【改稿版】人間不信の俺が恋なんてできるわけがない

柚希乃愁

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第七章 それぞれの想い

第70話 彼女はすべてを知り、心を定めた

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 一応、話している途中、美優が泣き始めてしまったところで、麻理は扉に臨時休業の札をかけたため、店内には今二人しかいない。
 ちょうどその前に客が途切れたところであったし、こんなに泣いている子がいる中で他の客の相手はできないからだ。それに今は美優との話に集中したかった。

「ここまでの話はあなたも当事者だったでしょう?思い当たることも色々とあったんじゃないかしら?」
 美優が春陽と別れるまでのことを話し終えたところで麻理はそう美優に言った。
「…………」
 美優からはすぐに言葉が返ってこなかったため、ふと窓の方を見ると、外は雨が降っていた。
 相当な激しさだ。
 天気予報でも言っていた、おそらく局地的なものだろう、短時間で止みそうな感じのものだ。

 その雨を見つめながら、麻理は雪愛と話せていてよかったと思った。
 でなければ、美優にここまで話すことはなかったと自分で思う。
 雪愛の言葉があったからこそ、こうして話すことができたし、今の美優を見て、話してよかったと思えた。

 美優の目からは涙が次から次へと止まることなく流れている。

「……私には、すべて、春陽が自分から、言い始めたことだと、あの人は、言っていました。我が儘を、許しただけだと……。だから、私は!」
 ようやく話し出した美優は喉を詰まらせているようだ。
 美優が話し始めたことで、麻理は視線を窓から元に戻す。
「そう。……小さな頃からあなたにそう植え付けていたなら、疑問に思わないものなのかもしれないわね。……本当最悪だわ」
 最後は吐き捨てるような言い方になってしまった。
 静香のそのやり口に、言葉だけでなく麻理は苦虫を嚙み潰したような顔になっている。

 美優は持っていたハンカチを目元に当て涙を拭っていた。
「……すみません。私は……私に、泣く権利なんて、ないのに……」
 知らないからこそ言えてしまった言葉の数々が蘇る。
 泣くつもりなんて本当になかったのに、気づいたら流れていた涙が未だに止まってくれない。

 麻理はそんな美優の頭にそっと手をやり、優しく撫でた。
 この子も被害者なのだ。
 そして春陽同様優しい心を持っている。
「謝ることは何もないわ。泣くことに権利なんて必要ないでしょう?美優、あなたの涙はあなたがハルを想ってのものでしょう?人のことを想って涙を流せるのはその人のことがそれだけ大切だからよ。だから、好きなだけ泣いていいと私は思うわ」
「麻理さん……。う、あ、あぁ……、うぅっ……うぅ」
 しばらくの間、窓を叩く雨の音と美優の口から漏れてしまう声だけが店内に響いていた。

 どれほど時間が経っただろうか。
「……ごめんなさい。もう大丈夫です。続きをお願いできますか?」
 美優の涙はなんとか止まったが、その目元は赤くなっている。
「……わかったわ」
 そこから麻理が話す内容は完全に美優の知らない時期のもの。
 春陽が言っていた小六のとき死にかけたというのは、やはり大袈裟でもなんでもなかった。
 胸が苦しくなり、美優の目から一度は止まった涙が再び流れている。

 麻理の家に来てからのことは本当によかったと思った。
 春陽にとってはきっと初めてできたまともな家族だったのだろう、と。
 だが、中学での出来事。
 これは美優にとって完全に寝耳に水だった。
 美優の目が大きくなる。
(なんでそんなことに!?どうして!?)
 あまりの衝撃に涙が止まる。
 最初はただ、せっかく幸せな暮らしができるようになって、これからというときに、どうして春陽にそんな不幸が、と悲しい気持ちになった。
 けれどその全貌が明らかなになっていくにつれ、嫌な感じに心臓の鼓動が速くなっていった。
 そして、名前を聞いて思い出す。
 一度だけ会った男のことを。
 呼吸が浅く速くなる。
 当時ストレスで潰れそうだった自分が友人に話してしまった内容。
 そして引き合わされた人物。
 けれど自分はあの男に何も話していない。
 それなのに知っていたというのなら、あの友人が話したということ。
 それが、自分がこぼした愚痴が、結果として春陽を傷つけた。
 春陽を、好きだったバスケが嫌いになってしまうほどに傷つけた男に利用された。
「あ、ああ、そんな、私、そんな……」
 言葉にならない。
(私のせいで、春陽は好きだったバスケも失った?)
 美優は頭を抱えるように両手をやり、その手で綺麗な髪を鷲掴みにする。
「……ハルは当時、話すとしたら美優しかいないって言ってたけど、……どうやらその通りだったみたいね」
 麻理は表情を曇らせた。
 春陽は自分への嫌がらせと考えている節があったが、この反応はとてもそうとは思えない。
 美優の本意ではない形だったことが窺える。

「ち、違う!違います!私、私は…!そんな……、そんなつもりで言ったんじゃ」
 必死に麻理に訴える美優。

 美優が友人に話した愚痴。
 それは基本的にはすべて両親のことだった。
 最低な両親の最低な所業。
 その中で少しだけ出してしまった弟、春陽のこと。
『私、弟がいるの。今の家族じゃなくてね。その弟のことで最低なことをした母親に父親が怒って離婚したんだけど、父親も最低なことしてたんじゃないかって今は思うの。でなきゃ今と昔で態度が違いすぎるもん。……春陽、元気にやってるといいんだけど。そんな資格私にはないけど、あんな人と一緒に今もいるのかと思うと心配で……』
 正確なことはたとえ友人でも、愚痴で言える内容ではない。
『へえ、美優、他にも弟いたんだ?』
『うん、春陽って言ってね。私にとっては弟と思えるのは春陽だけかな。……今一緒に暮らしている人たちを家族とはどうしても思えないから……』
『美優はその春陽くんって弟のこと好きなんだね。すごくいい顔してる。じゃあさ、もっとその春陽くんのこと教えてよ。嫌なことより好きなことを話してる方が絶対いいよ』
『そうかな?……確かにあんな人たちの話ばかりしてても滅入るだけかもしれないね。えっとね、春陽はね、バスケが好きで――――』
 そうして友人に春陽のことを話してしまった。
 けれどそれは愚痴ではない。
 当時、春陽を悪く言ったつもりは一つもないのだ。

 ただ、その友人とあの男が知り合いだったことが不幸だったとしか言いようがない。

 彼女たちの間でどうしてそんな話になったのかはわからないが、彼女が曲解して伝えたとは考えにくい。
 春陽のことを知っている人がいたって本当に嬉しそうに伝えてくれた。
 そして嫌じゃなければと美優に会うかどうかの判断を任せてくれた。
 だとすればあの男がわざと春陽を傷つけるように言ったということ。

 実際、美優の友人である彼女は、春陽の近況を知りたがっていた美優が喜ぶと思い、したことだった。
 当時学校を越えた友人同士、ファミレスで集まって話しているときのこと、彼女がトイレから戻ったタイミングでその手前までどんな話の流れだったかを知らないまま、出てきたフルネームとバスケという一致から、もしかしてと確認してしまったのだ。
 あの男は外面だけは真面目なバスケ部員を装っていたから。

