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第8話「王国の策略と王太子の焦り」
しおりを挟むハインツベルク王国の王宮では、緊急の会議が開かれていた。
「レスフォード公爵令嬢の失踪から既に二週間が経過した」
カギ鼻の老人、アシュレイ宰相が厳しい表情で議会の面々を見回した。
「捜索隊は北の森の隅々まで探したが、令嬢の痕跡は見つからず、別荘は全焼していた」
「恐らく野獣に襲われたのでしょう」レスフォード公爵が冷静に言った。「不運な事故です」
「本当にそれだけでしょうか?」アシュレイ宰相は意味深に尋ねた。「公爵、なぜ令嬢を護衛なしで辺境に」
「反省のためです」公爵は答えた。「婚約破棄という恥辱を受けた娘には、自省の時間が必要でした」
「しかし結果として、貴公の娘は行方不明となった」
「遺憾に思っています」公爵の表情に悲しみは見られなかった。
会議室の扉が勢いよく開き、一人の若者が入ってきた。
金髪に碧眼、端正な顔立ち——エドワード王太子だ。
「アリアはまだ見つからないのか?」
彼の問いに、場が静まり返った。
「王太子、この会議はまだ——」
「答えよ、宰相」王太子は険しい表情で言った。
アシュレイ宰相は小さくため息をついた。
「いいえ、殿下。まだ見つかっておりません」
「捜索を続けろ。全ての騎士団を北の森に送れ」
「それは無理な話です」レスフォード公爵が口を挟んだ。「北の森は広大で、危険な魔獣も多い。既に娘は死んだものと…」
「それを決めるのは私だ」王太子は冷たく言い放った。「アリアを見つけ出せ」
公爵の顔が僅かに歪んだ。
「殿下、失礼ながら」アシュレイ宰相が慎重に言った。「どうして突然、レスフォード令嬢にそこまで執着されるのですか?つい先日まで婚約を破棄されたばかりなのに」
エドワード王太子の目が鋭く宰相を捉えた。
「全てを話そう」彼は低い声で言った。「国宝の『竜の封印石』が消えた」
会議室に衝撃が走った。
「何ですって?」レスフォード公爵が立ち上がった。「いつの話です?」
「アリアが失踪した翌日のことだ」王太子は厳しい表情で続けた。「宝物庫が侵入者によって荒らされ、封印石だけが持ち去られた」
「まさか…アリアが?」公爵は目を見開いた。
「断定はできん」王太子は言った。「だが、タイミングが怪しい。それに、彼女の失踪直前、封印石が反応を示したという報告があった」
「反応?」
「そう、数百年ぶりの反応だ」王太子の目が鋭さを増した。「封印石は竜の血を感知するという伝説がある。もしアリアが…」
「冗談でしょう?」公爵が笑った。「私の娘が竜の血?そんなはずはありません」
「確かめるためにも、彼女を見つけ出さねばならない」王太子は断固として言った。
その時、会議室の扉が再び開き、一人の女性が入ってきた。
黒髪に紫の瞳、美しいが冷たい雰囲気を漂わせる女性——カミラ・ロスマリーだ。
「失礼いたします」彼女は優雅に一礼した。「お話を聞いていました。私にもご意見があります」
「カミラ」王太子の表情が少し和らいだ。「何か考えがあるのか?」
「はい」彼女は微笑んだ。「北の森の向こうには、伝説の『竜の国』があるという古い言い伝えがあります」
「竜の国?」アシュレイ宰相が眉をひそめた。「それは子供の寝物語だ」
「いいえ」カミラは自信を持って言った。「私の家に伝わる古文書には、千年前、竜族と人間の間に生まれた子供の記録があります。その子は後に北の森の向こうに消えたとされています」
「そして?」王太子が促した。
「もしアリア・レスフォードが本当に竜の血を引いているなら、彼女は北の森の向こう、竜の国に行った可能性があります」
会議室に静寂が広がった。
「ばかげた話だ」レスフォード公爵が怒りを含んだ声で言った。「竜など存在しない」
「それなら、どうして封印石が反応したのですか?」カミラが挑戦的に尋ねた。「そして、失踪と盗難が同時に起きたのは偶然でしょうか?」
公爵は反論できずに黙った。
「カミラの説を検証しよう」王太子が決断した。「北の森の奥に何があるのか、徹底的に調査する」
