この夏をキミと【完結】

深智

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夏の終わりに2

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 部室を出ると、辺りは一面オレンジ色に染まっていた。西の連山の向こうへと落ちていこうとする大きな太陽が見えた。

 美しい茜色の光を背に立つ女子生徒の姿が、篤の目に映った。

「夏菜子……」

 野球部の部室の、隣の部屋のドアの前に立っていた夏菜子は篤の姿を見て、フワリと笑った。

 夏菜子の顔には夕日が差し、頬がほんのりと染まっていた。思わず触りたくなるような柔らかな色に映える肌の色に、サラサラのショートヘアはオレンジ色の光を反射して美しい黄金色に見えた。

 篤は思わずドキッとした。不覚にも、綺麗だ、と思ってしまった自分に驚く。狼狽えてしまいそうな自分をごまかす為に篤は言った。

「夏菜子、どうしたんだよ」
「ソフトの部室、隣だもん」

 夏菜子は野球部の部室の、隣のドアを指さしていた。手に持っていた大きな紙袋と、スポーツバッグを篤に見せた。

「荷物、片づけに来たの」
「まだ退部していなかったのか」
「うん」

 肩を竦めて見せた夏菜子に篤は、そうか、とだけ答え、さりげなく重そうな方の荷物を夏菜子の手から取った。

「ありがとう、篤。とりあえず、教室に持って行って整理して持って帰りたいの、いい?」
「ああ」

 柔らかな篤の笑顔に、夏菜子は安心したように笑い、二人は並んでゆっくりと歩き出した。

 夏菜子が寂しそうな顔をしてソフトボール部の練習を眺めているのを篤は何度か見かけていた。

 夏菜子とは似た者同士だ。負けず嫌いで、他人からの同情や憐みを嫌う。だから、夏菜子の気持ちが分かるから、声を掛けたりしなかった。自分だったら、放っておいて欲しいから。

「なんか、部活に関係ねーもんが随分入ってるみたいだな。なんだこれ」

 紙袋の中に見えたピンク色のボトルを取り、篤が言う。女子なら必ず使うエチケットなど、硬派な篤には分からないのか。夏菜子は篤の手からそれをバッと取り上げた。

「やだ! 勝手に出さないでよ!」

 アハハと笑う篤に、夏菜子も笑った。小さな頃から一緒だったこの人は、一番気持ちを許せる人。互いに、自然な笑顔を見せる事が出来る相手。寄り添うように歩くのが、自然になっていた。

 でも、と夏菜子は思う。こんなに傍にいる時に特に感じる。二人の間には空気が流れる空間がある。どんなに手を伸ばしても、心の距離はまだ遠い。

 秋の気配にはもう少し。生ぬるい夕方の風が、二人を包むように流れて行った。




 教室に戻り、荷物の整理を終えた夏菜子は置いていくものをロッカーに入れていった。その間、篤は夏菜子に少し前の木戸との話をした。手際よく片づけを進め、最後にロッカーの扉を閉めた夏菜子は窓辺に浅く腰を掛ける篤を見て聞いた。

「じゃあ、明後日はそこ見に行くの?」

 篤は考えながら、ゆっくりと答えた。

「いや、まだ迷ってる」

 木戸は篤に言った。

『H自動車の監督が、お前に興味を持ってな。まだ伸びしろがありそうだ、ってな。育ててみたいとも言っていた』

 興味。伸びしろ。育ててみたい。

 篤には魅力ある言葉が並んでいた。篤が夢に見た、働きながら野球が出来る世界だ。浮き立ちそうな胸に、しかし、と否定的な自分が声を掛ける。

 俺、野球続けていけるのか。

 夏菜子にしてみれば、何をおいても野球野球だった篤が、大好きな野球と生きる道に躊躇いを覚える姿は意外そのものだった。

「どうして? どうして迷うことあるの? 篤、野球が続けられるかもしれないのよ」

 篤は夏菜子の真っ直ぐな目を見、静かに言った。

「正直、今はまだボールを見るのが怖いんだ。実は、野球自体がまだまともに観られていない」

 こんな事を口にしたのは、初めてだった。不思議と、夏菜子の前では素直になれた。弱る自分の心情を吐露していた。

 しかし、夏菜子の反応は。

「何、言ってるの?」

 篤を慰めるものではなかった。

「私はね、そんな篤を見る為に、この学校に来たんじゃない!」

 こんな事を言うのは夏菜子の本心ではなかった。本当は、こんなに弱った篤を、見たこともないくらいに落ち込む篤を、抱きしめて慰めてあげたいくらい、夏菜子の胸も苦しかった。しかし、想いとは裏腹な言葉が口を衝いて出てきてしまった。

 まるで、心と口が、別の人間のようだった。

「な、なんだよ、それ!」

 夏菜子の言葉は篤には意表を突く意外なもの〝心外〟という言葉がぴたりと来るものだった。篤は戸惑う。

 太陽が西の空から姿を消し、差し込んでいた夕日が薄れて薄暗くなってきていた教室で二人は向き合ったまま暫し動かなかった。

「わたしはね……」

 夏菜子は静かに口を開いたが、自分の意思に反して目からはボロボロと涙が零れ落ちた。

 こんな篤は見たくなかった。嗚咽で喉がふさがれそうで声が出ない。言葉が続かない。

 篤の笑った顔が見られればそれで良かった。試合の勝ち負けなんかじゃない。ああ、やり遂げた、悔いはない、そんな結末であって欲しかった。仲間たちと惜しげなく悔し涙を流し、そして笑える。そんな結末であって欲しかった。

 あの日の、必死に涙を堪えて前を向く篤の姿は、夏菜子の胸を焼くようだった。泣かない篤の代わりに、夏菜子はスタンドで隣にいた誠を困らせるほど泣きじゃくった。

「ごめん、一番悔しかったのは、篤だよね。私は、篤に思い切り泣いて、すっきりして、前に進んで欲しかったんだ……」

 俯いたまま夏菜子がそう言った時、篤の手がそっと伸びた。

「夏菜子」

 夏菜子の頭を、篤の手がくしゃりと撫でた。

「さんきゅ」

 不器用な篤の、ちょっと硬い手だった。すっかり暗がりとなった教室で、篤がどんな顔をしているのか、はっきりとは分からない。けれど、夏菜子はその息遣いを、初めて傍で感じた気がした。胸にこみ上げる熱い想いが、先ほどとは違う苦しさを生む。

 いつだってがむしゃらで、前向きで、熱くなりすぎて時折ほんの少し乱暴になるけれど、仲間想いで本当に優しい。けれど不器用で素直じゃなくて。

 夏菜子は、どんな言葉を持ってしても表現しきれないほど、篤が好きだという事を、改めて知った。

 けれど今は、このままでいい。少しずつ――。

「篤も泣いていいよ」
「泣かねーよっ!」

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