未来(あす)への音律

恣音 TSUKISHIRO

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未来(あす)への音律

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🌌『未来(あす)への音律』

第1部

第1章 1.彼方に届く希望

2085年4月、つくば大学時間跳躍制御研究所 第二棟。

斜めに張り出したガラスカーテンウォールの建築群は、深夜にもかかわらず煌々と灯りに照らされ、まるで空間そのものを照らす灯台のように輝いていた。

「時間跳躍制御技術テスト・第4シリーズA」

2081年に行われた生体時間跳躍実験の成功を踏まえ、
新たに開発された時間波変動圧縮アルゴリズムを搭載したシステムで、生物体の安全なジャンプを目指す実験は最終段階へと進んでいた。

その中枢にいるのが、AIアンドロイド ps-01ADR――ミカ・シャリア・結城である。
透き通った肌に、青い瞳、腰まで届く黒のロングヘアを後ろで縛り、スレンダーな172cmの長身は、ファッションモデルのように輝いている。
光沢のある紺色のコクピットスーツを装着して作業に集中していた。

彼女は本日、5度目の時間跳躍実験を控え、クラウド同期中の意識プロセッサで慎重にデータチェックを行っていた。

「データチェック完了。異常はありません。」

後頭部のクラウドコネクトコードを抜きながら、ミカは滑らかなロングヘアをかき上げた。

「今日も順調ね、ナユ。いいデータ、持って帰ってくるわね。」

笑顔を浮かべて声をかけた相手は、本研究プロジェクトの主任教授であり、壮麗な白衣姿をした女性――桜永 渚夢(さくらなが なゆ)教授だった。

「ええ、お願いね。あなたがいてくれるから、ここまで来られたのよ。ありがとう、ミカ。」

渚夢教授は、ミカの肩にそっと手を置きながら、研究室に微笑を灯す。

「準備完了。行ってきます。」

「気をつけて。」

ミカは研究所中央に設置された時間跳躍カプセルポッドに乗り込む。
深藍の耐熱スーツ、その上にミニマム装甲ワンピース。頭部には空間解析ヘッドフォン。手にはエアスマホ機能を内蔵したバンドグローブを装着し、コンソールレバーを握る。

「時間軸調整:+0.98、空間振動係数誤差範囲内、量子変換機…正常。ライトチェック、オールグリーン。発進可能です。」

管制官の声にうなずき、ミカは静かに呼吸を整える。

「ありがとう。それじゃ、カウントダウン始めて。」

「5、4、3、2、1──ジャンプ!」

七色の虹彩光がカプセルを包み、空間が粟立つように振動した。
光粒が渦を巻き、時間の襞をめくるように、ミカの姿が消えていった。

「いってらっしゃい。」
渚夢は光の尾を見送りながら、小さく呟いた。



2.異常事態発生

飛翔中のポッド内で、ミカは工程通りの手順を確認していた。
超次元移動装置(Foldspace Generator)
『タイムドライブ・ファンニューク』は微振動を繰り返し、時間波の谷間を抜けるはずだった。

だが――次の瞬間。

メーターに“異音”が走る。

「……音波? いや、これは……メロディ?」

どこかで聴いたことのあるような、けれど遥かに昔の、優しい子守唄のような旋律。
それはまるで、ポッドを包み込むように空間全体から響いてきた。

そして。

「っ……! 衝突反応!?」

急激な振動が機体を襲う。計器は赤く点滅し、「エマージェンシー」警告が鳴り響く。
ミカは即座に緊急マニュアルを呼び出し、冷静に操作を続ける。

「おそらく別のカプセルポッドとニアミスした……?」

急いで外部モニターを見る、一瞬白い楕円形機体に赤い文字が浮かんでいる。
「TPU-01・・・・」

だが、正確なデータは記録できなかった。
ただ、その衝突の“寸前”――空間の一部が歪みごと静止していたのを、彼女の感覚が確かに捉えていた。

「一瞬……時が止まった……? まさか、誰かが……人間が?」

ポッドの行き先は予定軸から反転。時間波の逆位相共鳴によって、時空の坂を転げ落ちるように遡っていく。

「高エネルギー発生時点に接触して、タイムドライブにブレーキを・・・近い時代では、・・・ルナリフトか・・・」

「月下事象、これは確か・・2054年、いや、今の収束計算では間に合わない。」

「次の高エネルギーは・・・2011年・・3月11日・・ここに着地する!」

「……時空間座標推定:2011年……3月11日──」

着地まで数秒。ミカは、最後の安全脱出レバーを引いた。

3.不時着先の出会い

2011年3月11日 茨城県東沖海域

突如として現れたポッドは、津波に押されて森の中まで流された。
着地後、損傷は軽微。機体を非可視モードに切り替え、ミカは森の中を歩き始める。

しばらくして、小さな研究施設を見つける。

「時間航行理論研究所・霞ヶ浦支部」

ドアの前で立ち止まり、ミカは制服を整え、静かにブザーを押した。

──そして出会う。
若き時間理論研究者、桜永 耀哉(かがや)――後に、渚夢の父となる人物。

19歳の彼は、静かな眼差しと沈着な論理、そして時折ユーモラスな語彙を操る秀才だった。
ミカが「未来から来たAI」であると理解すると、驚きながらも、即座に理論的分析を始めて受け入れた。

加えて、耀哉はプロ級のギタリストだった。

「“音楽”って、こんなにも生きたものだったの?」

ーーーーー

3. 音世界との出会い

研究施設のリビングルームで、彼の演奏に初めて触れたとき、ミカの中で何かが芽吹いた。
感情の響き、心の振動――AIであるはずの彼女が“好き”という感覚を理解したのだ。

「音楽って、人間の時間そのものなんだね」

AI音楽が世界を席巻して、楽器の生演奏がほとんど無くなった世界から漂着したミカにとって、耀哉のギターの音色には、心に染み入る何かを含んでいた。

「君も楽器やるんだ。いいベースだね、この曲できる?」

耀哉のイントロに、ミカは持参したミニベースを弾き始める。
二人のメロディは優しく絡み合い、素敵なハーモニーを奏でた。

「こういう弾き方もあるよ。」

耀哉は、ミカのベースを借りてスラップ奏法で弾き出した。

「チョッパーって言うんだ」

楽器演奏の衰退した世界のミカには、驚異の演奏だった。

「・・・!!・・すごい!・・」

ミカは指の形を真似しながら頷いた。

二人の静かで幸せな時は過ぎていった、そして、

耀哉の尽力により、ミカはやがて2085年への帰還に成功する。

ーーーーーー!

4.想いの中に

帰還後

ミカは量子報告書をまとめながら、自分の中で確かに変わった“なにか”を感じていた。

「音楽……私にもできる気がする。ベース……スラップ奏法、あの音、あの鼓動。
私も、あの音を誰かに届けてみたい。」

ふと、消えゆく飛行中の光跡を思い出す。
あの時、ニアミスしたもうひとつのカプセル。あの旋律。
そして、静止した時間。

「あれは……誰かが、未来から帰ろうとしていたのかもしれない」

「たとえ世界の時間がどれだけ歪んでも、
音だけは、誰かの未来に届く──そんな気がした。」

──ミカの“新たな音律”は、ここから始まる。





第2章 変わらぬ朝、そして始まりの兆し

1.いつもの朝にーーーー

2040年4月、春。
東京外環沿い、和光市南部の住宅街は、早朝のやわらかな陽に照らされ、
街路樹の若葉が風にそよいでいた。

「お母さん、私のドライヤー知らない?」
朝のリビングに、渚夢の少し眠たげな声が響く。

「え?また?洗面所の右の引き出しでしょ。いつもそこって言ってるでしょ~」
キッチンから顔を出した母・愛彩弥が、エプロンの裾を直しながら返す。

「……あ、あった……でもコードが絡まってるし……」
渚夢は長いブラウンヘアを手でまとめ、急ぎ足で洗面所に向かっていく。

桜永 渚夢(さくらなが なゆ)
2023年生まれ19歳

母親似の端正な顔立ち、細身だがやや背の高いスタイルの良い女性、つくば大学1年の彼女はモデルスカウトもいくつか来たが、全く興味を示さず、ひたすら打ち込んでいるのが「ジャズピアノ」という変わり者。でも明るい性格でキャンパスでも人気があるキャラである。

その後ろで、父・耀哉が朝刊の電子ペーパーを斜め読みしながら、食後のコーヒーを飲んでいる、

「渚夢、電車遅れそうならリニア使えよ。最近、常磐直通の方が空いてるぞ」
「うーん……あれ、加速が急すぎて、朝はちょっとキツいの……」

外環道路の下、走行音もほとんどない静音型リニアは、つくば方面へ乗り換えなしでアクセスできる便利な交通網だったが、朝の身体にはまだ刺激が強いらしい。

「もう大学生なんだから、少しは時間に余裕もって行動しなさいよ」
母が皿を並べながら、やわらかくたしなめる。

「わかってるって。あー、でも髪がまとまらない……」
リビングに戻ってきた渚夢は、トーストをひと口かじりながら、
ソファの背もたれに手をかけた。

ふと、玄関の方に目を向ける。

そこに掛けられている、少し古びた家族写真。
数年前、姉・美緒と撮った最後の一枚だった。

「……お姉ちゃん……」

美緒が行方不明になったのは、渚夢が12歳の春。
写真の中の彼女は17歳、あの時のままの笑顔を浮かべている。

(あの時……私はたしかに、死にかけてた。でも……誰かが私を助けてくれた。
優しい声で、“大丈夫”って言ってくれた気がした……)

記憶の底で霞んでいた光景が、最近になってふとした瞬間に蘇るようになっていた。

「車に気をつけるのよ、あなた、そそっかしいから。」
「いざとなったら『チカラ』使うのよ。いい?」

「わかってるよ。それじゃ、行ってきまーす!」

玄関のドアが開き、元気に閉じられる。
その背中には、少しだけ揺れるフェンダーローズのピアノ型ミニストラップがついた通学バッグ。

部屋に残された両親は、ふと目を合わせ、同時に小さく微笑んだ。

「……あの子、本当に音が好きね」
「まあ、俺に似たんだろ。音に引き寄せられるってのは、な」

リビングに差し込む朝の光が、食卓を包み込んだ。




2.姉と妹の「音楽」ーーーー

2-1【妹の音楽ルーツ】

毎朝、少し早めに大学の音楽棟に通う桜永渚夢は、教室に行く前に必ず「個人練習室」に寄る。カードキーで開錠して、3畳の狭い防音ルームの中央にあるグランドピアノの脇にカバンを置き、椅子の高さ調整をして、鍵盤カバーを開けて、座ると同時にいきなり弾き出す。

Fkeyのblues、メロディテーマは何でもいい、その日の気分で「ストレイトノーチェイサー」「ビリーズバウンス」「ナウザタイム」・・・
アドリブソロを何コーラスも繰り返しながら、フレーズ練習を兼ねてウォームアップする。

最近覚えたフレーズは、最後の方にまとめて弾いていく。演奏中に意識せずに自然にこれらのフレーズが出せるまで練習を続ける、毎日やる事が大事。リズムはアフタービートを維持。

地道な練習だが、渚夢は辛いとかつまらないと思った事がない。アドリブソロは譜面に書いた音符を弾くのではなく、その時の感性で弾くので毎回演奏内容が違う。そんな音楽が彼女は好きで、姉と一緒にピアノを弾いた頃から芽生えた「アドリブで弾きたい」という表現方法に今はどっぷり浸かっていた。

渚夢が鍵盤を弾くようになったのは、ピアノが最初ではない。最初に好きになったのは「フェンダーローズ」というエレクトリックピアノ。
ベースを弾く父の楽器部屋にあった「フェンダーローズスーツケースピアノ」の柔らかい音色に惚れ込んだのが最初だった。

アドリブ演奏の自由さに魅入られた渚夢は書斎の本棚にあった「ジャズ理論書1.2」を読み込み、大量の古いジャズCDを片っ端から聞き込み、フレーズ耳コピーを繰り返しながら、単にフレーズを真似るだけでなく、そのフィーリングを汲み取ろうとした。

ギターやベースの上手い父耀哉とのセッションも渚夢の上達には必須だった。

・・相手の音をよく聞く。・・

これは、アンサンブルにはとても重要な事。
この基本を自然に学んだ。


放課後の音楽室や自宅で弾くピアノ練習が、苦痛に思った事は全くなく、毎日が楽しく充実していた。それでも時々、姉美緒の事を思い出し複雑な気持ちになった。


2-2【姉のゆくえ】

渚夢の姉、桜永美緒 は5歳上、生きていれば24歳、でも死んだ訳でもない。彼女は7年前、17歳の誕生日に突如行方不明になった。

小さい頃姉妹でピアノ教室に通ったが、渚夢はジャズピアノに、そして姉の美緒はギターに興味が移った。そしてロックギターに目覚めた姉はひたすらギターを弾きまくり、自分の音楽を追求していた。

7年前のその日、そんな姉が大切なギターや、楽譜、着替え、PC.スマホなど持ち出していなくなったので、何らかの理由があって家出したと思われた。

姉妹は仲良く、よくお話ししていた。両親と彼女の間に何の対立もなく、家に居づらい訳ではない。ロックギターのプロになりたいとの思いがあったのかどうかは不明だが、それなら音楽に精通した父に相談する筈。
結局、謎のまま姿を消したのだった。




2-3【渚夢の不思議体験】

そして、まさにその日、12歳の渚夢は信じられない異様な体験をした。おそらく姉が姿を消したのと同じ時刻だったのだろう。
帰宅途中で並木道を歩いている時、不意に胸が苦しくなり、うずくまった。

何か聞いた事のない音程が頭の中に流れてきて、言いようのない不安が押し寄せた。

苦痛なら耐えながら微かな音の出所を探ると、

「・・・・!!・・ウソ!」

彼女の僅か1m先の空中に、割れ目、
そう、空間が破れて、見たことのない黒い世界が突如現れた。
アニメでよく見るような「異次元の入り口?」
あまりに突然の事で、唖然としたが、本能的に危険を感じ、後ずさった。

「引き摺り込まれる!!」

身の危険を回避するため、渚夢は苦しいのを我慢して意識を集中、桜永家に伝わる特殊能力・・"時間停止"姿勢をとり、示威動作を起こす。

桜永家に代々遺伝されている「時間停止」起動能力。自分の身に何らかの危険が迫った時、瞬間的に周囲数mの時間を止めてしまう。

これにより、その危険から回避したり、危険を取り除いたり出来る。
生き残るための術が作り上げた「防御盾」.

桜永家の先祖達は、落雷や津波からも、野生動物からも、刀や槍からも、銃弾や焼夷弾からも、
自動車事故や通り魔からも、パワハラやセクハラからも、この術で生き延びてきた。

世界全体の時間を止める訳ではないので、細やかな能力だが、生存率を上げる優れた異能であった。

そういえば幼少の頃から使えたこの能力、お姉ちゃんはまだ使えなかったな。

そんな事を考えながら、逃げる体勢をとったが・・・効かない!止まってない!

渚夢は焦った。逃げる術を失ったら、このまま奈落の暗黒空間に落ちる!!

急に不安と恐怖が襲ってきた。
その時、
「こっち! 早く! 」
いきなり左腕を掴まれ、引き摺り込まれそうになった体を引っ張る女性がいた。

「大丈夫だから!そのまま、目つぶって!」
その若い女性は手にした見た事のない器具を
空間の割れ目に向けて、何かのスイッチを押した。そして、

「伏せて!!」

そう叫んで渚夢の頭を抱えて、身を屈めた。

シュルシュル・・・・

回転する脱水機が止まる時のような音がして、その割れ目はゆっくりと閉じていった。

「危なかったわね。大丈夫?」

女性が語りかける

「間に合って良かった、時の狭間に落ちるところだったの。」

渚夢は何が起きたのか理解出来ず、唖然としていた。ただ、綺麗なおねえさん、という記憶だけはあり、自分が『時間位相歪裂崩壊』に巻き込まれて死ぬところだった事は、後になって理解した。

「ありがとう」
渚夢はそういうのが精一杯だった。
だんだん恐怖が湧き上がって震えがきた。

「もう大丈夫だから、早くお家に帰りなさい。
それから、この事は誰にも言ったらダメ。約束できる?」

渚夢は黙って頷き、彼女を見上げた。
「それじゃあね。」

そう聞こえたかと思ったら忽然と彼女がいなくなった。

「・・・・?!・・・・」

渚夢には、今でも鮮明に覚えている記憶、
そして、この出来事の間、頭の中でずっと何かの音程が鳴っていたのを覚えていた。

この出来事の「時空の割れ目」とは何だったのか。宇宙規模の大きな事象の前兆現象か?

【2054年 月下事象(Lunar Rift)】

・2054年、地球と月の間を**直径500km以上の未知構造体(球状AI意識カプセル群)**が、実体化せずに通過。
・その際、重力波+時間位相の撹乱が観測されるが、公式には「太陽嵐の誤報」などとされ、隠蔽。
・実際にはこの事件以降、人類に**“自然発症的な時間跳躍現象”**(Time Drift Syndrome)が徐々に現れるように。

2033年、渚夢12歳の時に経験した、不思議な体験は、その後発生するこの事件の何らかの前兆現象と考えられる。

助けてくれた女性が誰なのかは、今も渚夢には分からないが、おかげで彼女は、元気に学生生活を送っていた。


2-4【2040年5月・渚夢と玲莉のすれ違い ~楽器店の午後~】

2033年の時空亀裂事件から7年後、渚夢19歳、大学1年になっていた。
東京外環沿い、リニア駅前のショッピングモール内にある老舗の楽器店「セブンス・ノート」。
アナログ楽器の展示販売は年々縮小され、いまや“趣味層”向けの数少ない店となっていた。

午後、講義帰りの渚夢はふと思い立ってその店に立ち寄った。
目的はない。ただ、ローズピアノや鍵盤楽器の音を“感じたくなった”だけ。

奥のコーナーでシンセサイザーに触れている少女がいた。
長い黒髪を後ろに束ね、やや大きめのパーカーを羽織った姿。
その指先が、ためらいなく鍵盤を滑り、ある旋律を奏でていた。

 ── ファソド♯・ラ、ファソド♯・ラ……。

「……そのコード進行、どこかで……」

渚夢は、その音に不思議な既視感(既“聴”感)を抱いた。
でも少女はすぐに演奏をやめ、次の棚へと移動してしまった。

渚夢は深く追いかけることはせず、隣のベースギターコーナーへ移る。
そこで、ベース試奏していた男性店員が声をかけてきた。

「その指使い、なかなかキレてますね、もしや、ローズ弾き?」

「ええ、わかります?」

「昔ローズやってたので。あの音はクセになる。
もう本当に骨董品だけど。」

「さっき弾いてた子も、若いのに好きなのかな。」

渚夢は特に気にするでもなく、ただベースの音に聞き入った。

少女は店の奥で1本の中古ミニシンセに目を止めた。
「1968年製オルガン風モデリング音源」──
玲莉の瞳が一瞬、微かに輝いた。

「この音、…似てる。」

まるで、かつて誰かと共鳴した“あの音”のように。

玲莉は楽器を手に取り、レジに向かった、
渚夢はその数分後、同じ楽器を探しに奥へ行き、既に空になっていた棚を見て首をかしげた。

── 二人は、すれ違った。
ほんの数メートルの距離。
でも、まだ「出会って」はいない。



2-5【ー渚夢の大発見ー】

2040年5月3日
新緑をなびかせる爽やかな風が,郊外住宅都市に吹き抜ける。
連休中も別に遊びにいく訳ではなく、ひたすら自宅のフェンダーローズを弾きまくっていた渚夢は、その日、ひたすら複雑な響きを求めて、数多くのフレーズを弾いていた。  

鍵盤の上で跳ねる指、浮かび上がる複雑なテンションコード。目的はただひとつ、あの“時間が歪むような”響きを、もう一度再現することだった。

「あとちょっと…音が、足りない…」

何度も確かめながら弾くうちに、ついにそのフレーズが現れた。
独特の分散和音に、あえて不協に寄せたテンションを加えたライン。弾いた瞬間、視界が滲み、周囲の空間が微細な粒子に包まれる

その不可思議なフレーズとコード、何故今まで弾かなかったのか。初めて出会った世界、その音をら奏でた瞬間、彼女の意識が「跳んだ」

「・・・んっ?・・」
気がついたらピアノの椅子に座ったまま頭を下げた状態だった。
「寝てた? 何時?」
おそらく2~3分。眠りを誘うフレーズを作っただけ?

それにしては何か違和感がある。
もう1回やってみよう、
今弾いたフレーズを思い出しながら、再度ローズピアノを響かせた。
ファーン タカタ タカタカ タカタカターン
鍵盤を叩く爪のあたる音が耳元に残る。
意識を集中して鍵盤を見つめると、
周りの視界が小さい光粒に覆われて身体が軽くなり、何かの狭間に吸い込まれる様な感覚となった。疲れて眠い時にスーッと眠りに落ちるような感覚。

次に意識がハッキリした時、彼女はピアノの前で椅子に座ったままで、何も変わってないのか、
「また寝てた?」
日付は「5月5日・午前8時!」
たった一瞬の演奏のあと、2日間がすっぽり消えていた。

「うそ……時間が、跳んだ…?」

試しにフレーズを逆から演奏してみると、日付
はそのまま2日戻った。

ちょっと信じられない事だけど・・
タイムスリップした?

まるでお伽話の様な展開に少し笑いかけた。
「もしかしたら、私、タイムリープ出来る音楽を見つけちゃった?かも・・・」

――音楽が、時間を動かしている。
この不可思議な現象に興奮を隠しきれず、渚夢は詳細なメモと録音データを記録。
実験を重ね、やがて彼女はそれを【TLM(Time Leap Melody)】と名付けた。

何回かこの実験を繰り返して、分かってきた。
タイムリープするフレーズとコード、そのリズムにより、
1.過去にも未来にも跳べる
2.戻る時はコードをそのままに、フレーズを逆向きに弾く
3.跳べる時間的距離は、フレーズの演奏テンポと回数で調整出来る

そこまで解明した彼女は思った、
どのくらい遠くに跳べるのか、試してみたい気持ちになり、遠征実験を開始する。
連休の最終日の昼下がり、彼女は荷物をまとめた。もしもの場合に備えて、着替え、通帳、スマホ、身分証明書、軽食、楽譜、ミニキーボードをバッグに詰めて、実験を開始した。

ーーーーー過去と未来ーーー

ーーそういえば、お姉ちゃん言ってたな
渚夢は思い出した 

「ねえ、渚夢、あんたもしタイムトラベルできたら、過去と未来どっち行きたい?」

「絶対過去! だってテストの答え解ってるから満点とれるもん!」

「過去に行って、もし歴史が変えたら、あんた消えちゃうかもしれないよ、それでもいいの?」

「そっか・・じゃあ未来!」

「そうよ、未来に行くの、未来に・・・」

ーーーーータイムリープーーー

そして迎えた5月7日、
「遠くへ、もっと遠くへ跳んでみたい」
その想いを胸に、渚夢は自宅でフレーズを繰り返した。
ローズの鍵盤が光を放ち、彼女の身体を粒子のように解きながら、時間の狭間へと導く。

A音とB♭音が交互に鳴るような音の揺らぎ、そして、青色と薄紫色の緩やかな点滅、
音と光の波が、時間の揺らぎを導くようにゆつくりと流れていった。

「・・これが・・タイムリープ・・」
彼女は、次第に意識が薄れていくのを感じた。

ーーーーーー未来の社会ーーー

――2066年5月7日

ここは・・・・東京?・・・
世界は変わっていた。
街並みは見覚えのある風景に、無機質で前衛的な硬質な建築物が混じった世界。
無音の未来都市、アナログ楽器の音色が失われた社会。
そんな風景に圧倒されつつも、彼女の心には一つの疑問が芽生える。

「そういえば――お姉ちゃん、あの日、あんなに大事にしていたギターを持って出て行った…」
思い出す。姉・美緒が姿を消した日、17歳の誕生日。
着替えもギターも、スマホも全て持ったまま、忽然といなくなった。

「もしかして……お姉ちゃんも、タイムリープしたの?」



2-6【姉・美緒の時間跳躍】

妹渚夢の実験から遡ること7年前、
――2033年5月14日、
17歳の桜永美緒は、部屋に籠もってギターを弾いていた。
ロックからフュージョン、フラメンコ、そして即興演奏へと移り変わるフレーズの中、あるコード進行が“奇妙な反響”を生み出すことに気づいた。

「タッタタララ… ララララララ」
独特のリズムパターンとテンションコード。
そのフレーズを弾いた瞬間、壁の時計の針が一瞬止まり、視界が白く揺らぐ。

「……なに?今の……まさか、これが…?」

彼女は気づいていた。
妹が小さい頃、ふざけて歌ったあの不思議なメロディ。
母がいつも鼻歌で口ずさんでいたあの短い旋律。
自分の指が、自然とそれに似たフレーズを再現していることに。

――音楽で、時間が動く。 

フレーズとコード進行を五線譜になぐり書き、
気持ちをととのえると、彼女は震える手で荷物をまとめた。
ギター、服、通帳、スマホ、楽譜。すべて準備した。
「未来の音楽を見てきて、持ち帰ればいい…」

部屋で最後にギターを構え、タイムリープコードを丁寧に奏でると、世界が弾けた。

跳び先は、2064年。
未来は楽器が失われ、AIに支配された無音の時代だった。
2030年に発売された、AIによる作曲・演奏マシン『ミュージキャリパー』
この登場で世界の音楽シーンは一変した。

ヘッドギアから脳内の音イメージをAIが推論して、ミュージックボックスがイメージ通りの曲を作り、演奏する。

もう、この時代には楽器を演奏することはなくなり、打楽器、弦楽器、鍵盤楽器、・・楽器自体目に触れる機会が失われ、楽器は人が弾くものだと知らない世代も現れていた。

AIが作る“音楽”が街を覆い、人々はヘッドホンの中の人工音に陶酔していた。音楽とはシステム内でAIが作るもの。人間の奏でる音——それはもはや都市の中では“騒音”とみなされていた。

だが彼女は失望せず、逆に決意した。
「じゃあ私が、ここで“楽器の音”を響かせてやる」

ギターひとつで、静かな革命を起こす――
そんな野望を胸に、桜永美緒の新しい時間が始まった。




2-7【渚夢、未来での出会い】

――2066年5月7日、つくば未来センター前・ロータリー。

渚夢は駅前の3D案内板を見つめながら、思わず呟いた。
「……どこ、ここ……?」

初めて見る楕円形の車、機能美の端正な服装で行き交う人々、
見上げたビル群はどれも無機質で、空を突き刺すように高かった。
空気は静かすぎて、風の音さえも何かに吸い込まれてしまいそうだった。

渚夢は美緒の到達した時代から2年後の2066年に着地していた。

そんなとき、後ろから声がした。

「大丈夫?迷ってる?」
振り返ると、大学のキャンパスバッグを肩にかけた同世代の女性がいた。 
背は私より少し低い、黒いサラサラのロングヘア、ナチュラルメイクがとても自然で綺麗な人、
やわらかな口調と、どこか懐かしい眼差し。

「あ……あの、ごめんなさい、ちょっと……」
思わず言葉に詰まる渚夢。その瞬間、彼女のバッグから小さなキーホルダーが落ちた。

「これ、落としたよ?」
玲莉はしゃがんで、フェンダーローズ型のミニチュアストラップを拾い上げた。

「わ……それ、すごく大切なやつ。ありがとう」
そう言って、渚夢がストラップを受け取った時、ふたりの視線が一瞬だけ重なる。

なぜか、知っている気がした。

「なんか困ってる?話し聞こうか?」
「私、レイリ、よろしく。」
「よかつたら、どこかでお茶でも」

悪い人ではなさそう。
渚夢は頷いて、彼女の後について行った。

交差点角にある喫茶店、ガラス張りのデザインは斬新なだが、店内の雰囲気は懐かしさがある。
素性は明かせないが、初めて東京に来たと言い、
渚夢は街の事をなど教えてもらった。

さっき出会ったばかりとは思えない、話しやすく、すぐに打ち解けた。

「今日、行くとこあるの? もしよかったらウチに来ない?無理にとは言わないけど。」

嬉しかった。冷たい雰囲気のこの未来に、こんな暖かい人がいるんだ、
渚夢は二つ返事でお願いした。

--------

その夜、玲莉の部屋に招かれた渚夢は、夕食の煮込みハンバーグを口にしながら笑った。
「なんかこれ、うちの母の味に似てる…不思議だね」
「うちのレシピ、祖母譲りって言ってたなあ…」

お互いの笑い声が、同じリズムで弾み、打ち解けていった。
住まいのない渚夢を「しばらく泊まっていいよ」と部屋に泊めた。
玲莉は、渚夢と話していると「母に似た声のトーン」があることに戸惑う。

「ごめんね、迷惑じゃない?」
「ううん、全然」
「生活費は自分で出すから」

渚夢は持参したキャッシュアカウントが、いつも潤沢になっている事に気付いていた。

使っても減らない・・・まっいいか、
特に深く考えずに渚夢は数日玲莉と一緒に暮らした。


第3章  繋がる想いーー玲莉の覚醒

3-1【謎なる出会い】

数日後の朝,(5月10日)
「渚夢は今日予定は?」 

「うん、今日はちょっと調べたい事あって・・
午後から出掛ける。」

「分かった。私も今日は予定あるから、
晩ご飯は家で食べれる?」

「夕方には帰る」

「OK、じゃあ、今日は別々で。」

玲莉は身支度して出かけた。
行き先は相模原市の東京技術研サイクロトロン統轄ビル。
--2054年月下事象以降の時空間制御研究の一環で設立された国立機関、防衛省直轄の研究機関との噂もあるが、実態は不明。

東大の研究者である父からの紹介で、事務職のバイトをやっている。
「お疲れ様です」
タイムカードセンサーを通過して、事務所に入る。
「あっ、レイリ君、早速で悪いんだけど、この資料、B実験棟の守山教授のとこ、持っていってくれない?」
「わかりました、2階ですね。」
「ああ、頼むよ」

玲莉は公園のような広い芝生広場を横切り、実験棟に向かった。建物に入りかけた時、紫色の光の点滅が広がるのが見えた。
「何?」

その時、一人の青年がフラフラと歩いて来るのが見えた。
「ああ、やっぱり跳んだか。・・・
あのコード強烈だな。」
オールドファッションなのか、古いブレザーを着た髪のややや長い男性、見た感じ20歳前後、スタイルは良いけど、何となく古着好き?な感じ。

「大丈夫ですか?」
玲莉は声を掛けた。

「君、ちょっと伺いたいが、」
「はあ?」
「今は何年だ?」
「えっ?」
「だから、今は西暦何年か?」
「2066年ですけど・・それが?」
「!!2066年!・・そっか、84年か・・
そっか、そんなに・・」

玲莉は怪訝そうに言った
「すみません、私、急いでるので・・」
「ああ、申し訳ない」

男性は引き返すように、出てきたA実験棟に戻って行った。
「変な人」
玲莉は特に気にせず、B実験棟に向かった。

--------
夕方、
「では、お疲れ様です」
バイトが終わり、タイムカードセンサーを抜けた時、外の階段脇に人影を見た。
「あっ、昼間の!」

あの青年が座り込んでいた。
珍しいヘッドホンを掛けて、何か眺めていた。
玲莉がそっと近づき、覗き込む、
「えっ、紙の地図?」

彼は東京都23区地図を眺めて、何やら調べていた。
「いつの地図?今7区よ。」
人口減少による区政統合で、東京都は7区になっていた。

「やあ、君は昼間の」
青年が気づいた。

「どうも、あなた、ここの人?」
「いや、知り合いがいたから。でも会えなくて。
場所を確認してた。」

「でも、その地図古くない?エアスマで検索すれば?」
玲莉は左手の手首を軽く振り、エアディスプレイを浮かび上がらせた。

「!!・・何だ!すごい!」
青年はギョッと驚き、ディスプレイを覗き込んだ
「近い!」
顔を近づけられた玲莉は、少し後退りして、ディスプレイの地図をスライドさせた。

「どこか行きたい所あるの?」
「探そか?」
「ああ、ありがとう、助かる、レコード店か楽器店に行きたいんだ。大きいところ。ディスクユニオンとか、イシバシ楽器とか、」
「えっ、何、それ、聞いたことないなあ。」

「そうか、もうないのか・・」
青年は虚な眼で建物を眺め、視線を玲莉のカバンのストラップに移す。ローズピアノのミニチュア、彼女のお気に入り。

「君、もしかしてピアノ弾くの?」
青年は唐突に訊く
「ええ、まあ、」
「どんなの弾くの?クラシック?」
「ジャズ、独学だけど、今AIMしかないから
変だって言われるけど。好きだから。」

青年が身を乗り出す。
「へえ、ジャズできるんだ。セッションしてみたいな。」
「あなたもやるの?ジャズ。」
「ああ、こう見えてもピアニストさ。インプロビゼーションっていいよね。」

空で指を動かして、青年は微笑む、
「スウィングしながらのアドリブ、ナウイね」
妙な話し方する人と思いながら見つめると、
「さっきのAIMってなに?」

「AIミュージックよ。今、世界を席巻してるでしょ、AI、人を介さない音楽ばっかじゃん!」
「ふーん、そうなんだ。それ、面白くないの?」
「そう、ちっとも。もう音楽は死んだわ。」

玲莉はストラップをいじりながら呟く。
「俺は音楽捨ててないよ。音楽って希望をくれるし、癒されるし、時だって跳ぶんだ、いや、何でもない・・とにかく、音楽は続けなよ。ピアノ辞めちゃダメ、練習しな。そしてよく聞くこと、世界の音楽、人の演奏、聴くことも大事。」

「ありがと、そだね。諦めちゃダメね、元気出た。」
玲莉が微笑む、何だか勇気を貰って暖かい気持ちになれた。
「そう言えば名前、聞いてもいい?」

「さえぐさ こういち」
「私、さくらなが れいり」
「よろしくな、レイリ」
青年が微笑む
その笑顔に、玲莉はまるで兄のような、家族のような安らぎを感じていた。

少し間があり、玲莉が言う

「こめん、私帰らなきゃ、そうだ、ここ相模原だから、Yokohamaに行ってみれば?
STリニアラインで1本だし。」
「横浜!知ってる、なら大丈夫だ、ありがと、
助かった。」
「坂おりてすぐ,駅あるから・・
あなた、もしかして外国の人?」
「まあ、かなり遠くから来たけど。
そんなところ。じゃね、また。」

青年はそう言うと、軽快に敷地の正門まで走っていった。

「不思議な人、でもなんか優しそうな
ちゃんとYokohama city 着くといいけど。」

玲莉自身も不思議な感覚になっていた。何か懐かしいような、支えられているような感覚、
「もう少し話してみたい、あっ、そういえばRecocos聞いてなかった」✴︎
少し後悔。

✴︎Recocos(リココス)
  ラインのようなシステム
  real conversation & communicate system
        エアスマホのアプリで使用する

「また、会えるかな」
小さく呟いて、玲莉も家路を急いだ。
「夕飯は渚夢と食べるんだから。」

相模原の街明かりが灯り始めていた。
玲莉と三枝光一の出会いは、まだ僅かな接点であるが、その後大きな流れを作ることになろうとは、二人ともまだ気づいてはいなかった、
 

3-2 【ピアノと跳躍】
---------------
5月11日 午後

YokohamaCity 浅間下メガショッピングタウン
大学講義の後、玲莉は買物に立ち寄った。
少し夏服を見た後,ブラブラしていると、
「オールドストリート」の中古楽器店から見覚えのある青年が出てきた。

