記憶喪失の僕が最強の轉魂使いだった件

ソコニ

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第26話「試練の森」

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「迷いの森だ...」

神和から北西へ三日間、険しい山道を抜けた先に広がっていたのは、濃い霧に包まれた森だった。木々はあり得ないほど巨大で、幹は数人がかりでも抱えきれないほどの太さ。枝葉は空を覆い尽くし、内部はうっすらとした薄暗がりに包まれていた。

蒼、千冬、綾音の三人は、森の入口で足を止めた。

「本当にここに術者組合があるの?」千冬が疑わしげに尋ねた。「ただの...不気味な森にしか見えないけど」

蒼も同じ疑問を持っていた。しかし綾音は確信に満ちた表情で頷いた。

「ここよ、間違いない」彼女の声には珍しく力強さがあった。「この森の向こうに術者組合の『里』がある」

零番隊から逃れてからの三日間、彼らは休む間もなく移動を続けてきた。特に蒼と千冬は疲労の色が濃かった。しかし、彼らを追う零番隊も決して休んではいないはずだ。一刻も早く安全な場所に辿り着かねばならない。

「行こう」蒼が決断した。「術者組合が父の所属していた組織なら、きっと僕たちを助けてくれるはずだ」

三人は深呼吸をして、森の中へと足を踏み入れた。

最初のうちは、普通の森を歩いているような感覚だった。しかし、しばらく進むと、周囲の空気が微妙に変わってきた。葉の擦れる音が急に大きく聞こえたかと思えば、次の瞬間には完全な静寂に包まれる。太陽の光が差し込む場所があったかと思えば、次の一歩で濃い霧に包まれる。

「おかしい...」千冬が立ち止まった。「この木、さっきも見た気がする」

蒼も周囲を見回した。確かに見覚えのある木々だ。特に右側の、幹が二股に分かれた特徴的な木は、少なくとも二度目に見るような気がした。

「もしかして...」蒼は不安そうに言った。「俺たち、同じところをぐるぐる回ってるんじゃ...」

「ええ、その通りよ」綾音が冷静に答えた。「これが迷いの森の仕組み。方向感覚を狂わせ、侵入者を永遠に森の中をさまよわせるの」

「なんだって!?」千冬が驚いた声を上げた。「出られないってこと?」

「正確には...資格のない者は出られない」綾音は説明した。「この森は術者組合の結界で守られているの。資格があると認められた者だけが通過できる」

「資格って...」蒼は眉をひそめた。「どうすれば得られるんだ?」

綾音は少し迷った様子で、「それは...私にもはっきりとは分からないわ。ただ、試練があるはずよ」と答えた。

三人はしばらく歩き続けたが、状況は変わらなかった。何度同じ場所を通っているのか、もはや分からなくなっていた。時間の感覚も狂い始め、空を見上げても昼なのか夕方なのかすら判断できなかった。

