「怪異蒐集録―死を導くYouTuber―」

ソコニ

文字の大きさ
8 / 40

第2章 第3話「温泉旅館の怪」

しおりを挟む


山間の古い温泉旅館「菊乃湯」は、八月の夜に似つかわしくない深い霧に包まれていた。

「──本日は山奥の廃旅館、菊乃湯からの生配信となります」

結城翔真は、玄関前の朽ちた灯籠を映し出す。チャンネル登録者数は50万人を超え、先週の廃校での出来事は既にネット上で都市伝説と化していた。コメント欄には「笑顔の怪異」を検証する投稿が相次ぎ、オカルト系サイトでも取り上げられている。

「実は今回の配信場所は、玖堂レイからの直接指定です」

翔真はスマートフォンに届いたメッセージを読み上げる。夜の山中とは思えない蒸し暑さの中、額に汗が滲む。

『菊乃湯をご存知ですか?
1972年8月16日、宿泊客28名全員が失踪。
当時はカルト集団による集団自殺説も囁かれましたが、遺体は一つも見つかっていない。
不可解なのは、チェックアウト時の記念写真には全員写っていたこと。
しかも、その笑顔は──人間のものとは思えなかった』

霧が濃くなり、灯籠の明かりが不気味に揺らめく。石灯籠の苔むした表面には、まるで人の顔のような模様が浮かび上がっている。

「前回の廃校に続き、写真と笑顔の怪異か」

翔真は持参した機材を確認する。今回は固定カメラ6台を設置予定。大浴場、廊下、ロビー、そして問題の写真が撮られたという宴会場にも配置する。前回の教訓から、全てのカメラにバックアップ電源を用意した。

「まずは、建物の状態を確認します」

カメラを構えながら、翔真は建物の外観を撮影していく。築100年を超える木造建築は、意外なほど原形を留めていた。しかし、その保存状態の良さが、かえって不気味さを際立たせる。

チャット欄には、早くも不安げなコメントが流れ始めていた。

『また笑顔の話?』
『前回の配信、怖すぎた』
『菊乃湯って、あの失踪事件の……』
『近所に住んでるけど、夜になると灯りが見えるって噂』
『私の祖父も、昔ここに』

突如、館内から三味線の音が響いてきた。かすかな調べは、どこか懐かしい演歌の一節のようだ。

「音楽ですか?前回の廃校でも、最初はピアノの音から始まりましたね」

翔真は慎重に玄関をくぐる。腐食した床を踏むたび、年代物の木材特有の軋みが響く。

広々としたフロントには、カビの生えた宿泊名簿が残されていた。不思議なことに、1972年8月16日のページが開いたままになっている。

「失踪した宿泊客の記録でしょうか」

名簿には28人の名前が、美しい筆跡で記されていた。個人客は少なく、ほとんどが「○○会社慰安旅行」の団体客だ。最後の欄には赤ペンで「祝・記念撮影」との書き込みがあった。

その時、チャットに見慣れた名前が現れる。

『私の名前、見つかりました?
佐藤美咲です』

翔真の背筋が凍る。前回の廃校に現れた少女の名前。しかし名簿には、その名前はない。

「大浴場を確認しましょう」

廊下を進むと、どこからともなく湯気が立ち込めてくる。配管は朽ち果て、温泉は完全に涸れているはずなのに。

湯気の向こうから、女性の笑い声が聞こえてくる。

チャットが突如、活発になる。

『もうすぐ、記念撮影です』
『私も写真に、写りたい』
『素敵な思い出に』
『笑顔で、永遠に』
『この世とあの世の、境目を超えて』

翔真は立ち止まり、固定カメラの映像を確認する。大浴場のカメラに、異変が映っていた。

「これは……」

湯気の向こうに、浴衣姿の人影が写り込んでいる。しかし、壁や柱が人影を透かして見える。まるでフィルムを重ねたように、過去の映像が現実に重なっているかのようだ。

大浴場に入ると、異様な光景が広がっていた。腐食した浴槽には、濁った湯が満ちている。

「ありえない。配管は完全に止まっているはずなのに」

水面に近づくと、さらなる異変が起きた。湯気の中から人影が次々と現れ始めたのだ。着物姿の女将、浴衣の客たち、そして子供連れの家族。しかし、その姿は半透明で、まるで古いフィルムを上映しているかのよう。

浴槽を覗き込むと、水面に映る景色が歪み始める。そこには、まるで別世界が広がっていた。

「これは、1972年の……」

水面に映るのは、当時の菊乃湯の姿。賑わう宴会場、笑顔の客たち、活気に満ちた仲居たち。しかしその表情が、徐々に、そして確実に歪んでいく。

人々の顔が、まるで蝋で作られた人形のように不自然に。笑顔は甘美な恍惚感に満ち、目は焦点を失っていく。遊園地や廃校で見た、あの異形の表情へと変貌していくのだ。

チャットが狂ったように流れる。

『もうすぐ、あの世へ』
『永遠の、思い出を』
『みんなで、笑顔で』
『写真に、残そう』
『境界が、溶けていく』

館内に三味線の音が鳴り響く。しかし今度は、まるで弦が切れたような不協和音。その調べは次第に歪み、人の悲鳴のようにも聞こえ始める。

翔真が振り返ると、廊下に浴衣姿の人々が立ち並んでいた。その顔は、これまでに見た笑顔と同じ。歓喜に満ちた、しかし明らかに人間離れした表情。

「やはり、全ては繋がっている」

記憶が蘇る。5年前、テレビ局ADとして心霊特集を撮影していた時の映像。廃病院で見つかった古い写真。そこにも、同じ歪んだ笑顔が写っていた。そして妹が失踪した日の、最後の写真も。

宴会場から、写真撮影を告げる声が響く。人々は一斉にその方向へ動き始める。その足音は、まるで水の中を歩くような、不自然な響きを立てていた。

一着の浴衣が、翔真の足元に置かれている。

「さあ、あなたも記念写真に」

声の主は美咲だった。制服姿のまま、不自然な笑顔を浮かべている。

「どうして、君がここに」

「だって、私たち、みんな写真に写るの。永遠の思い出として。この世とあの世の境界を超えて──ねえ、お姉さんも、そうだったでしょう?」

翔真の瞳が見開かれる。妹のことを、なぜ。

背後の水面が大きく波打つ。浴槽から、無数の手が伸びてくる。その先には、歪んだ笑顔が浮かんでいる。

「ほら、早く着替えて。記念写真の時間です」

チャットに最後のコメントが流れる。

『さあ、最高の笑顔で──永遠の記念写真を』

カメラは全てを記録し続ける。その映像は、これまでに類を見ない鮮明さで、異界の光景を捉えていた。

スマートフォンに新たなメッセージが届く。今度は動画が添付されていた。

『結城さん、真相まであと一歩。
記録されるべきは、永遠の笑顔。
この世とあの世の境界を溶かす、至高の瞬間。

添付の動画をご覧ください。
貴方の妹さんが、最後に見せた笑顔です。
あの病院で、私が撮影した特別な一枚。

次は地下鉄廃線跡で。
そこで、全ての謎が繋がります』

差出人は、やはり玖堂レイ。

再生ボタンに触れる指が、微かに震えていた。

(第3話 完)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...