あなたの記憶、買います。

鴨居ダンテ

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記憶と金

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 記憶は金になる。

 記憶は情報になり、自然とーー不自然と、経済を回す潤滑油のひとつになった。区分するとすれば、これはエンターテインメント産業に分類されるのだろう。

 私がこうして〈記憶屋〉を営んでいるのも金になるからに他ならない。記憶を取り出し、査定し、売る。これが記憶売買における正式なプロセスである。そして、それらはどこかの金持ちどもの玩具《オモチャ》となる。
 
 人間ひとりが経験できる記憶などたかがしれている。蓄積できる許容量もまた然りだ。金持ちどもとなれば尚更、自分にはないものを他人の記憶に求めたがる。そのための金もある。彼らは傍観者《オブサーバー》であり、同時に物語の主人公でもある。記憶の海を泳ぎ、可哀想だと共感することで自分をより高みへと昇華する。

 電気海馬《ディジタル・ヒッポカムポス》ーーそれはまさに忘却の川(レテ)だ。

 人間と科学の間を汲々と流れ、記憶を洗い流したと思えば、対岸へと送ったりもする。人間が無意識の内に、科学が故意に追い求めていた肉体からの解放。記憶はその第一被験者となり、案の定、施策は成功を収め、記憶の価値は「お金で買えないもの《プライスレス》」から「金で買えるモノ《プライス》」へと堕ちた。

 公に記憶の売買は認められていない。日本政府が定めた「記憶法」で認められているのは記憶の上書き(リライト)のみで、それらは全て行政施設〈情報省・記憶部〉の認可を要する。電気海馬の手術を施工できるのは十を数えてから。また、記憶の改竄は二十歳を超えた成人者にしか認められておらず、改竄できる情報量も限られてくる。

 とある中国人の顧客《コンシューマー》が言っていた、記憶の上書き《オルター》と記憶の追体験《トレース》は全く異なるものだと。リライトは情報量の変動を起こしはしない。1バイトの記憶を1バイトのより良い記憶に上書きするだけ。願う過去に、そうあって欲しかった自分を作り直していく。

 これには倫理的な問題意識だけでなく、電気海馬の技術的な現状機能も起因している。最新モデルの電気海馬でも、その許容情報量は10バイト/1秒程度で、この基準《ライン》は同時に脳にとっての死線《デッドライン》でもある。

 熱量の負荷が科学の結晶を襲い、頭の中で爆発する。そんなことになれば、この金のなる木は常闇に葬り去られることになるだろう。政府の及び腰も分からなくはない。それほどまでに際どく、脆いテクノロジーなのだ。

 とはいえ、「公には」だが。一度生まれてしまったテクノロジーは、既に隠居の権利を剥奪されている。人に利用されるのが本望の科学は、いつだって住処を探している。そして定住する。

 人々の「当たり前」になってしまえばそれは彼らの勝利であり、さらなる発展への開口であり、死である。

 私のような記憶の番人に、売手《バイヤー》に求められるのは絶対の機密性《プライバシー》と市場の正確な把握、そして無論壁破り《ハッカー》としての腕だ。正確に記憶を探し出し、取り出し、マイクロチップにトレースする。

 問題はトレースだ。如何に情報を新鮮なまま顧客に提供《サービス》するか。そこでこそハッカーの真価は試される。

〈第三次世界大戦から十五年〉
〈最初の電気海馬が発明されから十年〉
〈電気海馬が実用化され始めてから八年〉
〈記憶法が制定されてから七年〉

 ーー日本の総人口の五割が電気海馬を脳に埋め込むようになってから三年。

 実用開始当初は人道的や倫理的といった言葉が持ち出され、毎晩TVショーで議論されたものだが、十年という歳月は長かった。最近では時折組まれる特番といっても、電気海馬に関する月並みな危険性の言及かこの先の未来に対するSF小説まがいの展望あたりで、勇気ある富裕層の先進者《パイオニア》から始まり時流を行く若者たちへ。今では十代、二十代における記憶の電気化は八割を超えている。改造《イジ》っていない者の大半は宗教者か貧民あたりで、彼らは生身《オリジナル》と蔑視される有様だ。

 アメリカのハップル社が最初に開発に成功した電気海馬も、今では多種多様なメーカーによって販売されている。表向きはその全てが行政機関に卸され、個々人が買うことはできないとされている。
 
 あくまで「表向きは」だが。日本政府はハップル社とゴーグル社の電気海馬を採用しており、シェア率は七対三でハップル社といったところだろう。

 電気海馬の役割は記憶を情報として蓄積することで、本質的には海馬のそれと変わりない。

 大きく異なるのはそれを多岐にわたって利用することができるようになったという点に集約される。

 単一個体の無価値な所有物に過ぎなかった記憶が、情報として価値を持つようになったのだ。記憶屋もまた、それを利用している末端に過ぎない。

 記憶情報の蓄積量は人にとり異っており、同じ十年という歳月であろうと、個々人の記憶量には差が生まれる。これまでに千を超える記憶の海を泳いできた私はそれを痛いほどに理解していた。

 それはその人の「記憶力」ーー今では随分と懐かしい言葉だがーーに依存すると世間一般ではされているが、正確には違う。脳は、海馬はその経験の全てを記憶しておくわけではない。それができないのか、はたまた故意的にしていないのかは未だに謎のままだが、「記憶に焼きつくような体験」という今ではオリジナルに対する皮肉になり果てた言葉が示すように、鮮烈な体験しか記憶しておかない。

 記憶には優劣があり、それはその瞬間の感情の揺れ幅とも比例している。オリジナルの海馬にできることは、それらの断片的な記憶を思い出すことぐらいで、端的に言ってしまえば、自由性《フリーミアム》に欠けているのだ。

 そして、それらは思い出ともトラウマともフラッシュバックとも呼ばれている。連続した同一記憶もこれと同じで、小学生の頃に通学路で見つけたタンポポの花などがそれにあたる。連続を繰り返した同一情報は#《タグ》付けされるかのように括られ、潜在的な連続記憶として冬眠する。それは意識下に刷り込まれているかのように感じられるが、実際には記憶としてそこにある。無意識下での行動というものも、連続した記憶への単純な肉体の反応に過ぎない。

 海馬(オリジナル)は酷く脆弱で、不確実なものだった。

 それにひきかえ電脳海馬は酷く強固で、確実性が高い。

 「何か」があったことの全てが「何か」であり、曖昧になることも失われることもない。

 定型化された記憶の数々。もう昨日の夕飯を忘れることも、知り合いの名前を忘れることもない。眼前に聳えるフジヤマの景色が、学生時代に読んだ小説の細部が、学習発表会で表彰された時の喝采が、母の最期が、その全てが情報としていつでもどこでも私たちの頭の中にはある。

 我々は頭の中の機械に安心感にも似た感情を抱いているのかもしれない。

 はたして、どんな記憶を売りたいのか。それとも、買いたいのか。
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