1 / 4
吸血鬼
しおりを挟む
パキン。
カラン。
折れた刀身が、満月の淡い光を反射させて力無く落ちた。石造りの町に、乾いた音が響く。誰ひとり様子を見に来ないのは、遅すぎる時間の故か、それとも、この不死の怪異を恐れてなのか。
「憐れだな、人の子よ」
勝利を確信したのか、目の前の吸血鬼は不敵に笑う。剣士は舌打ちをしながら、使い物にならなくなった剣を投げ捨てた。
「気に病むことはない。お前の剣よりも、私の爪の方が丈夫だった……それだけだ」
言いながら、吸血鬼は伸ばしていた左手の爪をシュルシュルと縮めていく。彼の後ろでは、縄でぐるぐるに縛られた上にさるぐつわまで嚙まされた女性が、泣き腫らした目でこちらを凝視していた。
吸血鬼め、わずかに戦闘態勢を緩めたか? 剣士はそう察すると、そちらの女性に目配せをして笑った。
「大丈夫だよ、嬢ちゃん。あんたは間違いなく、婚約者のところまで連れて帰るからな」
「虚勢だな。素手で私をどうするつもりだ?」
夜は更けていた。すでに月は西に大きく傾いていたが、学のない剣士は、それを見て日の出まであとどれくらいなのかを、計り知ることが出来ない。
(いくら吸血鬼とは言え、しょせんはアンデット。朝にさえなってくれれば、日の光でアイツも浄化されるはずなんだが……)
そう思ったところで、剣も持たない状態では時間稼ぎもままならない。
「観念したまえ。君はよくやった。もう少し賢くさえあれば、勇者として称えられたかもしれぬというのに……惜しいことをしたな」
「うるせー。フィアンセがいるような女性を生贄に指定するなんて、外道もいいトコだろうが。……見過ごせなかったんだよ」
「放浪の剣士の分際で、くだらぬ正義感に散るか……とは言うものの、腕前は本物であったな。最後に、名でも聞いておこうか?」
質問に対し、剣士は素直に己の名がスオルドであることを告げた。そして、身に着けていた鎧をいそいそと外しだす。
「いよいよ、観念したか」
「どーだか?」
鎧をすべて脱ぎ、布の服姿になったスオルド。そのまま大股を開いて腰を低くすると、右の足を高々と上げ、勢いよく地面に叩きつけた。
「……?」
吸血鬼の顔に、怪訝の色が浮かぶ。しかし剣士はお構いなしに、今度は左の足を高く上げ、打ち下ろす。
「何の儀式だ?」
「相撲だよ。俺は、前世の記憶があってね。相撲は大の得意だったんだ。こんなんでお前の命を奪えるとは思えんが、そっちの女性を助けて逃げることくらいは出来るかもしれねえからな」
スオルドは言うと、腰の低い姿勢のまま両手の平を開いた。そして大きく水平に振りかぶると、真正面で一度柏手を打つ。
その掌を、今度は吸血鬼側に向け、ゆっくりと腹の前にまで下ろした。その姿で何かを察したのか、吸血鬼の顔にわずかながら笑みがこぼれる。
「……そうか。スモウとは、何か体術の一種なのだな。しかし……見慣れぬどころではない、不思議な構えだな」
「くらってみれば分かるぜ……俺の立合いをよ」
「ふむ……興味深い」
言葉に偽りが無いと取ったか、吸血鬼は笑みを不敵に強めた。
「よかろう。すべてが終わったら、ひとつ調べてみるとしよう」
「どーぞ、ご自由に」
「お前に前世の記憶がある、というのも面白い。スモウのルーツをたどれば、あるいはその謎も解けるかも知れぬしな」
「ん? いや、まあ、その辺はどーだかな?」
「参考までに、お前の前世の名前も聞いておこう。調べものの助けになるかもしれぬ」
アンデットとは言え、吸血鬼ともなると随分知的好奇心が強いようだ。スオルドは小さくため息をつくと、右手を弱く握りしめ、地に軽くつけた。
「俺自身は、しがない一般庶民だったよ。別にスモウで名が売れたわけでもない」
「ただの興味本位だよ。もっとも、嫌だというなら無理強いはせぬが?」
「いや、いいさ。渋るほどのものでもない。俺の名前は……」
満月に雲がかかり、周囲が微かに暗くなった。スオルドは一瞬だけ月に視線を送ったが、すぐに向き直って言った。
「……俺の名前は、寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところ藪柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助、だ」
