記憶喪失の僕が最強の轉魂使いだった件

ソコニ

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第5話「過去への手がかり」

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「本当にこんな所に人が住んでいるのか?」

蒼は疑わしげに尋ねた。三人は霧原町の外れ、森と山の境界線にある小さな小屋の前に立っていた。苔むした木材で作られた小屋は、周囲の自然に溶け込むように存在していた。

「安心して」七海は微笑んだ。「村上のおじいさんは、この町で一番古い記憶を持つ人よ。もし誰かが本当のことを知っているとしたら、この人しかいない」

七海が扉を叩くと、しばらくして中から乾いた声が響いた。

「誰じゃ?」

「村上さん、私です、七海です」

扉がゆっくりと開き、八十歳を超えると思われる老人の姿が現れた。白髪と深い皺、しかし鋭さを失わない眼差し。村上は三人を見て、特に蒼の顔を見たとき、一瞬目を見開いた。

「七海さん...そして...」老人は言葉を詰まらせた。

「深宮蒼です」蒼が挨拶すると、老人の表情が複雑に変化した。

「深宮...」村上は繰り返した。「来るべき時が来たようじゃの。さあ、中へお入り」

小屋の内部は予想以上に広く、壁には古い巻物や書物が所狭しと並べられていた。暖炉の火が穏やかに燃え、部屋を心地よく温めていた。

「坐りなさい」村上は彼らにお茶を勧めた。「何を知りたいのかな?」

蒼は直球で尋ねた。「記憶の杯について教えてください。そして...この町と私の関係について」

村上は長い沈黙の後、ゆっくりと話し始めた。

「それを語るには、まず『霧原大災』について話さねばならん」

老人の目に過去の影が浮かぶ。

「十年前のことじゃ。突然、町の北側から黒い霧が湧き上がった。その霧に触れた者は記憶を失い、一部の建物は崩壊した。町の半分が失われ、多くの住民が犠牲になったんじゃ」

蒼と綾音は息を呑んだ。七海も緊張した面持ちで聞き入っていた。

「その日、不思議なことに霧は一日だけで収まった。だが、生き残った者たちの多くは記憶を失っていた。そして町は...変わってしまった」

「桐生が現れたのはその後ですか?」綾音が尋ねた。

「そうじゃ」村上は頷いた。「桐生は『記憶回復の専門家』として現れ、クリニックを設立した。初めは人々を助けているように見えたが...」

「実際は記憶を操作し、支配していたんですね」蒼が言葉を継いだ。

「そう見ている者もおる。だが証拠がない。わしはこの町を離れられんし、記憶も曖昧になりつつある...」

村上は一瞬、混乱したような表情を見せたが、すぐに正気を取り戻した。

「深宮...」老人は蒼を見つめた。「お前の家族もこの町にいた。お前が覚えていないのも無理はない。お前はまだ幼く、両親と共に大災の日に行方不明になったと皆が思っていた」

蒼の胸が高鳴った。「私の家族について、何か覚えていますか?」

「お前の父親は学者で、この町の歴史を研究していた。母親は優しい女性で、ちいさな妹もいたはずじゃ。『深宮』の名は町の古文書にも登場する古い家系でな」

蒼は老人から聞く自分の過去に、言葉を失った。記憶の中に浮かぶのは淡い影だけで、村上の言葉が確かな真実かどうか判断できなかった。

「深宮の家は...」村上は続けた。「実は魂術の名家として知られていたんじゃ。お前の父親は特に『轉魂』の研究をしていたと聞く」

「父も...轉魂使いだったのですか?」蒼は息を呑んだ。

「そうじゃろう。そして彼は『記憶の杯』の研究もしていた。霧原神社の地下に封印されているという古い神器をな」

七海が身を乗り出した。「神社の地下?私の住んでいた場所に?」

「そうじゃ」村上は頷いた。「神社の本殿の下には古い祭壇があり、そこに『記憶の杯』が封印されている。だが、その封印を解くには特別な儀式が必要じゃ」

「どんな儀式ですか?」綾音が尋ねた。

「それは...」

村上の言葉が途切れた。彼の視線が宙を彷徨い、やがて困惑した表情に変わる。

「わし...何を話していたかのう?」

蒼たちは驚いて顔を見合わせた。村上の記憶が突然途切れたのだ。

「記憶の杯について...」七海が静かに促した。

「あぁ...」村上の目に少し光が戻った。「そうじゃ...記憶の杯...深宮の血...鍵になる...」

彼の言葉は断片的になり、やがて疲れたように椅子に深く腰掛けた。

「もう限界のようです」綾音が囁いた。「彼の記憶も操作されています。でも完全には消されていない」

蒼は立ち上がった。「村上さん、ありがとうございました。休んでください」

三人は小屋を後にした。外は昼過ぎで、霧が薄くなり始めていた。

「神社に向かいましょう」七海が言った。「記憶の杯が本当にあるなら...」

「待って」綾音が二人を止めた。「簡単にはいかないわ。桐生も記憶の杯を狙っているはず。神社は監視されているかもしれない」

「それでも行かなければ」蒼は決意を新たにした。「村上さんの話から、俺とこの町、そして俺の家族には何か大きな関係があるようだ。記憶の杯を見つければ、全てが明らかになるかもしれない」

