黄泉小径 -ヨモツコミチ-

小曽根 委論(おぞね いろん)

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肆 昭和十九年

火の手

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「お、火事か!?」

 私と店主のおじさんは、辺りを見回す。

 そう遠くない場所から、煙があがっていた。

 ……きつね屋敷の方角だ。

「あの辺り……まさか、きつね屋敷か?」

 おじさんもすぐに思い至る。

「あそこ、確か今はだれか住んでたな」

「はい。軍人さんがひとり……」

「無茶したな。その人、多分もう死んでるぞ」

 おじさんの言葉に、私の心臓が悲鳴をあげた。

 煙は、瞬く間に勢いを増していく。

 火の勢いは、ここからでもうかがい知ることは容易だった。

 軍服さん……。

「……おい、どこへ行く!?」

 いきなり走り出した私を見て、店主のおじさんは声をかけてきた。

「きつね屋敷、見てきます!」

「やめておけ! 危ないだけだぞ! ちいちゃん!」

 おじさんの制止には耳を貸さず、私は火事の現場に急いで向かった。

「あ、ちいちゃん!」

 途中で、里子に遭う。

「きつね屋敷が燃えてるって、本当!?」

「それを今確かめに行くの」

「私も行く!」

「うん」

 里子は私よりも運動神経が良くないが、この時は必死で私についてきた。

 場所がそれほど遠くなかったこともあり、二人の差があまり広がらないまま、私たちは目的地に着いた。

 すでにたくさんいた野次馬たちの間をすり抜けるようにして、火事の良く見える場
所を確保する。

 近くで改めて見ると、火は凄まじい勢いだった。

 主にレンガで作られていたにも関わらず、その洋館は全体が炎に包まれていた。

 消防団の人たちが必死で消火活動をしているが、火がおさまる気配はまったく見られなかった。まさに焼け石に水だ。

 火事は勢いを増し続ける。中に人がいるのかどうかも、確認のしようがない。

「桜井さん!」

「少尉殿!いたら返事を!」

 そんな中でも、消防団員の何人かは、必死で燃え盛る建物の中へ声をかけ続けた。

 悲痛なその叫びに、応えが返ってくる様子はない。

 私の隣では、男性が小さくうずくまって南無阿弥陀仏を唱えている。

 よく見るとその人は、

「……村長?」

 思わず出たその声に、彼は反応して顔を上げる。

「君は、いつかの……」

 やっぱりこの人にも、顔を覚えられていたようだ。が、今はそれはどうでも良かった。

「私は、とめたんだ。いつか、こうなるかもしれないと思ってな……」

「はい」

 私は現場を見ていたから知っている。ぶたれてもなお反論しようとしていた村長の姿を。

「分かっていただけなかった……私のせいだ……」

 私は驚いて、村長に正面から向き直した。

「村長は悪くありません。そんなにご自分を責めないでください。それに、まだあの人が死んだとも決まっていません」

 出来るだけ冷静を努めながら、村長に伝えた。

「……すまん、その通りだな」

 弱々しく笑顔を見せる村長。

 それに対し、私と里子は心配な表情を禁じ得なかった。

       *

 結局、消火活動は深夜遅くまで続いたらしい。

 私と里子はともに、途中で親が来て家まで連れ戻されてしまったため、最終的にどうなったかを知らないまま翌朝を迎えた。

「じゃあ、屋敷からは誰も見つからなかったの?」

 少なからずの安堵感を覚えながら、私は祖父に確認した。

「そのようじゃな。しかしそうなると、次は少尉殿がどこに行ったのかが気になるな」

 私とは対照的に、曇った表情で祖父は答えた。

 確かにそれはその通りだが、まずはあの火事で軍服さんが死ななかったのだから、それで良しとするべきではないだろうか。

 私が呑気にそう思っていると、祖父はさらに言った。

「あの火事……放火らしいんじゃよ」

「え?」

 話の雲行きが一気に変わった。

「で、警察は、少尉殿があのきつね屋敷に火をつけて姿をくらましたのではないかと考えているらしい」

「そんな。あの人がそんな事をして得することなんか、何一つないじゃない」

「普通に考えたらそうだな。だが……」

 祖父は嫌なところで話を切った。

「きつね憑きになったら、人は何をするかわからん。お前はきつね憑きを知らんだろうが……あれは、イカンぞ」

 それは、祖父も軍服さんが放火犯だと思っている、と言っているようにしか聞こえなかった。私は何も言い返せず、祖父から目をそらせるのが精いっぱいだった。
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