mammy【完結】

深智

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 カフェテリアの空いてる席を見つけて場所を取ると、少年は言った。

「座って待っててください。僕が買ってきます」
「ありがとう、じゃあ……」

 バッグから財布を出そうとしたわたしの手を遮って、彼は言った。

「ここは僕がごちそうします。フリーパスとか、全部出してもらっちゃったから。これくらいは出させてください」

 サラリと〝お返しだから〟というニュアンスを匂わせて、こちらに気を遣わせない。

 こんなに若いのに、と感心してしまう。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね」

 わたしの言葉に彼はニコッと笑って「待っててくだい」と一旦席を立った。

 足が長くて背の高い後ろ姿を見送りながらわたしはここまでの事を思い出していた。

 たまに『Oh!』とか『Fantastic!』といった感嘆と共に、少々日本的ではない大げさなジェスチャーをしていた。意識して抑えていたようだけど、きっと心からの反応には出てしまうのだろう。楽しんでいる事が窺えた。

 わたしの胸に〝可愛いな〟と思う気持ちが自然と底から湧いてくる。恋人に対する感情とは違う愛しさ? 抱いたことのない感情だった。安堵感にも似ていた。

 ライトアップされて宇宙船のような東京ドーム。キラキラと光りながら回る観覧車、メリーゴーランド。ここを取り囲むように高くそびえるホテルやビル群も煌々と光を放っていた。

 貴史とここに来た夜も、こんなだったかしら。色とりどりの光を見ていると、身体が地上から離れていくような錯覚に襲われる。フッと現実感が消える。

 わたしは今、もしかしたら異次元の世界に身を置いているのかもしれない。

 そんなわけないか。一人で肩を竦めた時、目の前に飲み口付きの蓋つき紙コップが差し出された。

「どうぞ」

 顔を上げるとあどけなさを残した少年の笑顔があった。

「ありがとう。ごちそうになります」

 両手で恭しく受け取って、顔を見合わせて笑った。

 向かい合う形で座った彼を見て、わたしは聞いた。

「小さな頃から海外?」

 彼は、ううん、と首を横に振った。

「中学に上がった頃かな。13歳になって直ぐだったから。それまではしっかり日本で育ったから、日本のことはちゃんと分かってるつもりですよ。あ、でも東京で育ったわけじゃないから、こうして迷子になりました」
「よかったわね、優しいお姉さまに会えて」
「自分で言いますか!」

 わたし達はアハハと笑い合った。

 お互いコーヒーを飲んで一息ついたところで、彼がおもむろに口を開いた。

「あの……」

 ちょっと躊躇がちに切り出した彼にわたしは「ん?」と続きを促した。

「あなたは、ここに何か思い出があるんですか?」

 少年の目がわたしの胸の内を窺う色を見せていた。その目を見ながらわたしは逆に聞く。

「どうして?」
「いや、さっき僕がここに戻って来る前、懐かしそうに周りを見回していたから。ここに何か特別な思い入れがあるのかな、って思ったんです」

 どうしてだろう。どうしてこの子はわたしの胸をこんなに安堵に満たしてくれるんだろう。

 わたしは静かに「あるの」と答えた。

「あるの。ここはね、彼と初めてデートした場所なの」

 会社から近くて21時まで営業している遊園地だったから、貴史と会社帰りに二人で来た。その日、夜景に包まれる中、貴史から「俺と付き合ってくれ」という言葉をもらった。

 知り合ってばかりの頃だった。退社時間が一緒になり、たまたまお互い一人だったから貴史が誘ってくれたのだけど、後から知った。貴史は最初からわたしを誘う予定で待っていてくれたこと。

 思い出は、不信不満を凌駕する。愛しさを増長させる。

「やっぱり彼を嫌いになんてなっていないですよね」

 まるでわたしの心をまるっと読み込んだみたいに微笑んで、少年は言った。わたしは素直に、うん、と頷いていた。

 少年はわたしに軽く睨んでみせる。

「仲直りしないと」

 年下の、しかも男の子にもっともな事を諭されたのは初めてだ。でもわたしの中にスッと浸透する。

 やっぱりこの子は他人のような気がしない。まるで私の身体の一部のように、自然に心と融け込んでくる。

「わかってるのよ。でもね、不安なの。このまま結婚しちゃって大丈夫かな、って。貴史ったら……」

 初めて会った少年に、今わたしの胸を覆い尽くす不安を吐露し始めていたわたしだったけれど、締めの一言を口にする時一瞬躊躇った。僅かな間を置いて、一気に言う。

「マザコンなんだもの」

 彼は、目を丸くして私を見、直後にプッと吹き出した。

「どうして笑うのよ。わたしにしてみたら切実なのよ」

 軽く睨むわたしに少年は、相手の毒気を全て抜いてしまいそうな笑顔を向けた。

「そうですね、どうして笑っちゃったかな」
「そんなしみじみと言われると、なんだか複雑だわ」

 彼のその笑顔は、何だろう。癒し? 抱き締めたくなるような愛おしさ? 胸の底から湧いてくるなんとも表現し難い感情は、敢えて言い表すならば、可愛くて仕方ない、そんなところだろうか。

「でもね、彼にあまりにも〝母さん、母さん〟って連発されるとあまりいい気持にはなれないものなの。これはきっと、世の女性は皆そうだと思う」

 少年は、そっか、とコーヒーを飲みながら思案顔をした。そして、ゆっくりと口を開いた。

「その婚約者さんは、素敵な男性?」

 意表を突く問いに一瞬面食らったけれど、素直に答えた。

「ええ、素敵よ」

 脳裏には、非の打ちどころのない上質な大人の男、貴史の姿が映った。

「優しくて、でも男らしい勇ましさはちゃんと持っていて、頼りがいもあるの。素敵な人よ」

 わたしの言葉に少年は、フワッと微笑んだ。

「じゃあ、考え方を少し変えたらどうかな。彼をそんなに素敵な男に育てたのは誰なのかな、って」

 ドキッとした。

「彼を、育てた、人……」

 言いながら真っ先に思い浮かべてしまった人こそ、わたしを悩ませるその人だった。

 貴史が何故あれほど素敵な男性であるのか、ご両親を紹介された時に悟った。特に、お義母様だ。

 目の前の少年が「そう、育てた人」と微笑んでいる。

「分かりますよね、あなたなら」

 彼の言葉はズシンと胸に響いた。

「分かるわ」
「嫌い? その人が」

 ストレートな問いをぶつけられて答えに窮した。

――嫌い?

 自身の心に問いかけ、わたしは懸命に冷静に、頭をクールダウンし、考えた。
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