「ええ。……今のあなたを見ればそれはわかるわ。だから落ち着いて」
「でも!だって!そんな、私、どうしたら―――」
「美優!」
「っ!?」
 強く名前を呼ばれ、美優の定まらなかった視線が麻理を捉える。
 真剣な表情でまっすぐ自分を見る麻理と目が合った。
「今度ハルに会うんでしょう?……もし、どうしても気にしてしまうのなら、そのときに本当のことを伝えるしかないわ」
「……でも、そんなこと、春陽だって許してくれるわけ……」
 先ほどまでの取り乱した様子はないが、落ち込んでいるようで頭が下がっている。
「今のハルならきっと大丈夫。ちゃんとあなたの話を聞いてくれるはずよ」
 麻理は表情を和らげる。
 きっとこれまでの春陽だったら何をどう言っても悪意としか受け取らなかったと思う。人の言葉なんて信じなかっただろうから。
 けど、今の春陽なら相手の気持ちを思い遣ることもできるはず。
 自分からもう一度美優に会うことを決めた春陽なら、きっと美優のことも。
「どうしてそんなことが言えるんですか……」
 美優は非難するように麻理を見る。 
 美優には麻理が無責任なことを言っているようにしか感じなかったのだ。
 そんな美優に麻理は信頼のこもった目を向ける。
 それは春陽と雪愛、二人への信頼。
「今のハルには雪愛ちゃんがいるから。ハルは雪愛ちゃんと出会って変わった。いえ、いろいろなものに気づいて成長したと言った方がいいのかしら。ハルの心は強くなった」
 学校では関わる人も増え、雪愛に自分の過去を話すこともできた。バイト中の春陽の雰囲気も随分柔らかくなった。
「ゆ、あ?」
 美優は突然出てきた名前を繰り返すことしかできない。
 その名前は春陽と話したときにも出てきた。
 今春陽が付き合っているという彼女の名前だ。
「そう。雪愛ちゃんがハルの心を癒してくれたの。……いえ、雪愛ちゃんだけじゃないわね。悠介っていう中学のときからハルを支えてくれた親友と言っていい理解者もいる。皆ハルを想ってくれている。今年の球技大会なんてね、あの子バスケに参加したのよ?あんなに嫌ってたはずなのに」
「雪愛……。春陽が今付き合っている女の子、ですよね?」
「あら、それは聞いてたのね」
「はい。……大切な人だ、って言ってました……」
「そう、ハルが……」
 麻理の口元に優しい笑みが浮かぶ。大切、その言葉を春陽が口にする日が来るなんて。
 一方、美優は未だ信じられない気持ちだった。
 そんなことがあり得るのか?
 美優だって男性と付き合ったことはある。
 けれど、そんな風に自分が変わる、成長する相手なんていなかった。むしろ付き合ったことを後悔したくらいだ。
「けれど付き合い始めだとも言ってました。それなのに、そんなに影響を与えるなんてことあり得るんですか?」
「信じられない?けど、出会い、関わる人によって、人間なんていくらでも変わるわ。そこに時間は関係ないんじゃないかしら」
 麻理は自分の経験からもそのことを知っている。
 貴広との出会いで自分は変わることができた。
 麻理は運命なんて言葉は嫌いだ。子が親を選べないことも、大切な人が病気になることもすべて運命なんて言葉で納得できるものではないから。でもそんな麻理ですら春陽と雪愛が今このタイミングで出会い、惹かれ合ったことについては奇跡的なことだと思ってしまう。
「……教えてください。先ほどの続きを。そして、今の春陽のことを」
 春陽がどう変わったのか。
 そして麻理がそこまで言う雪愛のこと。
 美優は聞きたいとそう思った。
「わかったわ」

 麻理は、美優の言葉を受け、再び話し始める。
 バスケを止めてからの春陽がいかに他者を寄せつけなかったか。一人でい続けようとしたか。まるで自分がいつ消えてしまってもいいとでも思っているかのように。一人暮らしを始めたいという春陽の意思を尊重したと言えば聞こえはいいが、ただ止められなかっただけだ。その意志があまりに固くて。なんとかバイトを条件にして繋がりを維持するのが精一杯だった。高校に入ってからの日常を春陽は何もないとしか言ってくれないから、時々悠介から話を聞くだけになってしまった。その悠介もクラスが違うからあまり詳しくはわからないようだったけど、友人も作らず、それどころか誰とも関わろうとせず一人でいることだけは間違いなかった。

 春陽のことではなく麻理自身のことのため、美優に話すようなことじゃないから言わなかったが、そんな中で麻理にできたのは、自分が嫌いで、中でも特に静香にすら似ていない自分の顔が大嫌いな春陽に、嫌いにならないでと、誰に似ているとかではなく春陽の顔も素敵なのだと、大好きだと伝えることくらいだった。あまり効果はなかったけれど。

 それからそんな春陽が雪愛との出会いでどう変わっていったのか。
 雪愛と出会ってからの数か月は本当に濃密だ。

 すべての話を聞き終えた美優は、静かに涙を流していた。
 ただし、それは今までのように悲しみからくる涙ではなかった。
 表情は柔らかく、口元には小さく笑みが浮かんでいる。
 春陽と雪愛、二人が出会えたことを美優は心から嬉しく思った。

「麻理さん、教えてくれてありがとうございました」
「あなたの知りたかったことはすべて知れたかしら?」
「はい。……春陽と、今度こそちゃんと話ができそうです」
「そう。よかったわ」

 このときにはもう外の雨は止んでおり、雲間からは太陽の光が差し込んでいた。
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