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愛染に習う何者にもなれない人

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 次の日の朝だった
 白は自分の部屋で目を覚ました
 何か、巨大な猫に食べられる夢を見たよな気がしないでもないが、詳細の部分は夢なので不明である
 白はベッドから起き上がり、1階の喫茶店に降りてゆくのだった
 どうやら早起きしてしまったらしく、朱真理の姿は見当たらない
 ので、冷蔵庫から勝手に食パンとハムとチーズを取り出して簡素なサンドイッチにするのだった
 白の食費を見繕うだけの経済的余裕はあるらしく、サンドイッチなら無限に食べていいと朱真理は言っていた
 とはいえ、自分が食べるサンドイッチはだいぶ簡素だ
 蒼羅に作ったサンドイッチは少し豪華だったのだが
 一体これは何故故か?
 白は今日は何をしようかと考えたが、出かけるよりも先に喫茶店に愛染が入ってきた、裏口から
 白
「裏口は鍵がかかってたはずなんだけど、合鍵持ってるの?」
 愛染
「ああ、朱真理とは仲が良くてな。この喫茶店へは自由に出入りできる」
 白は思った
 愛染のことだから、色々なところで人をたぶらかしており、色々なところへ自由に出入りできるのではないかと
 現在白はウーバーで金をある程度持っているが、幸せにはなっていない、まあ、安心はしているのだが
 だが、愛染のように色々な人と知り合っておければ、幸せだろうな、とも考えた
 愛染
「どうした、何か言いたげだな?」
 白
「いや、別に」
 愛染
「言ってごらん?」
 白
「そうだね、自分のことではないけど、相談したいことならあるかな。最近知り合った人が自分の健康を顧みないで仕事を続けてしまっているから、どうやって休ませるという選択を取らせるのか、それを悩んでる」
 愛染
「仕事熱心な人に良くある話だな。人間の業ともいえよう。仕事は人間にとってわかりやすい安心材料であるお金をもたらしてくれるからな。だから仕事を頑張ってしまう人も多い」
 白
「でも、そんなにお金に困っているようには見えなかったけどな」
 愛染
「でも、お金には呪いがあるのだよ。手に入れれば入れるほど、もっと欲しくなる呪いがね」
 白
「欲望ってやつは恐ろしいなあ」
 愛染
「お金よりも健康のほうが大切だと私は思うのだがね、一昔前の大人は、子供たちに背中でもって命よりもお金のほうが大切であると教えてしまった。だから命を顧みないでお金を手に入れようとする若者が最近は多い。これは現代の大人の罪なのだよ」
 白は一瞬だが感嘆した
 ここでお金を求めて健康を投げうる人間を亡者と呼ぶのは簡単だが、その原因を模範を示すはずの大人が悪いと愛染は言ったのだ
 それがどこか人の営みを理解しつくした賢者のようであり、白は愛染を少しだけ尊敬するのだった
 これが、知恵のある者の考え方か
 愛染
「だから、白が模範を示してやればいい。お金なんかよりも大切なものがあると。暮らしていくのにそこそこのお金があれば十分なのだと」
 足ることを知る者は富を得るという言葉があるが、愛染はそのことでも伝えようとしているのだろうか?
 だが、その模範を白が示せと言っているのだから少し荷が重い
 面倒だとは思わないが、やり方がわからない
 相手に何かを気づかせるにいはどうしたらいいのか?