「このままじゃ埒があかない」蒼が立ち止まり、「一旦休憩しよう」と提案した。

三人は大きな木の根元に座り込んだ。わずかな食料と水を分け合いながら、打開策を考える。

「綾音、もう少し詳しく教えてくれないか?」蒼が尋ねた。「結界について、術者組合について...何でもいい」

綾音は少し考え込んだ。「私の記憶...というか、感覚は限られているの。でも、この森の結界は単なる物理的な障壁じゃなくて、『心の結界』だということは分かるわ」

「心の結界?」

「ええ」綾音は頷いた。「侵入者の心に働きかけ、心の迷いを増幅させる。だからこの森は『迷いの森』と呼ばれているの」

千冬が「じゃあ、心を澄ませれば突破できるってこと?」と尋ねたが、綾音は首を振った。

「そう単純なものじゃないわ。むしろ...」

彼女の言葉が途切れた瞬間、森の中から奇妙な音が聞こえてきた。子供の笑い声だった。

「誰か来たの?」千冬が立ち上がり、警戒の姿勢を取った。

しかし蒼は凍りついたように動けなかった。その笑い声は、どこか懐かしく、心に深く響くものだった。

「蒼、どうしたの?」綾音が心配そうに尋ねた。

「この声...」蒼の言葉が震えた。「どこかで聞いたことがある気がする...」

笑い声はだんだん近づいてきて、やがて霧の中から一人の子供の姿が現れた。それは5、6歳くらいの男の子で、どこか蒼に似ていた。

「あれ...あれは...」蒼は言葉を詰まらせた。

「幼い頃のあなた...?」綾音が小さな声で言った。

確かに、その子供は幼い頃の蒼そのものだった。子供は三人を見ると、にっこり笑って手を振った。

「お兄ちゃん、遊ぼう!」

そう言って、子供は森の奥へと走り去った。

「待って!」思わず蒼は叫び、子供の後を追いかけた。

「蒼!」千冬と綾音の声が背後から聞こえたが、蒼には止まれなかった。

子供の姿を追いかけて森の中を走り続けると、突然景色が変わった。そこは森ではなく、蒼に見覚えのある庭だった。小さな池があり、色とりどりの花が咲いている。

「ここは...」蒼は混乱した。「どこかで見たことがある...」

「ここは家だよ」子供の蒼が微笑みながら言った。「忘れちゃったの?」

その瞬間、庭の奥から一人の男性が現れた。高い身長と凛とした雰囲気を持つ男性だったが、不思議なことに顔がぼやけていて見えない。

「お父さん!」子供の蒼が嬉しそうに叫び、男性に駆け寄った。

男性は子供を抱き上げ、優しく頭を撫でる。その姿を見ている蒼の胸にはどこか切ない感情が湧き上がってきた。

「父...さん...?」

蒼がその言葉を口にした瞬間、男性はゆっくりと蒼の方を向いた。顔はまだぼやけているが、なぜか悲しげな表情をしているように感じられた。

「蒼...」男性の声が風のように届いた。「まだ...時間がない...」

「何が?」蒼は混乱して尋ねた。「父さん、何を言ってるの?」

男性は子供の蒼を抱きながら、少しずつ後退していく。

「父さん、待って!」蒼は叫び、彼らに向かって走り出した。しかし、距離は縮まるどころか、むしろ広がっていくようだった。

「蒼!」

突然、背後から声がした。振り返ると、千冬と綾音が立っていた。二人は心配そうな表情で蒼を見つめている。

「大丈夫?」千冬が尋ねた。「突然走り出すから...」

蒼は混乱して周囲を見回した。庭も、子供も、男性の姿も消えていた。再び森の中に戻っていた。

「今...何が...」

「幻を見たのね」綾音が静かに言った。「これが結界の試練の始まりよ」

「幻...?でも、あれは確かに...」

「ええ、あなたの記憶の断片かもしれない」綾音は頷いた。「でも、結界がそれを利用して、あなたを迷わせようとしているの」

蒼はまだ動揺していたが、少しずつ冷静さを取り戻しつつあった。

「千冬は?何も見なかったの?」

千冬は少し顔を曇らせた。「私は...家族の姿を見た。実験前の...感情を持っていた頃の」

彼女の声には深い悲しみが滲んでいた。蒼は千冬の手を握り、「大丈夫、一緒に乗り越えよう」と励ました。

「試練は始まったばかりよ」綾音が警告した。「これからもっと強い幻が現れるわ。惑わされないで」

三人は再び歩き始めた。しかし今度は以前と違い、周囲の景色が少しずつ変化していくのを感じた。霧はより濃くなり、時折不思議な光が霧の中を漂っていた。

「おかしい...」千冬が周囲を警戒しながら言った。「さっきより霧が...」

彼女の言葉が途切れたとき、霧の中から複数の人影が現れ始めた。

蒼の前には再び父らしき人物が。しかし今度は温かい表情ではなく、厳しい、失望したような顔をしていた。

「お前には失望した」父の幻影が冷たく言った。「お前のような弱い子は、私の跡を継ぐ資格などない」

蒼の心に痛みが走った。それは幻だと分かっていても、胸に突き刺さる言葉だった。

千冬の前には彼女の家族が現れた。彼らは無感情な表情で彼女を責め立てる。

「あなたのせいで私たちは実験台にされた」
「なぜ守ってくれなかったの?」
「あなたが失敗したから...」

