舞姫〜巡り逢い〜

友秋

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 その男が、何時から島にやって来て、教会に出入りするようになったのかは誰も知らなかった。ただ、先代の牧師からの付き合いだ、とだけ、若い牧師が言っていた。



 故郷の大火で家も家族も失った孤児、星児と保と麗子が島の教会に身を寄せるようになって三年が経とうとしていた。

 教会は、彼らと同じような子供が幾人か身を寄せる福祉施設のような役割を担っていたが、公的な施設ではなかった為、金銭面等で援助してくれる者の存在は大事だった。男はまさに、そういった存在だったのだ。

 丸顔が柔和な印象を与える恰幅の良い男は、本島市内のアパレル会社の社長だと話し、年は四十代後半と言っていた。羽振りが良く、いつも沢山の寄付と教会にいた数人の孤児に土産を持ってきた。

 子供達は皆彼を〝桑名のオジサン〟と呼び親しんでいたが、鋭敏な嗅覚を持つ子供だった星児だけは、男が放つ〝胡散臭さ〟を嗅ぎ取っていた。

 桑名のにこやかな仮面の中に見え隠れする、獲物を物色するように光る目を星児は見逃さなかったのだ。彼の、麗子を見る目が異様な色を浮かべている事に星児は気付いていたのだ。

 四つ年上の、保の姉、麗子は、星児の幼い頃からの想い人だった。マセた子供だった星児の大事な人だった。桑名が彼女をどうしようとしているのか、不安でいっぱいだった。

 キリスト教の根底に〝罪を憎み人を憎まずーー隣人を愛せよ〟と〝友愛〟を謳う理念がある。キリスト教の教えを説く牧師は純朴だった。他人を疑う思想など持たない無垢さは、時として不幸を生む。




「桑名のオッサンが麗子を養女に?」
「〝オッサン〟ではないよ、星児。〝オジサン〟」

 牧師が穏和にたしなめた。

 一九七四年の秋。麗子が中学三年生、星児が小学五年生の時、恐れていた事が現実となった。桑名が麗子を養女にすると申し出たのだ。

「桑名さんは来年から本社を東京に移転してご自身もそちらに移り住むそうだ。そこで、頭の良い麗子をこのままここで過ごさせるのは勿体無い、とおっしゃられたのだよ。養女として東京に連れて行き、向こうの学校に通わせてあげたいそうだよ」

 神の慈悲の元、無償で世話になる自分達に、拒否権など無い。人格者である牧師は、本人が「嫌だ」と言えば聞き入れてくれただろう。

 しかし、ここで過ごして来た子供達の中には、幼心にも、これ以上の迷惑はかけられない、という想いが少なからずある。だから、養子縁組みや里子の申し出があれば素直に応じるのが習わしとなっていたのだ。

「星児、大丈夫よ。心配しないで。私が桑名さんの養女になる事は、お世話になった牧師先生に対する恩返しと思うの。星児も大人になったら東京に出てきて私に会いに来てね」

 麗子は別れの日、連絡船が停泊する港で星児に微笑んだ。腰元には、弟の保が泣きながら縋っていた。

 麗子は保の頭を撫でながら優しく説く。

「保、ごめんね。泣かないで。私たちは離れ離れになってしまうけれど、私はずっとずっと保のお姉ちゃんだからね。大丈夫、大人になったらちゃんと迎えに行くから。だからちゃんとお勉強して賢い大人になるのよ」

 泣きじゃくる保は麗子の話を半分も聞けていなかった。涙を堪えて唇を引き結ぶ星児に麗子は眩しい笑みを見せた。

「星児、保をお願いね。保を守れるのは星児だけだから」

 星児は震えそうな声を懸命に支え「任せとけ」と頷いた。

 この屈託のない明るく美しい笑顔は、次にもし会えた時には見る影も無くなっているかもしれない。そんな言い知れない不吉な予感が星児の中を貫いた。

 麗子を引き止められない。まだ子供だったとはいえ、星児は自分の無力さを呪った。

「麗子!」

 手を振り去って行く麗子に、星児は叫んだ。

「オレ、むかえにいくからな!」

 麗子は嬉しそうに笑い、手を振り、見えなくなった。

 愛しい姿が見えなくなって、星児は初めて大きな声をあげて泣き出した。保と一緒に泣き続け、牧師は二人を優しく抱き締めた。

「大丈夫、きっと、幸せになる。神のご加護を」

 星児は泣きながら誓う。


 一刻も早く大人になってやる!

 決意を胸に、島の小さな港を離れて行く連絡船を見えなくなるまで見つめていた。
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