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第4章:迫りくる脅威 第10話「噂の広がり」
しおりを挟む月光の祠への旅に向けて準備を進めていたレインとルーン。村を離れる前に、必要な物資を調達するため、二人はいつものように市場へ向かっていた。
「あと食料と水筒、それから地図があれば…」
レインは指を折りながら必要なものをチェックしていた。ルーンは彼の傍らで、好奇心に満ちた目で周囲を見回していた。
市場はいつもより賑やかだった。季節の変わり目で商人たちが各地から集まる時期だったからだ。普段見かけない顔ぶれの商人たちが、珍しい品々を並べていた。
「おや、これは珍しい犬だね」
突然、見知らぬ声がかけられ、レインは振り返った。そこには赤い商人服を着た中年の男性が立っていた。彼は首から様々な小物が下がった首飾りを付け、背には大きな荷物を背負っていた。
「行商人のバートだ。よろしく」
「風間レインです。こちらはルーン」
バートと名乗った行商人は、興味深そうにルーンを見つめた。
「この子、普通の犬じゃないだろう?あの毛並み、そして目の色…」
レインは少し警戒心を抱いた。ルーンの正体は村の中では知られ始めていたが、外部の人間には秘密にしておきたかった。
「ただの犬ですよ。少し珍しい種類かもしれませんが」
「そうかね…」
バートは微笑んだが、その目は鋭く、ルーンの額の紋様を見つめていた。
「銀紋の獣…というのを知っているかい?」
レインは息を呑んだ。この行商人は何かを知っているようだった。
「残念ながら、詳しくないです」
レインは無関心を装ったが、バートは意味ありげに笑った。
「そうか。まあ、珍しい犬を持っていると評判になるだろうな。気をつけたほうがいい」
バートは何か含みのある言葉を残し、人混みの中へと消えていった。
「あの人、何を知っているんだろう…」
ルーンは低く唸り、バートが去った方向を見つめていた。
市場での買い物を終え、二人が帰り道を歩いていると、リディアが急いで近づいてきた。
「レイン!良くないことが起きているわ」
「どうしたの?」
「村に来ている行商人たちが、ルーンのことを話しているの。『珍しい銀紋の獣』を連れた青年がいるという噂を広めているわ」
レインは眉をひそめた。バートが噂を広めているのだろうか。
「危険かもしれないわ。それらの噂は近隣の町にも届くかもしれない。特に…」
リディアは言葉を選ぶように一度息を呑み、声を低くして続けた。
「『王立魔獣調査団』が、希少な魔獣を探しているという話があるの」
「王立魔獣調査団?」
「王国が組織した、珍しい魔獣の調査と捕獲を行う団体よ。彼らは強力な権限を持っていて、見つけた魔獣を研究のために連れ去ることもあるわ」
レインは不安になった。ルーンが「魔獣」と見なされ、捕獲されるようなことがあってはならない。
「どうすればいい?」
「今はルーンを目立たせないことね。それと、旅の準備を急いだ方がいいかもしれない。噂が大きくなる前に村を離れたほうが安全よ」
リディアの助言に頷き、二人は急いで帰路についた。しかし、村の中を歩いていると、人々の視線がルーンに集まっているのを感じた。既に噂は村中に広がっているようだった。
家に戻ると、意外にも玄関先に村長マクスウェルが立っていた。彼の表情は重く、何か深刻な問題があることを示していた。
「レイン、話がある。中に入ってもいいかね」
「もちろんです」
三人は家の中へ入った。村長は椅子に座り、深いため息をついた。
「行商人のバートから報告を受けた。彼は、ルーンが『銀紋の獣』であると見抜いたようだ」
「あの人は何者なんですか?」
「ただの行商人ではない。彼は各地の珍しい情報を集め、売り歩くことでも知られている。そして、彼は既に近隣の町に使いを出したようだ」
レインは言葉を失った。事態は予想以上に急速に悪化していた。
「心配しているのは『王立魔獣調査団』だ。彼らは希少な魔獣の情報には敏感に反応する。バートが噂を広めれば、彼らがこの村に来るのも時間の問題だろう」
「ルーンを守るために、何かできることはありますか?」
村長は考え込んだ後、静かに答えた。
「君たちの旅立ちを早めるしかないだろう。月光の祠への道は危険も多いが、今この村にいることのほうが危険かもしれない」
レインは頷いた。
「いつ出発すべきでしょうか?」
「明日の夜明けがいい。人目につかない時間に村を出るんだ」
村長が帰った後、レインは急いで旅の準備に取り掛かった。本来なら数日かけてゆっくり準備するつもりだったが、状況は緊急を要していた。
