蝶の羽根【完結】

深智

文字の大きさ
7 / 27

龍吾の事情

しおりを挟む
 ローザは基本的に給料は手渡しで、大抵は店長から渡される。だがこの日はオーナーである剣崎セイジが店に来た。

 オーナーとは言っても本職は何なのか、知るものは少ない。

 裏稼業蔓延るこの街で、若くして手広く商売をする彼がどれだけ裏の世界に通じているかだけは、誰の目にも明らかではあったが。

 黒地に微かなグレーストライプの細見のスーツで剣崎セイジは現れた。

 整列し、かしこまる従業員1人1人に丁寧に接するその姿は紳士そのものだが、年齢不詳だ。

 誰一人として実年齢を知らない。ただ三十代前半であろう事しか。

 一人一人に話しかけて来た剣崎は、最後に龍吾の前に立った。

「お前は後で俺の部屋に来い」

 射抜くような鋭い眼光で龍吾を見ていた。

 ああ、あまりいい話ではないな

 龍吾は覚悟を決めた。

 剣崎は、十四歳で児童養護施設を飛び出してこの街に迷い込んだ龍吾を拾い、二十歳になる今まで育てたいわば恩人だ。

 龍吾にとって決して裏切る事のできない親以上の存在だった。




 ターミナル駅傍のテナントビル最上階に剣崎の事務所はあった。

 エレベーターを降りると、強面の男達が龍吾に明るく話しかけてきた。

「よお、龍ちゃん。呼び出しか」
「今日はちと機嫌悪いぜー。覚悟しとけ」

 口ぐちに好き勝手な事を言い、笑いながら彼らは去って行った。

 龍吾はため息をつきながら剣崎の部屋のドアを開けた。

 廊下の薄暗さが慣れたその目には蛍光灯の明るい光が眩しい。

「来たか、龍吾。そこに座れ」

 大きな窓の向こうに広がる摩天楼の夜景を見ていた剣崎は振り向くと、龍吾に目の前のソファに座るよう促した。

 見た目も声のトーンも穏やか。だが、彼の内情を知る人間にしてみれば、その姿勢にかえって恐怖を煽られる。

「龍吾、お前にクレームが来てるぞ」

 ソファに腰を下ろした龍吾は、え? と顔を上げた。

「客ですか?」

 驚きで声が上擦った。

「いや……」

 剣崎が煙草をくわえながら向かいに置かれたソファに座るのを見た龍吾は、慌ててライターを取り出し火を点けた。

「お前、最近好きな女とかできたか」

 ライターを持ったまま、龍吾が固まった。

 剣崎は煙草の煙を茫然と固まる龍吾に吹きかける。瞳が鋭い光を放っていた。

「お前さ、そんなバカじゃねえよな」

 低く響く落ち着いたトーンの声は機嫌の悪い証拠だ。龍吾は全身からサーッと血の気が引いていくのを感じた。

 セイジさんはなにを知って?

「クレームの主は田崎だ」

 ああ、やはりか!

「俺は」
「龍吾。お前はこの街で働くようになって何年になる? 一々教えなくてもわかるだろ。俺の顔に泥を塗るようなマネはしてくれるな。いいな!」

 有無を言わせぬ迫力に龍吾はぐうの音も出なかった。



 肩を落としたままドアの向こうへ消えた龍吾の足音が遠ざかっていく。

「アイツはまだ二十歳になったばかりだったな」

 傍らで黙って聞いていた剣崎の相棒である兵藤保が静かに口を開いた。

「ああ。俺の知る限りでは、意外と女を知らないんだ、アイツ。この世界で生きていくのに女を知らないと、この先必ず痛い目に合う。本当は黙って見過ごしてやりたいが、今回は相手が悪すぎる」
「凛花はマズイな」
「かなりな」

 煙草を灰皿に押し付けもみ消すと、剣崎は立ち上がった。

「田崎のジジイ、俺の銀座の店の隣を買ったらしいな。どこまでも俺の邪魔する気か。龍吾のヤツ、時期も悪いぜ」

 兵藤が苦笑いをする。

「悪い、保。アイツを暫く見張ってくれ。手塩にかけて育て上げてきた大事な舎弟を田崎なんかに潰されてたまるか」
「わかってるさ」

 静かに頷く兵藤が窓の外を見た。欲望が渦を巻く、眠らぬ夜の街の光が広がっていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

乙女ゲームの正しい進め方

みおな
恋愛
 乙女ゲームの世界に転生しました。 目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。  私はこの乙女ゲームが大好きでした。 心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。  だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。  彼らには幸せになってもらいたいですから。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

空蝉

杉山 実
恋愛
落合麻結は29歳に成った。 高校生の時に愛した大学生坂上伸一が忘れれない。 突然、バイクの事故で麻結の前から姿を消した。 12年経過した今年も命日に、伊豆の堂ヶ島付近の事故現場に佇んでいた。 父は地銀の支店長で、娘がいつまでも過去を引きずっているのが心配の種だった。 美しい娘に色々な人からの誘い、紹介等が跡を絶たない程。 行き交う人が振り返る程綺麗な我が子が、30歳を前にしても中々恋愛もしなければ、結婚話に耳を傾けない。 そんな麻結を巡る恋愛を綴る物語の始まりです。 空蝉とは蝉の抜け殻の事、、、、麻結の思いは、、、、

放蕩な血

イシュタル
恋愛
王の婚約者として、華やかな未来を約束されていたシンシア・エルノワール侯爵令嬢。 だが、婚約破棄、娼館への転落、そして愛妾としての復帰──彼女の人生は、王の陰謀と愛に翻弄され続けた。 冷徹と名高い若き王、クラウド・ヴァルレイン。 その胸に秘められていたのは、ただ1人の女性への執着と、誰にも明かせぬ深い孤独。 「君が僕を“愛してる”と一言くれれば、この世のすべてが手に入る」 過去の罪、失われた記憶、そして命を懸けた選択。 光る蝶が導く真実の先で、ふたりが選んだのは、傷を抱えたまま愛し合う未来だった。 ⚠️この物語はフィクションです。やや強引なシーンがあります。本作はAIの生成した文章を一部使用しています。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

処理中です...