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第1章:出会いと始まり 第3話「初めての絆」
しおりを挟む村の入り口に立ったレインは、思わず足を止めた。木々に囲まれた小さな村は、まるで中世ヨーロッパの童話から抜け出てきたような佇まいだった。石畳の道、木と石で作られた家々、そして村の中央には小さな広場と噴水。
「ここが本当に異世界なんだ…」
現実感のない光景に、レインは呟いた。腕の中のルーンは、好奇心に満ちた目で村を見つめている。
村の入り口で立ち尽くす彼らに、最初に気づいたのは水を汲みに来ていた若い女性だった。彼女は長い茶色の髪を一つに束ね、シンプルな服を着ていた。
「あら、旅人さん?」
女性は親しみやすい笑顔でレインに声をかけた。
「あ、はい…」
レインは一瞬言葉に詰まった。まさか、この世界の言葉が自分の理解できる言語だとは思っていなかったのだ。
「その子、怪我してるの?」
女性はルーンに目をやり、心配そうに尋ねた。
「昨日、森で見つけたんです。怪我をしていたので手当てしました」
「そう、大変だったわね。私の名前はミーナ。よかったら村長のところへご案内するわ」
ミーナと名乗った女性は、水瓶を持ったまま、レインたちを村の中心へと導いた。道中、村人たちは好奇心と若干の警戒心を持った目でレインを見ていたが、ルーンを見ると表情が和らいだ。
「かわいい子犬ね!」
「珍しい色をしているわ」
「どこから来たの?」
次々と声をかけられる中、レインは戸惑いながらも、できるだけ自然に対応しようとした。彼がまったく別の世界から来たことを、今はまだ明かせないと思ったからだ。
「遠くから来ました。道中で迷ってしまって…」
それ以上の質問をされる前に、彼らは村の中央にある石造りの建物に到着した。
「ここが村長の家よ」
ミーナは扉をノックし、中から「どうぞ」という声がしたので、レインを中に招き入れた。
部屋の中には、白髪の老人が暖炉の前の椅子に座っていた。彼は穏やかな表情でレインを見上げた。
「ようこそ、旅人よ。私はこのローズマリー村の村長、マクスウェルじゃ」
「風間レインと申します。こちらはルーンです」
レインは軽くお辞儀をし、腕の中のルーンを紹介した。村長は眉を上げ、興味深そうにルーンを観察した。
「なんとも珍しい色の子犬じゃな。そして…その瞳」
村長の鋭い視線にルーンは身を縮めたが、レインに守られていると感じてか、すぐに落ち着いた。
「森で怪我をしているところを見つけて…」
レインは昨日の出来事を簡潔に説明した。異世界転移のことは伏せ、ただ旅の途中で道に迷ったことにした。
「なるほど…」
村長は深く頷き、暖炉の前に用意された椅子をレインに勧めた。レインが座ると、ルーンは彼の膝の上に収まった。
「私たちの村は小さいが、旅人には優しい場所じゃ。しばらくはここで休むといい」
「ありがとうございます。でも、お金も持ち合わせていませんし…」
「心配せんでもよい。村の東はずれに使われていない小さな家がある。以前、ハーブ師が住んでいた家じゃが、彼女が王都へ移ってから空いておる。そこを使うといい。その代わり、村の仕事を手伝ってくれんかな」
レインは驚きと感謝の気持ちで頷いた。思いがけず宿と仕事を得られるとは思っていなかったのだ。
「ありがとうございます!喜んでお手伝いします」
「うむ。明日から村の市場で働いてくれ。ミーナの父親のトーマスが市場の管理をしておる。彼に言っておくから」
話が終わると、村長はミーナを呼び、レインとルーンを新しい家まで案内するよう頼んだ。
村の東はずれにある小さな石造りの家は、一見すると質素だったが、中はきれいに掃除されていた。一階には暖炉のある居間と簡素な台所、二階には小さな寝室があった。
「少し埃っぽいけど、掃除すればすぐに住めるわ」
ミーナは戸棚から布を取り出し、テーブルやいすを拭き始めた。レインも手伝おうとしたが、彼女は首を振った。
「あなたは疲れているでしょう。休んでて。私がやるから」
その優しさに、レインは心から感謝した。ルーンを床に下ろし、彼も少しだけ掃除を手伝った。ルーンは好奇心いっぱいに家の中を探検し始めた。
掃除が終わると、ミーナは村に戻っていった。夕暮れが近づいていた。
「これが私たちの新しい家だよ、ルーン」
レインは呟いた。ルーンは彼の足元にやってきて、嬉しそうに鳴いた。その仕草があまりにも人間のような理解を示していて、レインは微笑まずにはいられなかった。
「明日から働かなきゃいけないけど、ずっと一緒にいられるから安心して」
ルーンは尾を振り、レインの言葉を理解したかのように反応した。
その夜、レインはミーナが届けてくれた食事を食べ、ルーンにも分け与えた。暖炉の火が部屋を温かく照らす中、レインは初めて落ち着いて、自分の状況を考えることができた。
