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第2話「封じられた記憶と隠された過去」
しおりを挟む早朝の均衡守護団本部は静寂に包まれていた。窓から差し込む朝日に照らされた資料室で、アレンは一人、古い記録の山に埋もれていた。彼の緑の瞳は真剣なまなざしで、黄ばんだ文書に集中していた。
「過去の魔法暴走事件...」
アレンは昨日の市場区での出来事を思い出し、類似した事例を探していた。魔法が制御を失い、日常の風景が歪んだあの光景。あれは単なる偶然ではないという直感が、彼を突き動かしていた。
古い綴じ紙を丁寧にめくりながら、アレンは五年前の記録に辿り着いた。
「これは...」
西区の工房地帯で発生した魔法暴走事件の報告書。しかし、その報告書の途中から数ページにわたって空白のページが続いていた。その後の記述は唐突に「事件終結」と記され、詳細な原因分析や対応策が一切記載されていない。
「どうして記録の一部が削除されている?」
アレンはさらに資料を探り、別の事件記録も調べてみた。すると、過去十年間で同様の「空白ページ」を持つ事件報告書が複数存在することに気づいた。それらは都市の異なる地域で発生したものだったが、共通して「原因不明の魔法暴走」と記され、詳細が欠落していた。
「誰かが意図的に記録を消しているのか...」
アレンはその疑念を抱きながら、静かに資料を元の場所に戻した。
---
夕刻、オレンジ色に染まった空の下、市場区に集まったのはアレン、リアナ、そして意外な人物だった。
「マーカスさん、なぜここに?」
アレンは驚きの表情で先輩守護官を見上げた。マーカスは黒髪に少し白いものが交じり始めた壮年の男性で、均衡守護団では信頼の厚い存在だった。
「お前たちが何かやらかすと思ってな」マーカスは少し笑いながら言った。「実は俺も気になっていたんだ、昨日の異変を」
アレンとリアナは顔を見合わせた。
「でも、評議会は『一時的な現象』と言っていましたよね?」リアナが尋ねる。
マーカスは周囲を確認してから、声を潜めて話し始めた。
「実はな、市場区だけじゃない。都市の各地で小さな魔法暴走が起きている。だが上層部は『市民を不安にさせるな』と、それを公表していないんだ」
「均衡守護団の任務は都市の安全を守ることのはずなのに...」アレンの声には憤りが混ざっていた。
「同感だ」マーカスは深刻な表情で頷いた。「だから俺は裏で調査を続けている。お前たちも同じ考えなら、協力しないか?」
アレンとリアナは同時に頷いた。
「今朝、資料室で過去の記録を調べたんです」アレンは自分の発見を説明した。「過去十年間、同様の魔法暴走事件の詳細が意図的に削除されている形跡があります」
マーカスの顔が曇った。「やはりか...」
「マーカスさん、何か知っていることがあるんですか?」
「北区の古い魔法工房で、五年前に似たような異変があった。当時、俺はその調査チームにいたんだが、途中で上層部から調査中止の命令が下った。そして記録も『機密事項』として封印された」
リアナが身を乗り出した。「その工房、今でもありますか?」
「ああ、廃業したままだが建物は残っている。実はそこに行こうと思っていたところだ」
三人は北区へと向かった。工房は都市の喧騒から離れた場所に、朽ちかけた姿で佇んでいた。「魔法器具製作所」と刻まれた看板は色あせ、窓ガラスのほとんどは割れていた。
「人が来た形跡はない…と思いきや」マーカスが床を指さした。埃を被った床に、新しい足跡が残されていた。
「誰かが最近ここを訪れたのね」リアナは警戒心を露わにした。
三人は足跡を追って工房の奥へと進んだ。暗く狭い通路を抜けると、そこには広い作業場が広がっていた。壁には魔法陣が描かれ、かすかに青白い光を放っている。
「これは...」リアナが魔法陣に近づいた。「都市の魔法回路に干渉するための術式よ。これを使えば、魔法の流れを操作できる」
アレンは魔法陣の周囲を調べた。焦げたロウソクや、何かの粉が散らばっており、儀式が行われた形跡があった。床には黒い布の切れ端も落ちていた。
「黒いローブの集団がここで儀式を行ったのか...」
アレンが魔法陣に近づいた瞬間、彼の頭に鋭い痛みが走った。視界が歪み、まるで別の時間と場所に引き込まれるような感覚に襲われる。
_万華鏡の塔の内部...巨大な中央ホール...黒いローブを纏った人々の集団...七色に輝く核を囲み、何かの儀式を行っている...その中心に立つ仮面の男..._
「アレン!大丈夫?」
リアナの声で意識が現実に戻った。アレンは冷や汗を流し、震える手を額に当てた。
「なんだ...今のは...」
「どうした?」マーカスが心配そうに近寄る。
