この夏をキミと【完結】

友秋

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それぞれの想い

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「篤! 篤ってば、待ってよ!」

 放課後、下校する生徒や部活に向かう生徒達が忙しく行き交う廊下を、夏菜子は篤を追いかけていた。篤の背中が怒っていた。

 玄関まで来た篤は靴箱の扉を乱暴に開け、靴を取り出しながら夏菜子に言った。

「母さんがお前に何を言ったかしらねぇけど、俺には俺のやり方があるんだよ! ほっといてくれよ!」

 バン! と開けた時よりも遥かに乱暴に、叩き付けるように扉を閉めた篤は、革靴を突っ掛けるように履き、エナメルのスポーツバッグを左肩に掛け直すと振り向きもせずに玄関から出て行った。

 残された夏菜子は靴箱にもたれ掛り、ズルズルとその場に崩れ落ちた。俯くと、スカートにポロポロと涙がこぼれた。

「カナ」

 聞き慣れた優しい声が頭上から聞こえ、顔を上げると貴史が覗き込むように傍に立っていた。

「貴史……」

 廊下では、一人の女子生徒が夏菜子に軽く会釈し、去って行った。小柄で色白の、美人ではないがかわいい印象の彼女は、貴史が一年の時から付き合っている彼女だった。

「彼女、放って私のとこなんて来ていいの?」
「あの子はね、こんな事で何か言ったりしないんだ」
「そんな余裕な事言ってたらいつか捨てられるんだから」

 あはは、と貴史が爽やかに笑う。夏菜子も涙に濡れた頬を手で拭いながら笑った。

「中庭行こうか」

 貴史に促され立ち上がった夏菜子は、うん、と頷いた。

  *

 先週、土曜日の夕方、夏菜子は学校の帰りに篤の母、奈緒に会った。土曜は本来学校は休みだが、自校のグラウンドで野球部の練習試合があり、夏菜子はその試合を観に行ったのだった。

 夏菜子と篤と貴史の住む地区は、駅からは路線バスで十五分程のところだった。夏菜子はいつも乗るバスの停留所がある駅前ロータリーで、奈緒に声を掛けられた。

 池袋に行った帰りだ、と話していた奈緒は、西武デパートと東武デパートの紙袋を手に持っていた。

 奈緒は長身の夏奈子と並んで立っても遜色のない、スラリと背の高い美人だった。大学生の息子を筆頭に、四人の子供がいるとは思えない若さを保つ女性だったが、少々とっつきにくい雰囲気を纏い、夏菜子にとってあまり得意な相手ではなかった。

「今日は篤君の練習試合があって、観てきたんです」

 バス停に奈緒と一緒に並んだ夏菜子は、何を話そうか迷ったが、とりあえず篤の話から、と切り出した。しかし、

「そう」

 という興味のなさそうな、気のない奈緒の返事に夏菜子はそれ以上話すのをやめた。少しの沈黙の後、奈緒がふと思い出したように口を開いた。

「そういえば、夏菜子ちゃんは進路は?」
「あ、えっと……」

 意表をついた、突然の質問に夏菜子は一瞬戸惑いながらも答えた。

「私は、進学です。入学当初から志望校も決まっていたので……」
「そうだったわね」

 夏菜子の答えに奈緒は、そうだった、と篤が高校に入学した当初の事を思い出した。入学式の時、一緒になった貴史の母親と夏菜子の母親に、散々、嫌味にも似た言葉を言われたのだ。

――篤君には凄い魅力があるのね、きっと。貴史ったら、篤君と同じ学校じゃないと嫌だと言ってきかなくて。
――夏菜子はホントは別の学校にいく予定だったの。でも篤君とは本当に仲が良くって……。

 元来、プライドが高く気の強い奈緒は、

――まあ、まるで篤が貴史君と夏菜子ちゃんに付いてくることを強要したようにおっしゃるのね。

 喉の奥まで出かかっていたそんな言葉は必死に呑み込み、お愛想笑いでその場をごまかした。その時は、心中で歯噛みするより他なかったのだ。今日は今日で、池袋のデパートというあの人混みの中、よりにもよって信じられぬ確率で貴史の母に出くわし――、奈緒は、夏菜子に気付かれぬようため息をついた。

 駅前のロータリーにバスが入って来、降車場で乗客を降ろすと夏菜子達が待つバス停に滑り込んで来た。乗り込む際に、奈緒は改めて言った。

「ご一緒してもいいかしら?」

 裏返りそうな声で、はいっ! と答えた夏菜子は、たかだか十五分という時間が何十倍もの長さに感じる事になるであろうことを覚悟した。

 バスの後方の席に並んで座った奈緒からは、ローズ系のトワレが香った。その香りはおのずと夏菜子の交感神経を刺激し、緊張を煽ってくる。何を話したら……と、スカートのチェック模様を見、俯く夏菜子に奈緒が話し掛けてきた。

「夏菜子ちゃんにちょっとお願いしてもいいかしら」
「え?」

 なにを? と、慌てて顔を上げた夏菜子は奈緒を見た。

「篤ね、進学か就職か、それすら決めていないのよ。本人はどう考えているのか……夏菜子ちゃんから聞いてみてくれないかしら」

 篤の進路。その言葉に夏菜子の心が微かに踊った。

 もう少し一緒にいられる道があるかもしれない? 夏菜子の胸に淡く、微かに甘い期待が拡がった。
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