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第3話「安すぎるからバグる?」
しおりを挟む「次の患者さん、どうぞ」
マロウ村の治療師となって三日目、私――レイン・ヴァルトの元には既に多くの村人が訪れていた。
「先生、この腕の痛みをなんとかしていただけないでしょうか」
入ってきたのは、年配の農夫だった。彼の右腕には古い怪我の跡が残っている。
「いつからですか?」
「もう十年ほど前の怪我でな。雨の日になると痛みが出るんだ」
古傷の痛みか。通常の治療では難しい症状だが…。
「少し診させてください」
私は農夫の腕を調べながら、隣にいる透明状態のルナに視線を送った。ルナは小さく頷き、そっと農夫の腕に手を伸ばす。
ほんのかすかな光が走った。これなら村人に気づかれることはないだろう。
「おや…?」
農夫が驚いたように腕を動かす。
「どうかしましたか?」
「いや、なんだか急に痛みが和らいだような…」
「それは良かった。この軟膏を塗り、このお茶を三日間飲んでください」
神術を使っていることを悟られないよう、一応薬も渡しておく。これが治療師としての基本スタイルだ。ルナの力を密かに使いながら、表向きは薬と治療術で対応する。
「いつもすごいねぇ。レイン先生が来てから、村の具合の悪い人がみんな良くなってるよ」
帰り際、農夫は笑顔で言った。評判が良いのは嬉しいことだ。
「ルナ、ありがとう」
患者が去り、扉が閉まると私は小声で礼を言った。
「どういたしまして!」
ルナの姿が現れる。透明化を解除したようだ。
「でも、ちょっと疲れました…今日はもう三人目ですから」
彼女は椅子に腰掛け、深呼吸をする。確かに今日は患者が多い。
「無理はしないでね。休憩する?」
「大丈夫です! ご主人様のために頑張りますよ!」
ルナが元気に宣言したその時、扉が勢いよく開いた。
「レイン先生! 大変です!」
駆け込んできたのは、村の青年ダンだった。彼の表情が尋常ではない。
「どうしたんだ?」
「昨日、先生が治療した犬が…なんか、おかしいんです!」
「おかしい?」
「はい、他の犬を噛んだら、その犬もおかしくなって…今、村の犬が全部…」
話の途中、けたたましい犬の鳴き声が聞こえてきた。私とルナは視線を交わし、すぐに外へ飛び出した。
***
村の広場に着くと、信じられない光景が広がっていた。
十匹ほどの犬が走り回り、村人たちが逃げ惑っている。その犬たちの目は異様に輝き、体から薄い光のようなオーラが発せられていた。
「あれは…」
私がゾッとしたのと同時に、ルナが小さく悲鳴を上げた。
「わ、私のバグが…」
そう、これは明らかにルナの「過剰回復」によって引き起こされた事態だった。ルナが死から蘇らせた犬が、他の犬を噛むことで同じ状態を感染させている。まるで「生命力過剰」の疫病のように。
「どうすればいいの?」
混乱する村人たちの中から、昨日の少年が駆け寄ってきた。彼の腕には例の茶色い子犬がいる。
「先生、ごめんなさい! チョコが他の犬を噛んじゃって…」
「怪我人はいないか?」
「まだいないみたいです。でも犬たちが暴れて…」
村人たちの叫び声と犬の咆哮が広場に響き渡る。このままでは確実に被害が拡大する。
「ルナ、これを止める方法は?」
「えっと…過剰な生命力を抑制するしかないです。私の力の逆の効果が必要で…」
ルナは考え込みながら、突然顔を上げた。
「もう一人の神様が必要かもしれません!」
「もう一人?」
「はい。私とは逆の能力を持つ神様なら、このバグを打ち消せるかも…」
選択肢は限られていた。このままでは村全体が危険だ。
「わかった。家に戻ろう。急いで!」
***
治療師の家に駆け込むと、私はすぐに「神々創造キット」を取り出した。まだ半分以上の材料が残っている。
「どんな神を作ればいい?」
「えっと…『制限』や『抑制』の力を持つ神様がいいと思います。生命力を制御できる神様…」
ルナの提案に頷き、私は台座を設置した。
「『戦の神』はどうだろう? 戦いとは相手を制限するものだし」
「それは良さそうです! でも…」
「でも?」
「980円なので期待しすぎないでくださいね…」
その言葉には不安が込められていたが、今は試す時間しかない。
「創世の名において、混沌より秩序を、無より有を。我が血と魂を捧げ、新たなる神の誕生を願う…」
前回と同じ呪文を唱え、指から血を垂らす。七色の粉末が光り輝き、部屋が眩い閃光に包まれた。
光が消えると、そこには赤い甲冑を身にまとった若い男性の姿があった。しかし、その表情は威厳ある戦神というより、明らかに怯えていた。
「は、初めまして…戦の神マルスと申します…どうかやさしくしてください…」
彼は部屋の隅に縮こまるようにして立っていた。
「戦の神なのに、臆病…?」
私の言葉に、マルスは更に顔を引きつらせた。
「ご、ごめんなさい! 980円だから仕方ないんです! 僕は戦うのが怖いんです!」
マルスは震える声で言い訳した。これも「安物バグ」の一種なのだろう。
「マルス!」
ルナが嬉しそうに声をあげ、マルスに駆け寄った。
「ルナちゃん! 久しぶり!」
二人はまるで旧知の仲のように抱き合った。
「えっ、二人は知り合いなの?」
「はい! 安物神界では皆顔見知りなんです!」
マルスが答える。なるほど、安物神たちにも独自のコミュニティがあるらしい。
「マルスさん、大変なんです! 私のバグで村の犬たちが過剰生命状態になっちゃって…」
