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秘密 6(作中作)
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『落日の眩耀』(後編)
・・《その日》・・
愛知県警蒲郡署 取り調べ室
「あの人が、娘に手を出していたことは知っておりました……」
「それは、いつ頃からなんでしょうか」
「一年程前からなんとなく、娘の態度が変わって……あなたも女だから解るでしょ」
「むっ…………」
「あの人……主人も、わたしから遠ざかるようになってしまって、最近では一緒にいても会話もなくて」
「それで、前のご主人に相談したんですね」
「いいえ違います、相談したわけでは。前の主人が、成長した娘に会いたいと言ってきたんです」
「失礼ですが、離婚したのはどれくらい前なんですか」
「娘が5歳の頃ですから12年くらいになります。前の主人は事業に失敗し、ヤミ金に手を出して、離婚後に自己破産をしました。その後は全く音信不通で、3ヶ月前にひょっこり家に現れて。ここではなんだからと、彼の車の中で話をしました」
「その時に、娘さんとご主人の関係を話されたんですか」
「はい、そうです。相談と言うよりも、会わせて欲しいとしつこいものですから、わたしもつい苛立ってしまって……」
「その話を聞いて、前のご主人はどんな様子でしたか」
「無言でした。ただ下を向いて、両手で握り拳をつくって、震えながらドンドンと車のハンドルを叩いていて……。わたし、恐くなってしまって」
「アパートの住民の話から、部屋に盗聴器を仕掛けたのはどうも、前のご主人のようです」
「んっ…………」
「それと、言いにくいお話なんですが。……娘さんは殺されたのではないようです」
「えっ、それはどういうことでしょうか……」
「事故です。検視の結果、性交の最中に、なんと言うか……行き過ぎた行為によるものだと」
「…………そんな…………」
「主任失礼します、犯人の車が見つかりました。現在蒲郡方面から三河湾スカイラインに向って逃亡中。白バイが追っています。白バイからの報告では、もう一台普通車が、逃亡車の後ろを追っている模様。警察の車両ではありません」
「承知した、こちらもすぐ向かう、幸田町方面から入り挟み撃ちにする。至急応援車両を回すように」
「了解しました。尚、もう一台の車両は白いワゴン車だそうです」
「えっ、前の主人と、同じ車だわ……」
「……とにかく急げ。国坂峠で挟み撃ちだ」
三河湾スカイラインを一台のパトカーが疾走している。 時は正に落日を迎え、朱色に耀く太陽が、それぞれの万感の思いと共に、水平線にその身を浸《ひた》そうとしていた。
「主任、あれですね」
サイレンをけたたましく鳴らしながらパトカーが国坂峠の駐車場に入って行く。
フロントガラス越しには、犯人が車から慌てて飛び出して行くのが見えた。犯人の車の後ろにはぴたりと白いワゴン車が停まり、その運転手が後を追う。手には出刃包丁が握られていた。
「そこのふたり、止まりなさい」
女性主任警官は、声を張り上げながら走り寄る。
追っていた男の手が、犯人の肩を掴んだ。
「やめなさい!」
逆光を浴びた女性警官の姿を確認した男は、一瞬動きが止まったが、直ぐに刃《やいば》を掴んだ手を犯人の頭上にかざした。
ドゴーン ゴーーー……
銃声と共に、栖《すみか》で微睡《まどろ》み始めた鳥たちが一斉に木々から飛び立つと、辺りは静寂に包まれた。
すぐさま男の警官が、犯人の身柄を確保し手錠をかける。撃たれたワゴン車の男は、ぐったりとその身を地面に横たえていた。その視線は、真っ直ぐ歩み寄る女性警官に向けられている。
傍《そば》に寄り、しゃがみこんで男の顔を確認すると、視線は変わらず彼女が来た方向に向けられていた。
振り返り、男の見つめる視線の先に目をやると、道路標識が立っている。
逆光の中、目を凝らす。
『県道 525号』とある。
