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第9話「竜王の婚約者宣言」
しおりを挟む竜王の城の大広間は、かつてないほどの緊張感に包まれていた。
巨大な円卓を囲み、竜族の重臣たちが厳かに並んでいる。老齢の参謀、若き将軍、女性魔法使い、そして最前列にはザイファー龍騎士団長の姿があった。
全員の視線が、高座に座るレオンハルトと、彼の隣に立つ私に注がれている。
「諸卿、今日は重要な発表がある」
レオンハルトの声が広間に響き渡った。その声には、揺るぎない威厳があった。
「ご存知の通り、人間界では我々の存在を探る動きが活発化している。特に、北の森の向こうにある結界に対する関心が高まっている」
長老の一人が口を開いた。
「陛下、人間どもの探索が我々に及ぶことはないでしょう。結界は千年もの間、完璧に機能してきました」
「そうだったな」レオンハルトは同意した。「だが状況が変わった」
彼は私の方を見た。
「アリア・レスフォードの存在が、既に人間界に知られつつある。彼女が半竜の血を引く者であること、そして彼女がここにいることも」
会場に動揺が広がった。
「誰がそれを漏らしたのだ?」ザイファーが厳しい声で問うた。
「漏れたのではない」レオンハルトは説明した。「竜の封印石が反応を示したのだ。アリアの血が目覚めたことで」
参謀の一人が立ち上がった。白い長い髭を蓄えた老竜だ。
「ならば、我々は攻撃に備えるべきでしょう。人間たちが半竜の血を狙って来るのは明らかです」
「防衛態勢は整えている」レオンハルトは答えた。「だが、それだけでは不十分だ」
彼は威厳ある姿勢で立ち上がった。
「私はここに宣言する」
広間が静まり返る。
「アリア・レスフォードを、私の正式な婚約者とすることを」
その言葉に、広間が凍りついたかのように静かになった。次の瞬間、驚きの声が一斉に上がった。
「陛下!」
「人間との婚約ですか?」
「半竜とはいえ…」
私も、レオンハルトの突然の宣言に驚いていた。彼は昨日の塔での会話の後、何か決断したと言っていたが、まさかこのような公の場での婚約宣言になるとは。
「静粛に」レオンハルトの声が、広間の喧騒を鎮めた。
「私の決断に異議があるか?」
彼の鋭い視線が、広間を見渡した。
年老いた参謀が一歩前に出た。
「陛下、伝統を考えれば、竜王の伴侶は純血の竜族であるべきです。ましてや、人間との結婚は…」
「アリアは人間ではない」レオンハルトは静かだが力強く言った。「彼女は半竜姫の末裔。そして予言の中で語られた、次代を継ぐ者だ」
「予言…」広間にざわめきが起こった。
「そうだ」レオンハルトは頷いた。「『王者の血を引く人間の娘が、竜王の元に現れる時、新たな時代が始まる』。このことは古より伝えられてきた」
少しずつ、広間の空気が変わっていくのを感じた。
「しかし、それだけではありません」白髭の参謀が追及した。「彼女の力は、まだ証明されていません」
「ならば証明しよう」
レオンハルトは私の方を向いた。その目には自信と、そして私を信頼する気持ちが満ちていた。
「アリア、力を示してくれるか?」
緊張したが、深呼吸をして頷いた。
「はい」
私は広間の中央に進み出た。全員の視線を感じる中、両手を前に伸ばし、目を閉じた。
この二週間で学んだことを思い出す。体内に流れる竜の力を感じ、それを引き出す。
最初は小さな青い光が指先から生まれた。だがすぐにその光は強さを増し、私の体全体を包み込んでいった。
「見事だ」レオンハルトの声が聞こえた。「今度は、形を作ってみろ」
私は集中を深めた。光を操り、形を与える。頭の中でイメージしたのは、翼を広げた竜の姿。
光が徐々に形を変え、手の上に小さな竜の像が浮かび上がった。それは生きているかのように翼を羽ばたかせ、広間の上空を舞い始めた。
広間から驚嘆の声が上がった。
光の竜は頭上を一周すると、最後にレオンハルトの前に舞い降り、彼に敬意を示すように頭を下げた。
「これが、アリアの力だ」レオンハルトは誇らしげに言った。「たった二週間の訓練で、これほどの制御を身につけた。彼女の才能は、疑う余地がない」
