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カルテ2 ハート・クリニック2
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このみさんが用意してくれた資料にはクライアントさんの極秘情報として心療内科通院、と書かれていたのだけど、通っている医院の名前が記されていて、同じ紙片にぬかりなくその医院情報までプリントされていた。
さすがはこのみさんだ。
わたしは歩きながら名前と場所を確認する。
『はーとクリニック』
ここ、名前だけなら知っていたわ。
確か、数年前に駅前に開業したクリニックで、評判も上々とか。
駅前ビルね。
地図で確認した場所に行くと、真新しい大きなオフィスビルだった。
そのビルの3階。
エレベーターで昇って、ドアが開くとそこはすぐクリニックの入口だった。
ガラス扉には優しいピンク色のハートがペイントされ、そのハートの中に
『はーとクリニック』
とセンスの良さが光るバランスで書かれている。
〝ハート〟を〝はーと〟にしたのには、何かワンクッションを置く意図があるのかしら。
心療内科、という医院に抵抗なく入って行ける気遣いにも感じた。
中に入るとそこは清潔感溢れる、綺麗なフロアが拡がり、カウンターも明るく広かった。
昼休み中で受付には誰もいないけれどカウンターは開かれた状態で、来る者を拒む様子がなかった。
わたしは恐る恐る声を掛けてみた。
「お昼休み中にすみませーん」
少しして、奥から受付嬢と思われる女性が出て来て、彼女を見た瞬間わたしは、わぁ、と声を出しそうになった。
すごいエクステ。
睫毛が来た、と思ってしまった。
隙のないフルバージョンのメーキャップに一瞬怯みそうになったわたしは、あれ、と思う。
どこかで見たような、と感じたけれど、気のせいよね、とその印象は片隅に追いやって、営業スマイルに切り替えた。
「すみません、わたくし、芙蓉法律事務所、というところから来たこういう者なのですが」
自己紹介しながら、名刺を取り出して、お化粧の濃い受付嬢さんに手渡した。
「わたしのクライアントさんがこちらに通われているとのことなので、少しお伺いしたいと思いまして。
先生と少しお話しできますか」
法律事務所、と聞いて怪訝な表情を浮かべていた受付嬢さんは、事情を聞いて、ああ、と笑顔を見せた。
「今、先生は外に食事に行ってらっしゃいますので、お戻りになりましたら直ぐにお話しします。
よかったら、そちらに掛けてお待ちください」
ギャル嬢、じゃなかった、受付嬢さん、ギャルと見紛うメーキャップでも中身はちゃんとした受付嬢さんだった。
彼女はわたしに清潔感溢れる綺麗な待合室を手で指して案内すると、パタパタと奥に入って行った。
待合室の据わり心地の良さそうなソファーに腰を下ろしたわたしは、これから聞かなければいけないことを整理する為にバッグから資料のファイルを取り出した。
クライアントさんの、極秘ファイルに再確認の為、目を通す。
近藤恵果さん。28歳。結婚3年目。子供、無し。
御主人に離婚を申し出たのは彼女から。
理由は――今、巷でよく取り上げられている〝モラハラ〟。
常日頃から、ご主人から投げつけられる暴言の数々に、堪えかねた妻が離婚を申し出るも、ご主人が応じず。
協議離婚を諦めた妻は家を出て代理人を立て、調停まで持ち込んだ、というのが事の次第。
うちの事務所に来る案件としてはよくあるパターンなのだけど。
結婚、というものの経験の無いわたしには、どうして愛し合って一緒になった筈の奥さんを傷つけるような暴言が吐けるようになるのか、という疑問をいつも持ってしまう。
そんな事を言い出したらDVなんて本当に最悪の一言なのだけれど、刑事事件にまで発展しかねないハードな案件はまだ蓉子先生が受け持ってくれている。
蓉子先生なら裁判で戦ってクライアントの女性を守る力量も度胸も充分に兼ね備えている。
それに引き替え、わたしはまだ……。
〝裁判〟というキーワードが脳裏を掠めた瞬間、トラウマとなった過去の記憶が蘇った。
キーンという不快な耳鳴りを催しそうになり、わたしはこめかみを強く押さえる。
いけない、思い出すな、菊乃。
自分の心に言い聞かせ、眼前に拡がる寸前だった記憶のビジョンを掻き消した。
乱れた気持ちを静める為に深く息を吸い込んだ時、奥から声が聞こえてきた。
「法律事務所のクライアントさんがうちの患者さん?」
「そうなんです。
それで、少しお話しを聞きたいって今お見えになって――」
さっきの受付嬢さんのものと思われる声と、もう一人、男の人の声。
ここの先生の声?
あれ、ちょっと待って、この声。
胸が、ドクン、という大きな音を立てた。
マズイヨ。
わたしの本能が、そんな言葉を無意識に心の中で吐かせていた。
白衣を羽織りながら受付から姿を現したのは、背の高い青年医師。彼の顔が、わたしを見た瞬間驚愕の表情で固まった。
「翠川さん?」
神様は、意地悪だわ。
わたしをどこまで追い詰めれば気が済むのかしら。
「緒方君……久しぶり」
よろけそうになりながら立ち上がったわたしはこの時、そう言うのが精いっぱいだった。
けれど、動揺してテンパりかけているわたしの頭の中に冷静な観察眼があって、そこだけは怖いくらい正常に作動していた。
ああ、あの受付嬢さんは、この前駅で見かけた女の子の一人。
お化粧が濃いのは――この若いお医者様のせい?