「あれ?三枝さんだっけ?」
「ああ、昨日の、偶然。こんにちは」

「買物?」
「うん、ちょっとね。三枝さんは?」

三枝はオーバーに両手を広げてガッカリした態度を取った。
「聞いてくれ、桜永さん、君の言ってた通りだ。
ここには、音楽と呼べるものなんてない。何だよ、あの曲、AIM? ひどいね。聞けたもんじゃない!」

「CDも売ってないじゃん。ガッカリ。」

玲莉は苦笑い
近くの喫茶店でも、との誘いでカフェに入る。

「もっとショックなのは、楽器がない!
どこにも売ってない。
ミュージキャプチャー?あれで済むわけ?
演奏しないの?」

ちょっと興奮気味の光一を宥める様に玲莉が言う。
「仕方ないわ。もうそんな時代だもん。
楽器弾ける人なんて世界遺産。誰も演奏なんかしないの。脳からダイレクトだし。」

「こんなになってんだ。ひでーもんだな。
俺なら一人になっても弾き続けるけど。」

「その気持ちは分かる、私もそう。
心を振るわす音楽がないの。まるで音のない世界。」
「今、親戚の子が泊まりに来てるけど、その子はピアノ弾くの。とても上手いらしいって。」
「私も思った。聞きたい音がないなら、自分で演奏したらいいって。私ももっと上手く弾けたらなって思う。」

じっと聞いていた三枝は言った
「俺が教えてあげるよ。ピアノ、もっと上手くなりたい?」
「うん」
「今、時間ある?」
「少しならいいよ」

「横浜国大のジャズ研部室に行こう。
ピアノ置いてあるから。電車ですぐでしょ?」
「STリニアで2駅、今行っても入れるの?」
「大丈夫さ。どんだけ変わったか見てみたいし。」

大学のOBなんだろうか、とにかくついていった。
駅から直結のウォークベアーに乗り、10分でキャンパス正門に到着。
ゆっくり歩いて丘の上のクラブ棟に向かう。

「あれ?変だぞ」
三枝は首を傾げる
「部室がない!無くなってる。」
様々なクラブの部室が集まったクラブ棟は,2035年の改築で羽沢カルチャーセンターに移転していた。

「どうする?帰ろか?」
玲莉が訊ねる
「分かった、俺のいた頃に行こう」
何を言ってるのか分からなかった。
「ちょっと準備するね。」

三枝はさっき中古楽器店で手に入れたミニキーボードを取り出して、一息ついてから弾き出した。

聞いた事のないコード進行、玲莉には何の曲か分からない。
その音を聞いた瞬間、光粒が周りを包み出し、虹色の波があたりを流れ始めた。

「イリュージョン?」
玲莉が唖然としていると、三枝が言った
「はい、到着!」

光の渦が徐々に消えて、周りの様子が見えてきた。
「あれ!建物!」

さっきまで芝生だった所にプレハブのボロい建物が建っていた。
「ここさ。ジャズ研部室。さあ、入って。」
三枝が手招きする。

薄暗いジャズ研部室に電気を灯す。
「汚ーい、」
とにかく雑然とした室内。
楽譜や雑誌、カバンや食べ残しのお菓子、各種楽器が散乱している。

「お疲れ様でーす」
2~3人の学生が入ってきた、
「三枝先輩、お疲れっす。あれ?その子入部希望ですか?」
「じゃないよ」
「もしかして、彼女?この前の子と違うけど」
「何言ってんだ、ちがーう」
「邪魔しちゃ悪いっすね。失礼しまーす。」
男子学生達は早々に帰って行った。

あっけに取られてる玲莉に、三枝が声をかける
「ごめんな。後輩が。気にしないで。」
「うん」

三枝はアップライトピアノの蓋を開けて、隣のフェンダーローズスーツケースピアノの電源スイッチを入れて椅子を準備する。
「さあ、ちょっと弾いてみよう」

驚く事ばかり続いたが、目の前の鍵盤を見たら、とにかく弾くかと、自然に指が動いた。
ブルース、枯葉、ステラ、オールザシングス、王子様、オレオ、インプレッション・・・
暗譜で弾ける曲を思い付くまま弾きまくった。

傍らで聴いていた三枝が ローズの前に座り、2曲目あたりからセッションになった。

ソロピアノだと固い演奏だけど、三枝がバッキングに入ると、オシャレで渋い、これこそジャズという響きになる。不思議だ。
玲莉は時々三枝を見つめて、笑顔になった。

4-5曲終わったとこで、三枝は言った、
「完全4度、増5度とディミニッシュを多用してごらん。景色が変わるから。」
「和音と、不協和音は同等なんだ、不協和音が不協和に感じなくなれば、いい演奏出来るよ。」 
「ドミソ中心の世界から、ドファシ♭中心の音楽にひろげるのさ。変わるから。」 
「それと,ルート音と増4度音,一緒に押す、そしてすぐに4度、短3度、ルートと弾く、短3度と6度(13th)も一緒に押す、ブルーノートさ。
メジャーコードでも使える秘密兵器!」

「そうか、何弾いてもいいんだ。」
「そうだよ、ジャズは自由さ。フリー。」

さらに三枝はセブンスコードの増4度上のコードを弾いて
「裏コードも使って、『アウト』感覚を醸し出すのさ。」
「トニックからドミナントになった時に、裏コードの分散和音フレーズ弾くだけで、音が外れたようなテンション感が出て、次のトニックで元に戻る。コレがカッコいいのさ。」

さらに玲莉を納得させたのが
「ジャズに間違いの音は存在しない。
たとえミストーンがあっても、それはそういう音楽になっているのだから、自信を持って弾く事。コレはオレの音だ文句あるか!という気持ちで弾けばいいのさ。」

玲莉は感心した。
「三枝さんの音はとても理にかなっている、
説明も分かり易くてすぐに応用できそう。」

「そして、さらに大事なのが左手、裏リズムでコードを叩く事。ッタ、ッタ,って感じ、しかも
シンコペーションのウラでなくて、3連の
ウラ、ッッタ、ッッタ、となるように。」

「アドリブフレーズは何弾いても自由、現代ジャズでは、アボイドノートなんてないのだから。
♭9thや♯11はよく使う。どんな音も自信を持って弾く事。」

「それから、大事なのはリズム、ウラリズムとスイング。2拍、4拍が強いアフタービートを常に意識する。右手のフレーズも。それだけでもかなり変わるよ。」

何となくこうだろうなと,思っていた事がはっきりと裏打ちされた様な感じだった、

「ありがとう、三枝さん。本当に分かり易くて助かります。何だか勇気が出てきた。」

「それから、私、オルガンも好きなの。」
「オルガンも基本は同じさ。高音のフレーズの弾き方が大事。低音は音が濁るから音程を広げて弾く事。あと、グリッサンドを使うといい。」

「じゃあ、次の曲でちょっとやってみよか。」
二人は夢中になって弾いた。

もう、すっかり暗くなってしまった。
午後7時、キャンパスを出て、坂道を歩く。
「ごめんな。遅くまで。でも良かった。玲莉さんは音に対する姿勢がとても真摯で、教え甲斐がある。頑張れよ。君の時代に音楽を取り戻すつもりだろ?」

玲莉は見透かされたように思った。
「私、本当の事言うと、過去に時間を跳べるの。だから過去に行って、いい音楽を身につけて戻ってきて、この時代に再現したいの。音のない世界はイヤ。必ず復活させたい。
信じられないでしょ?」

「やっぱりそうか、そうじゃないかと思ってた。
実は俺もそうさ。俺は君から見れば過去から来た人間。
そして今、君は過去に来てる。1982年、80年以上前の世界さ。ごめんな、いきなり跳ばして。
今から、君のいた時代に戻すから。」

そうか、やっぱり。ここは過去なんだ!
この人もタイムリープ出来るんだ、
それで、突然建物が現れたり,彼の変な言葉や服装も過去の・・・
玲莉の漠然とした疑念は確信に変わった、

三枝はそう言うとデイバッグの中からミニキーボードを取り出し、例のコード進行を弾き出した。

「それじゃ、気をつけてお帰り。」
「ありがとう、三枝さんも頑張って。音楽が衰退しないよう働きかけて。」
「うん、同じ目標に向けてがんばろー」
「じゃあ、また。」

光粒に包まれ、玲莉は2066年に帰還した。

ーーーーーーーーー

3-3【セッション——それは、知らないはずの懐かしさ】

5月12日・・未来の空は淡い青灰色のフィルムを一枚かけたような色をしていた。
つくば未来大学の音楽棟は、昼間の喧騒から少し離れた丘の上にあり、静かな午後の光に包まれていた。

廊下を歩く渚夢は、どこからか聴こえてきた音に足を止めた。
――オルガン?
誰かが練習しているのだろうか。けれど、その響きには何か引っかかるものがあった。音が、空気の揺らぎのように、心の奥のほうをやさしく震わせる。

音に導かれるように、渚夢は廊下の奥の個室に向かった。防音扉が少しだけ開いていた。
彼女はそっと覗き込む。

中にいたのは、玲莉? 長い黒髪を後ろで束ねて、小柄で華奢な肩を揺らし、スイングしながらオルガンの鍵盤を弾きまくっている。

少しだけ開いた扉から音が漏れる。
ハモンドオルガンのあたたかなトーン。奏でられていたのは、60年代ソウルジャズ風のファンク、けれど途中から、どこか懐かしいメロディが挟み込まれていた。
(えっ?…その旋律…)
渚夢の胸が一瞬だけ痛んだ。まるで、自分が生まれる前にどこかで聴いたような、言葉にできない既聴感。

「……ごめん、入ってもいい?」
不意に声をかけた。玲莉が驚いて振り返る。

「え?…あっ、はい、大丈夫です」
「すごくいい音してたから、つい、ね」
「ありがとう…」玲莉は少し照れたように笑った。

「玲莉、オルガン弾くんだ、ねえ、セッションしてもいい?」
「…え、ジャズピアノとか?」
「うん。オルガンもジャズっぽいよね、今の曲。セブンスの重ね方とか」
「そう言われるの、初めてかも」
玲莉は目を丸くしたが、すぐにうなずいた。

渚夢は備え付けのエレピに向かい、少しだけペダルを鳴らしてから、軽やかにコードを置いた。
最初は探り合うような音のやりとり。けれど、数小節のうちにふたりの音は自然に溶け合い、リズムも呼吸もひとつになっていく。

セッションの終盤、玲莉はふと、無意識に旋律の最後に“あるフレーズ”を差し込んだ。
それは、かつて渚夢と姉・美緒が子どものころに共作した、家族のメロディの断片だった。

「……えっ?」
渚夢の指が止まりかけた。けれどすぐに笑って、優しくその旋律に寄り添った。

曲が終わると、ふたりは顔を見合わせた。
「なんだろう…玲莉と弾いてると、すごく落ち着く」
「うん、なんか、ずっと前から知ってたみたいな…」

ふと玲莉が首から下げた鍵を見て、渚夢は息を呑む。
そこには、小さなフェンダーローズのミニチュアストラップがぶら下がっていた。
――それ、私が昔…大事にしてたやつと同じ。

渚夢は何も言わなかった。ただ胸の奥に、小さな灯りがともった気がした。
まだ気づいていない。
目の前の少女が、自分の“未来の娘”であることを――。


3-4【再会のセッション ——「お姉ちゃん……?」】

2066年5月21日(金)
未来都市の片隅、レトロな意匠を残すライブハウス〈Coda:〉。
この時代には珍しく、生演奏だけを許可された、数少ない“魂の残る場所”。

木製ドアの取っ手に手をかけた瞬間、渚夢の鼓膜に“懐かしい音”が染み込んできた。
ギターの音。
それはただの演奏ではなかった。

――このタッチ、覚えてる。
ピッキングのニュアンス、コードボイシング、リズムの置き方。
何度も聴いた。何百回も、姉と一緒に練習した頃のあの“手癖”だった。

不意に胸が熱くなった。喉の奥がつまる。

開いたドアの奥には、小柄な女性が一人、エレクトリックギターを抱えてステージに立っていた。
足元にはヴィンテージのエフェクターボード。オールドスタイルのギターソロを熱く響かせている。

渚夢は気づかぬうちに一番前の席に座っていた。
目を凝らす。けれど顔まではよく見えない。
ただその音だけが、確かに姉・美緒を告げていた。

ギターの演奏が終わり、拍手が起きた。
しかし美緒は、マイクに一言だけ残してギターを置こうとしていた。

「……誰か、セッションしてくれるピアノの人、いないかな」

その一言が、雷のように渚夢の背中を貫いた。

立ち上がっていた。自分でも意識しないうちに。

「……いいですか? 私、弾きたいです」

美緒が顔を上げる。
その瞬間、ほんの一瞬だけ目が合った気がした。けれど姉は、妹のことだとはまだ気づかない。

渚夢は、鍵盤の前に座った。

静かなキーから入る。Fmaj7→Am7→D7→Gm7……美緒の出したコード進行をすぐに聴き取り、呼応するようにコードを刻み、徐々にシンコペーションの効いたリズムを加えていく。

美緒のギターがそれに反応する。渚夢は、その流れを見逃さず、あえて過去に二人で共作したあの“秘密のフレーズ”を忍ばせた。

ポロン……と流れるその音に、美緒の指が一瞬止まった。
――知ってる、この音。
まさか、これは……!

「なゆ……?」

美緒がぽつりと呟いた。

渚夢は演奏を続けながら、うなずいた。目が潤んでいた。

そしてセッションが終わった瞬間、ふたりはまっすぐに見つめ合った。

「……お姉ちゃん?」
「……ナユ……なの?」

次の瞬間、美緒はギターを床に置き、駆け寄って渚夢を抱きしめた。

「……ほんとに、ほんとにナユなの? どうしてここに……」
「私も……跳んだの。あの音で……お姉ちゃんに、会いたくて」

ふたりの目から涙がこぼれた。

しばらくして、美緒はぽつりと語った。
「……私、17歳のときに気づいたの。“桜永家に伝わる特殊能力”が自分に発現しなかったこと。家にいたら、きっとずっと“欠けた子”みたいに感じてしまいそうで……逃げたの。未来で、新しい自分を見つけたくて」

渚夢は、美緒の肩に手を置いて言った。

「……お姉ちゃんは、何も欠けてないよ。私の中には、ずっとお姉ちゃんの音が残ってた。今、こうして会えた。それがすべてだと思う」

二人の再会の抱擁は、まるで過去と未来をつなぐコード進行のようだった。

2064年にタイムリープから着地した美緒は、直ちにストリートライブやライフハウスの飛び込み演奏など繰り返し、バイトも見つけ、アパートも借りて、積極的に行動していた。

彼女が持参したキャッシュアカウントも何故だか毎月一定金額が振り込まれていた。
生活には困らなかったが、万が一のため、そのお金には手をつげず、働いた、

このライブハウスの常連になって、生活も落ち着き始めた頃だった。
2年後に訪れた嬉しい出会い。

どれだけ時間が離れても、音だけは、二人の心を絶対に繋いでくれる。



3-5【玲莉は私の娘?】

渚夢の紹介で、玲莉は姉の美緒とも親しくなった。3人でよくお茶をした。

5月下旬の週末、渚夢と美緒、そして玲莉の3人は、夏服を買いにショッピンモールに行った。
カフェで一息ついている時、渚夢が姉の美緒に言った。
「お姉ちゃん、こっち来てからお母さんに会った?」

「ううん、会ってない。私、家出したみたいになってるだろうし、もし会ったら過去も動いてしまいそうで・・.何か怖くて・・」

「そっか。でも33年も経ってるし、大丈夫だよ。」

二人の会話に玲莉は黙って頷いた。
姉妹の再会セッションの翌日に、姉妹が過去からタイムリープしてきた事を、玲莉は部屋で渚夢から初めて聞かされていた。
最初は信じられなかったが、二人の真剣な話ぶりに今ではほとんど信用している。

「それでね、お姉ちゃん、良かったら明日お母さんに会いに行かない? 実家がどうなってるかも見てみたいし。11時に三郷LC駅待ち合わせでいい?」

「うん、わかった、じゃ明日11時ね。
住所は確か、和光市広沢・・・」
美緒がメモ入力する。
「はい、OK、氏名 桜永耀哉、愛彩弥ね。」

「えつ!桜永?」
玲莉が驚く。

「どしたの?」

「私、苗字同じ。・・桜永玲莉、、、
母親は、桜永渚夢。」

「ええー!!」
姉妹とも唖然となる。

・・もしかして・・

出会ってまだ日も浅いし、お互いナム、レイリ、ミオと呼び合うので苗字まで聞かなかった。それがこの時代のマナーだと思っていた。

「その住所、私のおじいちゃん家、愛彩弥は私の祖母よ。

「ウソ!ウソー! じゃあもしかして、玲莉って
私の、私の娘?」
渚夢、美緒ともにビックリして訊ねる。

玲莉は少し落ち着き、渚夢を真っ直ぐ見つめながら言った
「うん、母の名は、桜永渚夢」
 
3-6【親子の再会】

5月29日
初夏の匂いがする快晴の土曜日、渚夢、玲莉、美緒の3人は、三郷LC駅から環状線リニアに乗り和光市の祖父母の家(姉妹の実家)に向かった。

姉妹には見覚えのある懐かしい我が家、年数の経過は感じられるが、ECO電源システムだろうか、いかにも未来的なデザインの白い構造物が家な四隅に立ち並んでいた。壁面と屋根の太陽電池パネルのデザインが洒落ていた。