「幻...いや、記憶、かもしれません。万華鏡の塔の中で、黒いローブの集団が何かの儀式を行っていました。七色に輝く核のようなものを囲んで...」
アレンの言葉に、マーカスの顔色が変わった。
「〈影の観測者〉か...」マーカスが低い声でつぶやいた。
「〈影の観測者〉?」リアナが問いかける。
「都市の魔法均衡に干渉しようとする秘密結社だ。その存在は公には認められていないが、守護団の上層部では噂になっている。彼らは『均衡は幻想』とか『真の魔法を解放せよ』といったスローガンを掲げているらしい」
「でも、なぜアレンがその光景を見たの?」リアナはアレンを心配そうに見つめた。
「...わからない」アレンは正直に答えた。「でも、あの夢の中の声と関係があるかもしれない。『真実を思い出せ』...僕は何か重要なことを忘れているのかもしれません」
三人は工房の調査を終え、夜の街へと戻った。人気のない公園のベンチに腰掛け、今後の行動について話し合う。
「俺は上層部に報告するが、取り合ってもらえる可能性は低い」マーカスは苦々しい表情で言った。
「私たちは独自に調査を続けましょう」リアナが決然とした口調で提案した。「父の地位を利用して、魔法学院の古文書庫へのアクセス許可を得ることができるわ。そこには都市の歴史や魔法回路の詳細な資料があるはず」
「それは助かる」アレンは頷いた。「僕も守護団の内部で、〈影の観測者〉についての情報を集めてみます」
「気をつけろよ」マーカスが二人を真剣な目で見た。「彼らは危険だ。そして...守護団の中にも彼らの協力者がいるかもしれない」
三人は互いに連絡を取り合うことを約束し、別れた。
---
同じ頃、都市の高層部にある壮麗な館では、魔法評議会の重鎮たちによる秘密会議が行われていた。豪華な会議室には七人の高位魔導士が集まり、テーブルの中央に投影された万華鏡の塔のホログラムを囲んでいた。
「西区、南区、そして市場区で魔法暴走が発生した」灰色の髭を蓄えた老魔導士が報告した。「このペースで均衡の乱れが進めば、予想より早く臨界点に達する可能性がある」
「市民たちには知らせるな」別の女性魔導士が命じた。「パニックを引き起こすだけだ」
「まだ時間はある」中央に座るヴァルター・ライヒマンが静かに言った。リアナの父は四十代半ばの威厳ある男性で、その鋭い青い目は娘に受け継がれていた。「塔の核は安定している。我々はこの状況を予期していた」
「だが、〈影の観測者〉の動きが活発化している」別の評議員が懸念を示した。「彼らは我々の計画を妨害しようとしている」
「対処する」ヴァルターは冷静に答えた。「守護団にも監視を強化させよう」
会議は深夜まで続き、様々な対策が議論された。しかし、市民に真実を告げるという選択肢は、最初から存在しなかった。
会議が終わった後、ヴァルターは一人、窓辺に立って万華鏡の塔を見つめていた。塔から放たれる七色の光は、かつてないほど鮮やかに見えた。しかし、その美しさの裏には、彼にしか見えない微かな揺らぎがあった。
「均衡はすでに崩れ始めている...」彼は静かにつぶやいた。「時間との競争だ」
---
深夜、自室のベッドで眠りについたアレンは、再び同じ夢を見ていた。
「真実を思い出せ」
あの声が再び彼を呼ぶ。今度は、その声に導かれるように、万華鏡の塔の内部へと意識が引き込まれていく。螺旋状の階段を下り、深く、さらに深く...
塔の最深部に到達すると、そこには巨大な装置があった。球体状の核が七色に輝き、周囲には複雑な魔法回路が張り巡らされている。その核から放たれる光が、都市全体を支える魔法エネルギーの源だった。
「これが...万華鏡の真の姿...」
アレンは核に引き寄せられるように近づいた。その瞬間、核が強く輝き、アレンの意識を包み込んだ。
「お前は忘れている。だが、時が来れば、すべてを思い出すだろう」
声と共に、アレンの頭に無数の映像が流れ込む。断片的な記憶、感情、知識...それらはあまりにも多すぎて、彼の意識が耐えられなかった。
「うっ!」
アレンは汗だくで目を覚ました。窓の外はまだ暗く、夜明け前だった。しかし、彼の心には確信が芽生えていた。
「僕は何かを忘れている...いや、忘れさせられているんだ」
彼は震える手で額をおさえながら考えた。夢の中で見た万華鏡の塔の核、〈影の観測者〉、そして都市に広がる魔法暴走...すべてがつながっているはずだ。そして彼自身も、その謎の一部であると感じていた。
「真実を探し出さなければ」
夜明けの光が窓から差し込み始める中、アレンは決意を新たにした。都市の秘密と自分の過去を解き明かすための旅が、今、始まろうとしていた。
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