4 / 36
第4話「最初の戦い」
しおりを挟む森の中を走る三人の息遣いが夜の静寂を破った。蒼が先頭に立ち、七海の手を引きながら、綾音が後方の様子を警戒している。黒スーツの男たちの姿はまだ見えないが、彼らが追跡していることは確かだった。
「あと…どれくらい…?」七海が息を切らしながら尋ねた。
「もう少し」蒼は葛老人の記憶を頼りに、森の中の獣道を選んでいた。「この先に抜け道があるはずだ」
しかし彼らが小さな開けた場所に出たとき、前方から人影が現れた。月明かりに照らされた彼らの姿は、黒いスーツではなく、白い制服だった。
「記憶処理人だ…」七海が震える声で言った。
「記憶処理人?」蒼は足を止めた。
白い制服の男女が五人、半円を描くように立ち並んでいた。彼らの額には何かの記号が描かれており、全員が無表情だった。
「深宮蒼」中央の男が一歩前に出て言った。「桐生先生の命令により、あなたとその同行者を確保します。抵抗はしないでください」
蒼は身構えた。「俺たちが従うとでも?」
「従わない場合は、強制的に記憶処理を行います」男の声は機械的だった。
「あの人たち…自分の意志で動いているわけじゃないわ」綾音が蒼の耳元で囁いた。「記憶を操作されて、操り人形のようになっている」
「どうすれば…」
「まず、彼らの動きを封じる必要がある。だけど彼らは強いわ…」
会話の間も、記憶処理人たちは着実に近づいてきた。突然、彼らの中の一人が手を掲げ、蒼に向かって何かを放った。
それは目に見えない波のようなものだった。空気が歪み、蒼の意識に直接働きかけてくる感覚。蒼の頭に霧がかかったように、思考が鈍り始めた。
「こ、これは…」
「蒼!彼らは直接記憶に干渉しようとしている!」綾音が叫んだ。「抵抗して!」
蒼は必死に意識を保とうとした。葛老人から受け継いだ武術の記憶を呼び起こし、体を動かそうとするが、思うように動かない。頭の中は混乱し、自分が何のために戦っているのかさえ曖昧になってきた。
もう一人の記憶処理人が七海に向かって同じ技を放った。七海は抵抗する間もなく膝をつき、虚ろな表情になり始めた。
「や、やめて…」彼女は弱々しく言ったが、その声はだんだん小さくなっていった。
蒼は焦りを感じたが、自分自身も動けなくなりつつあった。記憶処理人たちの攻撃は次第に強くなり、蒼の意識は徐々に遠のいていく。
その時だった。
「もう、これ以上は許さない!」
綾音の声に力が込められた。彼女の周囲に青白い炎が現れ、次第に大きくなっていく。その炎は彼女の体から放射状に広がり、夜の森を幻想的に照らし出した。
「これが…綾音の能力?」蒼は驚きながら見つめた。
綾音の黒い着物が風もないのに揺れ、長い髪が宙に浮かび上がる。彼女の目は鮮やかな紫色に輝き、その姿はまるで冥界からの使者のようだった。
「魂の炎よ、我が敵を焼き尽くせ!」
綾音が両手を広げると、青白い炎が彼女の指先から流れ出し、記憶処理人たちに向かって放たれた。炎は物理的な熱を持つのではなく、触れた者の精神に作用するようだった。
記憶処理人たちは炎に包まれると、悲鳴を上げて後退した。彼らの額の記号が青白い光に包まれ、次第に消えていく。一人、また一人と記憶処理人たちが倒れていった。
蒼の頭の霧も晴れ始め、再び明確に考えられるようになった。七海も徐々に意識を取り戻していた。
最後の記憶処理人が倒れると、綾音の周りの炎は次第に小さくなり、最終的には消えた。彼女はその場に膝をつき、疲れた様子だった。
「綾音!」蒼は駆け寄った。「大丈夫か?」
「問題ない…」綾音は弱々しく微笑んだ。「でも、しばらくは力を使えそうにないわ」
