舞姫【前編】

深智

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喫茶ローザ2

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「あれ、慎ちゃん、みちるは?」

 ドアが開き呼び鈴鳴り、オレンジ色の陽射しと共に入ってきた保は店内にみちるの姿がない事に気付き、マスターに聞いた。

「おトイレ掃除中」

 マスターはカウンターでカップを磨きながら言い、にっこり。

「といれ、そうじ?」

 保は目を閉じ人差し指と親指で眉間を押さえた。

「みちるちゃんはどうも、黙々と何かに打ち込む作業が好きみたいだね」

 マスターは楽しそうに笑いながら言い、保は苦笑いで返した。

 そうなんだホントは本来なら客商売は絶対に向いてない。

 はーっ、とため息をつきながらカウンターに座った保に、マスターはコーヒーを出したが、クックと小さく笑っている。

「みちるちゃんは、デートとかっていう意識は微塵もなさそうだね」

 保が、え? とコーヒーカップにピッチャーでミルクを入れながら片眉を上げマスターを見た。

「これからデート、と思ったら直前に、トイレ掃除します、とか申し出ないよね」

 ああ、トイレ掃除は自己申告かよ。保の顔がますます苦くなる。

「たもっちゃん、カフェオレの方が良かったか?」
「へ? あ゛あっ!」

 空になったピッチャーと、真っ白になったコーヒーが手元にあった。マスターは背中を向けたが肩が震えていた。

 笑い堪えてんの、バレバレだ。保が、フン、と〝ミルクにコーヒーを入れた〟ような液体を口に運んだ時だった。

「あっ、保さん!」
「お、みち……」

 愛しい可愛い声に保が振り向くと。〝愛しい君〟はバケツに雑巾。モップにブラシまで持って立っていた。

「……る」

 すっきり晴れ晴れ、という顔でニコッと笑いながらみちるは保を見ていた。

「へ? あ゛あっ!」

 空になったピッチャーと、真っ白になったコーヒーが手元にあった。マスターは背中を向けたが肩が震えていた。

 笑い堪えてんの、バレバレだ。保が、フン、と〝ミルクにコーヒーを入れた〟ような液体を口に運んだ時だった。

「あっ、保さん!」
「お、みち……」

 愛しい可愛い声に保が振り向くと。〝愛しい君〟はバケツに雑巾。モップにブラシまで持って立っていた。

「……る」

 すっきり晴れ晴れ、という顔でニコッと笑いながらみちるは保を見ていた。

 どんだけトイレに籠ってたんだか。保はみちるに優しく笑いかける。

「トイレ、綺麗になったか?」
「うん、とっても。なんて自分で言うのも変だね」

 みちるは首を竦め、クシャッと笑う。

「私は何にもできないから、お掃除で達成感味わって満足するの」

 みちるの言葉を聞いたマスターがハハハと笑った。

「自己PRの中に微妙に自嘲というテイストが混じってるね。みちるちゃん、もっと自分を評価してあげなさい。君は自分で思っているよりずっと素敵な女性だよ」

 優しく笑うマスターを見て保は思う。

 年の功か。ごく自然に、褒め言葉を掛けられる。照れがないから嫌味がない。

 みちるは、思いがけない誉められ方にどう切り返してよいか分からず、恥ずかしさもあり両手で顔を覆ってしまった。

「みちる、誉められた時は素直に、ありがとうと言えばいいんだよ」

 いくら人と接するのが苦手でも、世の中全ての人間がみちるを理解してあげられる訳ではない。

 ちゃんと最低限のコミュニケーション能力は付けてあげたい、と保は柔らかにみちるを導く。

 保がそっとみちるの、顔を覆っていた手を外させると、頬を微かに染めた表情が現れた。

「あ、ありがとうございます」

 みちるは小さく微笑みながら、蚊の鳴くような声でマスターに言った。マスターはニコニコ顔で頷いたかと思うと。

「たもっちゃんとセイジも悪いな」
「え?」

 意表を突く言葉に保はマスターを見た。

「もっとみちるちゃんを誉めてあげなきゃ。沢山誉められた女のコはどんどん素敵になれる。それにしなやかな対応も自然と身に付くよ」

 沢山、誉める。口の中で反芻する保にマスターは肩を竦めた。

「あ、僕がみちるちゃんを誉めるのは、これからも沢山お掃除してほしいからかな」

 冗談ぽく付け足した言葉でみちるは、えー、と笑った。

 脱帽。オチまで付けちまったよ。慎ちゃんには敵わねーな。

 楽しそうに笑い合うマスターとみちるを見ながら保は首を竦めた。

 みちる。君は可愛いよ。あの頃よりずっと大人になって、綺麗になったよ。

 これから君はきっと、どんどんーー。

 本当は、もっとそんな言葉を掛けてやりたいのだ。

 けれど、心の底から想ってしまった相手には、言いたくても込み上げるものが多すぎて、先走る感情が邪魔をして胸がつかえて言葉にはならない。

 黙り込んでしまった保の眉間に、優しい指の感触があった。

「保さん、難しい顔してますよ?」

 みちるが柔らかな表情で保の顔を覗き込んでいた。

「ああ、ちょっと考え事してた」

 保はハハと笑ってみせたが、眉間に触れた彼女の指に、ほんの少しドキッとした。

「みちるちゃんをどうやって誉めてあげるか考えてたんだって」
「慎ちゃん、余計な一言はノーサンキューです」


†††

「着替えてくるね」とみちるはプライベートルームの扉の向こうに消えた。

 静かな有線が流れ、マスターがカップを片付ける、カチャカチャという陶器の音がお客のいない店内に乾いて響く。

「そういや、ここだけの話な」

 みちるを待つ間カウンターで雑誌を開いていた保に、マスターが話しかけた。保が顔を上げるとマスターと目が合った。

 仕事の手を休めたマスターが、カウンターに少し身を乗り出し小声で話し始めた。

「どうも、みちるちゃんに気のあるらしい客がいる。僕の目に間違いなければ、二人だ」
「ああ、やっぱか……」

 大人しくて、決して接客などといえる仕事はできていないであろうみちるだが、その容姿、雰囲気に惹かれる者が現れる事は働き始めた当初から少なからず予測はできた。

 今まで何ごとも無かったのは、外に出したことがなかったからだ。

 恐らく、彼女自身は気にも止めない、というより気付きもしないのだろう。

「どんなヤツ?」

 一応聞いておこう、と保は話の続きを促した。


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