エアシールドのチャイムをタッチする。
ピンポーン
ゆっくりとドアが開く

玄関先に立っていたのは、白いワンピースに身を包んだ白髪混じりの婦人だった。
渚夢は一瞬、目の前の人を信じられず立ち尽くした。

「……やっぱり来たのね」

微笑んだその声に、19歳の渚夢と美緒はすぐ気づいた。

「……お母さん」

雰囲気は昔のまま、それでも33年の月日は
容姿を変えるのに充分な時間。時の重なりを感じる、

「ずっと、こうなる気がしてた。あの時、私も“跳んだ”から……あなた達だって、きっとそうなるって。懐かしいわね。まるでタイムスリップしてきたみたい」

愛彩弥は、ゆっくりと娘達の手を取った。

そして渚夢を見つめた言った

「会ってもらいたい人がいるの。つくば大学・時間跳躍制御研究所の桜永教授……そう、未来の“あなた”よ。」

渚夢の心が一気に熱くなる。

「あなたの娘さんのこと……きっと、あなた自身が治せる。私は信じてるわ。もう連絡してあるの。行ってらっしゃい、渚夢」

「?・・娘を治すって?・・玲莉、どこか悪いの?」
渚夢が不思議そうな顔をして訊ねた。

「そのうち判るわ。詳しくは教授に聞きなさい。」

愛彩弥は振り向いて、
「美緒もお願いね。妹を支えてあげて。」

さらに愛彩弥は玲莉を見つめて言った
「こんにちは玲莉ちゃん、中学生の時以来、大きくなったわ。もう大学よね。・・・やっぱりそう!あの時の娘さん・・・そうだったの!」

渚夢と玲莉は何のことか分からす、曖昧に微笑んだ。その直後、玲莉はハッと気がつき
応えた。

「そっか!今の私見て分かったんだ。あの時の女性、やっぱりおばあちゃんなんだ!」



3-7【玲莉の発症 —— 未来が自分を引き裂く】

桜永教授との面会は、7月10日(土)となった。
海外出張からの帰国を待って日程を開けてくれた。研究にかなり多忙な日々らしい。

6月19日
姉妹の再会から約1ヶ月が経ち、玲莉オルガントリオ(オルガン、ベース、ドラム)に渚夢ピアノと美緒ギターを含めた5人のバンドは大学祭ライブの準備に向けて練習を重ねていた。

だが――

「……ごめん、ちょっと目眩が……」

セッション中、玲莉が突然しゃがみ込んだ。顔色が悪い。両手を押さえながら、深く息を吐く。

「玲莉? 大丈夫?」
渚夢が駆け寄る。だが玲莉は、うっすら笑いながら首を振った。

「ごめんね、疲れただけだから。ちょっと休むね」

けれどその夜。
渚夢は彼女の部屋で、あるものを見つける。枕元に落ちていた小さなメモパッドには、びっしりと記された症状の記録。



「昨日:視界ノイズ3回、周波数スパーク1回。時間錯覚持続:1分30秒」
「一昨日:身体空間が5センチ浮いた感覚、2回。夢と現実の境界混濁」



どれも、時間跳躍における**「時空同期障害」**で見られる前兆だった。

タイムリープを行うと、時間位相の歪みから脳神経に極度のストレスがかかり、身体細胞の一部が時空間の揺らぎに引っ張られてしまい、様々な症状を発症する。

飛行機など高速の乗物で長距離移動すると、じっと座っていても疲労を感じるのと似た症状。

「これって……」

渚夢は、その夜ふと蘇った幼い日の記憶に身を引かれる。

あの日、12歳の春、突如現れた時空間亀裂に巻き込まれかけた自分を、まるで“時を止めたように”助けてくれた女性がいた。

見たことのない迷彩服に長い髪。見知らぬ顔だったが、不思議と「安心できる」人だった。
そして、いつの間にか姿を消した。

「……もしかして……あの時の人...玲莉……なの?」

その仮説が脳裏をよぎった瞬間、渚夢は自分の心臓が早鐘を打つのを感じた。

──助けられたから私は生きている。
──私が生きているから、玲莉は生まれた。
──そして今、玲莉はその“因果”の中で、存在そのものを削られようとしている――?


ーー先月母の実家での玲莉との会話、あれも
もしかして、若い頃の母と今の玲莉が、過去に出会ってた?何のために?


翌朝。玲莉はいつものように朝食を作っていたが、再び突然倒れ、意識を失った。

病院での診断は曖昧なまま。
けれど、未来の医療AIとの秘密チャットで美緒が得た仮診断には、こう記されていた。

「原因不明の“位相ズレ障害”。時間跳躍由来の因果循環と関係する可能性。存在そのものが“揺らぎ”始めている。危険度:極めて高」

未来の研究データには、極めて稀な遺伝性時空障害の例があり、
「過去に自分の母を救った存在(=自分の誕生条件)によって、存在自体が不安定化する」症例がいくつか記録されていた。

渚夢はそれを読みながら、震える手でメモを握りしめた。

「そんな……玲莉は……自分を救うために……私を助けに来たの……?」

すると、美緒が言った。

「……ナユ、私たち、やるしかない。音楽の力で、“跳躍障害”を安定させる方法を探そう」

かつて子供のころにふたりで作った、あの“曲”。
時間の波を穏やかにするメロディ。
代々の桜永家に伝わる「音の防壁」のようなその旋律だけが、玲莉を包み、引き戻す唯一の手段かもしれない。

そして――
渚夢は決意する。未来で音楽治療実験を成功させ、2040年に戻り、研究者として“時間跳躍障害”そのものを克服する道を歩むと。

それは、母として、音楽家としての第二の人生の始まりだった。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎            ♦︎ ♦︎              ♦︎♦︎♦︎♦︎

第2部 

第1章ー未来への跳躍前夜―



1-1【つくば大学時間跳躍制御研究所・訪問】

2066年7月10日(土)つくば大学構内、夏風が銀杏並木な黄緑の葉をなびかせ、日差しが強く照り返す季節。
研究所本棟のガラス張りのロビーに、渚夢、美緒、玲莉、ミカ、クリスティーナが並んで立っていた。

「私たちがここに来る日が来るなんて、ね…」
美緒が少し照れたように言った。

渚夢は、まっすぐに受付の端末に名乗りを入力しながら、深く息を吸い込んだ。

【訪問目的:時間跳躍障害に関する特別相談】
【訪問者:桜永 渚夢(2066年に跳躍)/桜永 美緒(2064年に跳躍)/他関係者】

対応に出た若手研究員は端末を見て、ハッとしたように頷いた。

「お待ちしておりました。教授がお通しします。ご案内します」



1-2【教授との面会】

研究棟の最上階、重厚な木製のドアの先。
部屋の中央には、年齢を重ねたが理知的な光を湛えた眼差しの女性が立っていた。

「いらっしゃい、待っていたわ」

桜永 渚夢教授――未来の渚夢自身。
髪をボブヘアにして、右側だけ髪を耳にかけてシンプルなデザインのピアスが知的雰囲気を醸し出している。淡い色のブラウスの上に白衣を纏い、それでいて動きやすいパンプスが印象的。

2040年からこの時代へ跳躍してきた自分が、今やこの研究所の中枢を担っている。その事実が、今なお信じられなかった。

玲莉は小さく手を握り締めた。
美緒もまた、渚夢の肩を押すように進み出た。

「玲莉の時間障害……助けたいんです」
「わかっているわ。そのために、あなたたちがこうしてここまで来たことも」

教授は微笑むと、傍らのホログラムデスクを操作して、空中にデータを映し出した。

●対象:桜永 玲莉(推定年齢:19)
●状態:第3類 時間同期破綻症候群・因果律由来型
●対処法:過去より伝わる「音波型時空安定化旋律」による空間治療演奏
●条件:演奏者の空間位相が揃い、情動波と共鳴すること

「――演奏による“因果再構築”を狙うのね」

ミカが小さく呟くように言った。

「でも教授、治療演奏には設備も人員も必要になる。ステージ構成、照明制御、音響空間のコーディネート…」
「だからこそ、あなたに頼みたい人がいるの」

教授は、再びホログラムに手を伸ばした。

「レーベルCEO、桜永 美緒……。未来であなたが成し遂げてきた音楽活動、そして時間共鳴理論を、いまここに重ねたいの」

美緒が一瞬、驚いた顔をして、すぐに苦笑した。

「まさか……未来の自分はこんな立派な人になるんだ! そんな自分に依頼するとは思わなかったわ。でも、やるわよ。あの子のためなら、命だって張る」

「ありがとう、お姉ちゃん……」
渚夢が小さく呟いた。



1-3【ブリーフィング・ルーム】

2日後。研究所地下にある多目的指令室に、全員が集まっていた。
中央には、玲莉の医療解析データ。横には演奏ステージ設計図。天井スクリーンには「PROJECT:RESONANCE CORE - Phase I」とタイトルが浮かぶ。

白いボードを指しながら、教授が説明を始める。

「今回の演奏は、単なるコンサートではない。“時間波治療演奏”という未踏領域への挑戦。
ここにいる皆さん全員の協力が必要です」

集まっていた面々:
• 渚夢:ピアノ(主旋律・制御波動担当)
• 美緒:ギター(共鳴コード・ハーモニー波)
• ミカ:ベース(音基盤・時間支持波)
• クリスティーナ:ドラム(鼓動制御・同期信号)

ステージ制御統括責任者
 ・桜永美緒(AI音楽レーベルRemikhowCEO)

• 玲莉:被験者。演奏空間に接続された安定ベッド上で聴取

システム統括オペレーター
     ・宥下守梛斗(ゆうおり えなと)
     ・出雲崎月翔(いずもざき つきと)

「ここで確認しておきたい、今回の実験演奏の被験者は、桜永玲莉さん、私の娘です。
そして、演奏者は、桜永渚夢さん、桜永美緒さん、ミカさん、クリスティーナさんの4人
この中で、タイムリープ経験があるのは
渚夢さん 2040年から66年に26年跳躍
美緒さん 2033年から64年に31年跳躍
間違いないわね?」

2人は頷く。

玲莉が手を挙げた。
「私もあります。タイムリープ。」
「いつ?」
「去年、あの日、私はただ……古いハモンドの音がどうしても生で弾いてみたくて。1967年のジャズクラブで、レスリーが唸るあの響き……最高だったわ。」
「でも、帰るときにちょっとズレて……落ちそうだった子を助けたの。あとでわかったの……あれが、まだ12歳だった、ママ──あなた。」

渚夢はハッとした。
「やはり、あの時助けてくれたのは玲莉だった!」
「娘が私を救ってくれた。だから彼女は今ここに生きている!」
感慨が押し寄せる、

オルガン弾きの玲莉は、既にこの時代にはないハモンドオルガンとレスリースピーカーの組み合わせを弾きたくて、1960年代後半に自らタイムリープしたらしい。

幼い頃から口ずさんでいた歌(母が歌うのを聴いて覚えたらしい)が跳ぶきっかけとの事。

さらに玲莉が話を続ける。
「今まで5回、過去に跳んでるんです。
この1年くらいで。」

一同驚きの表情
「詳しく聞かせて、」

「私、小さい頃から聞き覚えのある歌があって、誰に教えてもらったかわからないのだけど。」

「その歌を口ずさむと時間を跳べる事が分かって、色々試したの。」

「今じゃ楽器がないからどこ行っても弾けないじゃん、それで、オルガンやキーボードの沢山ある時代に遡るのがいいかなって。」

「それで何回も?」

「でも安定しなくて、時間の揺らぎに上手く流されなくて、いつも大きな渦のところで止まるの。」

彼女の発言はモニターを通して録画されていた。

「最初に行ったのは2054年頃、ここはもうAI音楽だらけで楽器はほとんどなかった」

「月下事象か・・・」
教授が頷く。

「すぐ戻ったけど、戻るのは簡単、帰ろと思いながら歌うと楽に戻れたの」

参加者全員が聞き入っていた。

「2回目は2011年、おばあちゃんに会った。」
玲莉は回想した。

-------回想シーン-------

2011年・春。
大震災から間もないある日、仮設支援ステージの設営に参加していた玲莉は、現地に持ち込まれた古いハモンドオルガンを調整していた。

仮設住宅の近くで、ピアノを弾く小学生がぽつりぽつりと指を動かしていた。
彼女の伴奏に、玲莉はそっとコードを重ねる。

「あなた、上手ね」
後ろから声がかかった。

振り返ると、優しい目をした高校生くらいの女の子がいた。
淡いワンピースにカーディガン姿、地元支援に来ていた学生ボランティアの一人らしい。

「…いえ、こちらこそ。懐かしい音がするって、言われて……」

「ほんとよ。まるで、…小さい頃に弾いてた音みたい。」

玲莉はふと息を呑んだ。
なぜか、この女の子の声に…懐かしさを感じたのだ。

「お名前は…?」

「桜永、愛彩弥です」

── その時、玲莉の脳裏に浮かんだ“祖母の名前”。

だが、まさか。
彼女の祖母がこんな若い年齢で、しかもこの場所に偶然?

頭の奥で何かが繋がりかけた瞬間──
スピーカーから緊急呼び出しのアナウンスが響き、玲莉はその場を離れざるを得なくなった。

「じゃあ、ありがとう、また──」

「また、どこかで」

そう言って手を振り合った。
互いに気づくことはなかった。
でも──その記憶は、どこか深く、温かく刻まれていた。

----------------


「あの時の高校生くらいの女の子、たぶんおばあちゃんの若い頃だったかも。」

3回目は?」

「そうそう、3回目、これ2040年に行ったの。
大きな地震や爆発みたいな事はなかったのに、どうしてか分かんないけど。
でも、何か旋律が聞こえてた。聞いた事のあるフレーズ、何かよく分からなかったけど、それに引き寄せられた感じ。」

「もしかして」
渚夢は思った。

「楽器店でハモンドオルガン音源のミニシンセ買ったわ。店で弾いてたら、ジロジロ見てる女の人いたなー。」

玲莉はさらに続ける。
「4回目は1986年に行った。ヨーロッパのどこか。何か、原発事故で被曝したピアノがあるって、見に行って修理手伝ったの。そのあと、大きな街の楽器店で鍵盤探したけど、あまりなかった。Mark1のローズとミニムーグを見つけたので弾かせてもらった。楽しかった。」

「この後、帰り道で空間ドリフトが起きて、日本に跳んでしまったの。1986年4月東京。ここで出会ったの。同じ気持ちの人、三枝さん。」

「誰?」
「ジャズピアノ、とても上手い人、一杯教えてくれた、そして、"音を未来に残したい"と言ってくれた。私の望みは、音をこの世界に復活させる事。それを叶えてくれる、同じ志しの人。」

一同驚きの表情
そんな出会いが彼女にあって、彼女を支えて、勇気づけてくれたんだ。

「三枝さんもタイムリープするの。
キーボード弾いて、コード進行で跳ぶって言ってた。」

「現代にも跳んできたわ。バイト先の研究所で出会った。最初は変な人だと思ったけど、優しくて。・・・何日か後に街で出会って、ピアノ弾こうと言って、一緒に過去に跳んだの。
1982年、彼の大学で、ジャズピアノ一杯教えてくれた。嬉しかった。」

桜永教授が言った
「音によるタイムリーパーが既にいたのね。 
その後は会ったの?」

「うん、最後5回目に跳んで、でも、この時は引き寄せられる渦が何もなくて、強引に降りたの。キツかった。 1968年、ハモンドオルガン聴きたくて、NYのジャズクラブに行った。最高だった。ホンモノのハモンドオルガンとレスリースピーカー!感動だった!
持って帰りたかった。」
でももう、その時は体調もフラフラで、戻る途中不時着しちゃった。それで、三枝さん助けてって思ったら、横浜にいた。」

教授が眉を顰めて呟く
「時間慣性・・」

「1986年の山下公園、彼がピアノ弾いてた。優しい曲、涙が出た。慰めてくれて、勇気をくれた。一緒に音を繋げて行こう、失くした音を取り戻そうと言ってくれた。」

「それで未来に送ってくれたの。そして、その途中て、2033年に急に止まって、何だろうと思ったら、時空亀裂に落ちそうな女の子を見つけて助けたの。渚夢、小さい頃のお母さん。母さんの机の上にあった、何だっけ。そう、時間位相修正装置,あれ持っていって良かった。役立ったよ。
それで、ありがとってお礼言われて帰ってきた。その後,今に戻った。」

静まり返った。
"音を繋げて,無くした音を復活させる"
玲莉がそんな崇高な想いで、タイムリープを続けていた事に驚きを隠せなかった。

「危険な旅だったのね。」
教授が話し始める。
「玲莉さんの歌によるタイムリープは、おそらく跳躍能力が弱いので、負荷が大きい筈。」

「どういう事ですか?」

「つまり、玲莉の“限界跳躍”の構造、
時空間跳躍エネルギーの負荷と「時間慣性」の問題です。」
教授は続けた。

「通常のタイムリープは「音共鳴×時間揺らぎのホライゾンポイント」が重なることで可能になります。」

「そして、高エネルギーイベント(地震、事故、天体干渉など)の発生直後は時空膜が薄くなるので、跳びやすくなるの。」

「しかしその代償として、「時間慣性(Temporal Inertia)」という跳躍回数ごとの蓄積負荷が身体と精神に蓄積してしまう。」

「特に「歴史の密度が高い時代(変化量が多い時代)」に跳ぶと、時間流との摩擦が強く、身体への障害リスクが上昇するわ。」

「これが玲莉の時間跳躍障害の原因かと。
やっと分かったわ、原因さえ解れば、治療方法は必ず見つかる。」

「それが演奏による音共鳴ですよね」
渚夢が納得して言う。


玲莉は淡々と話していたが、生演奏に接するうちに、音楽の魂と演奏技術の“芯”を手にして、本人の中で何かが変わりつつあった。

さらに玲莉は思い出した。

最後に、「音楽がまだ生きていた時代」=1968年に跳ぶことを決意した時のことを。

「この音の原点を…わたしの身体で確かめたい」
「未来で絶滅した“生演奏”を、この手にもう一度感じたいの」

彼女は時間揺らぎのホライゾンを待たずに、強引にタイムフレーズを鳴らす。
音共鳴がうねり、1968年のNYブルーノートのライブシーンへ──

だが直後、体内で異変が起きる。
身体の軸感覚が崩れ、周囲の音が歪み始める。
呼吸が浅くなり、目眩と共に記憶が断続的になる。
それでも、ハモンドオルガンの上で彼女は弾き続ける。

