1 / 1
第1話:終わりのない日常と"あの夢"
しおりを挟む「ルナさん、この企画書、まだできてないんですか?」
鋭い視線が突き刺さる。上司の榊原部長だ。ルナは慌ててパソコンの画面を切り替えた。
「あ、すみません。今日中には必ず完成させます」
「今日中? 締め切りは昨日だったはずだけど」
オフィスの空気が凍りつく。隣の席の同僚たちの視線がチクチクと背中に刺さる。
「大変申し訳ありません。必ず今日の帰りまでには…」
榊原部長は大きく息を吐いた。「まあいい。とにかく最優先でやってくれ」
広告代理店「フューチャービジョン」のクリエイティブ第二部、その小さな一角で、有栖川ルナ(28)は肩を落とした。入社六年目、中間管理職として忙しい日々を送るが、最近はどんどん仕事が増えて息が詰まる思いだった。
「また怒られてたね」
隣の席から、同期の佐々木マキが声をかけてきた。優しいようで、どこか他人事のような響きが胸に引っかかる。
「ごめん、最近ちょっと集中力が…」
「大丈夫? 体調悪いの?」
心配そうに見えるマキの目に、一瞬、優越感のような光が宿ったように感じた。考えすぎだろうか。
---
夜11時過ぎ、ようやくオフィスを出た。企画書は完成したが、満足のいくものではなかった。電車の窓に映る自分の顔を見つめる。少し腫れたような目、血色の悪い頬。28歳というには老けて見えるような気がして、ため息が漏れた。
「私、このままでいいのかな」
誰にともなく呟き、マンションに帰り着く。12階の小さな一人暮らしの部屋。狭いながらも、自分なりに居心地よく整えたつもりの空間が、今夜はやけに冷たく感じられた。
シャワーを浴び、髪を乾かし、クリームを塗る。毎日同じルーティン。明日も、明後日も、おそらく来年も、この繰り返し。
ベッドに横たわり、天井を見上げる。いつの間にかそこに小さなクモの巣ができていた。「掃除しなきゃ」と思いながら、眠りに落ちた。
---
目の前に現れたのは、見たこともないような巨大な扉だった。
黄金と深い青で装飾された扉は、天井まで伸びていて、その先端は霧の中に消えている。中世の城のような、でも同時に宇宙の果てのような不思議な場所。
扉の前に立っていたのは、金色の長い髪を持つ女性だった。
背が高く、すらりとした体型。シルバーがかったブルーのドレスを纏い、月明かりのような柔らかな光に包まれている。その美しさは、現実の人間のものとは思えなかった。ルナが息を呑んだとき、女性がゆっくりと振り返った。
完璧すぎる顔立ち。深い青の瞳は星空のように輝き、優しい微笑みを浮かべている。しかし、その額には薄い三日月型の傷跡があった。それが彼女の神秘的な美しさをさらに引き立てていた。
女性は何も言わず、ただルナを見つめている。言葉を交わしたわけではないのに、「私を待っていた」という確かな感覚があった。
ルナが一歩踏み出そうとした瞬間、世界が揺らぎ始めた。
---
目を覚ますと、頬が濡れていた。涙だ。なぜ泣いているのか分からない。夢の内容を思い出そうとするが、金色の髪と三日月の傷以外、詳細が霧の中に消えていく。
不思議な夢だった。でも、それ以上に不思議なのは、何か大切なものを失ったような喪失感。
「何だったんだろう…」
アラームが鳴り、いつもの朝が始まる。コーヒーを飲み、少し濃いめのメイクで疲れた顔を隠し、いつもの電車に乗る。
オフィスでは新たな案件の話し合いが始まっていた。化粧品会社の新製品のプロモーション企画だ。
「私たちの商品は、『内側から輝く美しさ』がコンセプト」
クライアントの森谷さんが熱心に語る。女性向けの高級スキンケアラインだという。
「ターゲットは25~35歳の働く女性。自分磨きにお金をかけたいけど、時間がない人たち」
まるで私のことだ、とルナは思った。
会議が終わり、昼食を取りに行こうとしたとき、先輩の美月が声をかけてきた。
「ルナちゃん、この案件、私が担当するわ」
美月は完璧な美貌と仕事の手腕で、部署内でも一目置かれる存在だった。
「でも部長は私に…」
「あなた、最近調子悪いでしょ? 榊原部長にも相談済みよ」
抗議する暇もなく、美月は踵を返した。その背中を見送りながら、なぜか夢の中の金髪の女性を思い出した。対照的な二人。一方は冷たい完璧さで、もう一方は神秘的な温かさで輝いている。
---
その夜も、そして次の夜も、同じ夢を見た。
巨大な扉と金髪の女性。毎回、女性は振り返るだけで何も語らない。でも不思議と、その存在に安らぎを覚えた。
三日目の夜、同僚たちとの飲み会があった。案件を取られたことで気分が落ち込んでいたが、断りづらく参加した。
「ルナちゃん、最近元気ないね」と、マキが声をかけてくる。
「ちょっと疲れてるだけだよ」
