新見啓一郎の事件簿~終天の朔~

麻生 凪

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エピローグ~願い・セキレイの歌~

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 静岡県警三島署 捜査本部会議室

 ・・・・

今夜は弦月、下弦の月がきれいに観られそう。ペルセウス流星群も見頃と言うことで、夜空を仰ぐ人が多いことでしょう。
スターダストは、カシオペア座との中間が放射点だとか……

どうか、下弦の明かりに流れ星が消されませんように。ささやかな願い事があるのです。

ほんとにささやかな、わたしの願いが。

 ・・・・

「ん、川村さんこの日記はなんですか」

「……それが警部、天野 礼子のノートパソコンのファイルから出てきましてね。登録は昨年の夏でした」

「礼子のパソコンから……なんだか、優しい日記ですね。出てきたものは、これだけですか」

「そうなんですよ、ファイルの他の中身は、全て消されているようです」

「そう……ですか……」

「……何を願っていたんでしょうなぁ」

 天野 礼子亡き今、恭平の供述からしか彼女の胸中を図り知ることは出来ない。
    幼少期から続いた孤独。祖父母を相次いで亡くした悲劇。御光の家での、苦悩に満ち満ちたであろう生活。故郷を捨て、漂泊に身を任せた慟哭の日々。

……願いというものは儚いものですね、まるで手から離れてゆく風船のようで……

(事件は、椎名 恭平の自白を以て解決をみた。が、しかし……、闇に隠された礼子の過去を、今となっては……)

「……何を願ったのかは解りませんが、残しておきたい言葉や想いというものは、誰もが胸にしまってあるのでしょうね。たとえそれが、はたから見たら些細なことに思われようとも……」

「……はい。そんな小さな願いが合わさって、世界は回っているのかも知れませんね」
 新見の言葉に大木は、大きく頷きながら応えた。

「ほう、大木……」
 新見は大木に向かい口元を緩め、優しく笑みを浮かべる。

「クス……クスクス……」
「んっ、川村さん、原田さん? 」

「なんですか川村警部補、笑うことはないでしょう、原田さんまで。もう、我ながら上出来だと思ったのに」

「いやすまない、大木にしては確かにいい話をした、しかし、お前も新見警部に似て、ロマンチストになったもんだ」

「ロマンチスト……それは誉め言葉と、受け取っておきます」

「えっ川村さん、僕がロマンチストに見えますか」

「警部、失礼しました。私は、じゅうぶんロマンチストだと思いますよ」

「私もそう思いますよ」

「うっ、山崎署長……、恐れいります」

「いや、畏まらなくてよい。新見警部、今回は本当にありがとう。原田さんもお疲れ様でした。難解な事件を、これ程早く解決出来るとは思いませんでした」

「いえ、ぎりぎり間に合った感じです。私は運が良かった、三島署の優秀な人材に恵まれました。こちらこそ感謝申し上げます」

「また、謙遜を……が、確かにそうですね。初動捜査の重要性を、あらためて感じた事件でありました。何処かの場面で30分でも遅れていたら、パソコンの日記サイトには辿り着けなかったですから」

「はい、そうです。それと署長、川村警部補がかねてから推奨する、『セカンドエフォート』の精神も力を発揮してくれました。私は三島署時代から叩き込まれましたからね」

「そんな、恐縮です。私は肝心な時に現場から離れてしまった。新見警部は私の代わりに最前線に立ち、捜査員の模範となってくれました。今回の早期解決は、これに尽きると思います。警部がいてくれたからこそ……」

 刹那、川村は言葉を止め新美を見つめると、ゆっくり続けた。

「……警察官の正義とは何か、それは被害者の無念を晴らすことだ。早期解決、犯人逮捕が無念の鎮魂となることを願う」
 
「それは…………」

「そう、警部の言葉です」
 川村は、スッと右手を差し出す。

「川村さん……、僕はその誇りを、あなたから学んだ。ありがとうございます」
 
 力強くその手を掴む新見を見つめ、大木は目頭を押さえた。


「ではそろそろ、県警本部に戻りますね」

「……よーし、全員注目! 姿勢を正し、新見啓一郎警部に敬礼!」

 カツッ、サッ、
「ありがとうございました!」

 ・・・・

 静岡県駿東郡清水町 柿田川公園

 高知県の四万十川、岐阜県の長良川と並び、日本を代表する三大清流として知られる柿田川。柿田川は、一目見れば、その透明感に圧倒される美しい川だ。富士山周辺に降った雨や雪が、数千年前の富士山噴火で流失した溶岩の中を通り、その溶岩の南端である清水町にて地上に湧き出た地下水が、柿田川のもととなっている。