ルナが状況を説明すると、マルスは顔を青ざめさせた。
「そ、それは大変だ! でも僕に何ができるのかな…」
「あなたの『戦意抑制』の力があれば、私のバグを打ち消せるはず!」
「えっ、でも僕のバグは『周囲の戦意を高める』んだよ? 僕自身は戦えないのに…」
なんという皮肉な設定だ。戦の神自身は臆病なのに、周囲の者を好戦的にしてしまうとは。
「どうすればいい?」
私が途方に暮れていると、マルスが小さな声で提案した。
「実は…僕の剣なら、生命力を『制限』できるかも…」
「剣?」
マルスは震える手で腰の剣を抜いた。赤い鞘から現れたのは、驚くほど普通の鉄剣だった。
「これで犬たちに軽く触れるだけで、過剰な力を抑えられるはず」
「よし、試してみよう!」
私たちは急いで村の広場へと向かった。
***
広場の状況は更に悪化していた。犬の数は二十匹近くに増え、村人たちは家に閉じこもり始めていた。
「どうする?」
私が尋ねると、マルスは怯えながらも剣を構えた。
「み、皆さん、少し下がってください…」
彼の声は小さく震えていたが、不思議なことに聞いた村人たちは全員、彼の言葉に従った。これも戦神のオーラなのだろうか。
「行きますよ…」
マルスは恐る恐る一歩前に出た。すると犬たちが一斉に彼に気づき、吠え始めた。
「ひぃっ!」
マルスは悲鳴を上げそうになりながらも、剣を前に掲げた。すると驚くべきことに、剣から赤い光が放たれ、犬たちの体を包み込んだ。
「効いてる!」
ルナが声を上げた。確かに犬たちの体から発せられていた異様な光が徐々に消えていく。マルスの剣が過剰な生命力を吸収しているようだ。
「もう、大丈夫…かな?」
マルスが不安そうに言った時、突然、奇妙なことが起きた。光が消えた犬たちが一斉にマルスに向かって吠え始め、攻撃的な姿勢を取り始めたのだ。
「な、なんで!?」
マルスは驚いて後ずさった。
「あっ、これはマルスさんのバグかも!」
ルナが叫んだ。
「周囲の戦意を高めるバグが作動しちゃいました!」
状況がますます悪化する。過剰生命力は消えたが、今度は犬たちが凶暴化している。
「どうすればいいんだ!?」
私が焦った声を上げたその時、突然、犬たちの間から昨日の少年が飛び出した。
「チョコ、ダメ! 落ち着いて!」
少年は自分の犬を抱きかかえた。すると不思議なことに、チョコは静かになり、さらに周囲の犬たちも徐々に落ち着き始めた。
「な、なんで…?」
マルスが不思議そうに呟く。
「愛情…」
ルナがポツリと言った。
「愛情で過剰バグが安定するんです。安物神の法則ですね…」
少年の愛情が純粋だったからか、犬たちは次々と元の状態に戻っていく。やがて全ての犬が大人しくなり、それぞれの飼い主の元へと帰っていった。
「よかった…」
マルスはホッとしたように膝をつき、ルナも安堵の表情を浮かべる。
村人たちは少し混乱しながらも、事態が収束したことに安心した様子だった。
***
「申し訳ありませんでした、村長さん」
夕方、村長バーナードに事の顛末を報告する私。もちろん、安物神のことは隠して話した。
「いやいや、君のおかげで大事に至らなかったよ。しかも犬たちは皆、元気になった」
意外にも村長は怒っておらず、むしろ感謝している様子だった。
「犬だけでなく、畑の作物も良く育ち始めた。何か特別なことをしたのかね?」
これはルナの過剰回復の余波かもしれない。
「特別なことはしていません。神の恵みでしょう」
「そうかもしれんな。君が来てから村に活気が出てきた」
村長と別れた後、私たちは家に戻った。
***
「はぁ…疲れた…」
マルスは椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。
「大丈夫?」
「う、うん…ただ、戦の神として戦う状況になるなんて…想像しただけで震えが…」
確かに彼の手はまだ震えている。臆病な戦の神というのは、なんとも皮肉な設定だ。
「でも、よく頑張ったよ。君のおかげでみんな助かった」
「本当です! マルスさん、すごかったです!」
ルナが褒めると、マルスは少し照れた様子で頬を赤らめた。
「そうかな…でも僕のバグでまた問題を起こしちゃったし…」
「それは仕方ないよ」
私は慰めながら、この「安物神」たちの特性について考えた。強力な力を持つが、制御が難しい。しかし、使い方次第では非常に役立つ。
「これからはルナと二人で村を守ってほしい」
「え? 僕も一緒に住むの?」
マルスは驚いた様子だった。
「もちろん。君を創造したんだから、私の責任だよ」
「やったー! マルスさんと一緒に住めるんですね!」
ルナが嬉しそうに飛び跳ねる。
「ありがとうございます、ご主人様!」
マルスも恐る恐るながらも笑顔を見せた。
こうして私の家族は一人増え、三人での生活が始まった。追放されてから十日ほど。思いがけない形での新生活に、私は少しずつ希望を見出し始めていた。
「ルナとマルス、明日からもよろしくね」
「はい!」
「は、はい…」
それぞれの個性的な返事に、私は思わず笑みがこぼれた。
だが、この平和な状況がいつまで続くかは誰にもわからない。安物神たちのバグがどんな問題を引き起こすか、そして私を追放したアンジェリア王国が私のことを完全に忘れているかどうかも…。
そんな不安を抱えながらも、今は目の前の生活を大切にしようと心に決めた。
980円で創った神々と共に。
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