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学食にて
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たまに、見かけることはあった。入学式のキャンパスで初めて言葉を交わした時と変わらず、人を惹きつける雰囲気を纏う人だった。
いつも女の人と一緒の彼だったけれど、時折一人でいる時に見せる表情に、わたしの胸がキュッと締まった。何か、物足りないような、お腹が空いてるの? って聞きたくなる表情に思えたのだ。
でも、話しかけるなんて夢のまた夢。彼がわたしにくれるのは、苦しいような、痛いような、涙が出そうになる感覚だった。
それが何を意味する感情なのか、分からなくて、また苦しくなる、そんなことの繰り返しだった。
モヤモヤとした形のないこの気持ちはなんだか言葉に出来なくて、おケイちゃんにも話してなかった。話さなかったわたしが、悪かったのかしら……。
今は少し違う意味で、思い出すだけで涙が出そうになります。
「それはおケイが悪いな」
「だって~」
ランチのピーク時間を少し過ぎた学内レストランは、ほどよい賑やかさに包まれていた。
わたしは、おケイちゃんとおケイちゃんの彼氏、平田晃司さんと一緒に窓際のテーブルに座っていた。
おケイちゃんは、平田さんにさっきの一件で窘められていた。
「おせっかいが過ぎるとそれはただの迷惑だ。賢の性格はお前が一番知っていた筈だろう。見誤ったお前が悪い。ひまりさんが気の毒だ」
「あ、いいえっ、平田さん、おケイちゃんは良かれと思って……」
わたしは慌てておケイちゃんのことをかばったけれど。やっぱりさっきのことは、ショック過ぎて言葉が続かなかった。
ケンさんのわたしを見る目は、初めて会った時とは全然違った。
紹介されてわたしを見たケンさんは、ふうん、と言っただけで軽く会釈をして言った。
『ごめん、悪いけど、趣味じゃねーわ』
一言も発することが出来ずに茫然と立ち尽くすわたしを尻目に、ケンさんは、じゃあ、と手を軽く上げて去って行った。
覚えていなかった。ケンさんはわたしのこと、覚えていなかった。
ケンさんが放った言葉以上に、あの日のことを覚えていなかったことのショックの方が大きかった。
そう、だよね。あんなに素敵でモテるケンさん。女の子との接点なんてきっと星の数ほどあるんだ。わたしなんて流れゆく風景の一つに過ぎなかったんだ。
「ひまり!?」
気付くと、目から涙がぼろぼろと零れてきて。止まらなくなっていた。
去って行くケンさんの後姿が遠くなり、小さくなるのと、視界が曇って何も見えなくなるのと、どっちが先だったかな。
おケイちゃんが慌てて取り出したハンカチで涙を拭いてくれた。
「どうしたの、ひまり? どうして、泣くの? 初めて会った人なんだから、あんなこと言われたからってそんな泣くこと……」
「初めてじゃないの……」
え? と首を傾げたおケイちゃん。
わたしは、この時初めて、ケンさんとの二年前の出会いを、ずっと抱えていた微かな胸の痛みを、話した。
「ひまりさんは、強引豪快なお前とは根本から違うだろう。賢の性格も鑑みて、人にはそれぞれ付き合い方があるんだ、っていうことを考えてやらないといけないだろ。人と人の交際なんて、お前が今までやってきたことと同じように強引に推し進めてなんとかなるものでもあるまい? しかも、ひまりさんが前からケンを知っていて気になっていた、ともあれば尚更慎重にしてあげなければいけなかった」
そう話す平田さんは、片時も本を手放さない。時折視線を本に落としてコーヒーを飲みながら話す。
平田さんは、理学部の学生さんです。研究室からそのままやって来たのか、少しばかり皺のよった白衣を着てる。
お顔は、割と整った感じなんだけど、眼鏡に寝癖が、なんとも……。どこかの研究所の博士さん、といった雰囲気です。
教育学部のわたし達とは同じキャンパスでも建物がまったく違う。でも、おケイちゃんと平田さんは大抵こうして学食で一緒にお昼ご飯を食べることにしている。そんな二人のランチにわたしはいつもお邪魔する。
「だけど、まさかひまりがケンさんと出会っていたなんて知らなかったんだもの」
「だから、それをなかなか親友であるおケイにも言えない、というのがひまりさんの性格だ。そこをちゃんと見極められなかったお前が悪い、とさっきから言っている」
ツキンと胸が痛んだ。わたしはおケイちゃんに頭を下げる。
「ごめんね、おケイちゃん。話せなくて」
おケイちゃんはわたしの顔をそっと上げさせて、ううん、とすまなそうに首を振った。
「私こそ、ごめん」
おケイちゃんが素直に謝ると、平田さんが顔を上げた。それを見ておケイちゃん、それしても、と考えながら話し始めた。
「女の子を見てあんな態度取ったケンさん初めてで、私、面食らっちゃった。晃司、どうしてかな。ケンさん、彼女との修羅場なんて日常茶飯だし、あのくらいのことで」
あのくらいって……お、おケイちゃん、ケンさんはかなりお怒りのご様子でしたよ。
ああ、それにしても日常茶飯事なの? ケンさんって、そういう方だったの?