日が暮れる頃、ノックの音がして、ミーナが食事を持ってきてくれた。
「旅立つって本当?」
ミーナの顔には心配の色が浮かんでいた。
「うん、明日の朝早くに」
「でも…行商人が広めた噂のせいで?」
「ルーンを守るためには、早く村を離れるしかないんだ」
ミーナは悲しそうな顔をした。
「戻ってくるの?」
「もちろん。この村は僕たちの家だからね」
レインの言葉にミーナは少し安心したように微笑んだ。
「気をつけてね。それと…」
彼女は小さな布包みを取り出した。
「これ、お守り。私が作ったの。ルーンにも」
中には、手作りのペンダントと、小さな犬用の首輪飾りが入っていた。
「ありがとう、大切にするよ」
別れを告げたミーナが去った後、レインは窓辺に立ち、夕暮れの村を眺めた。短い間だったが、この村で過ごした日々は彼にとって大切な時間だった。
「ルーン、また必ずここに戻ってこようね」
ルーンは静かに頷いた。その目には決意の光が宿っていた。
夜が更けていく中、レインは最後の準備を整えていた。明日からの旅に必要なものを詰めた大きなリュックサック、ルーンのための特別な装備、そして長老から借りた地図。全てが整った頃、また訪問者があった。
ドアを開けると、そこにはガリウス長老が立っていた。
「準備は進んでいるか?」
「はい、ほぼ完了しました」
長老は家に入り、レインの準備を見て頷いた。
「良い。だが、一つ気になることがある」
「何でしょうか?」
「今日、村に『王立魔獣調査団』を名乗る一団が到着した。彼らは『銀紋の獣』の情報を求めて、私のもとへも来た」
レインは驚いた。まさかこんなに早くとは。
「何と言ったんですか?」
「私は『そのような獣はいない』と答えた。だが、彼らは簡単に信じなかった。村に滞在し、調査を続けると言っていた」
長老の言葉に、レインは緊張が高まるのを感じた。
「彼らの目的は単なる調査ではないような気がする」
長老は眉を寄せた。
「どういうことですか?」
「彼らの目には、欲望の色があった。特に、団長と名乗る男はルーンのことを『貴重な資源』と呼んでいたそうだ」
レインとルーンは互いを見つめた。ルーンの目には不安の色が浮かんでいた。
「明日の出発は予定通り行うべきだ。だが、より警戒が必要だろう」
長老はそう言って、小さな袋を取り出した。
「これは『闇の粉』だ。必要な時に使え。一時的に煙幕を張り、姿を隠すことができる」
レインは感謝してそれを受け取った。
「そして、これも」
長老は別の小さな石を取り出した。
「『月の石』という。月の力を持つルーンの力を安定させ、強化する効果がある」
レインはその石をルーンの首輪に取り付けた。石は淡い光を放ち、ルーンの額の紋様と共鳴するように輝いた。
「ありがとうございます、長老」
「無事に月光の祠に辿り着き、最初の試練を乗り越えることを願っている」
長老が去った後、レインは早めに休むことにした。明日は夜明け前に出発する予定だ。しかし、眠りにつこうとした時、外から物音がした。
「誰かいるの?」
レインは慎重に窓から外を覗いた。月明かりの下、数人の人影が彼の家の周りを歩いているのが見えた。彼らは黒い服を着て、何かを探しているようだった。
「調査団の者たちだろうか…」
レインは警戒心を高めた。ルーンも静かに唸り、窓の外を見つめていた。
しばらくすると、人影たちは村の中心部へと戻っていった。レインはほっと息をついたが、危険は予想以上に近づいていることを実感した。
「明日は気をつけないといけないな、ルーン」
彼はルーンを抱きしめ、二人でベッドに横になった。明日からの旅に向けて、少しでも休息を取る必要があった。
翌朝、まだ暗いうちにレインは目を覚ました。外はほんのり明るくなり始めたばかりで、村はまだ静寂に包まれていた。
「ルーン、行くよ」
レインは小声で言い、準備していたリュックサックを背負った。ルーンも身構え、レインの後について静かに家を出た。
村の東門へと向かう二人。しかし、村の中心部を通りかかったとき、レインは足を止めた。市場の近くで人々が集まっているのが見えたからだ。
「何が起きているんだ?」
近づいてみると、黒い制服を着た一団が村長と話しているところだった。彼らの胸には紋章があり、「王立魔獣調査団」と彫られていた。
「再度申し上げますが、『銀紋の獣』と呼ばれる魔獣の調査は、王国の命による公務です。協力を拒めば、法に触れることになります」
厳しい声で村長に迫る男性は、調査団の団長らしかった。
「私どもは協力を拒んでいるわけではありません。ただ、そのような獣を見たことがないと申し上げているだけです」
村長は冷静に対応していたが、その表情には緊張が見えた。