「柿田川の湧き水になって地上に現れるまでに、26から28年の年月がかかるそうだよ」

「そうなんだ、じゃあ今流れている川の水に、私の生まれた頃に、富士山に降った雨水や雪解け水が含まれているってことかしら、なんか不思議」

「ななちゃん、ウォーキングだなんて言っておきながら、時間がとれず、申し訳ない」

「いいんです。こうして最後に時間をつくってくれて、感謝してますよ。柿田川湧水をゆっくり見るのなんて何年ぶりかしら。ただ、ひとつが……せっかく二人で来てるんだから……」

(そんな小さな願いが合わさって……フッ、大木め……)
 新見は七海に目をやると、さっと片手を伸ばし、掌を広げた。

「うれしいっ」
 七海は両手でしっかり握りしめる。

 チュチチ、チチッ

「あっ、鳥の鳴き声ね、向こうの階段の方から聞こえるわ。行ってみましょ、貴船神社だって、小さなお社《やしろ》ね」

「へぇ、そうなんだ。京都貴船神社本宮の分社なんだって、あっ……」

「えぇなに、啓一郎さん、その先も読んでよ」

「あっ、いやっ」

「ん、見せて、なになに……水の神様で……恋を祈る神社、縁結びだって。フフッ、石碑上の紅白の丸い石、『おむすび』に触れると恋愛運がアップします……、だってよぉ」

 チュチチ、チチュチチ……

「あ、やっぱりさっきの鳥が鳴いてるわ、なんて鳥かしら」

「セキレイじゃないかなぁ、お腹が黄色いから、キセキレイか……」

「これがセキレイなのね、可愛い!近くで見るのは初めて……あっそうだ、フフッ、啓一郎さん、セキレイの伝説ってご存知?」

「えっ、うーん、知らないが」

「啓一郎さんにも、知らないことってあるのね」

「…………」

「じゃあ、お話《はな》ししてあげる。昔むかし、男女 二柱《ふたはしら》の神、イザナギとイザナミが天から降りてきて、日本の国を産みだそうというときに、そのやり方がわかりませんでした」

「ふむふむ……」

「すると、セキレイがひょいとやってきて、二人の前で尾を上下に振り、見せてあげました。その動きを見て、純真無垢な二人は夫婦和合の方法を知り、次々と子ども、ええと……国や神のことね、を産んだとさ」

「えっ、どういうこと?」

「んーもう、尾を、腰を上下にふったのよ……」

「あっ、そういうことか。ハッハーなるほど!  で、この神様の子どもたちが日本人をつくったとされ、つまりはセキレイがいなかったら、日本人は存在しなかったことに……」

「啓一郎さん、ほんとは知ってたんでしょ……」

「ふふっ、知らなかったさ」

「もうっ、ほんとかなぁ」

「あっそうだ、ななちゃん、紅白の丸い石『おむすび』を、一緒に触って行こうか」


「……はいっ」


 かつては泉川、周辺地域は泉郷と呼ばれたが、高度経済成長期に豊富な湧水を求めて工場が進出。排水のたれ流しにより水質が悪化し、一時は魚も住めない状態になった。1975年、枯渇した川を元に戻すべく、地元住民が立ち上がり始まった保護活動は、ナショナルトラスト運動(柿田川みどりのトラスト)へと発展。自然環境を保全するための努力は現在も継続されている。

 長さ約1200m、川幅30~50m。小さな川にも関わらず、貴重な生態系を維持する流水は、ほぼ全量が湧水から成り、日量約110万トンの湧水は、静岡県東部地域約40万人の飲料水となる。

 ・・・・了

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