「怪異蒐集録―死を導くYouTuber―」

ソコニ

文字の大きさ
38 / 40

第8章 第3話「温度の罠」

しおりを挟む
 


「ここで8名が凍死し、12名が重度の火傷を負いました。しかし——当日の温泉の温度は、通常と変わらなかったそうです」

温泉街の古い旅館「菊乃湯」の前で、翔真はカメラに向かって語りかけていた。2月の冷たい風が頬を撫でる。

「この事件については、田中さんから詳しい説明を」
カメラを向けると、田中美咲が一歩前に出た。彼女の手には、古い新聞の切り抜きが握られている。

「1972年2月14日の出来事です。当時、この温泉で20名の客が同時に温度異常に見舞われました。8名は、42度の温泉に入っていたにも関わらず、重度の凍傷で死亡。12名は同じ湯船で重度の火傷を」

その時、旅館の玄関から、小柄な老婆が姿を現した。菊乃湯の現オーナー、綾瀬ユキ子だ。

「よく来てくださいました」
ユキ子の声は、か細かった。
「実は、また始まったんです。あの異常が」

翔真は息を呑む。先日、視聴者から寄せられた情報。「温泉の温度が、触れる場所によって極端に変化する」という証言。まさか、50年前の事件が——。

「今回は、どんな状況でしょうか」
「はい。昨日の夕方から、お客様の間で噂になっていまして」
ユキ子は言葉を選びながら続ける。
「同じ湯船なのに、場所によって温度が全く違うと。冷たすぎる場所があったり、逆に熱すぎる場所が」