襲い掛かるショックに追い打ちをかけられ、うなだれそうになる頭をなんとか支えてわたしはおケイちゃんと平田さんの会話を聞いていた。
「今回は自分のミスでバレたんじゃないからいくら修羅場慣れしてる賢でも怒り心頭だったんだろう。お前の余計なお節介に関してはアイツも諦めてはいるだろうがな。やっぱり最悪のタイミングでひまりさんと賢を引き合わせたんだよ、お前は」
おケイちゃんの頭を、平田さんが丸めた本でポンと軽く叩きながら立ち上がった。
「じゃあ、俺は研究室に戻る。そろそろ教授が食事から戻る頃だ」
立ち上がった平田さんを見上げるおケイちゃんは「後で連絡する」と軽く手を挙げた。立ち去りかけた平田さんは、何か思い出したみたいにもう一度わたし達の方へ顔を向けた。
「おケイ、賢は本当にひまりさんにそんな言い方したのか」
おケイちゃん、頷く。
「そうよ、趣味じゃない、なんて。来るものは拒まずのあの人に趣味なんてあったのか、って思っちゃったけど」
一旦言葉を切ったおケイちゃんは、意味深にフフっと笑った。
「逆に、わたしの読みは間違いなかったかもって思った」
平田さんは、ふうん、と腕組みして、
「氷山が、解けるかな」
不思議な言葉を残して去って行った。
氷山?
「おケイちゃん、氷山って?」
おケイちゃんは、う~ん、と天井を見て少し考える顔をして、すぐにニコッと笑った。
「きっとそのうち分かるから」
そのうち、分かるの?
首を傾げたわたしの頭に、ふっと一つの疑問が浮かぶ。あれ、そう言えば。
「平田さんも、ケンさんのことよく知ってるの?」
平田さん、すごくケンさんのことを知ってるみたいに話していた。おケイちゃんとケンさんと、そういえば平田さんも同じ高校だったっけ。
コーヒーカップを手に取ったおケイちゃんはそうなのよ、と答えてくれた。
「晃司とケンさんは、中学の時からずっと一緒の親友同士なの」
「平田さんと、親友?」
驚くわたしにおケイちゃんはクスッと笑った。
「意外でしょ」
心の声が、おケイちゃんに聞こえたみたい。わたしは肩を竦めて小さく言った。
「だって、一緒にいるとこ、見たことないから」
おケイちゃん、そうだね、と頷いて思案する。
「ケンさんは経済学部で晃司とは学部が違うから。それでなくとも男同士はあっさりしてて、学内ではまず一緒にいないからね。でも、本当に仲はいいの。正反対のタイプで長く続く関係は、私とひまりの関係に似てるな、っていつも思ってた」
ケンさんは、おケイちゃんの高校の同級生で、おケイちゃんの彼氏の親友で。頭の中で人間関係を整理してみて一つの結論に辿り着いた。
あんなに探し求めていたケンさんは、こんなに傍にいた。わたしがちゃんとおケイちゃんに話していたら、もっと早く、違った形で――?
ううん。違う形で出会えたとしても、再会出来ていたとしても。きっとわたしはケンさんの心には僅かにも残らない。だって、あの日の記憶もなかったんだもの。
ケンさんは、沢山遊んでいる人だった。わたしの胸には、言葉に言い表せない想いと気持ちと感情が、ぐるぐるとまわっていた。
この、言葉にできない気持ちは、微熱のような、小さな灯のような、そんな微かな熱量を持って胸の中で燻り続けていた。
いつも女の人と一緒の彼だったけれど、時折一人でいる時に見せる表情に、わたしの胸がキュッと締まった。何か、物足りないような、お腹が空いてるの? って聞きたくなる表情に思えたのだ。
でも、話しかけるなんて夢のまた夢。彼がわたしにくれるのは、苦しいような、痛いような、涙が出そうになる感覚だった。
それが何を意味する感情なのか、分からなくて、また苦しくなる、そんなことの繰り返しだった。
モヤモヤとした形のないこの気持ちはなんだか言葉に出来なくて、おケイちゃんにも話してなかった。話さなかったわたしが、悪かったのかしら……。
今は少し違う意味で、思い出すだけで涙が出そうになります。
「それはおケイが悪いな」
「だって~」
ランチのピーク時間を少し過ぎた学内レストランは、ほどよい賑やかさに包まれていた。
わたしは、おケイちゃんとおケイちゃんの彼氏、平田晃司さんと一緒に窓際のテーブルに座っていた。
おケイちゃんは、平田さんにさっきの一件で窘められていた。
「おせっかいが過ぎるとそれはただの迷惑だ。賢の性格はお前が一番知っていた筈だろう。見誤ったお前が悪い。ひまりさんが気の毒だ」
「あ、いいえっ、平田さん、おケイちゃんは良かれと思って……」
わたしは慌てておケイちゃんのことをかばったけれど。やっぱりさっきのことは、ショック過ぎて言葉が続かなかった。
ケンさんのわたしを見る目は、初めて会った時とは全然違った。
紹介されてわたしを見たケンさんは、ふうん、と言っただけで軽く会釈をして言った。
『ごめん、悪いけど、趣味じゃねーわ』
一言も発することが出来ずに茫然と立ち尽くすわたしを尻目に、ケンさんは、じゃあ、と手を軽く上げて去って行った。
覚えていなかった。ケンさんはわたしのこと、覚えていなかった。
ケンさんが放った言葉以上に、あの日のことを覚えていなかったことのショックの方が大きかった。
そう、だよね。あんなに素敵でモテるケンさん。女の子との接点なんてきっと星の数ほどあるんだ。わたしなんて流れゆく風景の一つに過ぎなかったんだ。
「ひまり!?」
気付くと、目から涙がぼろぼろと零れてきて。止まらなくなっていた。
去って行くケンさんの後姿が遠くなり、小さくなるのと、視界が曇って何も見えなくなるのと、どっちが先だったかな。
おケイちゃんが慌てて取り出したハンカチで涙を拭いてくれた。
「どうしたの、ひまり? どうして、泣くの? 初めて会った人なんだから、あんなこと言われたからってそんな泣くこと……」
「初めてじゃないの……」
え? と首を傾げたおケイちゃん。
わたしは、この時初めて、ケンさんとの二年前の出会いを、ずっと抱えていた微かな胸の痛みを、話した。
「ひまりさんは、強引豪快なお前とは根本から違うだろう。賢の性格も鑑みて、人にはそれぞれ付き合い方があるんだ、っていうことを考えてやらないといけないだろ。人と人の交際なんて、お前が今までやってきたことと同じように強引に推し進めてなんとかなるものでもあるまい? しかも、ひまりさんが前からケンを知っていて気になっていた、ともあれば尚更慎重にしてあげなければいけなかった」
そう話す平田さんは、片時も本を手放さない。時折視線を本に落としてコーヒーを飲みながら話す。
平田さんは、理学部の学生さんです。研究室からそのままやって来たのか、少しばかり皺のよった白衣を着てる。
お顔は、割と整った感じなんだけど、眼鏡に寝癖が、なんとも……。どこかの研究所の博士さん、といった雰囲気です。
教育学部のわたし達とは同じキャンパスでも建物がまったく違う。でも、おケイちゃんと平田さんは大抵こうして学食で一緒にお昼ご飯を食べることにしている。そんな二人のランチにわたしはいつもお邪魔する。
「だけど、まさかひまりがケンさんと出会っていたなんて知らなかったんだもの」
「だから、それをなかなか親友であるおケイにも言えない、というのがひまりさんの性格だ。そこをちゃんと見極められなかったお前が悪い、とさっきから言っている」
ツキンと胸が痛んだ。わたしはおケイちゃんに頭を下げる。
「ごめんね、おケイちゃん。話せなくて」
おケイちゃんはわたしの顔をそっと上げさせて、ううん、とすまなそうに首を振った。
「私こそ、ごめん」
おケイちゃんが素直に謝ると、平田さんが顔を上げた。それを見ておケイちゃん、それしても、と考えながら話し始めた。
「女の子を見てあんな態度取ったケンさん初めてで、私、面食らっちゃった。晃司、どうしてかな。ケンさん、彼女との修羅場なんて日常茶飯だし、あのくらいのことで」
あのくらいって……お、おケイちゃん、ケンさんはかなりお怒りのご様子でしたよ。
ああ、それにしても日常茶飯事なの? ケンさんって、そういう方だったの?
襲い掛かるショックに追い打ちをかけられ、うなだれそうになる頭をなんとか支えてわたしはおケイちゃんと平田さんの会話を聞いていた。
「今回は自分のミスでバレたんじゃないからいくら修羅場慣れしてる賢でも怒り心頭だったんだろう。お前の余計なお節介に関してはアイツも諦めてはいるだろうがな。やっぱり最悪のタイミングでひまりさんと賢を引き合わせたんだよ、お前は」
おケイちゃんの頭を、平田さんが丸めた本でポンと軽く叩きながら立ち上がった。
「じゃあ、俺は研究室に戻る。そろそろ教授が食事から戻る頃だ」
立ち上がった平田さんを見上げるおケイちゃんは「後で連絡する」と軽く手を挙げた。立ち去りかけた平田さんは、何か思い出したみたいにもう一度わたし達の方へ顔を向けた。
「おケイ、賢は本当にひまりさんにそんな言い方したのか」
おケイちゃん、頷く。
「そうよ、趣味じゃない、なんて。来るものは拒まずのあの人に趣味なんてあったのか、って思っちゃったけど」
一旦言葉を切ったおケイちゃんは、意味深にフフっと笑った。
「逆に、わたしの読みは間違いなかったかもって思った」
平田さんは、ふうん、と腕組みして、
「氷山が、解けるかな」
不思議な言葉を残して去って行った。
氷山?
「おケイちゃん、氷山って?」
おケイちゃんは、う~ん、と天井を見て少し考える顔をして、すぐにニコッと笑った。
「きっとそのうち分かるから」
そのうち、分かるの?
首を傾げたわたしの頭に、ふっと一つの疑問が浮かぶ。あれ、そう言えば。
「平田さんも、ケンさんのことよく知ってるの?」
平田さん、すごくケンさんのことを知ってるみたいに話していた。おケイちゃんとケンさんと、そういえば平田さんも同じ高校だったっけ。
コーヒーカップを手に取ったおケイちゃんはそうなのよ、と答えてくれた。
「晃司とケンさんは、中学の時からずっと一緒の親友同士なの」
「平田さんと、親友?」
驚くわたしにおケイちゃんはクスッと笑った。
「意外でしょ」
心の声が、おケイちゃんに聞こえたみたい。わたしは肩を竦めて小さく言った。
「だって、一緒にいるとこ、見たことないから」
おケイちゃん、そうだね、と頷いて思案する。
「ケンさんは経済学部で晃司とは学部が違うから。それでなくとも男同士はあっさりしてて、学内ではまず一緒にいないからね。でも、本当に仲はいいの。正反対のタイプで長く続く関係は、私とひまりの関係に似てるな、っていつも思ってた」
ケンさんは、おケイちゃんの高校の同級生で、おケイちゃんの彼氏の親友で。頭の中で人間関係を整理してみて一つの結論に辿り着いた。
あんなに探し求めていたケンさんは、こんなに傍にいた。わたしがちゃんとおケイちゃんに話していたら、もっと早く、違った形で――?
ううん。違う形で出会えたとしても、再会出来ていたとしても。きっとわたしはケンさんの心には僅かにも残らない。だって、あの日の記憶もなかったんだもの。
ケンさんは、沢山遊んでいる人だった。わたしの胸には、言葉に言い表せない想いと気持ちと感情が、ぐるぐるとまわっていた。
この、言葉にできない気持ちは、微熱のような、小さな灯のような、そんな微かな熱量を持って胸の中で燻り続けていた。
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