはなんですか? 初耳なんですけど。
「なるほどな……では、お手並み拝見といこう」
「はい! エリンさん、頼まれていたパープルアイと、スイートリーフです!」
理解が追いつかないでいるうちに、クロエさんが右手に持っていた袋をわたしの胸に押しつけてきた。
「あ、ありがとうございます……えっと、それでは調合作業に入ります……」
いろいろと思うところはあった。けれど、わたしはその場の空気に流されるがまま、薬研へ向き直る。
できることなら一人で作業したいけど……それは無理そうだ。
クロエさんたちには部屋を出ていく気配がなく、背中に視線をひしひしと感じる。自分の手が震えているのがわかった。
わたしは覚悟を決めると、薬研に残っていたジャールの根とグリーンオリーブを手早く粉にし、それを別の薬皿に移した。
それから植木鉢のパープルアイを袋から取り出す。
このパープルアイ、まるで大きな瞳に見える紫色の花を咲かせることが名前の由来で、野生のものは木に巻きついて成長していく。添え木をすればくるくると可愛らしく蔓を伸ばすので、鑑賞用の花として人気が高い。
でも、薬材に使うのは根っこの部分。花も茎もいらないので、すべてちぎってしまう。
「ああ……綺麗な花だったのに」
……クロエさん、それは言わないで。わたしだって罪悪感がないわけじゃないから。
背後から届く声を聞き流して、あらかじめ溜めておいた水を使って根っこを丁寧に洗い、水気を拭き取ってから薬研にかける。
本来ならきちんと乾燥させるべきだけど、緊急時だから致し方ない。
「これがお薬になるんですか? なんだか甘い匂いがしますけど」
「ひえっ」
粉砕作業をしていると、クロエさんがすぐ横にやってきた。興味津々に覗き込んでくる。
「こ、これは甘いのが特徴なんです。後味は少し苦いですが、他の薬材に比べて飲みやすいので、重宝されています」
緊張しながらそう伝えると、クロエさんはうんうんと頷いた。
一方のミラベルさんは腕組みをしたまま、背後からじっとわたしを見ている。
……視線が痛い。すごく怖い。
そんな視線から逃げるように、わたしはスイートリーフに手を伸ばした。こっちも使うのは根っこの部分なので、茎や葉はさっさと取ってしまう。
「……エリン、その薬研はどうしたんだ?」
「はいっ!?」
ミラベルさんに突然話しかけられ、妙な声が出た。
「こ、これは父の形見、です」
「お父上も薬師だったか。どこかの工房に勤めていたのか?」
「あの、『ハーランド工房』……です。わたし、創業者の娘で。今は追い出されましたが」
「ああ……そういえば家名が同じだったな。追い出されたとは、それはまたどうして」
「えっと、その、実はですね――」
調合作業を続けながら、わたしはたどたどしくも身の上話をする。
ミラベルさんは何を言うでもなく、静かに話を聞いていた。
「――というわけで、わたしは工房を追い出されてしまったんです」
「なるほどな。お前、なかなかに壮絶な人生を歩んでいるな」
「そ、それは、なんとなく自覚しています。あ、熱冷ましの薬、できました」
身の上話をしている間も手は勝手に動き、気がついたら薬の調合が終わっていた。
「見せてくれ」
ミラベルさんが薬研の底に溜まった粉薬をわずかに手に取る。
「ふむ。粉も均一で見事なものだ。あの短時間でこれほどの薬を作るとは、クロエの言っていたことに偽りはないようだな」
「あっ、ありがとうございます……」
つい頭を下げた。褒められたのなんて、いつ以来だろう。
「しかし、これだけの腕前を持つ薬師を追い出すなんて、『ハーランド工房』の連中はアホなのか?」
……わたしに言われましても。たぶん、アホだとは思いますが。
「お薬もできましたし、マイラ、叩き起こしてきますね!」
クロエさんは言うが早いか、階段を駆け上っていった。
いやいや、叩き起こすって比喩だよね? 病人に対してそんな乱暴な……!