 そうだ、それをやって栄養を得ているのはほかでもない愛染だ
 愛染に習えば、きっとそれができるのかもしれない
 白
「なあ、人に何かを教えるとき、どうしたらいい?」
 愛染
「相手から信頼されなくてはな。赤の他人の言うことなど人は信じないものだ。親しい人のアドバイスなら聞くだろうがな」
 白
「わかった。まずは親しくなるところからだな。やってみるよ」
 そう思って白は蒼羅の連絡先にメッセージを入れた
 今日はどこかで遊ばないかと
 帰ってきた返事は、鎌倉のファーストフード屋前で待ち合わせとのことだった
 代わりに、不思議情報をいろいろと教えてください、とのメッセージも添えて
 待ち合わせ時刻は、今日のお昼だった
 どうやら、昨晩は早めに寝たらしい
 今日は朝からメッセージに対応できる当たり、ぐっすり眠れたみたいだな
 頭も冴えていて何かを教えるには最適な状態だろう
 と、ここで白は少しの引っ掛かりを覚えた
 白
「なあ、愛染。人に何かを教えるって、上から目線じゃないか?」
 愛染
「そうだな、確かにその通りだ。白が今助けたい相手は別に助けを求めてはいないのだろう? それを助けようとしているのだから、余計なお世話のはずだ」
 白
「なんだか、そんなことしちゃっていいのかなー?」
 愛染
「白は、優しいが、臆病だな。この二つは同時に持ってしまうものだが、それでもいいだろう。おせっかいを焼く人間は自分の親切が相手の機嫌を損ねるのではないかと不安に思わなくては、暴走してしっまう。だから、白のその感情はあって当然なのだよ。だが、話を聞く限りだと、白が助けたいと思っている相手は別にひねくれものでも何でもなく、素直な人間だと思う。だから、その辺りは心配しなくてもいいと思うがな」
 白
「どうして素直な相手だと思ったんだ?」
 愛染
「それはな、この時代において仕事熱心だからさ。今の時代のひねくれた人間は悪いことをしてでもお金を手に入れようとする。が、白が相談している相手はそうではない。だから、きっと素直な相手なのだろな、と思ったのだよ」
 白
「そうかもしれないね」
 愛染
「それに、白が心を開いている相手がひねくれているわけがない。仮に相手がひねくれものだった場合、白は助けたいと思わないだろう」
 白
「確かに、そうかもしれないね」
 愛染
「だから、助けに行ってしまっていいのさ。元々、人は助け合って生きるものなのだから。助け合いを拒む悪人なんて、世の中そこまで多くない。大抵は善人か、悪い夢を見てしまった人がいるだけだ」
 白
「なんだそりゃ? 聞いたことがない話だなあ」
 愛染
「日本は人の温かい心で守られているのだよ。日本人はお互いに思いやりの心を持っている。だから、それが上手に機能して、人々の暮らしを円滑にしているのさ」
 白
「それは、聞いたことがないなあ」
 愛染
「白にはまだ早いだろう」
 白
「はぐらかしてないか?」
 愛染
「実際問題、早いのさ。思いやりで世界が成立するなんて、頭のいい人ほど理解できない。私は、白の頭がそれなりに良いものだと理解しているつもりだ」
 白
「そうか。褒められているんだか、けなされているんだか、よくわからないんだけど、まあ、愛染のことだからどっちでもないんだろうな」
 愛染
「そうだ、どちらでもない」
 白黒つかない状況に白は混乱した
 こういうあいまいなものの扱いを苦手とするのが、男性という生き物の弱点ではあるあろう
 鉄は固く丈夫だが、柔らかさは同時に獲得することができないのである
 だがまあ、愛染はそういう白の実直さを別の部分で評価しており、それが白の長所だろうな、とも考えていた
 愛染
「白は、夕日を美しいと思ったことはあるかな? あの、昼でも夜でもない空間、とても美しいと思わないか?」
 白
「あー、分かる気がする。確かにきれいだな、って思うことはあるけど、どうなんだろう、きれいだなー、以上の気持ちは湧いてこないかな?」
 愛染
「それでいい。人と言うのは何でもはっきりさせたがる。理性というものゆえにな」
 白
「なんだか、理性なんて捨てて自然に帰れって言ってるみたいな感じだな」
 愛染
「違うぞ。理性も人の動物としての本望も、どちらも似たよなものだ。理性と本能は対立しているようで、どちらも人間が元々持っている能力にすぎない。とはいえ、この話は長くなるからな。今は伏せておく」
 白
「まあ、その時が来たら教えてもらうとするか。じゃあ、俺はファーストフード屋さんで人と待ち合わせがあるので、この辺で脱出させてもらうよ。哲学的な会話が多すぎて頭がつかれた。じゃあねー」
 愛染
「ああ、それではな」
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