東の空がうっすらと明るい。
吸血鬼も、まさか名前でここまで時間を取られると思っていなかったのか、どことなくそわそわしている。
剣士スオルドこと、スモウが得意な寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところ藪柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助は、そんな彼の態度を敢えて無視して、さらに姿勢を低くする。完全に臨戦態勢だ。
「……うむ、なるほど……」
対して、吸血鬼の動揺は隠しきれぬほど大きいものだった。自分から聞いた手前、うやむやに出来ぬ、とでも思っているのだろうか? 変なところで律儀である。
「……分かった、と言いたいところだが……その名前は、少々長すぎて覚えきれぬな。もう少し、なんというか、短いあだ名のようなものは……」
「覚えきれぬのなら、もう一度名乗ってやろう。俺の名前は寿限無寿限無五劫の擦り切れ……」
「いや、いい! いい! 待て! 聞け! お前は人の話を聞け……!」
吸血鬼の制止をよそに、名乗りを止めないスオルド。
「海砂利水魚の水行末雲来末風来末……」
「やめろ! 待て! 止まれと言うに!」
「食う寝るところに住むところ藪柑子の藪柑子……」
「……ああ! 熱い! 朝日が! 朝日が昇って……!」
「パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイ……」
「ああ! あああああああああああ!!」
「グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助、だ」
「……」
「……ん?」
気が付くと、
目の前に吸血鬼はいなかった。灰がかすかに舞っているのみである。
生贄の少女と目が合う。表情には、安堵よりも困惑が色濃い。
無理にフォローすることもせず、そのままの表情でスオルドは彼女に告げた。
「……まー、じゃあ……帰ろっか?」
カラン。
折れた刀身が、満月の淡い光を反射させて力無く落ちた。石造りの町に、乾いた音が響く。誰ひとり様子を見に来ないのは、遅すぎる時間の故か、それとも、この不死の怪異を恐れてなのか。
「憐れだな、人の子よ」
勝利を確信したのか、目の前の吸血鬼は不敵に笑う。剣士は舌打ちをしながら、使い物にならなくなった剣を投げ捨てた。
「気に病むことはない。お前の剣よりも、私の爪の方が丈夫だった……それだけだ」
言いながら、吸血鬼は伸ばしていた左手の爪をシュルシュルと縮めていく。彼の後ろでは、縄でぐるぐるに縛られた上にさるぐつわまで嚙まされた女性が、泣き腫らした目でこちらを凝視していた。
吸血鬼め、わずかに戦闘態勢を緩めたか? 剣士はそう察すると、そちらの女性に目配せをして笑った。
「大丈夫だよ、嬢ちゃん。あんたは間違いなく、婚約者のところまで連れて帰るからな」
「虚勢だな。素手で私をどうするつもりだ?」
夜は更けていた。すでに月は西に大きく傾いていたが、学のない剣士は、それを見て日の出まであとどれくらいなのかを、計り知ることが出来ない。
(いくら吸血鬼とは言え、しょせんはアンデット。朝にさえなってくれれば、日の光でアイツも浄化されるはずなんだが……)
そう思ったところで、剣も持たない状態では時間稼ぎもままならない。
「観念したまえ。君はよくやった。もう少し賢くさえあれば、勇者として称えられたかもしれぬというのに……惜しいことをしたな」
「うるせー。フィアンセがいるような女性を生贄に指定するなんて、外道もいいトコだろうが。……見過ごせなかったんだよ」
「放浪の剣士の分際で、くだらぬ正義感に散るか……とは言うものの、腕前は本物であったな。最後に、名でも聞いておこうか?」
質問に対し、剣士は素直に己の名がスオルドであることを告げた。そして、身に着けていた鎧をいそいそと外しだす。
「いよいよ、観念したか」
「どーだか?」
鎧をすべて脱ぎ、布の服姿になったスオルド。そのまま大股を開いて腰を低くすると、右の足を高々と上げ、勢いよく地面に叩きつけた。
「……?」