そう考えた直後、ミラベルさんと二人きりになっていることに気づいた。緊張感が増す。
「量が少ない気もするが、これで一回ぶんなのか?」
「い、いえ。三回ぶんです。この薬は粉のままだと飲みにくいので、湯薬にします。とろみがあって、体も温まるので」
わたしはそう説明しながら、いい塩梅に沸騰した土瓶のお湯に調合した薬を投入した。
「このまま煮出して、お湯が半分になったら煎じあがりです。スイートリーフのおかげで甘みも出るので、飲みやすいんですよ」
「そこまで水気を減らしてしまっていいのか? 味が濃くなりそうだが」
「むしろ、十分に加熱することが重要なんです。生煮えだと副作用が強く出てしまって。スイートリーフだと、手足のしびれや筋肉痛です」
「……お前、薬の話になると饒舌になるな」
「へっ? いや、そんなことは……」
苦笑しながら言われ、わたしは言葉に詰まった。
沈黙が訪れて、グツグツとお湯の沸く音だけが調合室に響く。
……ち、沈黙がつらい。ここは何か話さなければ。
「あの、ミラベルさんも、薬師……なんですか?」
「うん?」
わたしはしばし考えて、遠慮がちに尋ねてみた。
「あっ、違ったらすみません。薬について、知っているようでしたので」
「ああ……昔、少しかじったことがある程度だ。だが薬師免許も持っていないし、大したことはできない」
すると、そんな言葉が返ってきた。
なんだか言いにくそうにしているし、あまり触れられたくない話題なのかもしれない。
長年グレガノさんたちの顔色を窺って生きてきたわたしは、この手の微妙な表情の変化を敏感に読み取ってしまう。
相手が言いたくないと察した以上、もう聞くことはできない。
……結局、その後は会話が途切れてしまった。
わたしはなんとも言えない緊張感の中、無言で土瓶をかき混ぜ続けたのだった。
やがて起きてきたマイラさんが調合室にやってきた。お薬を飲んでもらう。
「……甘いって聞いていたのに、ぜんぜん甘くない。うぇぇ」
「りょ、良薬は口に苦しと言いますし、頑張って飲んでください……!」
「でもなんか、効きそうな気がする。薬師さん、ありがとね」
マイラさんは赤い顔でわたしにお礼を言うと、ふらつきながら部屋へ戻っていった。
急いで作った薬だけど、きちんと飲んで一晩寝れば、熱は下がってくるはずだ。
「そ、それでは、わたしはこれで……」
マイラさんを見送ったあと、わたしは急いで道具を片付けた。
お役御免だろうし、これ以上居座っても迷惑がかかる。早急にお暇しよう。
調合室を出ると、クロエさんとミラベルさんもついてきた。
「ちょっと待て」
店の外へ向かう扉に手をかけた時、ミラベルさんに呼び止められた。
わたしはおっかなびっくり振り返る。
「薬師エリン、お前の腕前を見込んで頼みがある」
「な、なんでしょう……? わたしの腕前なんて、その辺にいるスライムと同じくらいで……」
「よくわからないたとえで自分を卑下するな。私たちはお前の腕を高く買っている。うちの専属薬師にならないか?」
「……はい?」
思いもよらない提案に、わたしは耳を疑った。
「実は、近いうちにここで薬師工房を開こうと思っていてな。雇用予定の薬師に逃げられて途方に暮れていたんだ。エリンが入ってくれるのなら、こちらとしても助かる」
ミラベルさんは腰に手を当てて、店内を見渡す。わたしは反論を試みた。
「で、でも、新しい工房を開くと、『ハーランド工房』に目をつけられて潰されてしまいます。潰された工房、たくさん知っているので」
「あいつら、潰しに来るのか? はっはっは。上等じゃないか。なぁ、クロエ」
「そうですねー。あんなぼったくり工房、逆に私たちで潰しちゃいましょうよ」
答えたクロエさんは笑顔だけど、声が笑っていない。
法外な値段で薬を買わされたうえに、あんな接客をされたら頭に来るのもわかるけど……真っ向勝負を挑むつもりなのかな。
「なぁに、心配するな。エリンの調合技術があれば、誰が相手でも負けはしないさ」
反応に困っていると、ミラベルさんはまるでわたしの心を読んだかのように言った。
「寝ているマイラは事後承諾でいいだろ。あいつにとって、エリンは薬を作ってくれた恩人なわけだし、感謝こそすれ、拒むことはないはずだ」
「そうですね!」
「そ、そうですかね……?」
ニコニコ笑顔のクロエさんに思わずツッコむも、彼女の耳には届かなかったらしい。
ミラベルさんがさらに言う。
「工房を追い出されたなら、今晩の宿も困っているんじゃないか? ここなら部屋が余っているぞ?」
「え、それはまぁ……困ってはいますけど」
わたしの返事を聞いて、クロエさんが両手を合わせた。
「なら決まりですね! 掃除も終わってますし、すぐに使えますよ!」
「ああ。今日から入居して構わない。うちの薬師として働いてくれるのなら、家賃も不要だ」
「え、えっと。そのー、あのー」
なんだかトントン拍子に話が進んでいく。わたしは意を決して手を挙げた。
「あ、あの! お気持ちはすごくありがたいんですが、一つだけ教えてください」
「いいだろう。なんでも聞いてくれ」
「どうして、行きずりのわたしを雇ってまで、この街で薬師工房を開きたいんですか。その……潰されるかもしれないのに」
「そうだな……この街の現状が我慢ならなかった、というのが理由かな」
わたしの問いかけに、ミラベルさんは淀みなく答えてくれた。
「薬というものは、みんなに平等に与えられるべきものだろう? 一部の人間が独占してはいけないと思ったのさ」
予想外にまっすぐな答えが返ってきて、わたしは目を見開いた。
多少は薬の知識があると聞いていたけど、ミラベルさんは剣士のはずだ。
それなのに、この人は『ハーランド工房』が支配する街の現状を変えようとしている。
「……さぁて、私の崇高な目的を知ったからには、是が非でも協力してもらうぞ」
ミラベルさんはニヤリと笑う。その笑顔に気圧されてしまい、わたしは頷くことしかできなかった。
「よしよし。これからよろしく頼むぞ、薬師エリン」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたしまする……」
深々と頭を下げたら、緊張で変な口調になってしまった。
話が急すぎて頭の整理が追いつかない。
とりあえず住む場所には困らなくて済みそうで、わたしは安堵したのだった。
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