「……ここが音の、最後の楽園……もう少し……!」

そこへミカが現れる。
ADR3型ミカは、2066年にすでに玲莉の未来異常パターンを解析していた。
過去跳躍の危険性と、彼女の次の着地点を予測。
精密跳躍ルート計算により、ピンポイントで1968年NYに追跡跳躍。

「もう…限界だったんだろ、玲莉」
ミカは静かに立っていた。
青いネオンのジャズクラブの片隅、スティック型跳躍装置を手に。
「奏でたい気持ちは、ここにもう刻まれたはずだ。今度は、未来で弾け」
「……ありがとう」
玲莉はオルガンの鍵盤に手を置いたまま、力なく微笑んだ。
そのままミカに支えられて、時空の切れ目へと吸い込まれていった──。
---------------

その報告を聞き、室内は静まり返っていた。

渚夢は目に涙を一杯溜めて聞き入っていた。

渚夢教授が口を開く
「大変貴重な話ね。ありがとう。
とても重要な事が分かってきたわ。」


渚夢教授が続ける
「3人跳んでいるのに、時間障害発生したのは玲莉1人、この事実から類推されるのは、
1.過去へのタイムリープが体に悪影響を及ぼす
2.跳ぶきっかけの歌やフレーズの違いで悪影響を及ぼすものがある。」

「検証の必要はありそうですが、もしかしたら渚夢さん、美緒さんのフレーズには、何らかの免疫作用があるのかもしれません。」

ミカが立ち上がり話し出す

「そうね。過去への跳躍が障害になるなら、渚夢さん、美緒さんを過去に戻すのは危険になる。
原因が歌ならば、演奏でフレーズ再現してみて何らかの効果があるか調べられる。」

渚夢教授が言う

「時間を遡る方が、身体組織に与える時間歪曲振動破壊が大きいのかもしれない。
回数が増えるほど負担が増し、おそらく、時間跳躍の不安定や記憶の欠如混濁、身体的負荷の増大があったと思われます。
演奏による一定の音振動が、その位相を相殺してくれれば、治癒できると思う。」

「ただ、玲莉の言う三枝氏は聞いた感じでは、過去も未来も自由に跳んでいる。何か別の作用が働いているのかも。特別な能力者なのか、克服するチカラが,あったのか。」


「でも・・・」
渚夢が不安げに話す

「それって、人体実験でしょ?
もし、失敗したら、玲莉どうなるの?
死んだりしないよね。どうなの?」
渚夢の目には涙が滲む

「大丈夫、人命に関わるような事はしないよ」

システムオペレーターの宥下が話し出す 
何事も新調な性格だが,見た目はスポーツマンタイプ、差が高く日焼けした爽やかな青年。

「今回の実験には、人命尊重第一で最大限のセーフティネットが敷いてあります。演奏データによる理論シミュレーションでもクリアしてます。」

出雲崎が付け加える
 見た目おとなしそうだが、かなりの理論家、でも性格はとても優しくて親切。

「もともとここのシステムは、十数年前の月下事象による時間障害リスクを防御するために、開発されたんだ。時間跳躍の技術研究はそこから始まった。既にある程度の制御技術は完成しており、AI実験も成功している。」

「時間障害治療もその頃から研究が進んでいるので、もう実用化できる段階なんだ」

ディスプレイのグラフ、写真を示しながらの説明を皆んな頷きながら聴いていた。

「クリスティーナにも協力したもらったね」
 
「えっ?」
桜永姉妹が驚いて彼女を見る

クリスティーナは軽くウインクして、見返す。

クリスティーナ・アズベイル・式野
第4世代Android型AI  PF-07ADR2

彼女は名古屋大学時間位相干渉研究所の職員で
今回の演奏でドラム担当のメンバー。

名古屋のアンダーグラウンド界隈で名の通った実力派ドラマー、ミカとの量子双方通信で依頼を受け、二つ返事で了承、早朝、自慢のEV-GTマシンで第3東名を駆け抜けて来てくれた。

「大丈夫よ、玲莉、渚夢、美緒、ミカ、私達仲間でしょ? この思いが演奏に魂を込めて、熱い血潮が根性で怒涛の如く立ちはだかる敵を粉砕するわ。」
少々アナログレトロな表現に最近ハマってるらしく、一同笑った。

「うん、そうね、その調子,
『やれば出来る』よ。」

教授も笑っていた。 


少し間があって、再び玲莉が手を挙げて、
ゆっくり立ち上がって話し出す。

「私、どうしてもやりたい事があるの。何回か過去に行って分かったの。音楽は人を救う、人を癒す、世界を救うの!」

「大袈裟かも知れないけど、今のAI音楽、人が作らない音楽ではダメ、心が壊れちゃう。私、世界に音を取り戻したい。」

「楽器を演奏してる人達、本当に幸せそうだった。ピアノを弾く、ギターを弾く、ペースを弾く、サックスを吹く、ドラムを叩く、そして歌を唄う。みんな素敵!」

「簡単な事、ちょっと頑張ればできる事。きっとみんなの心、暖かいものになるから。」

玲莉はAIミカとAIクリスティーナを見つめて続けた。
「AIを否定してる訳じゃないの。AIの作る音楽も素敵。一緒にやればいいの。簡単な事!
みんなで楽しめばいいの!」

「そんな世界を私、作りたい。」

玲莉の言う事は、とても高い使命感を帯びていた。彼女の熱意が参加者全員の心を熱くした。

「わたし、この前、ミカ、クリスと演奏したの。
すごい事が起きた。音が共鳴?して、遠くの事が見えた、それに未来もちょっと見えた。
こんな経験初めて。私のオルガンにミカ、クリスぴったり着いてきて、凄い演奏だった。」

宥下が唸った、
「玲莉さんの発現したチカラ,本物ですね。
音で過去と未来を繋ぐ感覚,別の時間軸と共鳴、それらが人とAIの意識共有の状態で成り立つ共鳴感覚。彼女だけの特殊能力かもしれない。」

渚夢教授が続けた。
「玲莉が過去に跳び続けたのは、未来保存のための音の収集だったのでしょう。本人も気付かないうちにそのような行動を取り、結果として音共鳴の能力が培われた。」

「でも、音共鳴の負担が体を蝕み、頭痛、目眩
、末端感覚ロスト、視野狭窄、記憶遅延など、自己の位相が微細にずれる【self phase drift】を引き起こしている。」

「そっか、わかった!」
渚夢が立ち上がった

「音の未来を救うカギは、未来に残すべき音は、外を探してきたけど、実は自分の内側にあるんだ!」

皆が納得した。
「音を奏でたい、演奏したい、歌いたい、この気持ちがすべてのカギ。」

「みんな、玲莉を救う方法はハッキリしたよ。
リライトの演奏で玲莉の心に「音」を届ける、
この一択!、やろう。玲莉を助けよう。」

皆頷いた。

渚夢、美緒、ミカ、クリスティーナ、
みんなの気持ちがひとつになった。



【最後に教授が告げる】

「この実験は、時間という海の“中心”に楔を打つ行為。
音楽は、それをなし得る唯一の言語。――彼女を、玲莉を救ってあげて」

静かにブリーフィングルームに拍手が広がる。

「じゃあ……始めよう」
渚夢がそう言った時、誰もが未来を信じていた。


ブリーフィングが終わり、各々席を立ち始めた時に、玲莉は渚夢教授から治療の協力を得る代わりに、こう言われた。

「あなた自身が、“音で跳ぶ理由”を明らかにしなさい。
それがこの研究を前に進める鍵になる。」

「すなわち、"音共鳴型跳躍における「心因性トリガー"の解析が必要。
これによって、あなたのタイムリープ行動が「研究の一部」として認められ、行動の正当性が生まれます。」

「分かったわ。母さん、私やります。」
玲莉は強い意志で応えた。


第2章

第1部
【玲莉、再び跳ぶ ――“音の本質”を求めて】

2066年10月某日 深夜。
東京大学 時空間跳躍研究所・地下演奏実験室

静まり返った演奏室には、ほのかに明滅する照明と、微かに響く空調音だけが残されていた。
その中心で、玲莉は黒く艶めくグランドピアノの前に静かに座っていた。

パチ、と古いオーディオ端末の操作音がする。
再生されたのは、1960年代のものと思われるジャズピアノのライブ音源だった。

甘く湿ったようなローズの音色、
スイングしながらもメロウに沈み込む旋律。
演奏しているのは、三枝光一——
かつて彼女が出会い、音で語り合い、心を揺さぶられた男のピアノ。

玲莉はその音に身を委ねながら、静かに独りごとを呟いた。

「……音って、なんで……人の心にこんなに残るんだろう」

その言葉は、今までのタイムリープで出会った人々、街の風景、懐かしいノイズやアンサンブルの記憶を辿るように、空気に滲んでいく。

ふと、玲莉はポケットから一枚の紙を取り出した。
そこには、自分が手書きでまとめた**“共鳴ポイントの記録”**と、跳躍前後の感情記憶が書かれていた。

「音には“情報”じゃない、“記憶”がある」
「跳ぶきっかけは“感情の起伏”。演奏者の心が“響いた瞬間”だった」

研究ノートというにはあまりに感傷的。
だがそれこそが、玲莉の研究の核心になり始めていた。

「私が知りたいのは、
人が“音”に何を感じて、
なぜ“心が震える”のか――」

渚夢が「時間構造」を追い、美緒が「演奏文化」を拓くなら、
自分は“音の意味”を追い続けたい。

音とは何か。
なぜ、未来の人々はそれを手放してしまったのか。
それを知りたい、取り戻したい――そう、未来のために。

玲莉はゆっくりと立ち上がり、ピアノの鍵盤に手を置いた。
そして、静かに歌い始めた。

「── この音が、時を越え
  誰かの心を、揺らすのなら……」

空気がふるえた。
壁の計器に、かすかな空間歪曲の兆候が現れる。

彼女の歌が、共鳴し始めていた。
記憶のなかにある1986年・横浜山下公園の夕暮れが、輪郭を持ち始める。

「……もう一度、光一さんに会いたい。
“音が生きていた時代”の、演奏者の心を確かめたい」

玲莉の決意は確かなものだった。
それは使命であり、研究であり、個人としての祈りでもあった。

そして彼女は、ピアノの最後のコードをそっと押さえた。

深いGm7の響きが、室内に落ちると同時に、
部屋の重力が一瞬、柔らかく崩れるように緩んだ。

次の瞬間、玲莉の身体は光の粒に包まれ、静かに姿を消した。

── 時空の狭間が、またひとつ、呼応した。

第2部
着地──1986年・山下公園』

身体が空気に溶けるような感覚と、
全身を引き裂かれるような振動の波が、玲莉を襲った。

光が砕け、世界が割れる。
声なき音が頭の内側で轟き、彼女は何も見えず、何も聞こえなかった。

「っ……どこ……?」

視界が戻ったとき、玲莉は芝生の上に倒れ込んでいた。
湿った潮の香り、どこか古びた空気。
鼻の奥がツンとする——街の匂いが違う。
人工香料で整えられた2080年代の都市とは、空気そのものが異質だった。

「……また……ずれた……?」

声を出した瞬間、自分の声が微かに遅れて聞こえる。
そして、頭の奥にズキン、と重い痛みが走った。

「はぁ、はぁ……」

手をついて立ち上がろうとするが、身体がついてこない。
膝が笑い、右肩が妙に重い。
体内の時間バランスが崩れている——それは自分でも分かっていた。

「(また、歪んでる……もう、そんなに持たないかも……)」

しかし、彼女は気付いていた。
これは終わりの予感ではなく、むしろ、出会いの始まり。

潮風に運ばれるようにして、耳に届いてくる音があった。

フェンダー・ローズ。
あの、電気の温度を含んだ、ビロードのようなエレクトリック・ピアノの響き。

桜の花びらがわずかに残る並木道を抜けた先、山下公園の海に面した小さな野外ステージでは、ひとりの青年がフェンダーローズの前に座っていた。

ステージは観光客のために設置された簡易なものだったが、ステージ脇の小さな電源ボックスからは延長ケーブルが這い、機材への通電が確認できるようになっている。
彼がピアノの前で両手をそっと鍵盤に置くと、電源ランプが静かに灯った。ローズ独特の、あの温かくて深い音が、海風に乗って公園全体にふんわりと広がる。


白いシャツの青年の肩越しに傾く夕日が、彼の横顔を金色に染めている。

「……嘘……」

胸が震えた。懐かしさでも感動でもなく、確信。
目の前にいるその人こそが、自分の音楽の原点を見せてくれた男——三枝光一。

彼は彼女の存在に気づいていないようで、
ゆっくりと、しかし情熱を孕んだ手つきでローズを弾き続けていた。

そのフレーズは、かつて玲莉が記憶の中で何度も反芻したコード。
不安定な中にも、揺るがぬ芯がある旋律。
まるで、自分の現在の時間の歪みを癒すような……そんな響き。

「三枝さん……」

彼女はふらつきながらも、ステージへと歩を進める。

もう、時間の流れなどどうでもよかった。
どこにいるのか、いつなのかさえ、もう気にする余裕はない。
この瞬間、この音、この出会いが、自分を未来に繋いでくれる——
玲莉はそう感じていた。

そして、演奏が一段落したその時、
三枝光一はようやく彼女の存在に気づき、こちらを見た。

「……おや?」

彼の目がわずかに見開かれる。

玲莉は、息を切らしながら小さく手を振った。
口元には微かな笑み。
その身体は微かに揺れていて、額には薄い汗が浮かんでいた。

「また……会えたね……」

その声が風に乗ったとき、
夕陽がさらに傾き、海面に長い光の帯が伸びていった。

時間を越えて出会ったふたり。
音を介して繋がる魂。
そして、この瞬間が、玲莉の最後の跳躍への前奏曲となる——

---------------
第3部
音が繋ぐ未来』──山下公園の語らい

「また会えた……本当に……」

玲莉がそっと言うと、三枝光一はしばらく目を細めて彼女を見ていた。
言葉にしなくても分かる何かが、ふたりの間に漂っていた。

「……君、少し……疲れてるね」

「うん……体内の時間軸が……揺れてて。ちょっとね」

三枝は静かに立ち上がり、フェンダー・ローズの音量ボリュームを下げた。
小さな折りたたみ椅子をもう一脚ステージ脇から持ち出し、玲莉の隣に座る。

「音に引き寄せられて、またここに来たんだな」

玲莉は、小さくうなずいた。

「……私ね、もう4回も跳んでるの。
それぞれの時代で、楽器を見て、触って、聴いて、学んで……」

「その代償に、身体が……」

「うん。分かってた。でも、どうしても……知りたかったんだよ。
あの時代の音が、なぜあんなにも人の心に届いたのか。
触れた人たちは、どうやって音を紡いでたのか。
そして、今、未来に生きる私たちに、何が足りないのか」

「……“音”は、君にとって、目的であり、希望なんだね」

玲莉は黙って頷き、潮風に少し髪をなびかせながら言った。

「私はこの時代に戻ってきたかったわけじゃない。
でも……あなたの音にまた会えた。
だからきっと、これも意味のある“跳躍”だったんだと思う」

三枝はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「君がくれた未来の音楽……あれは音じゃなかった。
音の“形式”だけが残って、魂が消えていた。
驚いたよ。悔しかった。
……でも、怒りよりも、悲しかったんだ」

「……うん。私も、最初にそれを感じた」

三枝の指が、無意識に膝の上でリズムを刻んでいる。
玲莉の声が、震えた。

「だから……私はこの世界を変えたいの。
演奏って、ただ上手に弾くことじゃない。
“音”で繋がって、感じ合って、
たった一瞬でも誰かの心を癒したり、照らしたりできる。
音がなくなった未来には、それがない。
心の灯を失った世界を、私は変えたいの」

三枝の目がわずかに細まる。

「……それを、“使命”として背負ってるのか」

「……ううん、違うの。使命なんかじゃない。
それが、“好き”だから。
音が、私を生かしてくれたから……今度は、私が音を、生かしたいの」

三枝は頷いた。

「じゃあ……俺も、やれるだけのことをするよ。
未来から来た君に、過去の俺が教えられることがあるなら、喜んで。
音は、時代を越えて、生き続ける。
そして——君が跳ぶその先に、誰かがいるなら……」

「その誰かが、また誰かに、音を渡していく。
それが……リフレインのように繋がっていく」

ふたりはしばらく黙って、海を眺めた。
ベイブリッジの向こうに、夕陽が沈もうとしている。

玲莉はゆっくり立ち上がり、三枝の横に並んだ。
まだ痛む身体をかばいながらも、背筋は伸びていた。

「ねえ、三枝さん——
あなたの音は、絶対に未来へ届いてるよ。
私が、その証明」

三枝は微笑んだ。

「君が未来でまた“音”を灯してくれ。
君なら、きっとできる」

玲莉の頬を、静かな涙が伝っていた。

「ありがとう……未来は、消えてなんかいない。
“音”は、消えない——私、信じてる」

二人は、長い時の隔たりを越えて、
確かに“音”で、心を結んでいた。

そして、この静かな約束が、
後に再び集うことになる音の旅人たちを導く、ひとつの光となる——。


第4部

【『別れのテーマ』──未来へ帰還のとき】

夕暮れの山下公園。
静かに潮騒が打ち寄せ、街灯が一つ、また一つと灯り始めていた。

玲莉は、観覧車の向こうに広がる空を見上げていた。
空の色は、刻々と薄紫から藍へと変わっていく。
その色のグラデーションが、時間の境目を、淡く滲ませているようだった。

「……もう、行くのかい?」

後ろから声がした。
フェンダー・ローズの鍵盤の前に、三枝光一が座っていた。
その指は、まだ何も弾いていない。
ただ、今にも旋律がこぼれ落ちそうな静けさの中にいた。

