黄泉小径 -ヨモツコミチ-

小曽根 委論(おぞね いろん)

文字の大きさ
51 / 83
捌 明治十年

憎悪滾ル荒木ノ家

しおりを挟む
 すずの一日は、古火傷の跡を布で隠すことから始まる。

 それは右目の辺りに広くあった。なまじ端整な顔つきであるだけに、その対比はなおさら人目に晒せるようなものではなかった。この日も慣れた手つきで、白濁した右目と黒く変色した皮膚を眼帯のような要領で器用に隠し、後ろ手で布を縛った。そして、そのまま朝餉あさげの準備に取り掛かる。

 すずの母はずっと前に死んだ。故に、この家では彼女が炊事を担当している。すずは荒木家の長女だった。それを呪わなかった日は、一日とて無い。

 彼女が用意しているのは、雑穀へ米を少し混ぜたものと、薄い色をした汁物だった。すずの家は、村の中でも特に作物が出来ないところにある。食べる物に困るのは、いつもの事だった。

「おはよう、姉ちゃん。手伝おうか」

 妹のあさが起きてきて、姉を気遣う振りをする。彼女が起きてくるのは、決まって朝餉が整う直前だ。手伝うつもりなど微塵もないのは明白だった。

「いいわよ、もう出来るから。あなたは、お父さんたちを起こして頂戴」

 すずは、あさの方を見もしないで言う。

「はぁい」

 間延びした声であさは答えると、今自分が開けた障子の方へ戻っていった。一番手前で寝ている父親の子三郎の布団を蹴る音が、すずの耳に届く。

「おら、朝飯だとよ。起きろ親父」

 寝床の子三郎は、それを受けて力なく呻く。

「てめえ。毎日毎日、よくも自分の父親を足蹴に出来るな」

「あんたにだけは言われたくないね。ほら、牛兵衛も寅之助も起きな。朝だよ」

 あさは父に続いて、弟たちにも床を出るように促す。それはこの家にとって、いつもの朝の光景だった。

 子三郎の床を中心に膳が並べられ、朝餉となった。子三郎は数年前から病に侵されており、もうずっと床から出ていない。

「体を起こせますか、お父さん」

「大丈夫だ、余計な世話を焼くな」

「すず姉、よくやるな」

 父を介抱する姉を見ながら牛兵衛が言った。彼は、悪くしている左足を投げ出すようにして膳の前に座る。

 すずが全員分の膳を並べ終わったところで、思い思いに箸を持ち食事を始めた。

 大した量ではないが、皆ゆっくりと時間をかけて食べている。特にあさは左手が不自由で、椀に口を近づけて飯をかきこんでいる。器用に箸を使っているが、やはりどこか危なっかしい。

 そのあさを子三郎がしげしげと見つめていた。これにすずが気づき、声をかける。

「あさが、どうかしましたか」

 尋ねられた子三郎は、鼻で笑って言った。

「いや、何度見ても犬みてえな食い方だなって思ってよ」

 それを聞くとあさは体を起こし、箸を膳に投げつけた。反動で、寅之助の膳に箸が片方飛ぶ。寅之助は何も言わず、箸をあさの膳に戻した。

「あさ、落ち着いて」

「てめえ、よくもそんな事が言えたな」

 あさは押し殺した声で言うと、すずの制止を無視してその場に立った。

 腹を立てた様子なのは彼女だけではなかった。牛兵衛もあさに倣うようにしてぎこちなく立ち上がると、子三郎の後ろに回った。

「おい、何するつもりだ」

 彼はしかめ面をする子三郎の後ろ襟に手をかけると、片足が悪いとは思えない力で軽々と彼を立ち上がらせた。

「おい、こら。こら」

「牛兵衛、そのままな」

「あいよ」

 あさははしたなく片足を上げると、子三郎の下っ腹を思い切り蹴りつけた。

 子三郎の口から、醜い悲鳴が漏れる。

「あさ。牛兵衛。やめなさい」

 すずの言葉に、二人を思い留まらせる効果は全くなかった。牛兵衛は子三郎を羽交い絞めにして動けないようにし、あさはそれに応えるようにして何度も父親の腹を蹴った。

「あんたがあたしの腕を折ったからこんな食べ方してるんじゃないか。あんた、自分が何をしたのか覚えてねえのか」

「やめろ、馬鹿野郎。そんなに思い切り蹴られたら死んじまうだろうが」

「牛兵衛の足も、姉ちゃんの目も、あんたが癇癪を起して駄目にしたんだろうが。もしこれでボケた振りして忘れたなんて言ってみろ。半殺しじゃすまねえぞ」

「しつけじゃねえか。親が子に手を出して何が悪い」

「一生もんの不自由背負わせといて何がしつけだ。ふざけるな」

 言っている間にも、あさの脚は何度も子三郎の腹を捉える。

「分かった。分かったからやめろ。死んじまう」

「あさ、もうやめなさい。お父さん本当に死ぬわよ」

 見るに見かねて、すずはあさと子三郎の間に割って入った。あさは憎々しげな視線を容赦なく父親に浴びせつつも、ようやくその腹を責めるのをやめた。

「牛兵衛も、離しなさい」

「ちぇ。すず姉は甘いんだよ」

 渋々ながら、牛兵衛も子三郎から離れる。

「はぁ。はぁ。すまんな、すず」

「謝る相手が違いますよ、お父さん」

 すずに促され、子三郎はあさを見た。あさの目は未だ、子三郎を激しく責めている。

 その視線を直視出来ずに、子三郎はそっぽを向いた。

 全員が、その場で黙り込んだ。聞こえてくるのは、寅之助が汁をすする音のみだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

隣人意識調査の結果について

三嶋トウカ
ホラー
「隣人意識調査を行います。ご協力お願いいたします」 隣人意識調査の結果が出ましたので、担当者はご確認ください。 一部、確認の必要な点がございます。 今後も引き続き、調査をお願いいたします。 伊佐鷺裏市役所 防犯推進課 ※ ・モキュメンタリー調を意識しています。  書体や口調が話によって異なる場合があります。 ・この話は、別サイトでも公開しています。 ※ 【更新について】 既に完結済みのお話を、 ・投稿初日は5話 ・翌日から一週間毎日1話 ・その後は二日に一回1話 の更新予定で進めていきます。

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿

加来 史吾兎
ホラー
 K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。  フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。  華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。  そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。  そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。  果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...