「あれが魂の炎…すごい力だ」
「あの人たちは一時的に正気を取り戻しただけ」綾音は倒れた記憶処理人たちを見た。「でも長くは持たないわ。早く逃げましょう」
蒼は七海を助け起こした。彼女はまだ混乱していたが、歩けるようになっていた。
「あの光…あなたは何者?」七海は綾音を見つめた。
「説明している時間はないわ」綾音は立ち上がった。「他の追手が来る前に移動するわよ」
三人は再び森の中を進み、やがて小さな丘の上にある廃屋に辿り着いた。かつて猟師が使っていたと思われる小屋で、誰も住んでいる気配はなかった。
「ここなら一晩は安全だろう」蒼は言った。
小屋の中には古い暖炉があり、蒼は火を起こした。温かい炎の灯りが小屋の中を照らす中、三人はようやく一息ついた。
「七海さん、少し良くなった?」蒼が尋ねた。
七海は頷いた。「ええ…頭の中の霧が少し晴れてきたわ。でも、まだ全てを思い出せない…」
「おじいさんのことは?」
「おじいさん…」七海は目を閉じた。「時々、優しい顔が浮かぶの。でも、はっきりとは…」
蒼は葛老人から託された木箱を取り出した。
「これを開ける時かもしれない」
三人は箱を囲んだ。蒼が慎重に蓋を開けると、中には古びた羊皮紙の地図と、小さな写真が入っていた。
「これは…」蒼は写真を手に取った。
そこには幼い男の子と両親、そして小さな女の子が写っていた。背景には霧原町の風景。男の子の顔をじっと見つめた蒼は、そこに自分の姿を認めた。
「俺だ…これは俺と…家族?」
蒄の手が震えた。記憶喪失になる前の自分の姿。そして彼が全く記憶にない家族の姿。
「そして背景は…間違いなく霧原町だ」
七海は驚いて写真を見つめた。「あなた…この町の出身だったの?」
「わからない…」蒼は混乱していた。「事故で記憶を失う前の自分のことは、ほとんど何も覚えていない」
綾音も写真を覗き込んだ。「これはあなたと霧原町の繋がりを示す最初の証拠ね」
「だけど、なぜ葛老人がこんな写真を持っていたんだ?」蒼は首を傾げた。
七海が次に地図を広げた。それは霧原町とその周辺の古い地図で、特定の場所に赤い印が付けられていた。
「これは…町の北側の山だわ」七海が言った。「そこには古い遺跡があるって聞いたことがあるけど…」
地図の端には小さな文字で「記憶の杯」と書かれていた。
「記憶の杯…」蒼は綾音を見た。「これが七大魂器の一つ?」
綾音は頷いた。「そう。七大魂器の中で最も基本的な器。失われた記憶を一時的に取り戻す力を持つわ」
「なら、これを手に入れれば、俺の記憶や七海さんの記憶も…」
「可能性はあるわ」綾音は真剣な表情で言った。「でも、簡単ではないはず。魂器は簡単に見つかるものではないし、見つかったとしても扱いが難しい」
三人は黙って地図を見つめた。火の光が揺れる中、彼らの影が壁に映し出されていた。
夜が深まり、七海は疲れた様子で横になった。彼女が眠りについた後、蒼と綾音は小声で話を続けた。
「七海さんは何か覚えているのだろうか…」蒼は彼女の寝顔を見た。
「記憶の操作を受けても、完全に消えるわけじゃない」綾音は説明した。「記憶は魂の一部だから。一時的に接続が断たれても、根本的な部分は残っている」
「桐生は一体何のために町の人々の記憶を操作しているんだ?」
「それについて…」綾音は七海の方を見た。「彼女なら何か知っているかもしれないわ」
朝を迎える頃、七海は目を覚ました。彼女の表情は昨夜とは違い、より冴えていた。
「私…少し思い出したわ」彼女は二人に告げた。「おじいさんのこと、神社のこと…そして桐生のクリニックで何が行われているのかも」
蒼と綾音は身を乗り出した。