三人は用心しながら町を通り抜け、神社への道を進んだ。七海が細い裏道を案内し、人目を避けつつ進む。

「おじいさんが生きていた頃は、神社には結界が張られていたの」七海が説明した。「桐生たちが入れないように...」

神社が見え始めたとき、蒼は立ち止まった。不吉な予感が背筋を走る。

「誰かいる...」

神社の鳥居の前に、一人の少女が立っていた。青い着物を身にまとい、長い銀髪を風に揺らす姿。

「瑠璃...」七海が小さく呟いた。「桐生の側近...」

少女——瑠璃は彼らに気付くと、薄く笑みを浮かべた。

「お待ちしていました、深宮蒼さん」彼女の声は澄んでいた。「桐生先生が会いたがっていますよ」

蒼は警戒しながら一歩前に出た。「残念だが、その誘いは断る。俺たちには用事がある」

「神社の地下の封印された神器を探しに来たのでしょう?」瑠璃は涼しげに言った。「それはできません。あの神器は桐生先生が研究するものですから」

「人々の記憶を操作するために?」蒼が声を荒げた。

瑠璃は首を傾げた。「先生の治療は人々を救っています。痛みや悲しみの記憶から解放し、新しい幸せを与える...それは素晴らしいことではありませんか?」

「洗脳だ!」蒼は怒りを抑えられなかった。「人の記憶は勝手に操作していいものじゃない!」

瑠璃の目が冷たく光った。「なら...力ずくでもお連れしましょう」

彼女の指から突然、細い青い光の糸が無数に伸びた。それらは蜘蛛の糸のように広がり、空中に複雑な網目を形成する。

「記憶糸...」七海が震える声で言った。「彼女は記憶の中に直接入り込み、操作することができるの」

瑠璃の指が動くと、糸が蒼に向かって伸びた。蒼は咄嗟に身をかわし、葛老人から受け継いだ体術で糸を避けようとする。しかし糸は予想以上に速く、いくつかが蒼の腕に触れた。

その瞬間、蒼の視界が歪みはじめた。

周囲の景色が溶け、代わりに見知らぬ光景が浮かび上がる。炎に包まれた建物、叫び声、そして黒い霧...

「幻覚だ...!」蒼は叫んだが、声が遠くに響くだけだった。

瑠璃の記憶糸は蒼の精神に侵入し、記憶と現実の境界を曖昧にしていた。炎と霧の幻覚の中で、蒼は小さな子供の姿を見た——自分自身だ。泣き叫ぶ幼い自分の前には、両親らしき人影が倒れている...

「蒼!」綾音の声が遠くから聞こえた。「それは幻よ!抵抗して!」

蒼は必死に現実に戻ろうとした。村上から聞いた自分の過去、失われた家族...その記憶の断片が瑠璃の能力によって歪められ、恐怖の幻覚として蘇っていた。

一方、七海と綾音も瑠璃の攻撃に苦戦していた。七海は記憶糸に巻かれ、意識が朦朧としている。綾音は魂の炎で糸を焼こうとするが、まだ前回の戦いから完全に回復していないため、炎の勢いが弱かった。

「くっ...」蒼は膝をつき、頭を抱えた。

絶体絶命の状況の中、彼は咄嗟の思いつきで声を上げた。

「瑠璃!俺と契約しないか?」

瑠璃の動きが一瞬止まった。「契約...?」

「轉魂契約だ」蒼は右手の紋様を見せた。「お互いの能力を分かち合おう」

瑠璃は冷たく微笑んだ。「轉魂使いの能力ですか...確かに興味深い」

彼女は記憶糸を緩め、蒼に近づいてきた。しかし彼女の目には警戒心が宿っていた。

「でも、契約には相手の同意が必要なのでしょう?」瑠璃は蒼の手を見つめた。「私はあなたと契約する理由がありません」

蒼は必死で言葉を紡いだ。「一時的でもいい。お互いを理解するために...」

「理解?」瑠璃は小さく笑った。「私を理解できる人間などいません。桐生先生でさえ...」

彼女の言葉に一瞬の迷いが見えた気がした。しかし次の瞬間、瑠璃の表情は再び冷酷さを取り戻した。

「契約など結びません。私の役目はあなたを連れて行くことだけ」

瑠璃の記憶糸が再び蒼を取り囲み始めた。蒼の意識が徐々に遠のく中、彼は最後の手段に出た。

「なぜ...桐生に従うんだ?お前自身の意志はないのか?」

瑠璃の動きが再び止まった。彼女の目に一瞬、痛みのような感情が浮かんだ。

「意志...」

しかし次の瞬間、森の中から物音がした。黒スーツの男たちが複数、彼らの方へ向かって来ているのが見えた。

「時間切れね」瑠璃はつぶやき、蒼たちから離れた。「次は逃げられませんよ」

彼女は記憶糸を引き上げ、森の中へと姿を消した。

蒼はよろめきながら立ち上がり、七海を支えた。綾音も弱々しく近づいてきた。

「今のうちに...神社へ」蒼は言った。

「でも、黒スーツの男たちが...」七海が懸念を示した。

「選択肢はない」蒼は決意に満ちた表情で言った。「記憶の杯を見つけなければ、この町の人々も、俺たち自身も救えない」

三人は追手の声が近づく中、神社の方へと急いだ。蒼の頭には瑠璃が見せた幻覚の断片が残り、胸に痛みを引き起こしていた。自分の過去と家族の運命...そして彼女が見せた炎と霧の光景。それは単なる幻覚なのか、それとも蒼が失った実際の記憶の断片なのか。

答えは神社の地下、封印された記憶の杯の中にあるのかもしれなかった。
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