永遠のヴァージン【完結】

友秋

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おケイちゃんの異変2

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 レポートを出しに事務棟に来た時、今学校に来た、というおケイちゃんに会えた。

「おケイちゃんもレポートを出しに?」

 おケイちゃんは、ううん、と首を振る。

「私はちょっと書類を取りに来た」
「書類?」
「そう」と答えたおケイちゃんは「わたしはこっちね」とレポート提出とは別の窓口を指差した。
「ひまり、終わったらロビーで待ってて」
「うん」

 おケイちゃんは奥の、諸々の手続きをする窓口へ歩いて行った。

 書類って、何かな。大事な用事、なのかな。ちょっと気になったけれど、わたしはとりあえず自分の用事を済ませる為にレポート提出窓口で職員さんに声を掛けた。


「はい、蜷川先生の古文書解読の講義のレポート、確かに提出承りました」

 控えの紙を渡してくれた職員さんに「お願いします」と頭を下げて、教務課の部屋を出ようとドアを開けた時。

「ひまり、私もちょうど終わった」

 奥からおケイちゃんがバッグにもらった書類を入れながら歩いて来た。

「おケイちゃん、どうかしたの?」

 バッグのチャックを閉めながらおケイちゃんは「ん~」と言葉を濁す。

 おケイちゃん?

 わたしはおケイちゃんの顔を覗き込まずにはいられなかった。おケイちゃんが、こんなに歯切れの悪いことは今まで、覚えている限りではない。やっぱり何か?

 わたしよりも数センチ高いところにあるおケイちゃんの顔を見上げるように覗くわたしの額が、トンと二本の指で軽く叩かれた。

「ひまりは今は、自分の心配をしなさい」

 自分の、心配。ドキンッとした。

「想像以上の収穫があったみたいじゃないの」

 わたしの、湿布を貼ってサポーター巻いた腕をツンツンしておケイちゃんはフフフと笑った。おケイちゃんの今の言動を反芻して、「あ、うん、それね」と応える。

「ちょっとそこ座ろうよ」

 試写会に行くきっかけを作ってくれたおケイちゃんには昨夜のうちにメッセージを送っておいたのだけど、そう言えば今までお返事がなかった。

 やっぱり、おケイちゃん、何かあった?

「ごめんね、返事してなくて」

 ロビーのソファに座るや否や、おケイちゃんはわたしの気持ちを酌んだ言葉を言ってくれた。ううん、と首を振るわたしの頬をおケイちゃん、両手で挟んで軽くペチペチと叩いた。

「がんばったじゃない~、ひまりぃ」
「うん、試写会ありがとう、って先にお礼は言うけれど、ホラーはちょと、ハードでした」

 おケイちゃん、アハハと笑う。

「それっくらい攻めないといつまで経っても進展しなそうだったから」

 その通りかも、と苦笑を挟んで「でもね」と続ける。

「実のところ、ボルダリング、というとてつもない初体験と、この世のものとは思えないほどの筋肉痛にホラー映画を観たこと忘れかけていました」

 おケイちゃん、アハハと笑う。

「ボルダリングなんて、私だってやったことないよ。あれをひまりが~。凄い成長!」

 うんうん、と頷いておケイちゃんの手を感じていたわたしは、あれ? と思う。いつもならひやっと冷たいおケイちゃんの手が、少し熱いように感じた。

 熱、ある? って聞こうと思ったら、おケイちゃんの手が離れた。

「人はやる気になればなんでもできる!」
「うん」
「それで、その後はどうしたの」
「そのあとって……」
「ジムのあと!」
「あ、ジムのあとは、ケンさんバイトだったし、わたしもちゃんと門限守らないとだから、高田馬場でお別れしたよ」
「も~、なにそれっ! だめじゃないの」
「え、なにがだめなの? だって、一日一緒にいたんだよ?」
「それだよ、一緒にいたのに、その先はなかったの、って」
「そ、そのさき?」

 そのさきって、なに?

 おケイちゃんとわたし、暫し見つめ合う。固まった空気を、「はい」と手を叩いて肩を竦めたおケイちゃんはアハハと笑った。

「焦り過ぎ、せっかち、っていう私の悪癖が出ちゃうとこだった。晃司に怒られるね」

 わたしも、何だか分からないけど釣られて笑った。

 おケイちゃんはいつもと変わらなく見える。おケイちゃんの手が触れていた頬っぺたをさり気なく触れて、多分気のせいだよね、と思い直す。

「ねえ、ひまり」

 おケイちゃんの顔を見ると、ちょっと前と表情が違う。思案顔になっていた。

「なあに、おケイちゃん」
「千疋屋に寄って行かない?」

 美味しいフルーツをふんだんに使ったスイーツはワクワクする。うん、行きたい、行こうよ! っていつもなら答えるのだけど。

「ごめん、今日はこれからちょっと。名古屋に嫁いだあやめお姉ちゃんが今日帰って来るからママとさくらお姉ちゃんと一緒に銀座に行く約束してるの」

 なんだろう。今日は、おケイちゃんとの用事を優先した方がいいような気がしてならなかった。でも、老舗料亭に嫁いだあやめお姉ちゃんは忙しくて中々実家には帰って来られなくて、今回も、明日には戻らなくてはいけない。

 どうしよう、と迷っていると、おケイちゃんがまたわたしの頬を両手で挟んで軽く叩いた。

「いいよ、私とはいつでも行けるじゃない。気にしないであやめお姉ちゃんに会ってきて!」
「おケイちゃん……」
「じゃあ、駅まで一緒に行こ」
「うん」

 駅までの道、おケイちゃんがしみじみと言った言葉がわたしの胸にずっと残った。

『ひまりのとこはうらやましい。私には兄様しかいないから、つまらない。兄達と話していたって政治や経済の話ばかり。うかうかしてると、慶子お前は遊んでばかりで、ってお説教になる。たまったものじゃない。相談出来る人、理解してくれる人が身近にいるって、いいよね』

 やっぱり、今日のおケイちゃんはいつもと違ったのだという事、この後思い知らされる事になるなんて。

 どうしたの、って聞けばよかった。お姉ちゃん達とのお約束、キャンセルしてでもおケイちゃんのお話しを聞けばよかった。

 ねえ、おケイちゃん、わたしはやっぱり頼りにならないのかな。


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