標識の周りには、季節外れの真っ赤な彼岸花が、ゆらゆらと西風に揺れていた。
・・《エピローグ/落日の眩耀》・・
椅子に腰掛け微睡む少女。
窓の外を見つめているのは、その少女自身ではなかろうか……
「今」この瞬間、過ぎ去っていく時間は決して後戻りすることは出来ない。
逢魔が時、夢の中の少女には窓の外に何が見えたのか、決して来ない時を愁いでいるのか。
絵画を観ている内に、なんだか視界がぼやけてきた。
私は泣いているのか……
どういう訳だかこのまま、この絵をずっと観ていたくなった。
しかし、夢を終わらせねばならぬ。
黒いドア。
多分これが、最後のステージなのだろう。
これで終わりにしよう。
覚悟を決めドアを開ける……
落日に目が眩み、膝をついてしまった。
・・【 了 】・・
読み終えた新見は、暫く目を閉じ思考を巡らせた。
「真犯人は存在する。不倫していた男性教師は多分、何者かによって被害者が強姦殺害された後に、部屋を訪れたのだろう。無惨に犯され、殺された恋人を見て居たたまれなくなった。だから……。しかし、何故、男性教師は無罪を主張しないのか」
「愛する人の尋常ならざる突然の死に直面して、こころが一時的に『受動的ニヒリズム』、ニーチェが説いた、いわゆる『虚無主義』に到ってしまったのよ。何も信じられない事態に絶望し、疲れきってしまった。髪の毛をとかしてあげたり、衣服を着させてあげたりしている行為は、その現れだと思うの。普通なら部屋に指紋を残さない、現場から直ぐに出て行くわ」
「虚無……精神の憔悴」
「えぇ、小説の主人公は盗聴により娘の痴態と死を知ることになる。同じね。正に精神の憔悴、虚無に支配された。容疑者の教師はたぶん、暫くはまともに話が出来ないと思うの。だから、早く真犯人を捕まえないと冤罪の不幸が」
その後の捜査で、向かいのアパートに住む46歳の男が捜査線上にあがり、逮捕された。アパートの部屋からは、被害者の盗撮された写真が何枚か押収され、下着も発見された。誤認逮捕の男性教師は妻と離婚後、未遂ではあるが、絞首自殺を図っている。
・・《その日》・・
愛知県警蒲郡署 取り調べ室
「あの人が、娘に手を出していたことは知っておりました……」
「それは、いつ頃からなんでしょうか」
「一年程前からなんとなく、娘の態度が変わって……あなたも女だから解るでしょ」
「むっ…………」
「あの人……主人も、わたしから遠ざかるようになってしまって、最近では一緒にいても会話もなくて」
「それで、前のご主人に相談したんですね」
「いいえ違います、相談したわけでは。前の主人が、成長した娘に会いたいと言ってきたんです」
「失礼ですが、離婚したのはどれくらい前なんですか」
「娘が5歳の頃ですから12年くらいになります。前の主人は事業に失敗し、ヤミ金に手を出して、離婚後に自己破産をしました。その後は全く音信不通で、3ヶ月前にひょっこり家に現れて。ここではなんだからと、彼の車の中で話をしました」
「その時に、娘さんとご主人の関係を話されたんですか」
「はい、そうです。相談と言うよりも、会わせて欲しいとしつこいものですから、わたしもつい苛立ってしまって……」
「その話を聞いて、前のご主人はどんな様子でしたか」
「無言でした。ただ下を向いて、両手で握り拳をつくって、震えながらドンドンと車のハンドルを叩いていて……。わたし、恐くなってしまって」
「アパートの住民の話から、部屋に盗聴器を仕掛けたのはどうも、前のご主人のようです」
「んっ…………」
「それと、言いにくいお話なんですが。……娘さんは殺されたのではないようです」
「えっ、それはどういうことでしょうか……」
「事故です。検視の結果、性交の最中に、なんと言うか……行き過ぎた行為によるものだと」
「…………そんな…………」
「主任失礼します、犯人の車が見つかりました。現在蒲郡方面から三河湾スカイラインに向って逃亡中。白バイが追っています。白バイからの報告では、もう一台普通車が、逃亡車の後ろを追っている模様。警察の車両ではありません」