その後現れたもう一人の受付嬢も、負けず劣らずフルメーキャップ。
緒方君は、罪作りだ、と、わたしの心の声が呟いた。
さすがはこのみさんだ。
わたしは歩きながら名前と場所を確認する。
『はーとクリニック』
ここ、名前だけなら知っていたわ。
確か、数年前に駅前に開業したクリニックで、評判も上々とか。
駅前ビルね。
地図で確認した場所に行くと、真新しい大きなオフィスビルだった。
そのビルの3階。
エレベーターで昇って、ドアが開くとそこはすぐクリニックの入口だった。
ガラス扉には優しいピンク色のハートがペイントされ、そのハートの中に
『はーとクリニック』
とセンスの良さが光るバランスで書かれている。
〝ハート〟を〝はーと〟にしたのには、何かワンクッションを置く意図があるのかしら。
心療内科、という医院に抵抗なく入って行ける気遣いにも感じた。
中に入るとそこは清潔感溢れる、綺麗なフロアが拡がり、カウンターも明るく広かった。
昼休み中で受付には誰もいないけれどカウンターは開かれた状態で、来る者を拒む様子がなかった。
わたしは恐る恐る声を掛けてみた。
「お昼休み中にすみませーん」
少しして、奥から受付嬢と思われる女性が出て来て、彼女を見た瞬間わたしは、わぁ、と声を出しそうになった。
すごいエクステ。
睫毛が来た、と思ってしまった。
隙のないフルバージョンのメーキャップに一瞬怯みそうになったわたしは、あれ、と思う。
どこかで見たような、と感じたけれど、気のせいよね、とその印象は片隅に追いやって、営業スマイルに切り替えた。
「すみません、わたくし、芙蓉法律事務所、というところから来たこういう者なのですが」
自己紹介しながら、名刺を取り出して、お化粧の濃い受付嬢さんに手渡した。
「わたしのクライアントさんがこちらに通われているとのことなので、少しお伺いしたいと思いまして。
先生と少しお話しできますか」
法律事務所、と聞いて怪訝な表情を浮かべていた受付嬢さんは、事情を聞いて、ああ、と笑顔を見せた。
「今、先生は外に食事に行ってらっしゃいますので、お戻りになりましたら直ぐにお話しします。
よかったら、そちらに掛けてお待ちください」
ギャル嬢、じゃなかった、受付嬢さん、ギャルと見紛うメーキャップでも中身はちゃんとした受付嬢さんだった。
彼女はわたしに清潔感溢れる綺麗な待合室を手で指して案内すると、パタパタと奥に入って行った。
待合室の据わり心地の良さそうなソファーに腰を下ろしたわたしは、これから聞かなければいけないことを整理する為にバッグから資料のファイルを取り出した。
クライアントさんの、極秘ファイルに再確認の為、目を通す。
近藤恵果さん。28歳。結婚3年目。子供、無し。
御主人に離婚を申し出たのは彼女から。
理由は――今、巷でよく取り上げられている〝モラハラ〟。
常日頃から、ご主人から投げつけられる暴言の数々に、堪えかねた妻が離婚を申し出るも、ご主人が応じず。
協議離婚を諦めた妻は家を出て代理人を立て、調停まで持ち込んだ、というのが事の次第。
うちの事務所に来る案件としてはよくあるパターンなのだけど。
結婚、というものの経験の無いわたしには、どうして愛し合って一緒になった筈の奥さんを傷つけるような暴言が吐けるようになるのか、という疑問をいつも持ってしまう。
そんな事を言い出したらDVなんて本当に最悪の一言なのだけれど、刑事事件にまで発展しかねないハードな案件はまだ蓉子先生が受け持ってくれている。
蓉子先生なら裁判で戦ってクライアントの女性を守る力量も度胸も充分に兼ね備えている。
それに引き替え、わたしはまだ……。
〝裁判〟というキーワードが脳裏を掠めた瞬間、トラウマとなった過去の記憶が蘇った。
キーンという不快な耳鳴りを催しそうになり、わたしはこめかみを強く押さえる。
いけない、思い出すな、菊乃。
自分の心に言い聞かせ、眼前に拡がる寸前だった記憶のビジョンを掻き消した。
乱れた気持ちを静める為に深く息を吸い込んだ時、奥から声が聞こえてきた。
「法律事務所のクライアントさんがうちの患者さん?」
「そうなんです。
それで、少しお話しを聞きたいって今お見えになって――」
さっきの受付嬢さんのものと思われる声と、もう一人、男の人の声。
ここの先生の声?
あれ、ちょっと待って、この声。
胸が、ドクン、という大きな音を立てた。
マズイヨ。
わたしの本能が、そんな言葉を無意識に心の中で吐かせていた。
白衣を羽織りながら受付から姿を現したのは、背の高い青年医師。彼の顔が、わたしを見た瞬間驚愕の表情で固まった。
「翠川さん?」
神様は、意地悪だわ。
わたしをどこまで追い詰めれば気が済むのかしら。
「緒方君……久しぶり」
よろけそうになりながら立ち上がったわたしはこの時、そう言うのが精いっぱいだった。
けれど、動揺してテンパりかけているわたしの頭の中に冷静な観察眼があって、そこだけは怖いくらい正常に作動していた。
ああ、あの受付嬢さんは、この前駅で見かけた女の子の一人。
お化粧が濃いのは――この若いお医者様のせい?
その後現れたもう一人の受付嬢も、負けず劣らずフルメーキャップ。
緒方君は、罪作りだ、と、わたしの心の声が呟いた。
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