「計測は?」
美咲が質問を投げかける。
「温度計での確認は」

「それが不思議なんです」
ユキ子は首を振る。
「計測値は常に42度。でも、実際に入ると」

話の途中、旅館の中から悲鳴が響いた。

「!?」

三人は即座に旅館の中へ駆け込む。悲鳴は女性浴場の方から。しかし、その前に——男性用の浴場から、異様な寒気が漂ってきた。

「この寒さ……」
美咲が腕を擦る。
「まるで、冷凍庫の中のよう」

その時、女性浴場のドアが勢いよく開き、若い女性が飛び出してきた。彼女の右腕には、大きな火傷の痕。しかし、左腕には、凍傷のような青黒い痕が残されていた。

「お客様!」
ユキ子が駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」

「湯が、湯が変だ!」
女性は混乱した様子で叫ぶ。
「右手は火傷するほど熱くて、左手は凍えるように冷たくて」

医療班を呼ぶ間もなく、今度は男性浴場から悲鳴が響いた。

「調べます!」
翔真が男性浴場に向かおうとした時、美咲が腕を掴んだ。

「待って! その前に——これを」
彼女が差し出したのは、小さな温度計。しかし、通常のものとは違う。
「特殊な温度感知器です。人の体温の変化を記録できる」

翔真は頷き、装置を受け取る。そして、男性浴場のドアを開けた。

中から押し寄せる空気は、まるで極寒の地のよう。湯気が立ち込めているはずの浴場内が、完全に白く凍りついている。

「これは……」

脱衣所の温度計は、42度を示したまま。しかし、肌で感じる寒さは、明らかにマイナス20度を下回っている。

浴場内に足を踏み入れると、床には薄い霜が広がっていた。湯船からは、違和感のある湯気が立ち上る。白い湯気なのに、見ていると寒気が走る。

「誰か、いますか!?」
翔真の声が、凍てついた空間に響く。

返事はない。しかし、湯船の向こうで、何かが動いた。

「!」

慎重に近づいていく。湯船の縁には、凍りついた手形が残されている。まるで、誰かが必死に這い上がろうとしたかのように。

「あ……」

湯船の中で、人影を見つけた瞬間、翔真の背筋が凍る。若い男性が、完全に凍りついた状態で沈んでいる。その表情には、想像を絶する恐怖の色が刻まれていた。

しかし——その男性の下半身は、まるで熱湯で茹でられたかのように、赤く腫れ上がっていた。





「急いで! 救助を!」

翔真の叫び声が、凍てついた浴場内に響き渡る。しかし、その声は途中で途切れた。湯船から立ち上る白い湯気が、突然、動きを変えたのだ。

まるで生きているかのように、湯気が翔真に向かって伸びてくる。

「結城さん! そこから離れて!」
廊下から、美咲の警告が響く。

しかし、既に遅かった。湯気が翔真の右手に触れた瞬間、激しい痛みが走る。見ると、手の平が真っ赤に腫れ上がっていた。

「くっ!」

咄嗟に左手で払いのける。今度は、凍傷のような痛み。両手が、正反対の温度で蝕まれていく。

「これが、50年前の——」

温度感知器が警告音を鳴らし始めた。画面には信じられない数値が表示されている。右手周辺が120度、左手周辺がマイナス40度。しかし、浴場の温度計は、依然として42度を示したままだ。

「結城さん! これを!」
美咲が何かを投げ入れてきた。小さな装置。先日の霧吹きに似ている。

「温度を、安定させる装置です! 早く!」

翔真は痛む手でスイッチを押し込んだ。すると、装置から青白い光が放たれ、浴場内に広がっていく。

その瞬間。

「あぁ……」

年老いた女性の声が、どこからともなく響いた。湯気の中から、一人の女性の姿が浮かび上がる。

「ユキ子さん!?」
確かに、菊乃湯のオーナーだ。しかし、若い。50年前と同じ姿の。

「あの日、私は、ここで」
彼女の声が、湯気と共に揺らめく。
「温度の感覚を、奪われました」

突然、浴場全体が大きく軋む。天井から、氷柱が落下し始める。そして同時に、床からは熱湯が噴き出す。

「結城さん、危ない!」
美咲が浴場に飛び込んできた。彼女の手には、もう一つの装置が。
「これ以上、記憶が具現化すると」

「記憶、ですか?」
「ええ。50年前の事故の記憶が、温度として残されている。そして、それが今、目覚め始めた」

若きユキ子の姿が、ゆっくりと近づいてくる。
「あの日、私は見てしまった。温泉の中で蠢くモノを」

その時、湯船の中で、何かが大きく動いた。湯面が激しく波打ち、そこから、得体の知れない影が浮かび上がる。

「あれ、です」
ユキ子の声が震える。
「温度を、食べるモノ」

影は、まるで巨大なウナギのような形をしていた。しかし、その体は半透明で、中には無数の温度計のようなものが埋め込まれている。

「これが、菊乃湯に棲みついた怪異」
美咲が説明する。
「温度の感覚を餌とする存在。50年前の事故も、このモノが」

影が、うねるように動く。その動きに合わせ、浴場内の温度が激しく乱れ始めた。熱と寒気が、渦を巻くように交錯する。

「でも、なぜ今」
「きっと、私のせいです」
現在のユキ子が、入り口から声をかける。
「旅館を、息子に譲ろうとした時から、おかしくなり始めて」

「譲る?」
「ええ。50年間、私が抑え込んでいた『何か』が、解放されようとしている」

その言葉が終わるか否か、影が一気に三人に向かって襲いかかってきた。

「装置を!」
美咲の声に反応し、翔真は持っていた装置を影に向けて放り投げる。青白い光が、影を包み込む。

「あの日、私がしなかった事を」
若きユキ子の姿が、現在のユキ子と重なる。
「今、あなたたちの手で」

光が浴場内を埋め尽くす。影は悲鳴のような音を上げ、そして——湯船の中へと消えていった。

静寂が訪れる。

浴場内の温度が、ゆっくりと正常に戻っていく。湯船の中の男性も、無事に救出された。体の火傷と凍傷は、不思議なことに跡形もない。

「これで」
美咲が安堵の表情を浮かべる。と、その時。

「いいえ」
ユキ子が首を振る。
「これは、始まりです」

彼女は、一枚の古い写真を差し出した。そこには、菊乃湯と同じような建物が、いくつも写っている。

「この温泉街には、かつて七つの温泉が」
「まさか」
「ええ。このモノは、きっと他の場所でも」

翔真は、写真に写る建物群を見つめた。温度の怪異は、まだ終わっていない。むしろ、これは連鎖の始まりなのかもしれない。

「田中さん、これから」
「ええ、調査しましょう」
美咲は頷く。
「他の温泉で、何が起きているのか」

窓の外では、夕暮れの空が赤く染まっていた。その色が、まるで熱を帯びているように見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...