「無理しないでね。美月さんに仕事取られたの、気にしてるの?」
思ったより周囲に知られていたらしい。顔が熱くなるのを感じる。
「そんなことないよ。美月さんの方が適任だし」
「そうよね~。美月さんって完璧よね。顔も、スタイルも、仕事も」
マキの言葉にはどこか意地悪さが混じっていた。ルナはグラスを傾け、話題を変えようとする。
トイレに立った帰り、バーカウンターの鏡に映った自分の姿が目に入った。
「え…?」
一瞬、自分の瞳の色が違って見えた気がした。いつもの茶色ではなく、もっと深く、輝きを持った色に。でも、もう一度見ると元に戻っている。疲れているせいだろうか。
席に戻ると、聞こえてきたのは自分の噂話だった。
「ルナって、地味になったよね。大学の時はもっと派手だったのに」
「最近太った?」
「彼氏いないって言ってたけど、そりゃそうだよね」
笑い声。背中がぞくりとした。
自分を笑う人たちの中に居ても、なぜか妙な平静さがあった。まるで他人事のように冷静に状況を観察している自分がいる。そして心の奥底では、「これは終わりの始まりだ」という奇妙な確信が芽生えていた。
---
その夜、いつもよりも鮮明な夢を見た。
巨大な扉の前、金髪の女性が立っている。今回は振り返るだけでなく、笑顔でルナに手を差し伸べた。
「お会いできて嬉しいわ、ルナ」
初めて聞く声は、風鈴のように澄んでいた。
「あなたは…誰?」
「私はセリーナ。あなたを長い間待っていたの」
セリーナは一歩、ルナに近づいた。
「あなたの中で、何かが目覚め始めている。感じるでしょう?」
確かに、ここ数日、自分の中で何かが変わりつつあるような感覚があった。日常の憂鬱の中にも、見知らぬ力が静かに蠢いているような。
「この扉の向こうには、あなたの本当の姿がある。でも、まだ開くときではないわ」
セリーナの青い瞳がルナを見つめる。三日月の傷跡が月明かりに照らされ、銀色に輝いた。
「次に会う時、あなたにもっと多くのことを教えましょう。あなたの美は、まだ目覚めていないだけなの」
ルナが何か言おうとした瞬間、夢が揺らいだ。
---
朝、鏡で自分の顔を見た時、確かな手応えがあった。
昨日までとは何かが違う。顔つきが少し引き締まったような。瞳は普段より輝いて見える。
「何かが始まる…」
そう呟いた瞬間、胸の奥で何かが共鳴するのを感じた。これは終わりではなく、何かの始まりなのだという確信。セリーナとの再会を、ルナは心待ちにしていた。
(続く)
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
【本編完結】転生令嬢は自覚なしに無双する
ベル
ファンタジー
ふと目を開けると、私は7歳くらいの女の子の姿になっていた。
きらびやかな装飾が施された部屋に、ふかふかのベット。忠実な使用人に溺愛する両親と兄。
私は戸惑いながら鏡に映る顔に驚愕することになる。
この顔って、マルスティア伯爵令嬢の幼少期じゃない?
私さっきまで確か映画館にいたはずなんだけど、どうして見ていた映画の中の脇役になってしまっているの?!
映画化された漫画の物語の中に転生してしまった女の子が、実はとてつもない魔力を隠し持った裏ボスキャラであることを自覚しないまま、どんどん怪物を倒して無双していくお話。
設定はゆるいです
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【ご報告】
最終回まで予約投稿済みです。
毎日8時・20時に更新予定です。
メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~
ヒミヤデリュージョン
ファンタジー
帝国辺境でただ静かに生き延びたいだけの少年・ヴァン。
彼に正義感はない。あるのは、母が遺したノートに記された、物理法則を応用した「高圧魔力」の理論と、徹底した費用対効果至上主義だけだ。
敵国三千の精鋭が灰燼城に迫る絶望的状況。ヴァンは剣を振るわず、心理戦と補給線攪乱だけで、たった三日で敵軍を撤退させる。
この効率的すぎる勝利は帝国の中枢に届き、彼は最高峰の帝国軍事学院への招待状を手に入れる。
「英雄になりたいわけじゃない。ただ、母の死の真相と父の秘密を知るため、生き残らなきゃならないだけだ」
無口最強の仮面メイド・シンカク、命を取引に差し出した狼耳少女・アイリ。彼は常にコスパの高い道を選び、母の遺したノートの謎、そして生まれて一度も会ったことのない父・帝国大元帥のいる帝都の闇へと踏み込んでいく。
正義も英雄も、損をするなら意味がない。合理主義が英雄譚を侵食していく、反英雄ミリタリー学園ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる