mammy【完結】

深智

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 今わたし達の目の前には銀座線の三越前駅がある。都心近郊全域に蜘蛛の巣の如く張り巡らされたメトロ路線なら大抵のところには繋がる。とりあえずはここから出発しよう。

 彼を地下への階段が始まる駅入口へ促しながらわたしは聞いた。

「君、お家はどこなの」
「御茶ノ水です」
「御茶ノ水か。それなら簡単だわ」

 彼の答えを聞き、わたしはこの先のルートを決めた。

「ここから銀座まで行って丸の内線に乗り換えればいい。わたしは池袋だから御茶ノ水まで一緒に行けるから」
「良かった。ありがとうございます」

 礼儀正しい少年だった。育ちの良さもその立ち居振る舞いに表れている。きっと、親御さんが丁寧に育ててきた子なんだろうな。

 ふと脳裏に浮かんだ義母をわたしは掻き消した。

 誰が見ても素敵な男性と見るであろう貴史の、人となりのルーツは生い立ちにある。その事は認める。でも、素直に義母を認める気持ちにはなれない。義母を認めてしまったらわたしは気持ちの置き場所を見失いそうだから。

 ICカードを持っていなかった彼が切符を買うのを待ち、わたし達は一緒に改札を通った。ホームに下りて行くと丁度渋谷方面の列車が停まっていたので、乗り込んだ。

 列車が走り出すと、ドア付近に立ってわたし達は真っ暗な窓の外を見た。暗いトンネルの構内で轟音となった地下鉄の走行音を聞きながら、彼はわたしに聞いた。

「今日は、買い物とかでしたか?」

 視線の先には品のある笑顔があった。彼の笑顔はどうしてか、わたしの中で渦巻く不快な感情を中和する。心が素直に開いていくのを感じながらわたしは口を開いた。

「フィアンセと、デートだったの」

 彼は、「え」と慌てて辺りを見回した。その姿が可愛くて思わずプッと吹き出してしまう。

「大丈夫よ。あなたに声を掛けられた時はわたし一人だったから。実はね、あなたと出会う前に彼と喧嘩したから先に帰っちゃうところだったの」
「そうだったんですか」

 純朴そうな少年は、心配そうな表情を浮かべていた。そして、躊躇いがちに言葉を継いだ。

「いいんですか、帰っちゃって。連絡、しなくて大丈夫なんですか」

 わたしは「大丈夫」と笑ったけれど、頭の隅に安を残しているのも事実だった。追いかけてもくれず、電話もメールもくれない。もしかしたらこのまま、わたし達はダメになるのかもしれない。

 本来なら結婚式を間近に控え、もっと幸せに胸を弾ませている筈なのに。

 地下鉄の車輪がレールと擦れ、コンクリートの壁に反響する音は、カーブなどの影響なのか、時折けたたましい音となる。騒音が少し納まるまで会話を中断するほんのわずかな時間は気持ちを落ち着かせるに丁度よかった。

「お互いに少し頭を冷やす時間が必要だったのかな」

 騒音が落ち着いたところでわたしは呟くように言うと、彼はあまり納得していないような様子で、ふうん、と思案顔をして見せた。

「大人の男女って、難しいんだね」
「大人の男女、かぁ。あまりそんな風に考えた事なかった」

 わたしはアハハと力なく笑った。

「大人、なのかな」
「僕から見たら充分大人ですよ」

 会話がひと段落したところで、列車は銀座に到着し、降りたわたし達は今度は丸の内線に乗り換えた。

 再び列車に揺られる中で、彼は不意に真剣な目をわたしに向けた。

「フィアンセの事、嫌いになった訳じゃないですよね?」

 ドキッとした。貴史に聞かれたような錯覚を覚えたから。何故? と考えて直ぐに答えが出た。

 整った二重が綺麗な隆線を描き、その直ぐ上には凛々しい眉が顔全体の精悍さを演出する。

 やっぱりこの子、貴史に似てるんだ。

「嫌いになんて、なってないよ」

 わたしの胸の中には貴史がいる。「貴史!」って叫びたいくらいに愛しい貴方が。

 でもすれ違っている気がしたから。胸につかえた不安と不信に耐えられそうになかったから。

「それなら良かった。だって、結婚をするって決めた彼を嫌いになっちゃうなんて悲しいな、って思ったから」

 喉の奥に震えるような疼痛が込み上げた。

 どうしてこんなにも年が下の少年の言葉が胸に浸みるんだろう。

 それに、この子はどうしてこんなにわたし達のことを?

 そう思った時、彼が言った。

「僕、東京ドームシティーに行ってみたかったんだ。これから一緒に行きませんか」

 唐突の申し出だった。確かに、丸の内線でこのまま池袋方面に乗っていけば東京ドームのある後楽園駅がある。

 困惑の表情で見上げたわたしに彼はニコッと笑った。

「少し気晴らしになると思ったんです。〝この世の終わり〟みたいな顔してるから」

 わたしが「えっ」と両手で顔を挟むと彼は小さく舌を出して肩を竦めた。わたしはフッと笑ってしまう。

「なるほどね、いいかもしれない。パーッと遊んじゃおうか」
「やったーっ!」
「なんだ、キミが遊びたかったんじゃないの」
「バレましたか」

 わたしは彼の肩を拳で軽く叩いた。

 東京ドームシティー。〝パーッ〟と遊べるかどうかは難しいけれどね。




 わたしが5歳年上の貴史出会った時、彼は既に完成した大人の男性だった。10代の頃や20代前半の頃の貴史をわたしは知らない。

 今わたしの目の前で、乗り物系、体感系、等々ありとあらゆるアトラクションに目を輝かせてはしゃぐ少年を見ていてふと思った事があった。

 高校生の頃の貴史はこんな感じだったのかもしれない。

 貴史と喧嘩した事なんて忘れて、ジェットコースターやゴーカートに乗って、パーッと遊ぼう! と思ったのに、彼が楽しそうに笑う顔を見るたびに貴史の顔がチラついた。

 ダメだ、わたし。やっぱり忘れられない。

 ジェットコースターに乗って、スリルを楽しむ声を上げながら、わたしは思った。

 この場所がいけない。だってここは、貴史と初めてデートした場所だったんだもの――!



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