「承知した、こちらもすぐ向かう、幸田町方面から入り挟み撃ちにする。至急応援車両を回すように」
「了解しました。尚、もう一台の車両は白いワゴン車だそうです」
「えっ、前の主人と、同じ車だわ……」
「……とにかく急げ。国坂峠で挟み撃ちだ」
三河湾スカイラインを一台のパトカーが疾走している。 時は正に落日を迎え、朱色に耀く太陽が、それぞれの万感の思いと共に、水平線にその身を浸《ひた》そうとしていた。
「主任、あれですね」
サイレンをけたたましく鳴らしながらパトカーが国坂峠の駐車場に入って行く。
フロントガラス越しには、犯人が車から慌てて飛び出して行くのが見えた。犯人の車の後ろにはぴたりと白いワゴン車が停まり、その運転手が後を追う。手には出刃包丁が握られていた。
「そこのふたり、止まりなさい」
女性主任警官は、声を張り上げながら走り寄る。
追っていた男の手が、犯人の肩を掴んだ。
「やめなさい!」
逆光を浴びた女性警官の姿を確認した男は、一瞬動きが止まったが、直ぐに刃《やいば》を掴んだ手を犯人の頭上にかざした。
ドゴーン ゴーーー……
銃声と共に、栖《すみか》で微睡《まどろ》み始めた鳥たちが一斉に木々から飛び立つと、辺りは静寂に包まれた。
すぐさま男の警官が、犯人の身柄を確保し手錠をかける。撃たれたワゴン車の男は、ぐったりとその身を地面に横たえていた。その視線は、真っ直ぐ歩み寄る女性警官に向けられている。
傍《そば》に寄り、しゃがみこんで男の顔を確認すると、視線は変わらず彼女が来た方向に向けられていた。
振り返り、男の見つめる視線の先に目をやると、道路標識が立っている。
逆光の中、目を凝らす。
『県道 525号』とある。
標識の周りには、季節外れの真っ赤な彼岸花が、ゆらゆらと西風に揺れていた。
・・《エピローグ/落日の眩耀》・・
椅子に腰掛け微睡む少女。
窓の外を見つめているのは、その少女自身ではなかろうか……
「今」この瞬間、過ぎ去っていく時間は決して後戻りすることは出来ない。
逢魔が時、夢の中の少女には窓の外に何が見えたのか、決して来ない時を愁いでいるのか。
絵画を観ている内に、なんだか視界がぼやけてきた。
私は泣いているのか……
どういう訳だかこのまま、この絵をずっと観ていたくなった。
しかし、夢を終わらせねばならぬ。
黒いドア。
多分これが、最後のステージなのだろう。
これで終わりにしよう。
覚悟を決めドアを開ける……
落日に目が眩み、膝をついてしまった。
・・【 了 】・・
読み終えた新見は、暫く目を閉じ思考を巡らせた。
「真犯人は存在する。不倫していた男性教師は多分、何者かによって被害者が強姦殺害された後に、部屋を訪れたのだろう。無惨に犯され、殺された恋人を見て居たたまれなくなった。だから……。しかし、何故、男性教師は無罪を主張しないのか」
「愛する人の尋常ならざる突然の死に直面して、こころが一時的に『受動的ニヒリズム』、ニーチェが説いた、いわゆる『虚無主義』に到ってしまったのよ。何も信じられない事態に絶望し、疲れきってしまった。髪の毛をとかしてあげたり、衣服を着させてあげたりしている行為は、その現れだと思うの。普通なら部屋に指紋を残さない、現場から直ぐに出て行くわ」
「虚無……精神の憔悴」
「えぇ、小説の主人公は盗聴により娘の痴態と死を知ることになる。同じね。正に精神の憔悴、虚無に支配された。容疑者の教師はたぶん、暫くはまともに話が出来ないと思うの。だから、早く真犯人を捕まえないと冤罪の不幸が」
その後の捜査で、向かいのアパートに住む46歳の男が捜査線上にあがり、逮捕された。アパートの部屋からは、被害者の盗撮された写真が何枚か押収され、下着も発見された。誤認逮捕の男性教師は妻と離婚後、未遂ではあるが、絞首自殺を図っている。
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