白髭の参謀も、今度は敬意を込めて頭を下げた。
「確かに素晴らしい才能です。陛下の婚約者として、相応しい力を持っています」
他の重臣たちも、同意の意を示して頭を下げた。
「では、決定だ」レオンハルトは宣言した。「今日より、アリア・レスフォードは竜王の婚約者となる。彼女に敬意を示せ」
重臣たちが一斉に膝をついた。
「アリア様、末永くお幸せに」
彼らの言葉に、胸が熱くなった。かつて王太子に捨てられ、家族にも見捨てられた私が、今度は竜族の未来の王妃として祝福されている。
レオンハルトが私の元に歩み寄り、私の手を取った。
「これで正式な婚約者だ」彼の声は優しかった。「問題ないか?」
彼の目には少しだけ不安が見えた。私の気持ちを確かめているのだと気づいた。
「はい」私は微笑んだ。「とても嬉しいです、レオンハルト」
彼の顔に安堵の表情が広がった。
「よかった」彼はつぶやいた。「急な話で驚かせてしまったかと思ったが」
「確かに驚きましたが…」私は正直に答えた。「でも、嫌ではありません」
彼の目が喜びで輝いた。
そのとき、広間の扉が勢いよく開き、一人の騎士が駆け込んできた。
「陛下!緊急事態です!」
レオンハルトが顔を上げた。
「何事だ?」
「結界の近くに、人間の軍が集結しています!」騎士は息を切らして報告した。「その先頭に、ハインツベルク王国の王太子の姿があります!」
私は思わず息を呑んだ。
「エドワード…」
レオンハルトの表情が厳しくなった。
「何人だ?」
「約五百。騎士団と、魔法使いたちも同行しています」
「早すぎる…」レオンハルトがつぶやいた。「まだ準備が整っていないというのに」
ザイファーが前に進み出た。
「陛下、私が龍騎士団を率いて迎撃します」
「いや」レオンハルトは首を振った。「まだ全面対決の時ではない。まずは様子を見る」
彼は重臣たちに向かって命令を下した。
「結界の強化を。山岳部隊は警戒態勢に入れ。だが、先に攻撃はするな」
「はい、陛下」
重臣たちが散っていく中、レオンハルトは私の方を振り返った。
「アリア、恐れているか?」
「…少し」正直に答えた。「エドワード王太子が、どうして私を探しているのか。それが不安です」
「心配するな」彼は私の肩に手を置いた。「貴女を彼らの手に渡すことはない。それに…」
彼の目が強い決意に満ちていた。
「今や貴女は私の婚約者だ。誰も貴女を奪うことはできない」
その言葉に込められた強い所有欲と、守ろうとする気持ちが伝わってきた。
「でも…」私は少し躊躇った。「エドワード王太子が何を考えているのか知りたいです。傷つけるつもりはなくても、彼が来た理由が知りたい」
レオンハルトは一瞬考え込んだ。
「貴女の気持ちはわかる」彼はやがて言った。「では、会見を許可しよう。だが、結界の内側で」
「結界の内側?」
「そうだ」彼は頷いた。「結界の門を少しだけ開き、王太子だけを中に入れる。私たちの土俵で会うのだ」
「それなら…安心です」
「もちろん」レオンハルトは静かな声で続けた。「私が常に貴女の側にいる」
彼の言葉に、勇気が湧いてきた。もう一人ではない。強力な味方、いや、婚約者がいる。
「ありがとう」私は彼の手を握り返した。「レオンハルト、あなたがいてくれて本当に心強い」
彼の目が柔らかくなった。
「アリア…」
彼は私の手に軽く唇を押し付けた。その接触だけで、電流のような感覚が走る。
「さあ、準備をしよう」レオンハルトは決意を新たにした表情で言った。「エドワード王太子との対面に」
「はい」
かつての婚約者と、新たな婚約者。私の人生は、信じられないほど大きく変わった。
昔の私なら、エドワードの前で怖じ気づいていただろう。だが今の私は違う。竜の血が目覚め、そして何より、自分の価値を知った。
レオンハルトの側に立ち、彼の手を握りながら、私は決意した。
もう誰かの評価に怯える少女ではない。竜王の婚約者として、誇りを持って立つ。
「行きましょう」私は強い口調で言った。「エドワード王太子に、新しい私を見せる時です」
レオンハルトの目に、誇らしげな輝きが浮かんだ。
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