あの虹をもう一度 ~アカシック・ギフト・ストーリー~

花房こはる

文字の大きさ
1 / 6

1. prologue

しおりを挟む
 まもなく、時計の針が正午を指そうとしている。
 穏やかな日差しと柔らかな空気が、この住宅街一帯を包み込んでいる。
 茶褐色のレンガで統一された建物が並ぶ住宅街。統一された風景の街並み。
 この街は、この国でも随一を争うと言ってもいいビジネス街からさほど遠くない場所にあり、その都市のベッドタウンとも言われている場所。

 ちょうど昼時ということもあり、あまり人が行きかう姿は見られない。時折、最近この街でもよく目にするようになった丸みを帯びた車が、砂埃をまき散らしながら通り過ぎる。
 そんな不作法な車を恨めしそうに一人の中年の女性が一瞥し、その手で押していた乳母車に、砂埃が入らないようにと肩にかけていたストールをふわりとかぶせた。
 薄く明るい栗色の髪にカールが似合うその女性は、何事もなかったように再び乳母車を押し始めた。
 しばらく歩くと、慣れていないと間違えそうな同じ姿の茶褐色のレンガで作られた縦長の建物の一つの前に立ち止まった。

「さ、もうお散歩は終わりですよ、レイン」
 そう、乳母車の中に声をかけると、その呼びかけに答えるかのように小さな手がストールの隙間から出てきて探るように宙をかく。
 女性は慣れた手つきで乳母車の中からレインと呼んだ小さな手の主を抱き上げ、三段ほどのレンガの階段を上り、建物の中に入っていった。

 建物の中は暖かみのある木製の家具で統一されている。壁には小さな額に飾られた写真がいくつも飾られている。
 その多くは、ちょうど今ベッドに寝かされた『おくるみ』に包まれた赤ん坊の写真。その他には、濃い茶色の髪の男性と明るい金色の髪の女性の若い夫婦が笑い合う写真。
 そして、1枚だけ夫婦と赤ん坊と先程の中年の女性と、四人で写っている写真もあった。その写真の中の中年の女性は少し緊張しているようにも見える。
 それもそのはず、この中年の女性はこの夫婦の家族ではなく、赤ん坊の世話や家事を任されているハウスキーパー。
 ここの家主の若夫婦は、共にビジネス街でそれなりの地位を築き上げている立場だ。そのため、家庭の事までは十分になかなか手が届かなかった。そこで、第一子の男の子が生まれた期にハウスキーパーとして人を雇い入れたのだ。
 女性はここから汽車で丸1日かかる田舎に住んでいた。前年度の干ばつで作物の不作が続き、歳は60をもうすぐ越えようとしていたのだが、いやおうなしに都会へと仕事を求めて出てきた次第だ。
 この国は多くの人々が集まり、その潤いも世界でもトップクラスの国だ。しかし、あまりいい言い方ではないが、経済が発達した理由の一つには、他国の幾度と繰り返される戦争に肩入れし、経済が潤った国ともいえる部分もある。
 そのため都心部は豊かでいても、まだ地方との貧困の差はかなりあった。
 それでも気さくな夫婦は、田舎から出てきたばかりの女性をすぐにニックネームで「キャシー」と呼び、家族のように接していた。この写真はまだ来たばかりの頃に撮ったものだった。

 キャシーは、眠いのかうつらうつらと薄目になったレインを穏やかな瞳で見るとキッチンへと移動し、食事の支度を始める。
 レインと呼ばれる赤ん坊は、父親と母親の髪の色の間ぐらいの淡い茶色の髪をしている。街路樹と同じ明るい緑色をした瞳をゆっくりと閉じながら、次第に気持ち良く小さな寝息をたて始めた。
 
 夫婦は共にそのほとんどの時間をビジネスにつぎ込んでいた。しかし、自分たちの息子のレインには、ごく一般的な家庭より触れ合う時間は少なくても、しっかりと溢れんばかりの愛情を注いだ。
 また、ハウスキーパーのキャシーも本当に自分の子供か孫のように可愛がってくれていたので、レインは少しも寂しい思いをすることはなかった。そして、とても良く笑う真っ直ぐな子としてその月日を重ねていった。

 レインが8歳になった頃の冬の事だ。
 その年はこの地域では珍しく大寒波がやってきて、普段はめったに降ることのない雪が降り続いていた。
 その日、あまり雪に慣れていなかったキャシーは入口の階段で段を踏み外し、腰を痛めてしまった。
 しばらく寝込んである程度は回復したが、以前ほど仕事ができなくなってしまった。
 レインもそれなりの事は自分でできるようになったため、これを機にキャシーは故郷に帰る決意をした。
 その帰郷が決まってからのレインのふて腐れ度は半端なく、パンでも口に含んでいるのではないかと言うほど頬をしばらく膨らませていた。

 キャシーとの別れの日、今度はその緑色の瞳から溢れんばかりの涙を溜めているレイン。少しでも突っつくと、その涙が止めどなく決壊してしまいそうだ。
 それでも、それ以上わがままを言うわけでもなく、汽車に乗り込むキャシーの手にいつから握りしめていたのだろうか、くしゃくしゃになった手紙をねじ込む。

 汽車が汽笛を鳴らし、金属の擦れ合う音と共に走り出す。
 キャシーが窓から身を乗り出すと、共に見送りに来ていた両親の胸に顔をうずめるレインの姿が映り、それは次第に小さく遠くなって行く・・。
 目線をふと手元に移す。その手に握られているくしゃくしゃの手紙には、今までのキャシーへのたくさんの愛のこもった感謝の言葉が、つたない文字で綴られていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BODY SWAP

廣瀬純七
大衆娯楽
ある日突然に体が入れ替わった純と拓也の話

愛のかたち

凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。 ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は…… 情けない男の不器用な愛。

処理中です...