千冬の顔から血の気が引いていき、彼女は震え始めた。

「違う...私は...」彼女の声は震えていた。

綾音の前にも何かが見えているようだったが、彼女はその光景に強い衝撃を受けているようには見えなかった。むしろ覚悟を決めたような表情だった。

「これは試練よ」綾音が二人に向かって叫んだ。「幻に負けないで!」

しかし、幻影は次第に強力になり、三人を取り囲んでいった。蒼は父の失望した表情に、千冬は家族の責め言葉に、それぞれ心を痛めていた。

「これは...本当に幻なのか?」蒼は疑問に思い始めていた。「もしかして、これが真実で...」

「違う!」綾音の強い声が響いた。「これはあなたの心の弱さを映し出しているだけ!」

しかし、綾音の声も次第に遠くなっていくように感じた。蒼の意識は徐々に幻の世界に引き込まれていく。父の姿は他の幻影と混ざり合い、様々な顔が蒼を責め立て始めた。

「私を...見捨てた...」
「力がないくせに...」
「お前のせいで...」

責め言葉の嵐の中で、蒼は膝をつき、頭を抱えた。どこからが真実で、どこからが嘘なのか、もはや区別がつかなくなっていた。

同様に、千冬も幻影に囲まれ、過去の痛みに押しつぶされそうになっていた。彼女の目には涙が浮かび、少しずつ取り戻しつつあった感情が、今は彼女を苦しめていた。

「二人とも、負けないで!」綾音の声が聞こえたが、もはや彼女の姿は見えなかった。

蒼は最後の力を振り絞り、目の前の幻影を払おうとした。しかし、彼の手は空を切るだけだった。

「どうすれば...」

絶望的な状況の中で、蒼は突然閃いた。

「轉魂だ...」

彼は千冬の方向に手を伸ばした。「千冬!契約しよう!」

千冬は幻影の中から蒼の声を聞き、必死に彼の姿を探した。そして、薄れゆく意識の中で、彼女は蒼の手を見つけた。

二人の手が触れ合った瞬間、轉魂の紋様が金色に輝き始めた。

「契約条件は?」蒼が尋ねた。

「真実を...見抜くこと」千冬の声は弱々しかったが、確かだった。

契約が成立し、千冬の「感情凍結」の力が蒼に流れ込んだ。しかし今回、その力は少し違っていた。通常の「感情凍結」は他者の感情を一時的に停止させる能力だが、今は自分自身の混乱した感情を「凍結」し、冷静さを取り戻す力として働いていた。

蒼の頭がクリアになるのを感じた。幻影はまだそこにあったが、もはや彼を惑わすことはできなかった。彼は千冬の手をしっかりと握り、彼女にも力を分け与えた。

「これは幻だ」蒼は強く言った。「俺たちの弱さを映し出しているだけ。本当の父は...本当の家族は...こんな言葉は言わない」

千冬も徐々に冷静さを取り戻し始めた。「そう...これは私の恐怖が作り出したもの...」

二人の心が一つになり、幻影に抵抗する力が生まれた。その力は周囲に広がり、霧を押し返し始めた。

「綾音!」蒼が呼びかけた。「どこにいるの?」

霧の中から、綾音の姿が現れた。彼女は独自の方法で幻影と戦っていたようだ。

「二人とも、よくやったわ」綾音は安堵の表情を見せた。「自分の心の弱さを認め、それでも前に進む力を見せたのね」

三人が再び集まると、霧が晴れ始め、森の景色が変わっていった。木々の間から光が差し込み、一本の明確な道が見えるようになった。

「試練を乗り越えたのね」綾音が微笑んだ。

三人は新たな道を歩き始めた。しばらく進むと、森の奥に大きな鳥居が見えてきた。その向こうには、まだ霧に包まれているものの、何かの建物群が見え隠れしていた。

鳥居の前には一人の男が立っていた。長い白髪と髭を持ち、古風な装束を着た老人だった。

「よく来たな、若き旅人たちよ」老人は静かな声で言った。「私は風鳴。この里の守護者である」

蒼たちは緊張しながらも、風鳴に近づいた。

「術者組合...」蒼が言った。「ここが、そうなんですか?」

風鳴は頷いた。「そうだ。だが、ここから先に進むには、もう一つ試練がある」

「もう一つ?」千冬が驚いた様子で言った。

「そうだ」風鳴は蒼をじっと見つめた。「特に、お前...深宮零王の息子よ。お前は己の血脈の力を証明せねばならぬ」

蒼は驚いた。「どうして私が零王の息子だと...」

「お前の持つ轉魂の紋様」風鳴は蒼の右手を指さした。「それは深宮一族の証。だが、力を持つだけでは足りぬ。その力を使いこなせることを証明せよ」

風鳴が手を広げると、彼の周囲に淡い光の壁が形成された。「この結界を破り、私に一撃を与えることができれば、里への入場を許そう」

蒼は戸惑いながらも、決意を固めた。父が所属していた組織、そして自分のルーツについて知るチャンス。それを逃すわけにはいかなかった。

「受けて立ちます」蒼は風鳴に向き直った。「私の血脈の力...見せてみせますよ」

風鳴は満足げに頷いた。「よろしい。始めよう、深宮蒼よ」

森の中に緊張が走る。最後の試練が始まろうとしていた。

蒼の右手の轉魂の紋様が、再び金色に輝き始めた。
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