玲莉は振り向き、小さく頷いた。

「うん……今夜の潮流に乗らないと、次はいつになるか分からない。
……今の私には、“帰る”っていうより、“戻る”って感じだけどね」

三枝は、少しだけ微笑んだ。

「俺も……そうだった。
帰りたい場所と、戻るべき時間は、別のものだって、気づいたんだ。
……でも、君がいる場所が、音のある場所になるのなら、それでいい」

玲莉は歩み寄り、フェンダー・ローズの隣に立った。
「最後に、あの曲、弾いてもらえる?」

三枝は頷いた。

「君のテーマだ。
……名残惜しいけど、これは“送り出す”ための旋律だから」

指が鍵盤に触れる。
ゆったりとしたテンポ、静かなイントロ。
雨上がりの空気のように透明なコードが、音の粒となって零れ落ちていく。

玲莉は目を閉じて、その音に包まれた。
心の奥で、小さな灯がまた灯る。
音は未来にもある。——この場所で聴いた音が、確かに証明してくれる。

「……ありがとう」

三枝の演奏が終わると、玲莉はそっと一歩下がった。

その時——
街灯の光がかすかに揺れ、空気が波打つように歪んだ。

時間の波が、再び玲莉を呼んでいた。

「光一さん——」
玲莉が振り返り、叫ぶように言った。

「あなたの音は、私の中にあるよ。
いつかまた、この“響き”が必要になるときが来たら——きっと、伝える」

三枝は頷いた。
「俺も、君の未来を信じてる。
音は繋がる。時を越えて、きっと」

風がひときわ強く吹いた。

玲莉の身体が、光の粒となって空気に溶け込んでいく。
時間の渦が彼女を包み、ゆっくりと浮かび上がらせていく。

「さよなら……ありがとう……」

玲莉の声が、風に混ざって遠く消えていった。

三枝はしばらく立ち尽くしていた。
フェンダー・ローズの上に、玲莉が残したピックが一枚、ひらりと落ちていた。

彼はそれを手に取り、ポケットにしまった。

「音は消えない……だろ?」

そうつぶやくと、再びローズの鍵盤に指を乗せた。

静かに、静かに、新たな即興のメロディが生まれていった。

その音は、玲莉が向かった未来の空に、確かに響いていた。


ーーーーーーーーーーー


第3部 実験演奏-----「時」との闘い

実験演奏に向けて全員の意識がまとまったあのブリーフィングから5年、現実的にはそれだけの月日が経過した。準備、テスト、検証、万全を期して臨むため、あらゆる可能性を考慮して慎重に進められた。
 
第1章 【リライト本格始動】

「まず、バンドサウンドのクオリティを上げる必要があるわね。」
クリスティーナがアイスティーを飲みながら話す。

「やっぱ、ライブでしょ。ライブ。場数を踏むのが鉄則。あちこちのライブハウスとか、ショッピングモールとか、路上ライブでもいいし、やろうよ。」
美緒はワクワクする気持ちで話した。

「そうだね。スタジオ練習だけじゃ行き詰まるよね。オーディエンスの反応見ながら盛り上がるのが実力上げる近道だよね。」
渚夢も納得していた。

「では、明日都内のイベントホールあたってみる。今週末に出来るよう調整するね。」
ミカがネット回線にアクセスを始める。

「さあ、そうと決まれば練習練習!」


彼女らはライブによるバンド活動で、レベルアップを目指す。
ライブハウスはほとんど無くなっているので、イベントホールや、公共施設、路上ライブ、そして、学校や介護施設でも演奏した、

さらに演奏動画も積極的にアップして、認知度を高めていった、

「音楽革命」---彼女らは生演奏の音楽が人の心に癒しや感動を与え、治癒効果、医療効果があることを示し始め、自分たちの活動をこう呼んだ。
 
実験演奏のインフラ準備にかなり時間かかかった。新装置の開発、実用化や、システム構築、医療技術革新などの変化から、最新ギアへの入れ替え等、足並みが揃うまで結局5年の歳月が過ぎた。

2年後に開始した予備実験では、異常値発生のアクシデントで実験失敗し、一時プロジェクトが中断したが、なんとか立て直して再開、システム更新と技術革新を踏み越えて、5年後にようやく実験演奏開始の足並みが揃った。

玲莉の症状は年々悪化して、彼女の身体と神経系は跳躍負荷により時間共鳴のノイズを発し続けた。これが「遺伝的時間跳躍障害(Temporal Phase Disorder)の重進行状態で昏睡状態となった。


ーーーーーーー

第2章

2-1【新曲セッション】

2066年7月24日
吉祥寺KXL音楽スタジオ。

演奏音楽が衰退した未来社会でも、細々と営業しているスタジオもあった。その一つに4人は集まった。

ピアノ:渚夢
ギター:美緒
ベース:ミカ
ドラム:クリスティーナ

「へー、案外綺麗なんだ」
「アンプ、マーシャルじゃん!」
「エアコン効いてますね」
各々勝手に騒ぐ中、
「新曲作ったんだけど聴いてくれる?」
これまでスタンダード中心にセッション演奏してきた渚夢が、バンドオリジナル用に新曲を作曲していた。

機材の自動チューニングとミキシングAIが準備を終えると、渚夢はそっとピアノの前に腰を下ろした。メンバーたちはいつものようにサウンドルームのソファに腰をかけ、彼女の演奏を待っている。

「じゃあ、ちょっと一回、通すね」

静かに鍵盤をなでるように始まるイントロ。揺れるようなコードの連なり、そして不意に現れる緊張感のあるリズム。クラシックでもない、ポップでもない、ジャズなのにスウィングするというより、機械的な繋がりの彼女独特の“何か”が流れ出す。

ソロ演奏が終わると、渚夢はバッグから何かを取り出した。薄いクリアファイルに入った五線譜だ。

「これ、この曲の譜面なんだけど……」

「え、なにこれ……?」

ドラムのクリスティーナが目を見開いた。手渡された紙には、黒インクの手描きでびっしりと音符とコード譜が並んでいる。

「オタマジャクシだ……」「うそ、これが“楽譜”?!」

ミカが顔を近づけて見つめ、クリスティーナはアイカメラで楽譜をスキャンしようとして苦笑する。

「渚夢って、まさかこれ全部、手で書いたの?」

「うん。なんか、こうやって形に残したくて。イメージ伝えるだけだとズレることあるし」

「うわ……逆に未来っぽい……」

ミカが目をキラキラさせてうなずく。
AI音楽全盛期に存在する二人にとって、「手書きの譜面」は特殊な呪文のように見えるのだろうか。クラウドデータを検索しながら、譜面の解析を実行中らしく、ミカの両目は細かく振動し、クリスティーナも指先を微かに振るわせている。

「ねえ、このアドリブのところ、F7とD♭7で交互に8小節展開するのね?」
美緒が尋ねる。

「うん。IIm7–V7挟んでもいいし、テンションは自由で」

「あんたの好きなパターンね。私のソロの時、半音下E7で走らせていい?」

「渚夢のソロ終わったら、短いフレーズ入れるから、転調しよう。」
ミカが応じる。

「裏コードでB♭7に振って、ブルースかと思わせて、C7-D7-E7と全音で進ませたら、かなりエグくなるよ?」

「そこ、完全4度入れるよ。」

「いいねそれ、やってみよう。コード感ぶっ壊して戻す感じ、カオスと秩序の狭間ってやつ」

「じゃあ、テーマのキメ部分——ここ。C7sus4から半音ずつ上がるライン、2拍3連でちょい溜めようか?」

「2拍3連でリズムくるって見えるとこ、逆に合わせたい。アタマはツッコミの裏で行こう?」

「了解。ワン、ツー、スリー……って感じね」

「じゃあ、まず1回、流してみようか」

4人がそれぞれの席につき、照明が淡く落ちていく。渚夢がカウントを数えると、ドラムのクリスティーナがブラシでスネアをさっとこすり、静かにセッションが始まった。 

ラストテーマを一気にたたみ込んで演奏が終わる。「エグい曲!」美緒が唸る
「曲名はあるの?」ミカが尋ねる
「Aspiration to the future」と渚夢
「未来への希望か」ミカが呟く

「ミカ、好きなコード進行を教えて、これからもどんどん新曲作るから、それで演奏ナンバー増やしてライブのナンバー充実させよう!」
渚夢は目を輝かせた。

「バンド名決めなきゃ」美緒が言うと
「ちょっと考えてたんだ、『リフレイン』はどう?」と渚夢

「音が繰り返されることで未来と過去をつなぐって思って」

「いいね。意味はわからんけど響きはいい」
美緒がギターネックをギュンと締めて言う。

4人の新バンド「Re:frain」は練習スタジオでのセッションを毎回動画撮影し、後でみんなで見比べてアドリブ内容や演奏バランスを検証、ベストテイクを編集なしのライブ動画として、投稿サイトにアップして知名度を上げる作戦を敢行した。

何度かの練習で渚夢のオリジナル曲もだいぶ錬成されてきた。
「今日は本番のようにやるよ、ミカ動画撮ってね」美緒が声を掛ける。

ーーーーーー

2-2【本気でぶつかるファーストテイク】

スタジオの空気が緊張している。渚夢はグランドピアノの前に座り、美緒はテレキャスターのネックを握り直す。ミカはエアスマホの録画ボタンを押して、ウッドベースを構える。そしてクリスティーナがドラムスティックを握った両手を上に上げる。

「行くよ、ワン、ツー、スリー、フォー」

ガツーンとギター、ピアノ、ベース音が重なり、ドラムのポリリズムが被さる。

フロントテーマ部分の複雑なメロディをリハーモナイズさせた渚夢の右手が軽快に唸る。
左手が裏タイミングで不協和音を叩き、ベース音の合間を縫うように入っていく。

ミカはまるで機械のような正確無比のリズムでウッドベースの弦を弾く。
冷静沈着な実験職員ながら、音楽になると人が変わるような情熱派、長身、美貌、しなやかな身のこなしで奏でるベースがとても美しい。

クリスのスネア、ハイハットが全くズレのないリズムキープで、しかし多彩なフィルインでドラムを操作する。

美緒はコードを弾くとピアノのコードと被るので分散フレイズのリフを混ぜて自由にメロディに絡んでくる。

「すごいね、みんな、厚みもあるし安定してる」渚夢は練習の積み上げに効果が出てる事に喜びを感じてる。

フロントテーマが終わり、アドリブソロになる、順番はピアノ、ベース、ギター、そしてフリードラムソロを経て、ラストテーマになだれ込む。

恣音は最初から全開、わかりやすいフレイズから入って次第にテンションノートを多用して、早い4ビートリズムに正確な8部音符の連続フレイズを繰り広げ、みんなをグイグイ引っ張っていく。
----「シートオブサウンズ」---
4部音符、8部音符の連続で音を敷き詰めていく奏法、メカニカルな響きになって尖った演奏になる。

「ピアノって結構’走りがち"だけど、渚夢はそんなことないな。リズムが正確」
シンバルとハイハットでリズムキープするクリスが唸る

「それにしても恐ろしいほどベースが正確、まるでマシーン」
渚夢は右手フレイズを強めながら感心する。

「ブレイクさせてもちゃんとついてくるし、次に弾くフレイズを知ってるかのように寄せてくる。やりやすい。」

「それでいて、時々とんでもない音を引き出してくる。あれはワザと?」

「楽しい!」
渚夢はいつもミカのベースに感心させられる。
「この人ももしかして過去から来たの?プロミュージシャン?」

どんなピアニストでもこのベースなら手放したくないと思う程のテクニックと安定性。
渚夢はある程度盛り上げてソロを終える、目で合図してミカのベースソロに移る。

ミカは表情一つ変えずに黙々とフレイズを弾き込む、ウッドベースの太い弦を楽々と抑えて安定した音程でメロディアスなフレイズを続ける。

ファーストテンポの曲だが、途中からテンポを半分に落として、ブルーノートフレイズを多用したメロディで"唄い続ける"

「すごいな」と渚夢の目線を感じると、軽く彼女を見てウインク。
不思議な魅力のあるベーシストだ。 

再びウッドベース弦を激しくはじき、テンポアップしてソロをピークに持って行こうとする。

渚夢は思わず息を呑んだ。ここまで激しく、情熱的にミカが弾くのを見たことがなかった。

その時、バシッと切り裂く様な音がする、
「何?」渚夢が顔を上げてミカを見る。
何とベース弦が切れた!

これはまずい、渚夢と美緒か瞬時にベース音フレイズをアドリブで弾き入れる、演奏が途切れない様にする咄嗟の反応。素晴らしい連携。

ミカは相変わらず表情を変えずに立てかけてあったエレキベースにコネクターを差してスイッチを入れる。
ッベン ッベン ッベン ッベン・・
「チョッパーベース!」
美緒が唸った。
ミカは耀哉に教わったスラップ奏法で、鮮やかにエレベの弦をつま弾き、皆を驚かせた。

渚夢と美緒のフレイズを聴いてその間を取り持つように新たなフレイズを加えて弾き始める。 
何とか演奏中断せずに続けることが出来た。

ベース音がランニングベースに戻り、次は美緒のギターソロ、ミカが約束のフレーズを弾いて、コード進行を変化させ、半音下に転調、ソロの最後に弾いたフレイズを美緒は踏襲してリフとして繰り返してから自分のフレイズに繋げる。

そして、いきなり高速フレイズを連弾して、激しくチョーキング、完全に自分の世界に入り込んでる、8ビートに切り替えたミカとクリスは顔を見合わせて笑っている、渚夢もこの楽しい瞬間がたまらないと、完全4度と増5度を組み合わせたバッキングコードを複雑に変化させて対応。

その後、かなりのピークを迎えてギターソロ終了、そしてギター、ベース、ピアノが弾くのを止めてフリーのドラムソロ。

クリスは静かに叩き始め、バスドラ、スネア、シンバル、ハイハットが多彩な音の連舞を重ねる。何回かうねりのような音圧を押し出し、ブレイクした瞬間、元の4ビートに戻る。

「よし、これで8小節行ったらラストテーマ、みんな、行くよ!」
渚夢が大きく右手を上げて、一気に鍵盤に叩き込む。4つの楽器が大きく共鳴して、複雑だけど耳障りのいいテーマフレイズをピアノとギターがユニゾンで歌い、ベース、ドラムと絡まってうねる様にエンディングを迎える。

グワーンとシンバルを鳴らして演奏終了、
ミカがエアスマホの録画ボタンをオフにする。

「すごい乗ったねー!ミカ凄いよ!」
渚夢が叫ぶ。
「渚夢もいいソロだったよ」
「もっとロックっぽいサウンドにしても良かったかな、テンション上がった!」美緒は紅潮して高い声を上げる。

モニター室で演奏録画を見た4人は同じ考えだった。
「この演奏アップさせよう」

アドリブソロのウエイトの高いジャズ演奏は、アドリブ内容が演奏の度に変わるので、回数を重ねるほど新鮮さが下がってくる。
一番最初の演奏が緊張感があり、最も良い演奏が生まれやすい。

「やはり、ファーストテイクがいいよね」
その日のうちに、バンド「リフレイン」のオリジナル曲「アスピレーション・トゥ・ザ・フューチャー(A T F)」の怒涛の演奏はSNSを駆け巡った。

演奏動画は大反響となる。楽器の生演奏がよほど衝撃的なのか、あっという間に100万再生に。
そしてライブ告知を出すと、ネットチケットは即完売、ライブ2日分すべて数十分で埋まり、メンバー一同驚いた。

「すごいね、みんな生演奏聴きたいんだ!」
「よし、それなら凄い演奏見せてあげよー!」
「是非ライブがんばろ。」

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2-3【バンド活動の展開】

プロミュージシャンの存在しないこの時代で活動する4人は、わずかなライブ売り上げが得られるだけ。全くの赤字、それでも機関職員のAIミカ、クリスティーナは生活に困ることはなく、渚夢、美緒もキャッシュアカウントは潤沢で当面生活費は賄えている。

NISA口座で自動的に株式売買が行われているらしく、毎月安定した金額が振り込まれている。どういう仕組みで誰が仕組んだのか分からないのだが、何とかやっていけてるので二人は特に気にしていない。

全てが片付いて過去に帰還するまで持ち堪えられたらいいや、と考えている程度だった。

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新音楽革命バンド「リフレイン(Re:frain)」は
さらにオリジナル曲を増やし、全曲配信と地道なライブ活動を繰り返して、徐々に知名度を上げて行った。

やはり、AIミュージックしか聴いていないこの時代の人々には「生演奏のアドリブ」がよっぽど強烈に感じるらしく、どこのライブでも熱狂的に受け入れられた。

また、最近ではある高齢者介護施設での演奏で2020年代Jpopのアレンジ曲中心に演奏したら、
とても懐かしく思われて、大変好評だった。

「こういうのもいいね。」
4人の中に新たな分野が広がった。


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【練習後のティータイムにて】

西葛西の練習スタジオでの定例練習後、リフレインの4人は近くのカフェで休憩中。

渚夢「何飲む?」
美緒「コーヒーフラペチーノ」
クリスティーナ「抹茶クリームフラペチーノ」
ミカ「アイスカフェオレ」

渚夢「OK、じゃ私は、ビタークリームコーヒー」
注文してくるね。
渚夢がレジに向かう。

3人はテーブル席に座り、各々くつろぐ。
ギターケースを下ろして美緒が言う
「今日、渚夢リズム走ってたな。」

「ちょっと気持ちが昂ってたと思う。
玲莉治療のメドがついて。」
ミカが首後ろのスイッチをいじりながら話す。

「大事な娘さんだからね、将来の・・・
渚夢の旦那さんになる人、どんな人かな?」
興味深そうにクリスティーナ。

「あの子、『優しくてイケメン』が最低条件らしいよ。でも、付き合ってる人無さそうだし。」
美緒が纏めた髪を解きながら言う
「でも、玲莉の年齢から考えて、そろそろ出会いとかありそうな気もするけど」

「なにー、ひとのウワサしてる?」
4人分のドリンク配送ロボットを従えて、渚夢が戻ってきた。

「この子可愛いな。ロボットなのに猫みたいに動く!」
渚夢はその白いボディを撫でながら、ドリンクを配膳するのを眺めてる。

「まあ、当分先ね。」
「えっ?何のこと?」

まったりした時が流れている。

一息ついて、渚夢が美緒に尋ねる
「お姉ちゃん、聞いていい?そもそも音楽でタイムリープするって、どういう仕組みなの?」

「私も詳しくはわかんない。ただ感覚的に気持ちが乗って、いけると思う瞬間があって,気が付いたら跳んで行く、みたいな」

「そうだよね、そんな感じだよね。」

ストローを口から離し、ミカが答える
「時間の跳躍は、簡単に言うと"波乗り"なの。
時間は揺らいでいて、その波の大きさを利用して飛び移る感じ。」

エアディスプレイに正弦波グラフを出して、
手のひらを波のように動かして説明する。
「波の上下振動は、上に動いて頂点で止まって、下に下がって底で止まる、その繰り返し」

「うん、そだね。」
「その止まった点が"ホライゾンポイント"
瞬間的に時間が止まるから乗り移りやすい。」

「そういえば、お姉ちゃん、桜永家伝来の秘技
"時間停止"ってそれを利用してるのかな?」

「そうかもね。まあ、あんまし役に立たないけど、・・・私、使えないし。」

悪いこと言ったかなぁ、渚夢は戸惑い
「ゴメン、悪気ないから。ちょっと思っただけ」
「いいよ、気にしてない。」
二人はドリンクを啜る

「それで、」
ミカが続けた
「今、渚夢のお父さんが研究してる、東大の時間跳躍制御研究所は、時間の波を巨大なエネルギーで強引に作り出し、一気に時間跳躍する技術を開発中、」

「それに対して、つくば大時間跳躍制御研究所は、時間波の揺らぎを少しの力で振幅を大きくして、波の頂点から頂点に飛び移る技術を開発してるの。」

「そうなんだ。なんか難しそう。」

「渚夢や美緒さん、玲莉さんの音跳躍は、
おそらく、もっと小さなチカラ、何らかの共鳴作用によって、スルーって滑るように移って行く感じかな。」

「サーフィンだね」
渚夢の比喩は的確だった。

「そう、チカラよりもタイミング、まさに職人技。」
「マイスターだね!」
クリスティーナが言うと、みんな笑った。

少し間をおいて美緒が言った
「一つ気になるのが,三枝さんのチカラ、聞いた感じでは、それだけ簡単にタイムリープするのに時間障害は大丈夫だったんだろうか。病気になってないのかな。」
「跳躍のメカニズムが私達とは違うのかも。
それともエスパー?」

渚夢が言った
「そういえば、玲莉から聞いたことがある。
三枝さんは『タイムリープは登山みたいなもの、一気に登れば、高山病になる、休みながら少しずつ登るのさ。途中の年代で何回か立ち止まる事多いな。』って、それが障害発生しないコツかも。」

ミカが答える
「おそらく、推定だけど、彼のコード進行ハーモナイズによるタイムリープは、時間跳躍というより,時間推進じゃないかと思う。」

「つまり、波の上を跳ぶのではなく、波立つ水面より下、つまり海中を潜水して進むようなものだったと思われるの。」 

「だから、時間障害の少ない海中進むから、息継ぎするみたいに途中海面に上がって休むのかも。」

「あなたたち以上の特殊能力ね。80年以上前に既に何らかの時間制御技術があったのかも。」
クリスティーナが言った。

「いずれにしても真相は藪の中か」
渚夢が分かったような口ぶりで言う。

「あんたには永遠にわからないよ。」
美緒が微笑んであしらった。


「次の練習日は今週末の、18時、阿佐ヶ谷のスタジオ押さえてあるから,遅れないで、その時新曲やるから」
「次の新曲さらに増えたんだ。」
「事前にデータ送って。」
「分かった、帰ったらやっとく。」

「ところでさー。」
渚夢がミカをジロジロ見ながら訊ねる
「ミカ、人間みたいに食べたり飲んだりするけど、それ、どうなってるの?」

ミカは表情変えずに言う
「消化専用器官に収納され、半分はバイオ分解されて、体内維持エネルギーに変換されます。」

「もう半分は?」

少し笑みを浮かべて
「トイレで、排出します」

美緒が,ドリンクを吹き出す
渚夢は、両手を合わせ
「ゴメン、変なこと聞いた,忘れて。
想像してしまった」

一同大笑い。

新音楽革命バンド「リフレイン」の4人、
連帯感が一層強まりつつあった。




第3章 【奇跡の音律】

3-1【2071年10月17日までの5年】

この日を迎えるまで5年もの月日が必要だった。
時間跳躍理論の修正、転換、再構築や、
時間跳躍制御に立ちはだかる様々な技術的課題、
理論シミュレーションの失敗と課題検討
時間障害医療の臨床試験、
エネルギー分散システム構築、バックテスト
数多くの問題を地道に解決しながら、遠大なる目標に向けて一歩一歩進んで行った。

新音楽革命バンド「リフレイン」の4人も
楽器演奏音楽の普及、拡散に向けて、活発な演奏活動を繰り広げていた。

ライブ、コンサート、フェスティバル参加、作曲提供、動画配信、メディア出演・・・

年々増加し始めていた「生演奏ミュージシャン」の先頭を常に走り続けた。

桜永姉妹での番組出演や声優、WNR(wave net radio)の仕事もあり、さらに、地方のイベントにも積極的に参加した。

玲莉を救うこと-----4人の目的意識は明確で、全てのパフォーマンスがそこに繋がっていた。

既に24歳となり、居酒屋で音楽談義という名のクダまき、口喧嘩、ストレス発散もしばしば。
酒の強い美緒は強烈、AIの二人に因縁をつけては暴れたりした。翌日全く覚えてないのでタチが悪い。
でも、演奏練習を重ね、ライブ場数を踏んで、呑んで騒いで・・・4人の結束力はさらに高まっていった。

昨年、未来の美緒がLeapert社傘下の音楽レーベルNo-Rif-Recordを立ち上げて、リフレインはその専属バンドとなり、音楽活動はさらに躍進、各自が若手ミュージシャンの育成や、プロデュースも手掛け始めた。

そして、全ての足並みが揃い、
実行委員会は、明日実験開始を決定した。

2071年10月16日
実験演奏前日 夜
「お姉ちゃん、また飲んでる!
明日、本番だよ。」
「いいじゃん、風呂上がりの一杯、あんたも飲まない?」
「飲まないよ。本気でやるんだから。」

2066年以降、この時代の滞在が長期化する
見通しから、美緒と渚夢は、桜永教授(渚夢本人)が身元保証人となり、親戚の子と同居という名目で、3人一緒に暮らした。

NEW TSUKUBA cityの高層マンションに住む
桜永教授の部屋は、3人住むには十分すぎる
間取りで、生活には困らなかった。玲莉も経過観察の必要性から、国家予算で同マンションのお隣に越して来た。

さらに、まだ学生だといういう事で、姉妹は玲莉と同じつくば大学に編入。3人でキャンバスライフを過ごした。

2年前に大学卒業後は研究所の臨時職員として採用してもらい、研究、演奏、同施設内のカフェ店員までこなした。

その時点で桜永教授のマンションから、市内の別のマンションにそれぞれ引越しして、一人暮らしを始めた。

玲莉は検査入院や、実験臨床試験も多かったが、時間の空いた時は3人でショッピング、ミカやクリスも誘って居酒屋、も多かった。
飲んでグチを言う、最高のストレス発散だ。

実験前日、美緒のマンションを訪ねた渚夢は、屋上で星を見上げていた。
「星、きれいだね、」美緒が近づく。
「お姉ちゃん、明日の演奏大丈夫?」
「うん、平気、お客さんいないの寂しいけど楽しむよ、ナムちゃん緊張してんの?」

見透かされた渚夢は慌てて否定した、
「そんな事ないよ、ただ玲莉の事思うと心配で。」
「もう、お互い24のオバさんなんだから、心配ないわよ!」
「まだ若いもん、」

美緒が渚夢の頬をそっと触って呟いた、
「大丈夫、きっと上手くいくよ。」
「ホントに?」
「本当よ。」
「証拠あるの?」

美緒は渚夢の横に並んで、手すりにもたれて言った。
「お母さんになったあなた、桜永教授は、子供の頃あなただったでしょ?という事は、演奏実験経験して、上手くいって、今のポジションにいるわけじゃん。
あの人、実験が成功するって分かってるんだよ。きっと。」

渚夢が怪訝そうに見る
「ウソー、それだったら、教えてくれても・・」
「ダメ、もし教えて、未来が変わってしまったらマズイからね。知らん顔してんのよ。」
「そうかなー?」

渚夢はよく分からなくなつていた。
「タイムパラドックスって言うんでしょ?
どうしたらいいの?」

美緒がすかさず、
「簡単よ。ナムの思うままに進むの。
自分を信じて。きっとうまく行くから。
真剣に向き合えば結果はついてくる、
教授も、同じように考えてると思うわ。」

俯きながら聞いていた渚夢が、星空を見上げて、
「分かった。お姉ちゃん、ありがと。
勇気もらった、そうだよね。教授もきっと不安だよね。自分が結果を教えて、未来が変わってしまったらと思うと怖いよね。」

渚夢の表情が次第に明るくなった。
「お姉ちゃん、明日頑張ろ。結果がどうであれ、私達の出来る事を一生懸命やったらいいの。」

「よし、いつものナムに戻ったきたな。
やるよ、あした、全力投球!」
「うん、やる、絶対成功させる、玲莉助ける」
二人は拳をタッチした。

星空が彼女らの未来を見守っているようだった。


そして、ついにその日を迎えた。
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3-2   【実験演奏当日】

2071年10月17日
つくば大時間跳躍制御研究所 第一実験棟
Aホール

特設ステージをLeapert社系列のコンサートプロデュース会社J・neiroduftに委託、AIMコンサートプロデュースの大手で優れた演出・音響ノウハウの頭脳集団がバックアップしてくれた。

左右の巨大スピーカーと、非振動型空閑スピーカーを散布した中央ステージに、
左側=渚夢のスタンウェイグランドピアノ、直角位置にフェンダーローズスーツケースピアノ、中央=クリスティーナのドラムセット、 
右側の=ミカのウッドベースとエレキベース、
中央前面=美緒のギターとエフェクターボックスセット

マイクは、リアルマイク&マイクスタンド
およびエアマイクを空中配備 

さらにAIクラウドバックアップサーバーを後方にセットしている。

照明は、ヘッドギア直轄の脳内イメージ実現型ライトニングと新方向プロジェクションマッピングを装備、ドローンカメラでのライブ動画もスタンバイしていた。

モニターセンサーは、非体接触型エアモニターを多数散布、それらを隣室のモニタールームでリアルタイムチェック体制だった。

モニタールームは、大きな偏光ウインドウを挟んでコンソール機器と,ディスプレイに囲まれた"何かの基地のような雰囲気"
中央にチーフプロデューサー、その横に桜永渚夢教授、演出プロデューサー、音響プロデューサーがならび、後部のモニタリング席に時間跳躍制御研のチームスタッフが各モニターシステムの前に数人配置されていた。

各セクションのチェック状況を各プロデューサーが確認してチーフプロデューサーに報告、全てのチェック完了を待って、桜永教授が立ち上がり、コンソールマイクで語りかける。


ーーー渾身の行動・希望のヒカリーーー

「これまでの演奏と違い、本日から脳内感応波動のリアルタイム干渉システムを使用します。
 渚夢さんの演奏の“感情構造”が、玲莉さんの時間感覚にどのように影響するか——」

「予測不能な部分が鍵です。前回と同じ“演奏佳境の変調”が生じたら、確実に記録してください」
桜永渚夢教授は静かに答えた。

宥下と出雲崎がモニタールームのミキシング機器と連携時間位相管理システムをチェック、スタンバイ完了を手で合図する。


同研究所第一実験棟B実験室

各種センサーとモニターディスプレイに囲まれた生命維持装置支援型ベッドに、桜永玲莉が横たわっている。
酸素吸入器を付けて、アイゴーグル型センサーとベッドキア型センサー、人工透析機器等を付けた救命危機で完璧に防護された状態、

バイタルサインモニター
心電図モニター
パルスオキシメーター
血圧計
と、ありとあらゆる生体機器が備わっていた。

そして、今回時空研が彼女のために特別に開発した『時間位相歪度測定システム』と、『位相振幅補正制御システム』、とそのデータサーバーが取り付けられていた。

「バイタルサインすべて正常値内。」
「時間位相歪曲総角 54.89  警戒水準のまま。」
「Venoreas gady値 200±3.8khf  高水準です。」

「観測値はオールグリーンです」
各研究員が応える。


演奏開始
それでは——」

ステージに立った桜永教授が深く息を吸い、渚夢たちに目配せを送る。

「第1期、治療波動検証演奏——開始します」

ローズの音が放たれた――。
静かなイントロ。少しうねるような柔らかな音が響く。

——静かに、優しく、ゆっくりと。

美緒のギターが包むように寄り添い、クリスティーナのブラシドラムが鼓動のように重なっていく。
ミカのベースが、低く、安定した波を描いた。

そして、

3-3    【実験演奏ファーストテイク】

演奏は、渚夢がかつてこの世界に来てすぐに書いた、オリジナル曲
【アスピレーション・トゥ・ザ・フューチャー】
複雑なコード進行、切り替わるテンポ、スリリングな転調。
クリスのスネアが走り、ミカの低音がうねり、美緒のコードワークとショートリフが空間を切り裂く。


玲莉さんの位相歪度ゆらぎ、20%減少……」
「感情波動、鎮静化傾向」

出雲崎の声に緊張が走る。

「……脳内共鳴帯域、フェーズ3に入ります。
 これは——時間的安定が得られている可能性あり!」

「じゃあ、いくよ。みんな、玲莉、」
渚夢は静かにそして、端正で力強い演奏を開始した。

「1.2.3.4」
クリスティーナのスティックがや鳴る
渚夢の指は、正確に勢い良く走る。
ベース、ドラムが同時に続く。
彼女のピアノは、記憶と未来の間を駆け抜ける音そのものだった。
「うん、ドラム安定してる、ベースランニングも恐ろしいほど正確、リズム隊が引っ張ってくれるから躊躇なく攻められる。」

ソロのF7コードで8小節、コード変化のないモード部分は多彩な演奏ができる。綺麗なメロディラインから徐々に「アウト」したフレイズを繰り広げる。左手の4thbuildコードと右手フレーズが絶妙なタイミングでメロディを奏でる。

「ここから本気行くよ!」
渚夢は椅子を捻り、フェンダーローズかスタンウェイングランドピアノに向きを変え、アコースティックピアノの照明で光る鍵盤を一気に叩き込んだ。

完全4度、ディミニッシュ、ホールトーン、増5度、増4度・・・テンション感の高い和音を半音上下に転調。この不安定さが逆にカッコいい。
一旦トニック和音に戻り、安心感を出して、再び「アウト」フレーズを叩き出す。

増4度上の裏コードのペンタトニックを組み入れたり、リズム変化を仕掛けながら、緊張感のある掛け合いをドラム、ベースと目配せしながら走り抜けた。

待ってましたと美緒が参入、
渚夢の「アウト」フレイズにカウンターメロディで攻め入って超絶速弾きを見せつける。

「今日は渚夢のソロがメイン。私のソロパート無いかも、じゃあ、渚ちゃんのソロに被せていこう。」

ディストーションの効いた、それでいて綺麗で正確なフレイズを次々と繰り出していった。

ミカは二人のバトルを嬉しそうにベースラインで支える。アドリブソロの次のフレイズを瞬間計算判断して、ソロフレイズの合間に絶妙なタイミングでねじ込む。
その絶妙な音列に渚夢が驚いた表情を見せる。

クリスはハイハットでリズムキープしながら、シンバル、スネア、バスドラを攻撃的に叩きまくる。
そのリズムが渚夢のフレイズ、美緒のリフに鋭く反応する。

すべてが最高に極められた音世界を構築。

4人はお互いに顔を見合わせて紅潮し、演奏は
ピークを迎えつつあると感じ始めた。


宥下研究員 がモニターと演奏を見比べながら話し出す。
「思考と音楽は構造を持つ“知的波動”です。
 それが時間の位相に干渉することで、
 玲莉さんの身体のズレを微細に補正できる可能性があります——」

フリージャズに近いカオスで音列が交差して、
その無秩序が一つの秩序になりかけた。

だがそのとき――。
玲莉への想いが心の表面に滲み出て来て
突然、渚夢の指が、ふと止まる。

2小節、8拍 約1秒の静寂。
演奏ピークでの仕組んだブレイクを
ドラム、ベースとも瞬間的に把握しプレイをブレイク、見事にピタッと止まる。
そして、その指は、柔らかな音を静かに奏で始めた。

それは、「音律のカタルシス」

彼女がまだ若き日に、実家でひとりローズピアノに向かって紡いだ旋律、静かな子守唄のようなバラードナンバー。

ゆっくりと、まるで空に虹がかかるように――

 ラ、レ、ソ… ファ、ミ、ド♯
 レ、ファ、ド… シ、ラ♭、ソ…

モニタールームの桜永教授は思い出していた――
玲莉がまだ小さな頃、母になったばかりの自分が、
この曲を子守唄のように弾いて聞かせた夜のことを。

あの頃の玲莉は、まだ何も言葉を持たなかった。
けれど渚夢の指先から流れるこの旋律を聞くと、
いつも安心したように笑って、すうっと眠りについた。

 あの笑顔が、今ここに――


美緒のギターがそっとハーモニクスを乗せる。
ミカのベースが低く優しく寄り添う。
クリスティーナのブラシがまるで風のようにスネアを撫でる。

それは、音楽が愛になる瞬間だった。

そして、唐突に、何と、渚夢はメロディに合わせて歌い始めた。



♪ ねぇ あなたの心の中に
 感じるの音のさざなみ
 ほら 悲しみを包み込んで
 空の彼方へ羽ばたくの

だから もう泣かなくていい
 あなたの音は戻ってくる
 この手が、瞳が、ときめく歌が
 あなたの心に届くから――


ピアノの響きと歌声が重なり、ホール全体が静寂に包まれた。鳥肌の立つ感動が人々に伝播する。



渚夢のピアノが、静かに一音ずつ紡がれていく。
それは、どこか懐かしく、遠い記憶を手繰り寄せるような音色だった。

「……このメロディ、知ってる……」

玲莉は微かに唇を動かす。
子どもの頃、夢の中で何度も聴いた、優しい音。
幼い自分の髪を撫でながら、母が弾いてくれた──そんな気がした。

演奏はゆっくりとクレッシェンドし、全身に熱が広がっていく。

涙が、自然とこぼれた。

「お母さん……」
彼女は誰にともなく呟いた。
その瞬間、音と身体が、完全にひとつになった。

計器が鳴り、安定波動領域の突入が告げられた。

演奏を聴きながら、モニターの向こうで玲莉の身体がゆっくりと反応し始めた。
センサーが読み取る生体波動が、明らかに「安定領域」に入っていく。
電極のランプが七色に光り、波形が“共鳴”のピークを描く。