「桐生は特殊な装置を使って、人々から記憶を抽出しているの」七海の声は震えていた。「特に価値のある記憶—トラウマや強い感情を伴うもの、特殊な技術や知識に関するもの…そういった『価値ある記憶』を集めているの」
「何のために?」蒼が尋ねた。
「はっきりとは分からない」七海は首を振った。「でも、おじいさんはそれを止めようとしていたわ。そしておじいさんには特別な力があった…」
「轉魂の力だね」蒼は自分の右手の紋様を見た。
「そう」七海は頷いた。「おじいさんは私に話してくれた。記憶の杯を見つけなければならないと。それが全ての始まりで、あなたが来ることも…」
七海の言葉は途切れた。外から物音がした。
「見つかった…?」蒼は窓から慎重に外を覗いた。
黒スーツの男たちの姿はなかったが、森の木々が不自然に揺れていた。
「もう動くべきね」綾音が立ち上がった。「記憶の杯を探しに行きましょう」
蒼は地図を折り、ポケットにしまった。写真も大事に保管し、七海を助け起こした。
「記憶の杯があれば、町の人々も救えるかもしれない」七海は言った。「それに、あなたの失われた記憶も…この町とあなたの繋がりも分かるかもしれないわ」
蒼は頷いた。霧原町との意外な繋がり、謎の記憶操作、そして記憶の杯の存在。全ての謎を解く鍵は、地図が示す山の中にあるのかもしれなかった。
「行こう」
三人は廃屋を後にし、朝霧の中を山へと向かった。木々の間から差し込む朝日が、彼らの前途を明るく照らしていた。しかし、その道のりが困難に満ちていることを、彼らはまだ知らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
異世界複利! 【単行本1巻発売中】 ~日利1%で始める追放生活~
蒼き流星ボトムズ
ファンタジー
クラス転移で異世界に飛ばされた遠市厘(といち りん)が入手したスキルは【複利(日利1%)】だった。
中世レベルの文明度しかない異世界ナーロッパ人からはこのスキルの価値が理解されず、また県内屈指の低偏差値校からの転移であることも幸いして級友にもスキルの正体がバレずに済んでしまう。
役立たずとして追放された厘は、この最強スキルを駆使して異世界無双を開始する。
辺境の最強魔導師 ~魔術大学を13歳で首席卒業した私が辺境に6年引きこもっていたら最強になってた~
日の丸
ファンタジー
ウィーラ大陸にある大国アクセリア帝国は大陸の約4割の国土を持つ大国である。
アクセリア帝国の帝都アクセリアにある魔術大学セルストーレ・・・・そこは魔術師を目指す誰もが憧れそして目指す大学・・・・その大学に13歳で首席をとるほどの天才がいた。
その天才がセレストーレを卒業する時から物語が始まる。
【完結】小さな元大賢者の幸せ騎士団大作戦〜ひとりは寂しいからみんなで幸せ目指します〜
るあか
ファンタジー
僕はフィル・ガーネット5歳。田舎のガーネット領の領主の息子だ。
でも、ただの5歳児ではない。前世は別の世界で“大賢者”という称号を持つ大魔道士。そのまた前世は日本という島国で“独身貴族”の称号を持つ者だった。
どちらも決して不自由な生活ではなかったのだが、特に大賢者はその力が強すぎたために側に寄る者は誰もおらず、寂しく孤独死をした。
そんな僕はメイドのレベッカと近所の森を散歩中に“根無し草の鬼族のおじさん”を拾う。彼との出会いをきっかけに、ガーネット領にはなかった“騎士団”の結成を目指す事に。
家族や領民のみんなで幸せになる事を夢見て、元大賢者の5歳の僕の幸せ騎士団大作戦が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる