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第1話「婚約破棄と屈辱の宴」
しおりを挟む「アリア・レスフォード。貴女との婚約を破棄する」
王太子エドワード・ハインツベルクの言葉が、華やかな舞踏会場に響き渡った。
その瞬間、時間が止まったかのように感じた。
私の周りの空気が凍りつき、集まった貴族たちの視線が、一斉に私に向けられる。
「え……?」
目の前の王太子は、冷たい視線で私を見下ろしていた。隣に立つ黒髪の女性――カミラ・ロスマリーが、勝ち誇った微笑みを浮かべている。
「王太子様、どういう……」
「理由か? 必要ないだろう」
エドワードは鼻で笑った。
「貴女のような平凡で、何の才能もない女が王妃になれると思ったのか? 国のためを思うなら、もっと優秀な人材を選ぶべきだ」
心臓を鷲掴みにされるような痛みが胸を貫いた。
「でも、私たちは幼い頃から婚約していて……」
「政略結婚にすぎない。レスフォード家の血筋と名声が必要だっただけさ」エドワードは冷酷に言い放った。「だが、今やカミラがいる。彼女は貴女とは違う。聡明で優雅で、何より才能に溢れている」
カミラが意味ありげな微笑みを浮かべた。
「アリア様、お気の毒ですわ。でも、国のことを第一に考えるなら、王太子様の選択は正しいのではなくて?」
その言葉に、会場からはくすくすという忍び笑いが聞こえた。
「公開処刑みたいね」
「まあ、アリアは本当に平凡だから」
「カミラ様のような才女に比べれば当然の結果よ」
囁き声が次々と耳に届く。
目の前が暗くなった。呼吸が苦しい。逃げ出したい――。
そんな私を見て、父は一歩も近寄ろうとしなかった。むしろ、不満げな顔で私を見つめている。
「エドワード王太子。私の娘が何か不都合でもありましたか?」父が尋ねる声は、怒りではなく、焦りに満ちていた。
「レスフォード公爵。アリアには何も不満はない。ただ、王妃としての才覚がないだけだ」
「そうでしたか……」
父は肩を落とし、私ではなくエドワード王太子に頭を下げた。「家名に傷をつけてしまって申し訳ありません」
その瞬間、私の中で何かが砕け散った。
十年。十年間私は王太子の婚約者として、完璧な淑女になるよう厳しい教育を受けてきた。魔法の才能がないと言われても、それを補うために政治学や歴史、礼儀作法を必死に学んできた。
それなのに――。
「アリア、恥をさらす前に下がりなさい」
父の冷たい声が私を現実に引き戻した。
何とか足を動かし、よろめきながら後ずさりする。視線が痛い。皮肉な笑みが痛い。だが、それ以上に心が痛かった。
舞踏会場の扉まで辿り着くと、最後の抵抗のように振り返った。
すでにエドワード王太子はカミラと踊り始めていた。優雅な旋律に乗って、二人は完璧な調和を見せている。まるで私が最初から存在しなかったかのように。
「なぜ……」
涙が頬を伝った。私はドレスの裾を掴むと、一目散に舞踏会場から逃げ出した。
------
「無様だったぞ、アリア」
帰り支度をしていると、父が私の部屋に入ってきた。
「父上……」
「十年かけて育てたというのに、たった一日で全てを台無しにするとは」
顔を上げられなかった。父の目には失望の色しかないことがわかっていたから。
「カミラ・ロスマリーは、半年前に王都に来たばかりの伯爵令嬢だろう? それなのに、彼女は王太子の心を掴み、貴女は失った。才能の差というものだ」
「でも、私は……」
「言い訳は聞きたくない」父は冷たく言い放った。「明日から辺境のレスフォード領に戻りなさい。王都での評判は最悪だ。しばらく姿を見せないことが家にとって最善だろう」
「辺境に……?」
「そうだ。領地の北端にある別荘だ。そこで反省しなさい」
それは事実上の追放だった。父は振り向きもせずに部屋を出て行った。
部屋に一人残され、私は抱えていた感情が溢れ出すのを感じた。悲しみ、怒り、そして何より、自分自身への失望。
「私は本当に……何の価値もないの?」
窓の外を見ると、夜空に浮かぶ満月が冷たく光っていた。
明日からは王都を離れ、辺境へと向かう。誰も知らない、孤独な場所へ。
その夜、私は長い間泣き続けた。これまでの人生で、こんなに泣いたことはなかった。
だが、これが終わりではないことを、私はまだ知らなかった。
真の物語は、これから始まるのだと。
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