「殿下」カミラが一歩前に出た。「私も同行させてください。私の家に伝わる知識が役立つはずです」
「許可する」王太子は頷いた。
「王太子、思慮が足りません」アシュレイ宰相が諫めた。「もし本当に竜族が…彼らは危険です。古い伝説では、竜族は恐ろしい力を持つとされています」
「だからこそだ」王太子の目に決意の色が浮かんだ。「もしアリアが竜族と接触しているなら、国の安全に関わる」
カミラの唇に、小さな笑みが浮かんだ。
------
会議の後、王太子の私室。
エドワードは窓辺に立ち、遠くの北の森を見つめていた。
「殿下、計画通りに進んでいます」
後ろからカミラの声が聞こえた。
「アリアは本当に竜族と接触していると思うか?」エドワードが振り返らずに尋ねた。
「可能性は十分にあります」カミラは静かに近づいてきた。「私の調査では、レスフォード家には古くから不思議な言い伝えがありました。血筋に竜の力が眠っているという…」
「だとすれば、なぜ私は彼女の才能に気づかなかったのだ?」王太子の声には悔しさが混じっていた。
「アリアの力は眠っていたのでしょう」カミラは意味深に言った。「私が彼女を目の前で貶めなければ、彼女は平凡な令嬢のまま、殿下の王妃になるところでした」
「それを防いでくれたことには感謝している」エドワードは言った。「だが今、彼女が竜族の力を手に入れたとすれば…」
「危険です」カミラの顔が厳しくなった。「封印石を持ち去ったのも彼女だとすれば、彼女は既に敵となっています」
「いや、まだわからん」王太子が振り返った。「彼女を取り戻せれば、この状況を挽回できる」
「取り戻す?」カミラの顔に不満の色が浮かんだ。「私があなたの婚約者になると約束したではありませんか」
「状況が変わった」エドワードは冷静に言った。「もしアリアが本当に竜の力を持つなら、彼女を味方につけるべきだ。王国の力として」
カミラの目に怒りが浮かんだが、すぐに冷静さを取り戻した。
「もちろん、殿下のご判断に従います」彼女は優雅に一礼した。「ただ、忘れないでください。アリアが本当に竜族と手を組んでいるなら、彼女はもう以前のような従順な令嬢ではないでしょう」
「それは…わかっている」
「彼女が王太子様を恨んでいれば、復讐を望むかもしれません」カミラは意味深に言った。「私たちは用心しなければ」
「だからこそ、私自身が彼女を取り戻さねばならない」エドワードの目に決意の色が浮かんだ。「明日、北の森への遠征の準備を整えろ」
「はい、殿下」
カミラは部屋を出ると、廊下で待っていた男に近づいた。影に隠れた顔は見えないが、その姿勢から身分の高い人物だとわかる。
「計画通りです」彼女は小さな声で言った。「王太子は北の森へ向かいます」
「よくやった」男の声は低く、冷たかった。「あの森には危険がいっぱいだ。もし王太子に何かあれば…」
「王位継承権は次の王子に移りますね」カミラの目が冷たく光った。「そして私は…」
「約束通り、次の王子の婚約者となる」男は言った。「ただし、全ては竜の少女次第だ。彼女が本当に竜の力を持っているなら、我々の計画は変更せねばならん」
「心配いりません」カミラは自信たっぷりに言った。「たとえアリアが竜の力を得たとしても、彼女は所詮、田舎育ちの平凡な令嬢。私のような上級貴族に比べれば、何の価値もありません」
「過信するな」男は厳しく言った。「竜の力は侮れん。古の記録によれば、半竜の血を引く者は、最強の魔法使いをも凌ぐ力を持つという」
「では、どうすれば?」
「彼女を生け捕りにする」男は冷酷に言った。「そして、その力を我々のために利用するのだ」
二人の陰謀を月明かりだけが静かに照らし出していた。
------
一方、竜の国では——
私は訓練場で剣を振るっていた。既に二週間が経過し、体の動きは初日とは比較にならないほど良くなっていた。
「よし、その調子だ」
ザイファーの声には、以前のような冷たさはなかった。
「ありがとうございます」
私は息を整え、剣を構え直した。向かい合うエレナの動きを見極め、彼女の攻撃を受け止める。