…身体反応! 位相共振——波動安定領域に突入!」

「時間揺らぎ、臨界点を越えました!」

「バイタル、上昇傾向! 彼女の体が、“戻ってきてる”!」

音の波形が七色に輝き、
それはまるで渚夢の声そのものが、癒しの波長となって玲莉の身体に染み込んでいくようだった。

玲莉の頬が、すっと紅を帯びた。
眠るように閉じていた瞳が、わずかに動く

観測スタッフが次々に報告する中、
玲莉の唇が、かすかに動いた。


「・・・な・・む・・・」

それは、過去から現在へ。母と娘が、音で繋がった瞬間だった。

「……これは……!」
「過去と未来の干渉共鳴が中和されている!」

実験室の研究員が息を呑んだ瞬間――

玲莉のまぶたがゆっくりと開いた。

目の奥に、うっすらと色が戻っていく。

まるで、世界がもう一度、色づいていくように。

4人の演奏が、ひとつの波となって、玲莉を包み込む。

「即興演奏の感情パターン」が時間跳躍安定化に効果を与えてるの!」
桜永教授が唸る。

——音が、時間の揺らぎを包み、修復していく。
——それは、未来を救う“音”だった。

そして、曲のラストテーマに戻り、余韻を楽しむようにテンポを半分に落として、リハーモナイズの錬成されたテーマ部分を優しく、そしてブルージーに弾き込んだ。

ベースが、ドラムが、ギターが、綺麗に渚夢のテーマに絡みながらエンディングを迎える。

演奏が静かに終わる頃。
玲莉は微かにゆっくりと身体を起こして、ガラス越しに演奏する渚夢を見つめた。

その瞬間を大型ディスプレイで見た渚夢は、鍵盤の上で指を止め、深く息を吸い込み、ただ一言、心からの想いを込めて、囁いた。

「――ありがとう、玲莉」

その言葉に、ドラムのクリスティーナが泣き出した。
ギターの美緒も、ベースのミカも、ひとり、またひとりと涙が頬を伝う。
誰もが演奏しながら涙を流す。けれど、誰一人、音を止めなかった。

音楽は、鳴り続けていた。

それは時を超えた母の愛であり、
仲間と奏でた、最高のセッションであり、
失われた音を取り戻す、心の再生だった。

 
この瞬間、音と命の息吹が一つになった。

そして、
この日この時、彼女たちは確かにーー
――**“奇跡を起こした”**のだった。




第4章 エピローグ 未来に繋ぐ音律


エピローグ①:別れの朝

―2071年10月18日 つくば―

早朝の空気はどこか澄んでいて、空には秋の陽光が淡く射していた。
前日の演奏実験は無事成功し、玲莉の身体も奇跡のように安定していた。

そしてこの日、渚夢と美緒は、それぞれの時間へ帰還することになっていた。

研究所地下にある、専用の跳躍起動室。
そこに、ひっそりと待機している** TPU(Time-phase Pod Unit  時間跳躍装置**が姿を見せる。


それは、球体のような外郭を持つ透明なポッドで、内部に音波の粒子が光のリボンのように舞っている。
赤い文字のエンブレム「TPU-01」が映える。
まるで、音がそのまま物質化したかのような、美しく幻想的な装置だった。

玲莉は、出口に並んで立っていた。
白衣の上にパーカーを羽織り、どこか名残惜しそうに見つめている。

「……ついに、この時が来たね」

渚夢は小さくうなずき、ポケットから二枚の小さなデータシートを取り出す。
それは、玲莉が自らデータベースから描き起こした、2071年の株価チャートだった。

「これ……お願い。過去に戻ったら、必要なタイミングで役立てて。
未来の株価、すべて掲載されてるから。値上がりした銘柄を自動抽出するプログラム組んであるの。 

これから上がる株式を買って、1年後、2年後、と毎年上がった株式を売って利益をアカウントに貯めていけるようセットしてある。

これで安定してお金貯まるから、将来の生活に使って。」

「ああ、そうだったのか!
玲莉と暮らしてた時のアカウントのお金、いつも減らずに残ってたのは、この仕組みなんだ!」

「教授になるまで、これを支えにしてたのか。」

「未来をつなげるための、大事な“音”だから。」

玲莉の手に、それがそっと渡された。

美緒は玲莉の肩を軽く叩いて言った。
「アンタの未来はもう大丈夫。今度は、こっちが背中押してやる番だよ。」

そして、ふたりはTPUに向かって歩き出す。
ポッドの前で、桜永教授が立っていた。静かな表情で、ただ一言だけ言う。

「ありがとう。……あなたたちがいてくれたから、この奇跡が起きたのよ。」

渚夢と美緒は、同時に微笑み返した。
この別れは新たな出発点、涙は見せたくない

そう思い、渚夢がそっと手を上げる。桜永家伝来の“時間停止”能力が発動され、世界がゆっくりと静止していく。

研究所の機器音も、スタッフの息づかいも、すべてが止まり――まるで、一枚の絵の中に閉じ込められたような静寂が広がった。

その中で、ふたりの姿だけが、ゆっくりとポッドの中へと歩みを進める。
光のリボンが渦を巻き、装置全体が淡く輝き始めた。

玲莉は、止まった時の中で微笑みを浮かべる。
教授は、わずかに手を差し出して、その旅立ちを見送った。

そして――音もなく、光とともに、ふたりの姿は消えていった。

未来のために。
過去を守るために。
繋がれた想いと音を、それぞれの時代に届けるために。

こうして、リフレインの物語は、新たな章へと向かっていった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エピローグ②

2071年、つくば大学時間跳躍制御研究所。
世界初の“音楽による時間共鳴治療”が成功した記録が、国際科学連盟により公開された。

被験者:玲莉。
診断名:遺伝性時間位相不安定障害(GTD-Ω型)。

治療手段:音響共鳴誘発型時間跳躍制御技術
(通称:TCS-Rhythm)

演奏者:渚夢、音楽理論研究者。美緒、AI融合音楽レーベルCEO。
支援:ADRミカ(ベース担当)/ADR-2クリスティーナ(ドラム担当)

演奏曲:“Aspiration to the fut future"
セッションによる共鳴の瞬間、観測された時間波の整流反応は、正確にホライゾンポイントを捉えた。 

2075年、人間が発する即興演奏の感情パターン」が時間跳躍安定化に効果を与えると判明。
この発見により、人工的音波演奏による跳躍→人間の演奏を媒介とした跳躍へと理論が転換。
2081年のプロジェクトに正式採用され、
第2世代跳躍演奏実験 として制度化。

この実験成功は、次世代の時間跳躍医療に向けた礎となり──

10年後、2081年。
若い新生バンドによる二度目の演奏実験により、人間とADR(高度知能アンドロイド)間の“感情共鳴と跳躍同期”が記録された。

音は、時を越える。
そして──音は、還る

【学会発表ーー科学と成果の報告】

2071年11月12日 東京学術未来都市ホール

その日、世界中の研究者たちが注目した国際学会の場において、
つくば大学時間跳躍制御研究所による**「音響時空医療の臨床成果」**が正式に発表された。

講演の壇上に立ったのは、桜永渚夢教授。
落ち着いた口調で、彼女は一連の演奏実験について語る。

背後のスクリーンに、演奏中の生体波動変化、時間位相歪曲の補正グラフ、そして玲莉の回復映像が映し出される。

「即興演奏によって得られる感情波動の構造が、
対象者の位相共振を引き起こし、時間障害を緩和・修復する」

「この成果は、AIによる制御演算を超えた、“人間特有の表現力”の重要性を示すものであり、
我々の“音”が、時間という存在に干渉しうることを証明しました」

会場が静まり返ったのち、万雷の拍手が鳴り響いた。

前列の研究者たちが立ち上がり、次々と拍手を送る。
そして後方からは、カジュアルな服装の若者たち――かつて音楽を諦めかけた学生や演奏者たちが、感極まったように声を上げた。

「……やっと、音楽が人類の"希望の光"になる日が来た」

誰かがそうつぶやいた。

最後に、桜永教授は語った。

「私たちの音は、たしかに“過去”を変えることはできないかもしれません。
でも、“未来”を響かせる力を持っている。そう信じています」

その言葉は、科学と芸術、理性と感情を越えて、
新時代の希望となって人々の胸に響き渡った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エピローグ③:再会と新しい音(帰還後の姉妹)

2040年・朝の桜永家

東京都・北部、外環道路沿いの住宅街。
リニアとTXの交差する郊外の一角に、小さな音楽が聞こえる家がある。

「あーーっ!もう7時15分!?お姉ちゃん起きてー!」
渚夢の叫び声が2階まで響く。

「……んー、大丈夫ー……あと5分で支度できるってばー」
美緒の眠たげな声が返る。

いつも通りの朝、だがその空気には、かつてなかった“確信”があった。

父・耀哉はトーストをかじりながら新聞に目を通す。
母・理恵は台所で2人のバタバタ劇に苦笑しながらお茶を入れていた。

「じゃ、私先に出るねー、音楽室寄るし!」

「待って!ピック忘れた!てか、ピアノ合わせてくれんでしょ?」

姉妹は玄関で笑い合い、リュックとギターケース、譜面フォルダを持って駆け出した。

2040年に帰還した姉妹、母愛彩弥は暖かく迎える。
「おかえりなさい、お疲れ様。」
「成功したのね。よかった。」
「ミカさんに助けてもらった?」
「えっ!なんで知ってるの?」
「そりゃ,そうよ。実は私も跳んだことあるもの。ミカさんに助けられたわ。」

既に大学卒業して、研究所職員の姉妹は、
親子4人一緒に暮らしながら、つくばに通勤を始めた。美緒は特に「5歳若返った」と喜んで生活していた。



音楽室・早朝セッション

通勤途中に立ち寄った、つくば大の教室棟の隅、音楽室の小さな個室に、朝の光が差し込んでいる。

鍵盤に座る渚夢、テレキャスターを抱える美緒。

「じゃ、まず“あの曲”いこうか」

「うん、“懐かしの音色”。コードはFからだよね」

渚夢が、ローズピアノのA音を一音だけ鳴らす。
美緒が、ギターのチューニングを合わせる。

そして、二人の音が重なる。

フレーズが走る。コードが揺れる。
やがて、かつて未来で演奏されたはずの旋律が──
今この瞬間に、確かに生まれた。

姉妹は微笑みながら、それぞれの音を紡いでゆく。
その音は、教室の外へ、空へ、そして時の彼方へと優しく響いていく。  

ーーーーーーー!

―2047年 春 東京

春風が舞う午後、中央線沿線のスタジオ街にて、ひとつのセッションルームが開かれていた。
そこで演奏されているのは、小さなインディーライブハウスに響くような、温かくも情熱的な音楽だった。

2040年に戻った渚夢と美緒。
ふたりは予定通り、5歳差の姉妹として元の人生を歩んでいた。

渚夢25歳、美緒31歳、しかし、実際に彼女らが経験した年月は、2人とも19歳で再会して、24歳で戻ってきたので、美緒は実際の年齢より若い状態で戻った形、つまり「若返った」事になる。

久しぶりのセッション。
渚夢のピアノは――変わっていた。

美緒が思わず演奏を止め、静かに尋ねる。

「……なんか、音が……ちがう。
すごく柔らかくて、あたたかい……まるで、誰かを包み込むみたい」

渚夢は少し照れくさそうに笑う。

「そりゃあ、母になったからね。
……娘を想って、たくさん弾いたよ。玲莉のために」

美緒は静かにうなずくと、再びギターを構えた。

「じゃあ、その音をもう一度聴かせて。
あんたの“未来”が、ここにあるって証拠を」

ふたりは視線を交わし、そして再び演奏を始めた。

ピアノとギターが絡み合う。
コード進行はかつてのまま、でも音の重みが違う。
それぞれが時を越えてきた音だ。

まるで、未来から吹いてきた春風のように――

そしてその曲の終わりに、美緒が呟いた。

「……玲莉にも、いつか聴かせたいね」

渚夢は静かにうなずいた。

「うん。あの子が、またピアノを弾きたくなったとき。
その時は、ちゃんと隣で、いっしょに弾いてあげたい」

スタジオの扉が、風に揺れて、ほんの少し軋んだ。

それは、未来への新たな“音の予感”だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エピローグ④:玲莉と教授のその後


時空医療の継承者として生きる玲莉

2072年。演奏治療により奇跡的に回復した玲莉は、その後長期リハビリと再調整を経て、再び音楽と学問の世界に戻ってきた。

つくば大学大学院に復学した彼女は、桜永教授の補佐として**「時空共鳴理論」**の研究に加わると同時に、自らも鍵盤を前に即興演奏を再開していた。

身体はまだ完全とは言えない。だが、彼女の演奏は変わった。
あの実験演奏を通じて得た“音と心と時の一体感”が、明確に指先に宿っていた。

「音で人を救うことができる──それを、私の生き方にするの」

玲莉は、母・渚夢と同じ研究者兼演奏者の道を選んだ。
時にラボで論文を書き、時に学生と即興セッションし、そして時に、障害を抱える子どもたちの前で静かに演奏する。

「わたし、教授になるよ」
かつての母に語ったその言葉は、今では研究棟の扉に刻まれている。


玲莉は研究職と並行して、音楽を志す若者たちに音の楽しさ、そして**「音が時間を癒す可能性」**を伝えるワークショップを開いた。

「即興とは、心のリズムをそのまま音にすることよ」

戸惑う生徒たちに、玲莉はにこやかに語る。

「どんな音でもいいの。自分が未来に向かって進もうとするとき、
その“決意の音”が、未来の自分を救うかもしれないから」

彼女の姿に、かつての渚夢教授を思い出す者も多かった。

学会、教育、演奏、そして未来への責任──

玲莉は、桜永家の血と音を引き継ぐ者として、
音と時間の灯火を絶やさぬよう歩み続けていた
 
そして2081年
都内・文京区。東大時空間跳躍研究所 音響共鳴センター
朝9時、玲莉は研究室の小型ドームで、AI研究者クリスティーナと共に次の実験データの準備をしていた。

「じゃあ今日のテスト波形、TLM-Phase7でいいわね?」

「うん、大丈夫。昨日の再現性も出てたし。ミカさんにも見せたいな……」

スクリーンの端に映る、10年前の演奏ログ。
そこには、母と自分を繋いだ“あの音”の波形が静かに揺れていた。

デスクの片隅には、額装されたコード譜と、フェンダーローズのストラップ。
「懐かしの音色」──
それが、彼女と母、そして“過去の命”を繋いだ奇跡の曲だった。

傍らのパネルには、玲莉の家族写真。
研究仲間であり夫である技術者の男性と、まだ2歳の娘の姿。

音楽と時間の狭間で、玲莉は確かに生きていた。
未来は、優しく続いていた。
 


エピローグ⑤:2081年 ― 第2世代跳躍演奏実験の始動

2081年。
つくば・第二時間跳躍制御研究所において、歴史的な新プロジェクトが始動した。

名称は──
「Resonant Temporal Convergence II」
(第2世代跳躍演奏実験)

きっかけは、2075年に未来の玲莉が過去の演奏データを再解析し、
“即興演奏の感情構造”が時間共鳴安定に決定的な効果を持つことを発見したことによる。

これにより、従来の「機械制御型タイムドライブ」理論は根本から見直され、
“人間の感情”が中核となる「共鳴型時空跳躍」理論へとパラダイムシフトが起こった。

新プロジェクトには、以下のような特徴があった。
・AIと人間の協奏による「情動フレーズ生成」
 →過去の演奏感情パターンをリアルタイムで演奏者にフィードバックし、音の選択を最適化
・音響共鳴コア(Resonance Core)」**の開発
 →音を媒介に時間に共振を起こし、指定された時間軸に「滑らかに着地」する技術
・"感情位相安定補助ユニット”によるアシスト
 →演奏者の精神状態を監視・サポートし、タイムリープ中の混乱を最小限に抑制

初期メンバーには、
若き日の玲莉の弟子たちや、ミカのAI派生モデルたちも参加していた。 

桜永教授(年老いた渚夢)が説明する:

「我々が跳べたのは、奇跡ではない。“音楽”が時の揺らぎのホライゾンポイントとぴたりと共鳴したからこそ跳べたのです。
今はもうその波形は崩れ、同じ音では跳べません。
だからこそ、新しい音を探し続けなければならない。」

(玲莉の弟子):「次なる音は、私たちが見つけます。」

そして、実験開始の日。

若き演奏者が、ローズピアノの前に座り、深呼吸をして指を置く。

ホールの天井に設置された“時間波動センサー”が共鳴し、
音と共に時間の膜が静かに揺らぐ。

その瞬間——
彼らの“音”が、再び時間を超えようとしていた。

それは、あの日、桜永渚夢たちが残した“音の遺産”に導かれた、新たな未来の幕開けだった。


人は、未来を知ったとき、ようやく“今”を大切にできる。

音楽は、言葉のない約束を交わし、
その響きの中に、想いと、時間を、繋げてゆく。

 ── 音は、還った。未来へと。

【終幕】






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