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捌 明治十年
優シキ切支丹
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振り返った先にいたのは、二人の異人だった。驚くほど背が高く、そして目の色が青かった。
彼らはなにやら黒いものを着ていた。すずが普段見慣れている着物とは違う、良く分からないものだ。彼らは、十字架を形取った首飾りに手を当てながら、彼女に近づいてくる。
何て不吉なものを身に着けているのだろう。
初めて見るその姿に、すずの体が凍りつく。
「突然呼び止めて申し訳ありません」
異人の一人が言った。いささかの訛りこそあるが、その言葉は非常に聞き取りやすかった。
「何ですか、貴方たちは」
すずは、恐怖心に煽られたまま彼らに訊いた。
「私たちは切支丹です。この村で、布教をしています」
切支丹。
すずは、両親からその言葉を教わった事がなかった。それ故、彼女にはこの二人が、磔刑の道具を模したものを大事そうにしている、怪しい異人にしか見えなかったのだ。
「私は、そんなもの知りません。失礼します」
必死で二人から目を逸らすと、すずは足早にその場を去ろうとした。
すると、切支丹の異人は彼女の後ろから声を張ってこんな事を言った。
「お時間は取らせません。あなたのお話を少しだけ聞かせてください」
話を聞けではない。
聞かせろ、だった。
意外に感じたすずは思わず足を止め、振り返った。
「どういう事でしょう」
訝しく思ったすずは、それを率直にぶつけた。
「あなたは、何かとても思いつめています。あなたの悩みを、私は聞きたい。あなたの苦しみ、悩み、懺悔、なんでも構いません。あなたを苦しめるそれを、私たちに聞かせてほしい。如何ですか」
いでたちは恐ろしいが、語り口やその表情はきわめて穏やかなものだった。
長らくそんな顔で接する人がいなかったすずの心は、怪訝から困惑に変化した。
「私を苦しめる、もの」
「そうです。何でも構いません」
「それは例えば、」
例えば、何だろう。
父が誰彼かまわず暴力を振るう人で、皆が迷惑している事か。
しかし、それは過去の事だ。今はあれも病床にあり、家族の支えがなければ生きていけない。
けれども。
あれのせいで家族は全員村からつまはじきにされ、痩せた土地で貧しい暮らしを余儀なくされているのだ。妹も弟も心はすさんでおり、末の寅之助に至っては、兄や姉を前にしても口を開こうとさえしない。
そして私は。
私は。
すずは急に、顔中の筋肉がこわばるのを感じた。慌てて口元に手を当てる。
だが、それは全く用を成さぬ行為だった。
瞬く間に目からは涙が溢れ、口からは何十年も出していないような大声が出た。
宣教師はすずの肩に優しく手を置くと、膝を屈めて彼女と目線の高さを合わせた。
「ここでは人の目もあります。中で、ゆっくりお話しをうかがいますよ」
異人は言うと、後ろにある廃れた空き家を指し示した。
すずは、言葉にならない声をあげながら頷くと、肩を支えられるようにしながらその空き家に入っていった。
その時、視線を感じたすずは一度だけ、後ろを振り返った。
視線の主の塩売りは、気まずそうに彼女から目を逸らせていた。
彼らはなにやら黒いものを着ていた。すずが普段見慣れている着物とは違う、良く分からないものだ。彼らは、十字架を形取った首飾りに手を当てながら、彼女に近づいてくる。
何て不吉なものを身に着けているのだろう。
初めて見るその姿に、すずの体が凍りつく。
「突然呼び止めて申し訳ありません」
異人の一人が言った。いささかの訛りこそあるが、その言葉は非常に聞き取りやすかった。
「何ですか、貴方たちは」
すずは、恐怖心に煽られたまま彼らに訊いた。
「私たちは切支丹です。この村で、布教をしています」
切支丹。
すずは、両親からその言葉を教わった事がなかった。それ故、彼女にはこの二人が、磔刑の道具を模したものを大事そうにしている、怪しい異人にしか見えなかったのだ。
「私は、そんなもの知りません。失礼します」
必死で二人から目を逸らすと、すずは足早にその場を去ろうとした。
すると、切支丹の異人は彼女の後ろから声を張ってこんな事を言った。
「お時間は取らせません。あなたのお話を少しだけ聞かせてください」
話を聞けではない。
聞かせろ、だった。
意外に感じたすずは思わず足を止め、振り返った。
「どういう事でしょう」
訝しく思ったすずは、それを率直にぶつけた。
「あなたは、何かとても思いつめています。あなたの悩みを、私は聞きたい。あなたの苦しみ、悩み、懺悔、なんでも構いません。あなたを苦しめるそれを、私たちに聞かせてほしい。如何ですか」
いでたちは恐ろしいが、語り口やその表情はきわめて穏やかなものだった。
長らくそんな顔で接する人がいなかったすずの心は、怪訝から困惑に変化した。
「私を苦しめる、もの」
「そうです。何でも構いません」
「それは例えば、」
例えば、何だろう。
父が誰彼かまわず暴力を振るう人で、皆が迷惑している事か。
しかし、それは過去の事だ。今はあれも病床にあり、家族の支えがなければ生きていけない。
けれども。
あれのせいで家族は全員村からつまはじきにされ、痩せた土地で貧しい暮らしを余儀なくされているのだ。妹も弟も心はすさんでおり、末の寅之助に至っては、兄や姉を前にしても口を開こうとさえしない。
そして私は。
私は。
すずは急に、顔中の筋肉がこわばるのを感じた。慌てて口元に手を当てる。
だが、それは全く用を成さぬ行為だった。
瞬く間に目からは涙が溢れ、口からは何十年も出していないような大声が出た。
宣教師はすずの肩に優しく手を置くと、膝を屈めて彼女と目線の高さを合わせた。
「ここでは人の目もあります。中で、ゆっくりお話しをうかがいますよ」
異人は言うと、後ろにある廃れた空き家を指し示した。
すずは、言葉にならない声をあげながら頷くと、肩を支えられるようにしながらその空き家に入っていった。
その時、視線を感じたすずは一度だけ、後ろを振り返った。
視線の主の塩売りは、気まずそうに彼女から目を逸らせていた。
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