異世界に来てしまったこと。もう元の世界に戻れるかどうかもわからないこと。そして、この不思議な子犬との出会い。すべてが現実とは思えない展開だった。
「でも、不思議と怖くないんだ」
レインはルーンの柔らかい毛を撫でながら呟いた。
「君がいるから」
ルーンは瞳を輝かせ、レインの手に頬ずりした。
翌朝、レインとルーンは早起きして市場へ向かった。朝露に濡れた石畳を歩きながら、村の美しさを改めて感じた。市場はすでに活気づいていて、八百屋、肉屋、パン屋などの店が並んでいた。
トーマスはがっしりとした体格の中年男性で、レインを見つけると大きく手を振った。
「おお、新しい若者か!村長から聞いている。今日から手伝ってくれるそうだな」
「よろしくお願いします」
「その子犬も一緒かい?」
トーマスはルーンを見て驚いた表情を浮かべた。
「はい、ルーンです。大人しいので、邪魔にはなりません」
「いや、構わんよ。むしろ、お客さんの目を引くかもしれんな」
トーマスの予想は的中した。その日、市場でレインが商品の運搬や陳列を手伝う間、ルーンは彼の傍らで静かに座っていた。その姿があまりにも賢く、また美しかったため、多くの村人が足を止めて見とれたのだ。
「なんて賢い子犬なんだ」
「見たことない毛の色ね」
「あの目、まるで金色の宝石みたい」
子供たちは特にルーンに興味を示し、触りたがった。しかし、ルーンはレイン以外の人間が近づくと、礼儀正しくも明確に距離を置いた。
一人だけ例外があった。昼頃、市場に来た小さな女の子、ミラだった。彼女は他の子供たちより控えめで、少し離れた場所からルーンを見つめていた。不思議なことに、ルーンは彼女に対してだけは警戒心を解き、近づくことを許した。
「触っても、いい?」
ミラが小さな声で尋ねると、ルーンは彼女に向かって一歩踏み出した。ミラの細い指がルーンの頭に触れると、ルーンは目を細めた。
「あったかい…」
ミラの顔に笑顔が広がった。彼女は普段あまり笑わない子だと、後でトーマスから聞いた。両親を亡くし、叔母に育てられているという。
レインはその光景に胸を打たれた。ルーンがミラだけを特別扱いする理由はわからなかったが、何か深いものを感じずにはいられなかった。
「彼女も孤独なんだ…君と同じように」
レインはルーンに囁いた。ルーンは彼を見上げ、何かを伝えようとするような目で見つめ返した。
その日の仕事が終わると、レインとルーンは市場から家へと戻った。途中、村の子供たちが駆け寄ってきた。
「レインさん!あの子犬、ルーンっていうの?」
「明日も市場に来るの?」
「触らせてくれる?」
子供たちの質問攻めに、レインは優しく笑いながら答えた。ルーンは相変わらず距離を保ちつつも、子供たちの無邪気な関心に、少しずつ心を開いていくようだった。
家に戻ると、玄関先にミーナが立っていた。彼女は小さなかごを持っていた。
「初日のお祝いに、少しだけど料理を持ってきたの」
レインは感謝の言葉を述べ、ミーナを中に招き入れた。彼女の作ったシチューは素朴だが温かく、疲れた体に染み渡った。
「ありがとう、ミーナ。本当に助かる」
「気にしないで。それより、村の皆からルーンの評判を聞いたわ。『幸運の子犬』って呼ばれてるみたい」
「幸運の子犬?」
「ええ。市場での売り上げが今日は特に良かったらしいし、ミラがルーンを撫でた後、あの子が久しぶりに笑ったって」
レインはルーンを見た。ルーンは彼らの会話を聞きながら、暖炉の前で丸くなっていた。その姿はただの子犬のようでいて、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
ミーナが帰った後、レインはルーンの隣に座り、その体を優しく抱きしめた。
「君は本当に特別な存在だね」
窓の外では、月が昇り始めていた。その銀色の光がルーンの額の紋様を照らすと、かすかに光を放った。レインはその神秘的な光景に見入った。
「この村での生活、悪くないと思う。少なくとも、元の世界に戻る方法が見つかるまでは…」
しかし、心の奥では、既に気づいていた。この世界、そしてルーンとの出会いは偶然ではないこと。そして、彼らの間に生まれつつある絆は、単なる人間と動物の関係を超えた、何か深いものであることを。
「君は私のことを理解してくれている。それだけで十分だよ」
レインの言葉に、ルーンは金色の瞳を輝かせた。その目には言葉にならない感情が宿っていた—理解、感謝、そして何より、深い信頼。
夜が更けていく中、レインとルーンは互いの温もりを感じながら眠りについた。彼らの冒険は、まだ始まったばかりだった。そして、彼らが築き始めたこの絆は、やがて二人の運命を、そして世界の行く末さえも変えていくことになる—そのことを、二人はまだ知らなかった。
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