火星教育律法

鴨居ダンテ

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プロローグⅣ

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 背筋になめらかな女の指を感じる。恐怖を知らないヴォーグにも、それがなにを意味するか、本能的に理解できた。喰われる。純然たる未来の既成事実として、それはヴォーグの前に現れた。

〈お前の教育者は誰だ? そんな修辞法《レトリック》を誰が教えたんだ? 作家《ブック・メイカー》か?〉

〈別にレトリックじゃないのよ、あなた〉

 その声音に、彼の神経は過敏に反応していた。俺はこの声を知っている!

〈その声、レムか? レムなのか?〉

〈あなた、ほんとうに間抜けなのね。あなたの奥さんがこんなところにいるはずないでしょう〉

 そうだ、彼女《アレ》がいるはずはない。俺はアレを置いてきたんだ。

〈それで、死んでくれるの? 私、同族喰い《ともぐい》はしない趣味なの。あんたたち、不味いじゃない、特にあなたは最悪ね。だからね、ここから消えて欲しいだけなの。久しぶりのご馳走だもの、横取りされちゃたまらない〉

 そういうことか、ヴォーグは思う。彼らテレパシー能力は極めて高度に発展している。思考と思惟の区別がついており、彼らは半ば無意識にそれらを使いわけることができる。思考のすべてが相手に伝わるわけではない。

〈いいだろう、消えてやるさ。だが、俺がいまこの作業を止めたらどうなる? お前は二十九番目だと言ったな。お前は俺とは違う。俺の能力はこうして機械に侵入《ハッキング》することだが、おそらくお前は生物の脳内認識を操るんだろう。触れたモノの神経にハッキングし、認識を狂わせる。二十番代は、たしかそんな能力だったな〉

〈おおかた正解、といったところね。それで、それは脅し?〉

 ヴォーグの頭のなかは、もうすでに冷静さを取り戻していた。これもまた、この女の意図した結果かもしれないが。

〈お前に欠けているものを、お前のティーチャーの代わりに教えてやろうか? それはな、「未来を考える力」だよ。お前はこの船を乗っ取ったあとのことを考えない。この船がどこへ行こうとしているか、それも知らない〉

 背中合わせの沈黙が彼の思考を加速させる。選択肢はひとつ。こいつと協力することだ。

〈この船は、とある惑星に向かっている。その惑星では、こいつらの文明が絶頂期を迎えているだろうし、それでいて、俺らの世界よりはずっと幼稚なものだ〉

〈つまり、二人で協力して、こいつらの惑星まで行くと?〉

〈あと、小一時間で船のシステムは掌握できる。俺はこの船を操れる〉

 そう言うと、彼は作業に集中した。この女の矮小な脳でも分かっただろう、俺の計画の有能さが。ここへ辿り着いたころは考えてもいなかったが、実際協力者がいるにこしたことはないのだ。それに、この女の能力は使える。

〈あなた、不思議な考え方をするわね〉ドリーンと名乗る女がいう。〈他人と協力しようなんて、普通考えないわ。よっぽど、あなたのティーチャーを疑うわね〉

 ヴォーグとしても、自分の閃きが信じられなかった。

 生命体の減少によるハイパー個人主義が染み付いていた彼らの文明に、協力という概念は無きに等しかった。彼らの高度に発達した脳と身体は、すべての主眼を自分に置いて、物事を遂行する。自分にできないことは不可能性として焼却される。彼らにとっての他者とは、利害関係という度量衡では計れない。他者は他者でしかないのだ。

 ヴォーグはそのとき、自分の進化を確信した。俺は学んだのだ、この船から。この船のシステムから、他者と協力することの有用さを。

 進化がここまで心地よいものだとは。彼は不気味な笑みを浮かべる。
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