レインは身を隠し、様子を窺った。ルーンも静かにしていたが、その目は警戒心に満ちていた。
「村中を徹底的に捜査する。全ての家、納屋、倉庫、何一つ見落とさない」
団長の命令に、調査団員たちは村の各方向へと散っていった。
「まずい…このままでは村を出られない」
レインは頭を抱えた。村の主要な出口は全て調査団員に監視されているだろう。
その時、背後から声がかけられた。
「レイン、こっちだ」
振り返ると、リディアが小さな路地から手招きしていた。レインとルーンは急いで彼女の元へと駆け寄った。
「調査団が村中を捜索しているわ。彼らは明らかにルーンを探している」
「どうすればいい?村を出られないよ」
「裏道があるの。ついてきて」
リディアに導かれ、三人は村の裏路地を通って移動した。朝の薄明かりの中、人目を避けながら進む。
「村の北側に、使われていない古い獣道がある。そこを通れば、彼らに見つからずに出られるわ」
「リディア、ありがとう」
「お礼はいいの。早く行って」
村の北端に近づくと、リディアは茂みの中に隠された小さな道を指差した。
「この道を進めば、半日で東の街道に出るわ。そこから月光の祠へ向かえる」
「本当にありがとう、リディア」
「気をつけて。そして…」
彼女はルーンの頭を撫でた。
「ルーン、レインを守ってあげて。あなたには特別な力があるんだから」
ルーンは静かに頷き、リディアの手に頬ずりした。
別れを告げ、レインとルーンは獣道へと入った。道は狭く、枝や茂みが行く手を塞いでいたが、確かに人目を避けるには最適だった。
「よし、何とか村を出られたな」
レインは安堵のため息をついた。しかし、その安心は長くは続かなかった。
後方から、木々を踏み砕く音と、人の声が聞こえてきた。
「こっちだ!足跡がある!」
「調査団だ!」
レインは慌てて前へと駆け出した。ルーンも全力で走る。道なき道を進みながら、彼らは追手から逃れようとした。
木々の間を縫うように走っていると、レインは突然足を止めた。目の前の小さな空き地に、黒い制服を着た男性が立っていたのだ。
「やあ、見つけたぞ」
男性は冷たい笑みを浮かべた。彼の腰には剣が下がり、手には何か奇妙な装置を持っていた。
「君が噂の『銀紋の獣』を連れた青年か。そして…」
彼の目がルーンに向けられた。
「これが『銀紋の獣』…なんとも小さいな。だが、額の紋様は確かだ」
レインはルーンを守るように前に立った。
「彼は普通の犬です。何も特別なところはありません」
「嘘をつくな。我々は長年、神獣の伝説を研究してきた。そして、神狼の特徴を熟知している」
男性は一歩前に進み出た。
「おとなしく引き渡せば、君には危害を加えない。その獣は王国の研究施設で適切に扱われる」
「断ります」
レインの言葉に、男性の表情が険しくなった。
「そうか、ならば力づくだ」
彼が手の装置を操作しようとした時、ルーンが突然低く唸り声を上げた。その目は金色に輝き、体から微かな光が放たれ始めた。
「何だ…?」
男性が驚いた隙に、レインは長老から受け取った「闇の粉」の袋を取り出し、地面に投げつけた。
袋が割れると同時に、濃い黒煙が周囲に広がった。視界が奪われた男性が咳き込む音が聞こえる中、レインはルーンを抱え上げ、霧の中を駆け抜けた。
「こっちだ、ルーン!」
二人は全力で森の奥へと逃げ込んだ。後方では調査団員たちの声や物音が聞こえていたが、次第にそれらは遠ざかっていった。
しばらく走り続けた後、二人はようやく足を止めた。レインは木に寄りかかり、激しく呼吸をした。
「危なかった…」
ルーンも疲れた様子だったが、まだ警戒を解いていなかった。彼は周囲を見回し、何か危険がないか確認しているようだった。
「彼らは本気でお前を捕まえようとしているんだな…」
レインはルーンの頭を撫でた。
「でも、僕が守る。絶対に彼らの手には渡さない」
ルーンはレインを見上げ、感謝の意を示すように小さく鳴いた。
二人は休息を取った後、再び東へと進み始めた。森の中を進むのは容易ではなかったが、調査団から離れることが最優先だった。
「月光の祠まであと三日か…」
レインは地図を確認した。長く険しい道のりになるだろうが、それでも進まなければならない。ルーンの力を目覚めさせ、彼を守るために。
空では雲が流れ、時折太陽が顔を出した。その光の下、レインとルーンは新たな冒険へと歩みを進めていった。村での平穏な日々は終わり、これからは試練と危険に満ちた旅が始まる。だが、二人の絆があれば、きっと乗り越えられるはずだった。
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