「見事だ!」エレナが喜びの声を上げた。「アリア様、先週はまだ受け止められなかったのに!」
訓練を見守っていたレオンハルトが拍手した。
「アリア、素晴らしい成長ぶりだ」
彼の褒め言葉に、胸が温かくなった。
「レオンハルトのおかげです」私は微笑んだ。「皆さんが教えてくださるから」
訓練が終わると、レオンハルトが近づいてきた。
「アリア、少し話があるのだが、付き合ってくれるか?」
「はい、もちろん」
彼に導かれ、城の高い塔へと向かった。そこからは竜の国全体が見渡せる絶景だった。
「美しい…」思わず呟いた。
「気に入ったか?」レオンハルトは微笑んだ。「ここは私がよく考え事をする場所だ」
「何かあったのですか?」私は彼の表情の変化に気づいて尋ねた。
レオンハルトは少し距離を置いて立ち、北の方角を見つめた。
「人間界から情報が入った」彼は静かに言った。「エドワード王太子が貴女を探している」
「え?」驚きで言葉を失った。「どうして?彼は私を捨てたはずなのに…」
「彼は『竜の封印石』が盗まれたことに気づいたようだ」
「竜の封印石?」
「千年前、人間と竜族の戦いの後、竜族の力を封じるために作られた石だ」レオンハルトは説明した。「その石が反応を示し、そして消えた。王太子は貴女と関連があると疑っている」
「でも、私はそんな石を盗んでいません」
「もちろんだ」彼は優しく微笑んだ。「石が消えたのは、貴女の血が目覚めたからだ。貴女の中に眠っていた力が、封印を解いたのだ」
「私の中に…?」
「そう」レオンハルトの目が真剣になった。「だが、これは王太子にとっては、貴女が危険な存在になったということだ。彼は貴女を取り戻そうとしている」
その言葉に、胸が冷たくなった。
「彼は…私を利用したいの?」
「恐らくな」レオンハルトは厳しく言った。「人間の王たちは常に力を求める。貴女の力は、彼らにとって垂涎の的だ」
私は空を見上げた。人間界から来てまだ二週間。だが、もう元の世界には戻れないと感じていた。
「私は戻りません」静かに、しかし強い決意を込めて言った。「ここが私の居場所です」
レオンハルトの目に驚きの色が浮かんだ。次いで、その表情が柔らかくなった。
「アリア…」
彼が一歩近づいてきた。その目には、今まで見たことのない感情が宿っていた。
「私もそう願っていた」彼の声は低く、情熱的だった。「貴女にずっとここにいてほしい」
「レオンハルト…」
風が二人の間を吹き抜けた。レオンハルトは静かに手を伸ばし、私の頬に触れた。その手の温もりが心地よかった。
「アリア、貴女は特別だ」彼の声は囁くように柔らかかった。「単なる半竜の末裔としてではなく、一人の女性として」
私の心臓が早鐘を打ち始めた。彼の言葉に込められた意味を理解するのに、時間はかからなかった。
「私も…レオンハルトを特別に思っています」
勇気を出して言った言葉に、彼の目が喜びで輝いた。
「本当か?」
「はい」私は頷いた。「あなたは私を救ってくれた。私の価値を教えてくれた。そして…」
言葉が途切れたが、彼は待ってくれた。
「そして、初めて私を大切にしてくれた」
レオンハルトの顔が近づいてきた。その目には、抑えきれない感情が溢れていた。
「アリア、人間の王が貴女を取り戻そうとしても、私は決して手放さない」
それは宣言だった。竜王の誓いだった。
「私も、もう二度と王太子のもとには戻りません」私も強く言った。「私の居場所は、ここ。あなたの側です」
レオンハルトの唇が、ゆっくりと私の額に触れた。その唇の温もりが、全身に広がっていくようだった。
「これからの戦いは困難かもしれない」彼は静かに言った。「だが、貴女と共にならば、何も恐れることはない」
「私も、あなたと一緒なら恐れません」
私たちは互いを見つめ、そして二人の間に新たな絆が生まれたことを感じた。
婚約破棄され、追放された私。だが今、私は竜王に選ばれ、そして私自身も彼を選んだ。
これが本当の「運命」なのかもしれない。
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