吸血鬼の顔に、怪訝の色が浮かぶ。しかし剣士はお構いなしに、今度は左の足を高く上げ、打ち下ろす。
「何の儀式だ?」
「相撲だよ。俺は、前世の記憶があってね。相撲は大の得意だったんだ。こんなんでお前の命を奪えるとは思えんが、そっちの女性を助けて逃げることくらいは出来るかもしれねえからな」
スオルドは言うと、腰の低い姿勢のまま両手の平を開いた。そして大きく水平に振りかぶると、真正面で一度柏手を打つ。
その掌を、今度は吸血鬼側に向け、ゆっくりと腹の前にまで下ろした。その姿で何かを察したのか、吸血鬼の顔にわずかながら笑みがこぼれる。
「……そうか。スモウとは、何か体術の一種なのだな。しかし……見慣れぬどころではない、不思議な構えだな」
「くらってみれば分かるぜ……俺の立合いをよ」
「ふむ……興味深い」
言葉に偽りが無いと取ったか、吸血鬼は笑みを不敵に強めた。
「よかろう。すべてが終わったら、ひとつ調べてみるとしよう」
「どーぞ、ご自由に」
「お前に前世の記憶がある、というのも面白い。スモウのルーツをたどれば、あるいはその謎も解けるかも知れぬしな」
「ん? いや、まあ、その辺はどーだかな?」
「参考までに、お前の前世の名前も聞いておこう。調べものの助けになるかもしれぬ」
アンデットとは言え、吸血鬼ともなると随分知的好奇心が強いようだ。スオルドは小さくため息をつくと、右手を弱く握りしめ、地に軽くつけた。
「俺自身は、しがない一般庶民だったよ。別にスモウで名が売れたわけでもない」
「ただの興味本位だよ。もっとも、嫌だというなら無理強いはせぬが?」
「いや、いいさ。渋るほどのものでもない。俺の名前は……」
満月に雲がかかり、周囲が微かに暗くなった。スオルドは一瞬だけ月に視線を送ったが、すぐに向き直って言った。
「……俺の名前は、寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところ藪柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助、だ」
東の空がうっすらと明るい。
吸血鬼も、まさか名前でここまで時間を取られると思っていなかったのか、どことなくそわそわしている。
剣士スオルドこと、スモウが得意な寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところ藪柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助は、そんな彼の態度を敢えて無視して、さらに姿勢を低くする。完全に臨戦態勢だ。
「……うむ、なるほど……」
対して、吸血鬼の動揺は隠しきれぬほど大きいものだった。自分から聞いた手前、うやむやに出来ぬ、とでも思っているのだろうか? 変なところで律儀である。
「……分かった、と言いたいところだが……その名前は、少々長すぎて覚えきれぬな。もう少し、なんというか、短いあだ名のようなものは……」
「覚えきれぬのなら、もう一度名乗ってやろう。俺の名前は寿限無寿限無五劫の擦り切れ……」
「いや、いい! いい! 待て! 聞け! お前は人の話を聞け……!」
吸血鬼の制止をよそに、名乗りを止めないスオルド。
「海砂利水魚の水行末雲来末風来末……」
「やめろ! 待て! 止まれと言うに!」
「食う寝るところに住むところ藪柑子の藪柑子……」
「……ああ! 熱い! 朝日が! 朝日が昇って……!」
「パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイ……」
「ああ! あああああああああああ!!」
「グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助、だ」
「……」
「……ん?」
気が付くと、
目の前に吸血鬼はいなかった。灰がかすかに舞っているのみである。
生贄の少女と目が合う。表情には、安堵よりも困惑が色濃い。
無理にフォローすることもせず、そのままの表情でスオルドは彼女に告げた。
「……まー、じゃあ……帰ろっか?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる